三島の見解

古の女子高生

【演奏会形式】エレクトラ(東京春祭2024)

2024年4月18日 [木] 19:00公演

東京文化会館大ホール

東京・春・音楽祭

リヒャルト・シュトラウス作曲

フーゴ・フォン・ホーフマンスタール台本

エレクトラ(演奏会形式)

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は引き続き東京春祭の会場へ。

 

リヒャルトくんのオペラを聞きました。

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当ブログではオペラに対して見るという動詞を使っておりますが、この公演は演奏会形式だったので聞くを使います。深い意味はないです。

 

2023年5月に東京交響楽団(指揮:ジョナサン・ノット)にて同じくエレクトラの演奏会形式がありました。記憶に新しいです。1年以内に再び劇場で聞ける日が来るとは思っていませんでした。あまりにも早く次の機会に恵まれてびっくりしています。

 

(そのときの感想↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

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それでは感想いってみよー。

 

客席の拍手とブラーボの量とは裏腹に私は不完全燃焼です。

素直に自分が思ったこと、感じたことを書いていきます。

(以下全て敬称略)

 

開演前の舞台上の椅子の量!

この日一番楽しかったのは舞台が狭く感じるほどに敷き詰められた椅子たちを眺めていたときです。つまり開演前です。編成が大きいの。ぎゅうぎゅうなの。並んだ椅子たちが愛おしかったです。

 

客入りは良くないように見えました。二期会公演よろしく1階後方はぽつぽつと人が座っている程度。1階後方1列目中央の関係者席だけはみっちり埋まっていて面白かった。

 

1階前方は埋まっていましたが空席がなかったわけではない。1階サイドは後方よりは埋まっているがそれでも空席が目立つ。舞台上から1階席はスカスカに見えたのではないでしょうか?申し訳ないね。

 

上の方の席は埋まっているように見えましたが、その中でも高い料金を取っているであろう1列目は空席が目立ちました。私の見間違いだと思いたい。

 

平日の夜は入らないものか。珍しい公演だけれど1年以内に2回上演されているからなあ。新鮮味はないよね。特別好きでないとまた聞いてみようと思わないのかも。切ないね。

 

オーケストラ頑張る

指揮者のヴァイグレが忙しそうでした。エレクトラの代わりに踊っているのかと思うレベルで動いていた

 

全身を使って指揮をする。めちゃくちゃ痩せそう。しゃがんだり人差し指をを立てて天高く掲げたり。大編成をまとめ上げるには省エネで指揮してる場合ではないでしょう。(普段のヴァイグレを知らないのでこれがスタンダードだったらすいません。)

 

最初はずいぶんお上品な音楽づくりだなと思いました。しかし、クリソテミスが登場したあたりからお上品なのではなく表現が足りないだけなのかもと思いながら聞いていました。

 

楽譜にオーケストラがついていけてない印象を受けた。テンポが遅れている、失敗したとかそんなわかりやすい話ではなく完全なる感覚です。シュトラウスが書いた音楽に食べられてしまっているようです。音は出ているけれど中身を感じません。音楽の意図を引っ張り出したい指揮者となかなか表現できないオーケストラの音が充満。戸惑う私。

 

他の作曲家の作品を聞いた後で聞けば迫力のあるかっこいい音に聞こえそうです。しかし大音量で叫んでおけば成立する作品ではない。そんな作品あるのかな。

 

タイトルをつけていいならフォルテで頑張ろう会です。

 

パーぺ暗譜せず

先日の歌曲シリーズでも譜面がっつり見て歌っていたパーぺ。舞台上に譜面台があった時点で覚悟しましたが案の定楽譜を持って登場。ですよねー。

 

リサイタルでは譜面ありでも受け入れられるけれど、演奏会形式とはいえオペラでしかも他の歌手は譜面なしなのに一人だけ楽譜持参なの。昨日キャスティングされた?何か暗譜できない事情が?

 

キャスティングされたとき、もしくは契約内容に暗譜しなくてもOKみたいなことが書いてあるのかな?それでパーぺだけOKなのかな?

 

お持ちの声が良いので聞いていてストレスになることはなく、パーぺが歌っていると音楽全体の焦点があっていくような感覚がありました。さすが一流というところです。そのあたりは譜面があろうがなかろうが関係ない。ただ、オレストかというと全くオレストではなく譜面を見て歌っているパーぺの域を出ません。

 

楽譜に書いてある歌詞を読んでいる歌唱と歌手の体の中から出ている言葉の歌唱って全く違くないですか?

 

パーぺに価値があることはわかる。人気あることもわかる。歌が上手なこともわかる。パーぺが日本で歌っていることに感謝しなければいけないのもわかる。

 

ただどうしても譲れない。暗譜をしてくれ。(パーぺが暗譜不可なこの上ない事情があるなら、ご有識者教えてください。)

 

あなたもルブタン?

歌曲シリーズと同じくパーぺはルブタンを履いていましたが、エレクトラを歌ったパンクラトヴァもレッドソールのパンプスを履いているように見えました。ドレスでほぼ隠れていたので宣言はできませんがレッドソールはルブタンが厳しく取り締まっているからルブタンでしょう。

 

でも類似品って結構あるのね。買わないけど。

shop-list.com

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声の響き自体は綺麗でしたが声量がないのが苦しいところ。オーケストラにかき消されるのではない。大きい声(いわゆるフォルテ)を出さなければいけないとき以外の声がエレクトラを歌うには小さすぎる。響きは保たれているのですが響きだけでは勝負できない役な気がします。

 

発声のポジションは良く安定していました。即座に出る高音も、喋るように言葉を捌く低音も散らからずに一本のラインが通っており美しかったです。

 

人と歌って輝くタイプなのかクリソテミスが出てきてから安定感が増しました。一人で歌っているときよりも表現の幅も広がります。

 

お芝居も頑張りますが誰も受けてくれないのが可哀想でした。オークス(クリソテミス)もパーぺも自分の歌にしか興味がないのか全く会話にならない。物理的な距離もあり近づかない歌手たち。いまだにソーシャルディスタンス公演やっているのかと思うほどです。

 

動いてくれ

クリソテミス役のオークスは棒読み歌唱。のど自慢大会だったら彼女が優勝で間違いありません。後ろのオーケストラに負けないパワーのある声は聞いていて気持ちよかったです。低音域を無理して歌っている様子はない。もちろん高音も強く突き抜ける声が出る。疲れも感じさせません。素晴らしい技術と体力をお持ちなのでしょう。

 

歌は上手。それは嬉しい。でも私はのど自慢大会のチケットを買った覚えはない。

 

エレクトラとは異なり一人の女性としての人生を望んでいることを歌う場面も、エレクトラに説得させられそうになりながらも「私にはできない」と歌う場面もただ歌っているだけでその上に乗っかってくるものはないのか聞きたいです。素晴らしい技術を持っているのだからもう少しお願いします。何かください。

 

ママ

藤村は気品のある歌い方で無理に低音を響かせたりしません。好きです。無理にメゾソプラノをやっていない感じが好きです。自然な声で自然に歌う様子はとても美しいです。

 

ただパンクラトヴァ同様声量が気になる。声を探しにいかなければならないことが多かったです。断末魔は大変お上手でしたが。

 

パーぺ同様、藤村が歌っている感じが強くクリテムネストラはどこに行ったのか気になります。演奏会形式ってこんな感じだったっけ?と不安になりました。

 

断末魔で思い出したのですが、舞台に出ずに袖で歌う合唱やエギストの死に際、もちろんクリテムネストラの断末魔は文明の利器を使用しておりました。

 

これがダサい。明らかに電子媒体を通している声が生のオーケストラと合わさったときの全然噛み合わない音。興醒め。合唱と一緒に歌う生声のクリソテミスの気持ちを考えてみて。他に策はなかったのか。文明の利器を活用することは賛成ですが聞いていて違和感があるのはいただけない。

 

藤村は日本人で片手で数えられるほどしかいない世界水準のオペラ歌手のお一人ということなので次回に期待したいです。

 

以上です。

オペラの中身に集中できる公演ではなかったというのが私の感想です。

 

思い出してみれば2022年のトゥーランドットもなんともいえない出来だった気がするので春祭のオペラのレベル的には普通なのかもしれない。

 

アイーダは評判いいですね!チケット持ってない!!

 

21日のチケットも持っているので最後はまともな感想が持てることを祈ります。

 

おしまい。

 

指揮:セバスティアン・ヴァイグレ

エレクトラ:エレーナ・パンクラトヴァ

クリテムネストラ:藤村実穂子

クリソテミス:アリソン・オークス

エギスト:シュテファン・リューガマー

オレスト:ルネ・パーペ 

第1の侍女:中島郁子

第2の侍女:小泉詠子

第3の侍女:清水華澄

第4の侍女/裾持ちの侍女:竹多倫子

第5の侍女/側仕えの侍女:木下美穂子

侍女の頭(ソプラノ):北原瑠美

オレストの養育者/年老いた従者:加藤宏隆

若い従者(テノール):糸賀修平

合唱:新国立劇場合唱団

合唱指揮:冨平恭平

管弦楽読売日本交響楽団

【リサイタル】東京春祭 歌曲シリーズ vol.40 オッカ・フォン・デア・ダメラウ&ソフィー・レノー

2024年4月15日(月)19:00公演

東京文化会館小ホール

東京春祭 歌曲シリーズ vol.40

オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)&ソフィー・レノー(ピアノ)

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は春祭の歌曲シリーズを聞きに再び東京文化会館小ホールへ。

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今年の歌曲シリーズは4公演あり私はうち3公演を聞くことができました。

 

↓vol.37レネケ・ルイテン(ソプラノ)&トム・ヤンセン(ピアノ)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

↓vol.38ルネ・パーペ(バス)&カミッロ・ラディケ(ピアノ)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

それでは感想いってみよー。

(以下敬称略)

 

全体的に

一番嬉しかったのはほぼ譜面を見なかったことです!

 

ホール内に入ると案の定譜面台が置いてありダメラウも暗譜じゃないのかーと思いましたが、いざ始まってみるとほぼ暗譜で歌っていました。唯一、ベルクの「4 Lieder(4つの歌)」だけ譜面を見ていましたが、ずっと譜面を見ているわけではなかったのでよかったです。休憩後は譜面台が舞台上から消え去っておりアンコールまで完全暗譜での歌唱でした。

 

楽譜を見ながらだとどうしても視線が落ちてしまい表情もよく見えないので嫌です。何より譜面に対して歌うかたちになるので声の行き渡り方も変わってきますよね。譜面がないとずっと前を見てくれているのが嬉しい。

 

歌唱に関しては今回の歌曲シリーズで私が聞きに行った公演の中では一番安定していたのではないでしょうか。

 

高音から低音まで質が同じです。なめらかに音が運びます。なめらかであっても流れることはありません。強いて言えば(言うな)高音に硬さはありますが、ダメラウのレパートリー的に必要な強さなのかもしれません。

 

ドイツ語の発音があまりはっきりしなかったのはなめらかさを意識しているからなのか?はっきり発音しないタイプなのか?でも歌が安定しているとどうでもよくなりそうになる。魔法ですね。

 

私の席の周りではお休みモードに入っているからがちらほらいましたが、こればかりは大いに気持ちが理解できます。心地良すぎていい睡眠が取れると思います。(私は起きてたよ。)睡眠でお悩みをお持ちの方はぜひダメラウの元へ行ってください。

 

朝飯前というか寝起き、もしかしたら寝ながらでもその声で歌えるのではないのかと思うくらいの余裕さがありました。余裕を持ったパフォーマンスができてこそのプロですね。かっこいいです。この公演の後にオペラ一本出演できるのではないかと思うくらい余裕を感じました。

 

高音を中音域と同じような太さで出すのですが押しているようには聞こえることはほぼなかったです。常に十分に口の中のスペースを感じました。

 

お衣装はブルーでマツコデラックスがよく着ているようなドレスでした。肩部分にビジューの装飾がついていましたが、髪を下ろしていたので隠れてしまっていました。首まであるはっきりとしたブルーの衣装に埋もれない顔の強さが羨ましいです。(ここでいう顔の強さとは華やかさ美しさを指します。)

 

ピアニストのレノーはチャコールのVネックドレスに黒い上着を羽織っていました。

 

レノーは寄り添うような伴奏というよりかは自分の仕事を的確にこなしているような伴奏に聞こえました。決して悪い意味ではなくお互いがお互いの仕事を全うしたときに生まれる音楽の説得力は良いな思いました。助け合いのデュオも良いものですが、信頼感があるからこその己の道を進むのでしょう。

 

デメラウはすぐに歌い始めるタイプで私はかなり好きです。曲と曲の間が短くさっさと歌い始めます。完全に好みの問題ですが、ピアノの方を向いて長々待たされるのがあまり好きではないので。もちろん歌手としては意味のある時間なのでしょうが、そのわりに「?」な歌を披露されるとこちらの心の中も「?」となります。

 

本当に上手な人はさっさと歌うイメージがある。真偽は不明です。

(↓この公演では歌ってない曲だけれどご本人の歌唱音源)

open.spotify.com

 

ここから少しだけ曲ごと(曲集ごと)の感想を書いて終わります。

(全曲の感想ではありません。)

 

アンコールから

相変わらずアンコールの感想から始めます。

 

アンコールはマーラー作曲の

Hans und Grete(ハンスとグレーテ)

Wer Hat dies Liedlein Erdacht(この歌を作ったのは誰?)

を歌唱。

 

本編よりも和らいだ雰囲気と表情が明るく身振り手振りが可愛かったです。

 

1曲目(Hans und Grete(ハンスとグレーテ))の”Juchhe!”といいながら降りてくる部分は全く響きが変わらずに驚きました。どこかで響きの質が変わるものだと思っていましたが何の影響も受けずに下がってくるし一番低い音の綺麗なこと綺麗なこと。楽しくてしょうがなかった。高音への上げ方もスピード感と両立する柔らかさがありました。

 

2曲目“Wer Hat dies Liedlein Erdacht”(この歌を作ったのは誰?))の”Es ist nicht dort daheime!”を2回繰り返していう部分の2回目のこだまのような歌い方が好きだった。

 

細かい音型もそのままの声で歌います。若干音がはまりきらない気もしましたが、声を細くせずによく動かせるなとおもどろきました。

 

ブラームス

1曲目の”Meine Liebe ist grun(わが恋は緑)”は出だしの音が広がりすぎて整っていない感じがありました。最初をびゃーと歌う癖があるのか、ホールの響きを伺っていたのかわかりませんが3曲目くらいまでは広げ気味で歌っておりました。

 

広がりすぎた声が気になって歌に集中できないこともありますが、ダメラウの場合は広がりすぎてはいるものの響きと音の安定感があるのでそこまで気にならずに終わりました。

 

技術的に気になることはあっても別のところで補うのがプロですね。

 

「Wie Melodien zieht es mir(調べのように私を通り抜ける)」は”wie Frühlingsblumen blüht〜”や”wie Nebelgrau erblaßt〜”部分で思いを馳せているような表情がとても素敵でした。

 

「Von ewiger Liebe(永遠の愛について)」は出だしの”Dunkel”の歌い方がカッコよかったですね。なんと形容していいのかわからない。マネできない声の落ち着きと深さと暗さがありました。

 

ベルク

4 Lieder :4つの歌

なんて難しい曲たちなのだ!と思っていましたが、全く難しさを感じさせない歌い方にもう笑うしかないです。頭が上がりません。

 

丁寧に正確に歌いながらもどんどん曲の世界を広げてくる技術がすごい。力量がなければ曲の良さを伝えられずに何だかよくわからない印象を与えて終わると思いますが、譜面を見ているものの仕上がりは上々なので聞き応えがありました。

 

1曲目の出だし”Schlafen”の深さと闇が深い感じはメゾソプラノ特権のような技だなと思いながら聴いていました。深い音が心地よくもありながらどこかへ沈められるような、心を襲ってくるような声で引き込まれました。

 

4曲の曲集でよかったです。入り込みすぎてこれ以上続いたら現実に戻ってこれなかったかもしれません。そう思えるくらい深い歌唱でした。カッコ良すぎる。

 

マーラー

Ruckert Lieder:リュッケルトの詩による5つの歌曲

ベルクの世界から現世界に戻ってきた感じが良いですね。好きなプログラム展開です。

 

「Blicke mir nicht in die Lieder(わたしの歌をのぞき見しないで)」は後半の”nasche du!”の歌い方が好きでした。スピード感のある”nasche”の発音と”du”の母音の収まりのいい感じが良いです。

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ダメラウは母音の一つ一つが深いというよりかはそもそも歌っているポジションが深いので母音ごとの差がないですね。それゆえに歌詞がはっきりしない部分はある。ネイティブ(推定)でもそう聞こえることがある。日本人歌手も日本歌曲歌うと日本語がはっきりしないことがある。

 

「Liebst du um Schönheit(美しさゆえに愛するのなら)」も素敵でした。過剰な表現はしないからこそシンプルでストレートな歌詞も意味がダイレクトに伝わってきます。

 

表現が少ない=つまらないではないことを教えてくれました。そもそも音楽の流れを美しく聞かせることができるからこそこの歌い方ができるのでしょう。

 

最後の”Liebst du um Liebe, o ja mich liebe!〜”のやりすぎない盛り上がりは心にグッときました。スポットライトがあたるべき部分に当たっているような感覚のなりました。

 

この曲がさらに好きになりました。音源ではなく劇場で聞いて得られるものがあることは当たり前であって欲しいのですが、そうはいかないのでこの貴重な経験に心から感謝します。

 

「Scheiden und Meiden(別離)」は歌詞の内容とは裏腹に高らかに歌うと思っていましたが、ダメラウの歌唱表現は歌詞からのダイレクトアタックが凄まじい力でした。元気に歌うというよりかはなめらかに哀愁を漂わせながら歌っている感じでした。テンポもゆっくりめだったと思います。

 

出だしの突き抜けるピアノの音が前の曲から勢いよく色を変えていくようで聞いていて楽しかった。

 

“Ade〜”と伸ばしてるだけなのにその声に表現力がありこれが悲しいお別れの歌であることが伝わりました。

 

ワーグナー

Wesendonck-Lieder: ヴェーゼンドンク歌曲集

この公演の最後をしめる作曲家であると同時に今年の歌曲シリーズの最後をしめるワーグナー。私が逃しているだけかと思いますが、ワーグナーの歌曲を劇場で聞く機会が少ないので(たぶん人生で3回目)楽しみにしておりました。

 

どの作曲家の曲よりも声がハマるような印象を受けました。私がワーグナーを歌うことに意味があるのよと言われているような説得力のある歌唱でした。でもアンコールのマーラーもだいぶしっくりきました。

 

最後の曲「Traume (夢)」のダメラウの最後の声が美しく噛み締めながら消えていくような声が、灯が小さくなっていくように感じました。ピアノの後奏もダメラウの声を引き継き大変美しく同時に切なかったです。

 

一番印象に残っているのは最後のダメラウの表情です。自分の歌が終わってもピアノの最後の音が鳴り止むまで気を抜かずにまだ曲の中にいるような様子が好きです。先に帰ってはいけない。

 

以上です。

 

歌曲シリーズ楽しかった!

ルイテンとダメラウはオールドイツ歌曲。

パーぺはドイツ語・チェコ語・英語・ロシア語と多国籍な言語たちを披露。

 

イタリア語なくてもこんなに楽しいよ!

どうですか?イタリアオペラ屋さん?

 

幸せな約2週間だった。

来年は全通しよー。

 

私の所有する春祭のチケットも残り少なくなってきました。

そろそろエレクトラがやってきます。

シュトラウスで終わる春祭最高です。

 

おしまい。

【リサイタル】東京春祭 歌曲シリーズ vol.38 ルネ・パーペ&カミッロ・ラディケ

2024年4月10日(水)19:00公演

東京文化会館 小ホール

東京春祭 歌曲シリーズ vol.38

ルネ・パーペ(バス)&カミッロ・ラディケ(ピアノ)

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は4日の東京春祭歌曲シリーズvol.37に続き東京文化会館小ホールへ行きました。

(vol.37はこちら↓)

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今年の東京春祭のチケットで一番最初にチケットを購入した公演です。チケットを発売日に買うってあんまりしないのですが(理由:当日までに飽きる可能性があるから)、この公演だけはすぐに買いました。

 

ボリス・ゴドゥノフでもありメフィストフェレスでもあるルネ・パーぺさんの来日です。

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ピアノ伴奏のリサイタルといえど定価1万円を切る(8500円)チケット価格には驚きです。なお、今年の歌曲シリーズでは一番高いご様子(他は全て7000円)。

 

曲のラインナップはモーツァルト先生、ドヴォルザーク先生、クィルター先生、ムソルグスキー先生です。

濃いメンツです。ネームバリューのある歌手なのにプログラムに甘えがない感じが素敵です。

 

それでは感想いってみよー。

(以下敬称略)

 

全体的に

舞台上に歌手とピアニストがいるという安心感。歌の上手なおじさんとピアノが弾ける人ではなく、プロとしての風格があり演奏していなくても舞台に立つ需要のある人なことがわかるのが良いです。

 

パーぺもピアニストのラディケも蝶ネクタイでした。もちろんお着替えはなし。パーぺは黒縁のメガネをかけていました。靴裏が赤だったのが印象に残っています。ルブタンかな?おしゃれ。

 

譜面台を置いて譜面を見るスタイルでの歌唱。このシリーズは譜面を見なければいけない縛りでもあるのかなと思いました。譜面を見ている時間が長く、顔を上げている時間が少なかったのは残念です。歌いながら歌詞によって表情が変化するのをもっと見たかったなと思います。

 

曲によって差はありますが、基本的にこちらが上手に聞こえるように聞く体制をとらずに、パーペが発した声をそのまま体に受け入れればいいだけだったのはよかったです。

 

パーぺの声を劇場で聞いた第一印象は良い声をお持ちで!といったところです。気になるところはありましたが、そもそもの声が大変美しく魅力的であるのでまぁ声がいいからなと言う最高にして最強の逃げ道がありました。パーぺが逃げていると意味でななく感想としてそうなるというだけです。

 

パーペはお持ちの声の良さに甘えずに歌っている人だと思います。甘えてる人が選ぶ曲たちではないよね。とりあえず声を出す、なんとなく気持ちの良いところでダイナミック表現をするなど薄いパフォーマンスはなかったです。音楽と言葉に紐付いた歌い方が魅力的でした。暗譜だったらもっと表現があったと思う。

 

今回はドイツ語・チェコ語・英語・ロシア語の4カ国での歌唱ででした。異なる言語を歌っても大きく発声の技術が変わることはなく、どの言語でもほぼ同じポジションで歌っており響きも一定でした。イタリア語だからどう、ドイツ語だからこう、という話は聞きますが、根幹の部分はどの言語でも同じですよね。ブレない発声は素晴らしい。

 

どこまでも広がっていきそうな低音の響きとブレスの位置がわからないほどのフレージングの綺麗さはとても心地良かったです。声の大きさを調整しても響きの質が変わらないのでどんなに声を小さくしても言葉や音がしっかり聞こえました。

 

この公演では高音がスカスカになってしまったのが1番気になったところです。劇場が乾燥していたせいなのかもわかりませんが上手くに音にならないことが多かったです。多かったというかほぼですね。もう出さないでほしいなと思うくらい心配になりました。このあたりの感想は曲の感想を書くときに書きます。

 

パーぺの歌唱も充分素晴らしかったのですが、ピアニストのラディケが上手すぎました。ドヴォルザークの歌たちではパーぺよりも伴奏の方が気になってしまいました。もちろん良い意味で。

 

伴奏者というより一人のピアニストとして舞台上で演奏していた印象です。もちろん歌の隣にはいてくれるのですが、歌についていくというよりラディケ自身が音楽を作り出すことをしていたと思います。デュオとはこういうことですね。パーぺの歌唱に不安があるところはありましたが、ピアノがつくり出す音楽の中身はだいぶ濃かったです。残りは曲ごとの感想に書きます。

 

全体の感想おしまいです。

では、ここから曲ごとにちょっとだけ感想を書いて終わります。

(全曲の感想ではありません。)

 

唐突なシュトラウス

先にアンコールの感想を書きます。突然やってきたシュトラウス。もちろんリヒャルトの方。「Zueignung(献呈)」を聞くことができました。本当に嬉しい。普段はソプラノが歌ってるのを好んで聞くのでバス歌手の歌唱は新鮮で楽しかったです。

 

ステージの真ん中で歌うのではなくラディケが座っている横でラディケの楽譜を見ながら歌ってました。ほぼ暗譜だったのはこの曲だけかなという感じです。出だしの”Ja”の音が若干はまらなかった(浮ついた感じ)気もしますがその後は伸びやかに好調に歌ってくださいました。

 

“Und du segnetest den Trank~”から間奏にかけてのテンポを崩さない程度の溜めが大変に美しかったです。間奏はピアノの音が本当に綺麗で「Zueignung」のピアノ伴奏を美しいと思ったのは初めてでした。

 

声種の問題だと思いますが、”heilig an's Herz dir sank”の低くなるところに段差ができないのでとても楽だし流れがより整って聞こえました。

 

他に

「Stille, Mein Wille! Dein Jesus Hilft Siegen(安かれわが心よ)」:シベリウス作曲

「Kinderwacht(子供の見守り)」:シューマン作曲

を歌い計3曲のアンコールタイムでした。最後の曲を歌い終わった後、譜面を閉じて手に持ってもう終わりだよアピールをされました。足りない足りない。

 

モーツァルト

Die ihr des unermesslichen Weltalls Schöpfer ehrt(無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが)

出だしのピアノの音が華やかで柔らかく、ハッとしてしまいました。かっちり弾きながらも音に豊かさがあり聞いていてとても楽しかったです。歌をメインに聞いていても勝手にピアノの音が耳に入ってくる感じがとても楽でした。

 

パーぺはドレスデンのご出身ということです。ドイツ語はネイティブのはずなので発音のことをいうのはもはや失礼かもしれませんがやはり美しいです。

 

教科書等に載っているドイツ語の「i」の発音は唇を横に引っ張って音をつくります。ただこれを歌うときに行うと口の中も一緒に潰れてしまいあまりよろしくない、美しくない音が出てしまいます。しかし、パーぺはドイツ語としての正しいポジションで発音していましたが全く音が潰れません。口の中の空間を保ったまま唇を横に引っ張ることができるようです。

 

他の母音でも声が平べったくなることがありませんでした。なので言葉が大変にスムーズに出てきます。当たり前ですが言葉がスムーズだと聞いていてとても楽ですし音楽の中に入っていくことができます。

 

“〜der Posaune des Allherrschers!”や“〜das Bruderblut bisher vergoß!”のように最後が「s」の音で終わるときの伸ばし方が綺麗でした。「スー」と言っているだけなのにとても綺麗。低音の深さと広がりかたはさすがだなあと思いました。ホールに水が勢いよく広がっていくような感覚でした。

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ドヴォルザーク

Biblické Písně (聖書の歌):ドヴォルザーク

こちらの曲たちもピアノ伴奏がとても美しかったです。時々パーペそっちのけでピアノの音を聞いてました。ぜいたくな時間でした。

 

1曲目の出出しの鐘が鳴るようなピアノの音が綺麗でした。スカーンと出てくるけれど決して固くない伸びやかな音でした。繰り返されるので何回か聞けてお得です。

 

3曲目の出だしもまた大好きです。歌部分は大変シンプルなのでそのシンプルさをピアノがどんどん面白くしていく感じが好きでした。頼れるピアニストですね。後奏の下降してくるピアノの音が劇的に演奏すると思っていましたが、控えめで繊細で音をコントロールしながらも勢いよく下がって来れることに驚きました。好きです。

 

ゆきやこんこ10曲目もピアノが素敵でした。聖書が題材の歌にかわいいと言う表現を使っていいのかわかりませんが可愛い曲だと思います。その可愛さを最大限にしてくれるピアノ伴奏がとても好きでした。

 

歌の話をしていないので、ここからちょっとだけ歌の話を。7曲が一番好きでした。出だしの力強い感じと”Zpívejte nám〜”あたり(たぶん)の柔らかい声の使いわけがありました。

 

シンプルな曲を淡々とつまらなくなってしまわないように歌える事はすごいなと思います。音楽の流れを綺麗につくることができる人でないと上手に歌えない曲たちですね。しかし、ほとんど譜面を見ているので声自体は安定しているけれども、音楽的な自由がないなと感じました。どうしても譜面を見るっていう行為に集中しちゃうのでね。多分ね。

 

最後の曲の自分のパートが終わった後、まだピアノが演奏してるのにパーペの俺の出番終わり!みたいな顔が可愛かったです。客席が拍手をしているのになかなかパーぺが動かないので、拍手が止んでしまいパーぺが拍手していいよ!みたいなリアクションを取ったのがまた可愛かったです。

 

歌っているときによく鼻やメガネを触るのが気になりました。あと指揮し出す。かなり歌いづらかったのかな。

 

クィルター

Three Shakespeare Songs:3つのシェイクスピアの歌

声的には一番合っている曲たちではないでしょうか。他の方の録音を聞いていてもパーぺが歌うところが想像できました。

 

英語の発音がどんな感じなのかなと思い楽しみにしていました。チェコ語に関してはなんとも言えませんが、ロシア語ドイツ語と比べると若干発声が浅くなる程度でした。もちろんそれはドイツ語を歌った後の歌唱だったのでわかった部分ではあります。

 

ドイツ語の時に感じた母音の長さが英語だと欠けてしまうところも気になりました。母音の伸ばし方が曖昧なんですよね。いつ次の子音がくるのかが不透明な感じがしました。そのせいで音楽の流れが崩れてしまいがちで、3曲とも動きのある美しいメロディが印象的な曲たちなので、もっと朗々と歌ってもらえたら嬉しかったです。とりあえず譜面を外してくれ。

 

1曲名の”stuck all with yew”の"with"に当たる音が曖昧だったのが気になになります。ここの音ってインパクトあるし苦しい気分になるのでしっかりはめてほしいところです。

 

2曲目の”Sweet and twenty”の"sweet”の言い方が甘すぎて良かった。完全暗譜だったらこういう言葉に紐づいた表現がダイレクトに楽しめたんだろうなと思いました。

 

3曲目は出だしのピアノとその後すぐの歌の”Blow,blow thou winter wind”が同じくらいのテンションで、突き抜けるような音が心地よかったです。“heigh ho! the holly!”の高音がカサついてしまったのが悔しい。事故を目撃してしまったみたいでショックでした。

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ムソルグスキー

Песни и пляски смерти:死の歌と踊り

紙コップを持って登場。ピアノの中に水(推定)の入ったコップを仕込むオペラ歌手。

 

こちらはロシア語での歌唱でしたがロシア語に対するストレスは少ないです。発音で苦労している感じもないければ発音をないがしろにしてる感じもないです。

 

1曲目は淡々とした死と勢いのあるママの会話がありました。ママが子供を守ろうとして必死というよりかはなり怒っているような感情が聞いていても面白かった。

 

死が何度か繰り返す"Баюшки-баю-баю"の”ю”の発音が初回が浅かったのですが、2回目と3回目は正しい音に近くなってたと思います。“сток!”が弱かったのが物足りない。

 

2曲目は最後の”Ты моя!”の単語が繋がってしまい、「てぃまやー」となってしまったのが気になりました。花火かな?ここは顔を上げて歌ってくれたのは嬉しいです。

 

4曲目は”Кончена битва! я всех победила!”の最後の高音がかろうじて出ている程度。弱く歌うところではない気がするので悔しい限り。3回同じ音型が歌詞を変えて出てきます。3回目だけは良かったです。全部それでお願い致します。

 

“Кончена битва! я всех победила!”以降、テンポが流れないように必死という感じで体や手を動かして何とか頑張っていた感じでした。手で片耳を塞いで歌っていたりと相当歌いにくかったのではないのかなと思います。

 

終わった後、納得がいかないご様子でした。曲が終わってもなかなか顔を上げなかったり、ラディケに向かって何か喋って(何話しているかは聞こえなかった)その後ラディケがパーぺの二の腕あたりを慰めるようにトントンとしていたのを覚えてます。

 

この曲たちはもう少し良いものが聞けると思ったというのが最終的な私の感想です。初めて歌ったわけではないようなのでそのような言い訳も通用しませんね。難しいところです。ロシア語の扱いは丁寧なのですが音楽が動かないです。狭い箱の中で歌っているような。縛りでもあったのか?

 

以上です。

 

パーペのキャリアを考慮せずこの日リサイタルで私が感じたことを書きました。

もっと表現高く歌える方だですよね。

何らかの事情があってこの仕上がりだったのでしょう。

 

でも満足度は高いです。

上手くいかなかった部分があるといえどそもそもの水準が高いので大した問題ではない。

 

熟練のバス歌手のリサイタルをオペラアリアではなく全て歌曲のプログラムで聞けたこと、そして日本で聞けたことに感謝致します。

 

私のブログにパーぺのリサイタルの感想が並ぶのが嬉しい。

 

来日してくれてありがとうございます。

エレクトラでまた会いましょう。

 

 

おしまい。

【リサイタル】東京春祭 歌曲シリーズ vol.37 レネケ・ルイテン(ソプラノ)&トム・ヤンセン(ピアノ)

2024年4月4日(木)19:00公演

東京文化会館 小ホール

東京春祭 歌曲シリーズ vol.37

レネケ・ルイテン(ソプラノ)&トム・ヤンセン(ピアノ)



お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は今年の東京春祭に初参戦してきました。

フェスだぜ!

来日歌手が多いとテンション上がりますね。

www.tokyo-harusai.com

本公演はオールドイツ歌曲です。

ありがたい!

 

オペラアリアを歌うことと同じくらい歌曲も大変ですよね。

舐められがちな歌曲ですが各々異なる美しさと難しさがあります。

 

昨年3月に来日したワルトラウト・マイヤーが素晴らしいことをおっしゃっているのでリンクを貼ります。

(インタビュー↓)

www.nbs.or.jp

 

この公演の演目はシューベルト先生、シューマン先生、そしてシュトラウスおじいちゃんの歌曲でした。

三大Sですね。

 

それでは感想いってみよー。

(以下全て敬称略)

 

全体的に

ソプラノのルイテンはブラウンのベアトップのドレスで登場。ボトムスのチュールがふわふわで可愛かったです。丈がふくらはぎ途中くらいまで隠れる長さでした。靴は黒のピンヒール。着替えなしです。

 

とても柔らかく歌う方でした。ソニア・ヨンチェヴァタイプだと思っていたので第一声を聞いて驚きました。柔らかい声の持ち主です。その声に乗っかるドイツ語の発音が心地よかったです。

 

声量はあまりないですが響きが安定しているので特に問題はありませんでした。声の大きさは響きの質でなんとでもなりますね。小ホールでの公演なので大きな声で歌う必要もないのである程度調節していたのかもしれません。

 

高音はとても軽く出せる方でフワッと天井に舞うような声に感動がありました。力まずに高音を出すことができるのでいわゆるピアニッシモの技術は大変素晴らしかったです。逆にフォルテで出す高音は力強さはありますが、音が喉にへばりついているように聞こえてしまい抜けるような音ではありませんでした。

 

ルイテンの一番の売りはブレスの長さなのかなと思いました。基本的には言葉に声が左右されないので無駄に息を浪費していなかったと思います。フレーズの息の流れが一定でとても美しかったです。特に後半のシュトラウスの歌曲たちはテンポをどんどん落としていってましたが、それでも息が続きます。息継ぎも上手でした。どこで吸ったか気づかないことが多かったです。

 

ピアニッシモができる

・ブレスの場所がわからない

 

歌手の技術力を判断する上で重要なこと(私的)ののうち上記2つをお持ちの方でした。

ということはだいぶ上手な歌手だということです。歩み寄った感想を書くのであれば本領を発揮できなかったのではないかなあというところです。島国までありがとう。

 

しかし、ここまで書いたことは全体を平均した感想であり、曲ごと(曲集ごと)にみていくと差があります。出来栄えの差が激しいです。というのが正直な感想です。

 

ピアノのトム・ヤンセンは紙の楽譜ではなくタブレット端末を使用していました。以上です。

他は曲ごとの感想に入れ込みます。

 

では曲ごとの感想を一言二言書いて終わりにします。

(全曲の感想ではありません。)

 

シューベルト

「Im Frühling(春に)」の第一声が軽やかでした。柔らかい声が心地よかったです。巻き舌が自然なのが印象に残っています。単語の中に組み込まれたrの音で、「巻っまっせー!!!」のような勢いや悪目立ちがなかったです。本人からすれば普通なのでしょうけれど私は感動しました。

 

高音を軽く上げられることは素晴らしいのですが、”Und sie im Himmel sah”の部分(と似たような音型のとき)の高音が軽すぎちゃって間違えちゃったのか、もしくはかろうじて辿り着いて出た音のように聞こえました。先に書いてしまいますがシューベルト2曲がハイライトです。

 

「Viola(すみれ)」は出だしの”Schneeglöcklein, o Schneeglöcklein”が美しい。ちょっとした寂しさや切なさを味わえる声だった。「,」の部分が切りすぎないけれど「,」があるのがわかるように歌っていました。”Schneeglöcklein”に挟まれている”o”の扱いがとても綺麗でした。こういう部分が無駄に強調されないのが素敵ですよね。音楽の流れの綺麗さが一番際立っていました。約13分が長く感じず曲の中での移り変わりを楽しめました。技術的に気になるところがほぼなく良い仕上がりでした。

 

シューマン

「Dichterliebe(詩人の恋)」

ルイテンは低音が安定しない。しかし「詩人の恋」には低音が多い。五線の下にも潜り込んじゃうので相性が悪いです。合う・合わないってあんまり好きな表現ではありませんが、はっきりいえば合っていないです。低音を出すときに胸あたりまで落として歌うときとほぼ中音域の位置と同じところで歌うときと2パターンあり、強弱や言葉の意味などで変えているのかなと思えなくもないですが、響きが統一されないストレスがありました。

 

ルイテンの柔かな声の響きを活かしてほしいので、あまり落としすぎも良くないですが、落とさないとスカスカになってしまうのが困りどころですね。逆に軽い高音を聞かせられる部分が少ないのでなぜ演奏したか知りませんが、ルイテンの良さを活かせない、損をするような選曲です。

 

有名なドイツ歌曲の一つであり曲集の一曲目でありと何かとハードルの高い「Im wunderschönen Monat Mai(美しい月、五月に)」は印象に残らない歌唱でした。もっと仕上がった感じで歌うのかと思いましたが普通だった。好調な出だしとは言い難いけれど悪くはなかったと思います。高らかに歌いすぎるのも陰湿すぎるのも違うし難しい曲です。有名なので客席の求めるも必然的に高くなりと思いますし。大変だ!

 

3曲目「Die Rose, die Lilie, die Taube(バラ、百合、鳩)」は単語の強調がわかりやすく、”Die Kleine””die Feine”などはわかりやすいアクセントをつけて歌っており聞き取りやすかったです。早口言葉だからメリハリがないと流れますよね。

 

進むにつれて譜面を見る頻度が増えていきこちらも気が休まらなかったです。曲の完成度も落ちてきた気がします。暗譜で歌うって大事ですね。急な代役や曲変更でない限り譜面は取った方が良い。というか取って。

 

ピアノ伴奏は歌があるときはピッタリ寄り添うような演奏でした。見せ場のような部分では真面目に真面目に演奏されていたような気がします。(なのでプログラム後半のシュトラウスが乗り切らない。)

 

曲が進むに連れて表情が変わっていき、これが一つの曲集として成り立っていることが伝わりました。特に最後のピアノの後奏ではルイテンの何かを(多分棺)見送るような表情が印象に残っています。

 

シュトラウス

どうも、リヒャルトのお時間です。

シュトラウスの歌曲はアンコール含めて10曲歌いました。つまり過労です。アンコールは喉が疲れ切っていて歌ってもらえて嬉しい反面申し訳なくもなりました。歌だけでなくピアノも疲労困憊でした。お疲れ様です。

 

先にアンコールの話です。「Morgen!」「Zueignung」「Die Nacht」を歌いました。全部シュトラウス!そしてスーパー王道!「Morgen!」や「Die Nacht」はルイテンがどんどんテンポを落としていくのでそれに合わせたいような。しかし、テンポを戻したいようなはっきりしない伴奏でした。何がなんだかわからなくなります。特に「Morgen!」の後奏は音に伸びがなく途中で演奏をやめたのかと思ったら続いているような感じでした。

 

Mädchenblumen:乙女の花

「Kornblumen(矢車菊)」は登場して客席が拍手しているなかで、ヤンセンが最初の音の鍵盤を押して音を教えてあけるという隠れ技でした。拍手の中で把握できるの強いなあと思いましたがピアノの近くにいれば聞こえるか。歌の最初の音がとても柔らかかったです。スカーン!と抜けるように歌うイメージがあったので新しい発見になりました。

 

前半のシューベルトの曲たちとは異なり大きく息を吸うのが気になりました。後半にいくに連れて若干失速気味でしたが、だんだん遅くするのが好きなのでしょうか。ピアノがずっと歌の様子を伺っているというか張り付いている様子が面白かった。

 

“Dir wird so wohl in ihrer Nähe”部分の歌とピアノの追いかけっこでピアノの音がしっかり聞こえなかったです。でも、曲の最後のピアノの音が良かったです。最後のピアノの音がまさにお花のようで可愛かったです。そんな柔らかい音がでるものかと。

 

「Mohnblumen(けしの花)」は張り上げすぎない高音が心地よかったです。変に感情を込めたりお芝居したりせずあっさりした歌い方をしており大変好みでした。

 

「Wasserrose(睡蓮)」の出だしのピアノは演奏したシュトラウスの曲の中で一番綺麗でした。しかし、”〜sich sehnet von ferne”のピアノの音が起き上がってこない。そんなに控えめでいいの?というような音です。個人的にはもっと主張してほしいなあと思いました。エモーショナルな演奏よりしっとり弾く方が得意なのかな、と思いました。

 

歌は“und auf Erden gefangen”の低音がきれいでした。全部この綺麗さで歌ってくれたら他の曲ももっと良く聞こえたと思います。

 

4 letzte Lieder:四つの最後の歌

このお二人でシュトラウス特化型のCDをリリースされているようです。(日本未発売とのこと。)そちらにもしっかり収録されているこの4曲。オーケストラ伴奏ではなくピアノ伴奏でリリースしているのは推せます。この歌をピアノ伴奏で収録している人はとりあえず好きです。

 

ボニーとマルコム↓

open.spotify.com

来日予定のグリゴリアン↓

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「Frühling(春)」は出だしのピアノのインパクトが薄くこの先が不安になりました。歌は前半よりも低音が安定していたのは嬉しかったですが、ピアノ同様インパクトが薄く、言葉が全てひっこんでしまっている感じが気になりました。

 

「September(九月)」に関しては勝手に後奏のホルンが主役だと思っています。なので後奏死ぬほど大事です。歌は前座です。綺麗に弾いてはくれましたがインテンポ過ぎるのでさくさく進んじゃう感じが情緒がなくてあまり好感を持てませんでした。歌は最後の”müdgewordnen”の三連符が流れ気味だったのが気になりました。あれ?三連符どこいった?と思いました。その後の”Augen zu”(歌詞の入れ方変えてたけれど)は息の持ちが良かったです。

 

「Beim Schlafengehen(眠りにつくとき)」は出だしのピアノの音は好きだったけれど”um im Zauberkreis der Nacht”の魔法をかける音(と勝手に呼んでいる)が全然聞こえなかったのがショック。このしっとりした曲の中で流れ星のように入ってくる音が大好きなんだが?歌は”will in freien Flügen schweben”が不安定だし声が伸びなかったです。羽ばたけと言っているので飛んでくれ、羽ばたいてくれ。お願いだ。

 

「Im Abendrot(夕映のなかで)」は声の疲労感がすごくてかなり力で歌っていました。伸びやかにというよりかは壁打ちのような声です。最初のシューベルトの曲たちの感じでお願いします。ここまで散々歌った後に歌う歌ではないよね。しんどすぎるぜ。

 

感想以上です。

オペラ一作品より体力のいる曲たちです。盛りだくさんとはこういうことですね。

 

疲れは見えたもののこの曲たちを完走したことはすごいです。

シュトラウスおじいちゃんの曲たちの伴奏をしてくれることにありがとう。最大のありがとう。

 

終演後はサイン会が開催されていたのでちゃっかり参加しました。

生まれて初めてサイン会なるものに参加。

ルイセンのキラキラお目目が美しすぎたし、ヤンセンが「日本の聴衆は素晴らしい!(英語)」と何回も繰り返してたのが笑った。「どのあたりが?」と聞けばよかったです。

 

インタビューなのでそのように発言している来日アーティストは多いですが、実際に本人の口から聞くと笑える。

 

ちなみに、サインは一人一つとのことでした。

スタッフさんに目の前で注意されながらも3つサインをもらうご夫婦(かな?)の図太さを見習いたい。

私はルールを守りました。

 

おしまい。

 

【バレエ】ジゼル(K-BALLET TOKYO Spring 2024)

2024年3月24日(日)12:30公演

Bunkamuraオーチャードホール

Daiwa House PRESENTS

熊川哲也 K-BALLET TOKYO Spring 2024

ジゼル



お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はバレエを観に渋谷に行って参りました。

日曜日の渋谷には行きたくないのですがなんだかんだでよく行っている気がします。

 

演目は大好きなジゼルです。

ジゼルの観劇は約1年ぶりでした。

 

(2023年2月の観劇↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

K-BALLETのバレエ公演はお初です。大変気に入りました。

www.k-ballet.co.jp

たった一作品しか観ていないので他の作品を観劇したら印象がまた変わるかもしれませんが、現時点ではかなり良い印象です。大変美しかったです。舞台の隅々まで美しいし、美しさに対する意識の高さを感じました。

 

久しぶりに夢のような舞台に出会いました。

劇場まで行ったのに現実を見せられて帰ることが多いので、非日常を味わえたり、現実逃避できる舞台はありがたいです。

 

「やたらビジュアル(顔)が強いダンサーがそろっている団体だな。」と思っていましたが、踊りの技術力も表現力も強かった。全部持っているのか。最強じゃん。

 

バレエ観劇は絶対に失敗したくなくて、観劇する公演を慎重に選びすぎて結局観に行かないことが多かったです。しかし、今年2月のパリ・オペラ座来日公演観劇で多大なるショックを受けたので(通称パリオペショック)、逆に強くなってきてました。

パリオペショック↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

私は強くなったので、「国内バレエ団でも来日バレエ団でもなんでもこい!」の心持ちでいたらK-BALLETの公演情報に出会いました。大好きなジゼルということもあり劇場へ。ジゼルを上演してくれなければ観にいくこともなかったかもです。良いタイミングでした。

 

「素素晴らしかった!」で感想が終わりそうなので、お気に入りの美しいポイント数個あげて感想とさせていただきます。

(以下全て敬称略)

 

美しいポイントその①

五番ポジション

男性ダンサーがジャンプした後、綺麗に5番ポジションに着地します。着地の5番ポジションの甘さは気になることが多いので綺麗におさまってくれると嬉しい。崩れちゃう人多いじゃないですか。4.5番ポジションみたいのが出てくるじゃん。綺麗に着地する文化ってなくなったのかと思ってた。でも大丈夫。K-BALLETはみんな綺麗に着地する。綺麗すぎて楽しくてしょうがなかった。

 

最初はたまたま私が見ていたダンサーが綺麗に着地することができる方だったのかなと思いましたが、誰を見ても綺麗でした。乱れることもないし、数回繰り返しジャンプしても毎回綺麗に着地します。フィギュアスケートの見方みたいになってしまっていますがクラシック・バレエです。もちろん飛んでいるときの美しさやジャンプ自体のダイナミックさも素晴らしかったですが、それよりも何よりも着地が美しかった。

 

帰るまでが遠足と一緒で、着地のポジションまでがジャンプだよね。ありがとうK-BALLET。

 

美しいポイントその②

男性ダンサーの脚力

全員の足が強い。ワルツだろうと早いテンポで細かく足を動かしていようと足の力強さが目立つ。柔らかいけれど力強い踊りができる。1幕の「いっぱい収穫したぜ!」の場面の振り付けが忙しそうでよくついていけるものだなと思いました。細かい足捌きにも対応できる筋肉ですね。バレエダンサーの足って本当に美しい。

 

1幕の最初の方で舞台後方にある坂道を上っていくダンサーの歩みが力強すぎて驚きました。

 

ジャンプは高さがある方ばかりではありませんでしたが、高さがなくてもなかなか地上に降りてこないです。体のどこをどういう風に使ったらそんなに長く空中に滞在できるのかぜひ教えて欲しいです。

 

片足ずつ飛ぶときに、先に出した足が地面についてから後にに出した足が地面につくまでの時間が長い。片足がどこかにいってしまったのかと心配になるくらい足が帰ってこないです。空中キープ力がお強い。もちろん足の筋力だけでなく腹筋などその他筋肉も仕事していると思いますが、足がよく見える衣装なので、「脚力すげええ!」っとなっておりました。

 

 

美しいポイント③

コール・ドの動きがそろっている

そろっているように観てあげる必要がない。私が頑張らなくていいの。ありがたい。

 

1幕の男女混合の村人達の踊りももちろんそろっていましたが、やはり最大の美しさは2幕のウィリ達でしょう。チュチュの動きまでコントロールしているのではないかと思ってしまうくらいそろっている。手の高さが同じ、体の向きが同じという要素もありますが、手の使い方や体の動かし方もそろっています。ポーズという点ではなく、動作の部分もそろっているのです。

 

地獄のアラベスクタイムは全く地獄に見えませんでした。涼しそうにアラベスクで移動します。

 

 

 

美しいポイント④

その他大勢まで華やか

 

1幕の村人達が男女問わず一人一人がとても華やかでした。モブ感がないです。誰かが踊っているときのリアクションの仕方が可愛くて真ん中のダンサーそっちのけで後ろの座っている人たちを見てしまった。

 

全員表情が生き生きしてました。踊っている人が近くにきたからとりあえず反応しておくのではなく、本当に何か声をかけているような雰囲気がありました。

 

6人の村人達の踊りのリーダー格(勝手にリーダーにした)の女性の方(長尾美音)はジゼルより表情はかたいけれど、踊りだけ見ればどちらも素晴らしいです。メリハリのある踊り方がジゼルのフワフワしたやわらかな踊りと対照的で楽しめました。全体的に安定感のある踊りと良い意味でギラギラしている雰囲気が舞台上にいるべき人という感じで気に入りました。

 

ジゼルが狂乱中に剣を拾って振り回す場面で、剣をジゼルから取り上げようとする男性ダンサー達が全力で面白かったです。動きがダイナミックなのでジゼルもびっくりして目が覚めそう。終幕間際にアルブレヒトを責める様子も全力でこれまた面白い。

 

エネルギッシュな1幕でした。楽しかった。

 

 

 

美しいポイント⑤

役付きの存在感

上で書いたようにそみなさん全員が華やかですが、役をもらっている方々はさらに存在感がありました。

 

最初に登場するヒラリオン(杉野慧)はビジュアルが良すぎて驚いた。ワイルド系王子様じゃん。新しい役ができてしまった。ヒラリオンが華やかだと「絶対ヒラリオンの方がいいって〜。」と思ってしまい物語においていかれるので困ります。表現がオーバーでわかりやすいので、物語の進行を大いに助けます。ヒラリオンが何やっているかかわからないと一人でちょろちょろしているぼっちになってしまうのでね。

 

狂乱中のジゼルを見る目が印象的でした。踊る場面がほとんどない(死に際くらい?)ので、もっと見てみたいです。ぜひ何かの王子様でお願い致します。

 

アルブレヒト(山本雅也)は登場したときはヒラリオンより華やかさがなくて心配になりましたが、話が進むに連れて引き込まれていきました。じわじわ系です。つい目で追ってしまうような魅力があります。

 

他男性ダンサー同様の着地の5番ポジションが綺麗です。2幕最後の足を打ちながら前に進むところのスピード感と確実にこなしてくる感じが好きでした。ここ過労だよね。

 

(ここ↓46:39〜)

youtu.be

 

山本アルブレヒトは幼さがあるなと感じました。なんか学生っぽい可愛らしい感じがある。ジゼルで遊んでいるようには見えませんでした。誠実ではないと思いますが、立場を捨てた等身大の自分でジゼルと向き合っているように見えました。公演やダンサーによって色々なアルブレヒトと出会えて楽しいです。

 

 

 

ミルタ(成田紗弥)はボス感がすごい。爪先立ち高速移動の美しさ。オーチャードホールの特性かもしれませんが、足音がほとんどしないです。妖精という前提は守りつつも腕の使い方が力強く、ヒラリオンやアルブレヒトのお願いを却下するときに強い意志を感じました。踊り自体は妖精だけあって軽く軽く踊っていました。

 

ウィリ達とほぼ同じ格好をしていますが、1番前に立ち先導していくような雰囲気は長であることを感じさせます。

 

タイトルロールのジゼル(飯島望未)はちゃんと弱そうなジゼルで安心しました。登場したときにあまりにも元気そうだとこの後の死ぬ設定がなくなってしまうのではないかと心配しちゃうからさ。アルブレヒトがジゼルの逆襲に遭わないか気になっちゃうよね。

 

ウィリになってからはもちろんですが、ウィリになる前の1幕でも動きが軽やかで、重力の影響を受けていない様子が恐ろしく、また美しかったです。どの動作でも隙がなく可憐で可愛いジゼルと中の人の強さ両方を楽しめました。

 

ウィリになったときの踊りでは腕の使い方がとても綺麗でした。腕を上げる・下ろすだけでも計算されているように見えました。フワッとなるように力を調整しているのでしょうか。ジャンプをひたすら飛んでいても重くなることがなく、矢印がずっと上に向いているように見えました。地上に足をつけている方が大変なのではないかと思うくらい軽い。

 

1幕の真実がわかって、もらったネックレス捨てる→回転しながら移動する→倒れるが書いたように3つの動作になってしまうとしっくりこなくなってしまうのですが、飯島望未は流れるように倒れていきました。綺麗でした。

 

1幕の最後、アルブレヒトの元へ向かっていってそのまま死んでしまうところはアルブレヒトにリフトされ空に手を伸ばして息を引き取りました。ここがめちゃくちゃ美しかったです。高いところへ上がった後に地面に投げ出されるので高低差でショックがでかい。死ぬって知っていたけれどショック。思わず涙。

 

 

 

最後にオーケストラ

前日のオペラ観劇(小澤塾の「コジ・ファン・トゥッテ」)のオーケストラが頑張っているで止まるのに対し作品は違えどプロとしての演奏をしてくれて安心しました。

 

私はバレエ音楽の演奏には確実性を求めるので、謎の自己主張がなく終止綺麗に演奏してくれていたのは嬉しいです。しかしホルンは不安定だった。ときどき、楽器のバランスが悪くなることがあり、トライアングルがやたらうるさい、メロディよりもアルペジオの方が目立っているということがありました。

 

2幕の最初に舞台上から出てくる白いモクモクがオーケストラピットに落ちてしまいコントラバスの人員が襲われてしまいっていたのが面白かったです。消えるコントラバス

 

以上です。

良い公演でした。

 

チケットの売れ行きがいいのも頷けるし、チケット料金以上の公演内容になっておりました。

たくさんのファンがいるのも大いに理解できます。

熊川哲也のポスターと並んで写真を撮っている人が多かったです。

 

演目の趣味が合わないので次回のK-BALLET観劇の予定は未定ですが、また劇場でお会いしたいです。

 

 

おしまい。

 

 

 

ジゼル: 飯島望未 

アルブレヒト:山本雅也

ヒラリオン:杉野慧 

ウィリの女王ミルタ:成田紗弥

ジゼルの母親ベルタ:ジリアン・レヴィー

クールランド公爵:栗山廉 

公爵の娘バチルド:小林美奈

アルブレヒトの従者ウイルフリード:グレゴワール・ランシェ

6人の村人達の踊り(Peasant Pas de Six):

長尾美音・山田博貴

川本果侑・武井隼人・島村彩・金瑛揮

モイナ:佐伯美帆

ズルマ:大久保沙耶

芸術監督:熊川哲也

演出・振付:熊川哲也

原振付:マリウス・プティパ

振付:マリウス・プティパ(ジャン・コラーリ/ジュール・ペロー版による)

音楽:アドルフ・アダン

舞台美術デザイン:鈴木俊

舞台美術デザインアシスタント:佐藤みどり

照明デザイン:足立恒

指揮:塚越恭平

管弦楽:シアター オーケストラトウキョウ

【オペラ】コジ・ファン・トゥッテ(小澤征爾音楽塾)

2024年3月23日(土)15:00公演

東京文化会館 大ホール

小澤征爾音楽塾

W.モーツァルト作曲

コジ・ファン・トゥッテ

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

この日は久しぶりにモーツァルト先生のオペラの観劇に行きました。

 

コジ・ファン・トゥッテ」は物語に面白みのないオペラ第1位だと個人的に思っています。しかし、好きなオペラ作品の一つです。重唱の美しさとフィオルディリージにとてつもない過重労働を押し付けているところが好きです。

 

モーツァルト先生の作品の観劇を避けているわけではありませんが、なかなか観る機会がないな感じる今日この頃です。

 

 

 

それでは感想いってみよー。

 

 

手強いね、モーツァルト先生!

派手さや過剰なお芝居をせずに最優先事項が音楽であることがよくわかる公演になっておりました。歌手全員が丁寧に歌っており、派手さはないけれど正確さを意識した歌い方には好感を持てました。

 

1幕は概ね好調で男性陣の第一声の声のまろやかさはとても心地よく「モーツァルト先生の作品を歌う声ってこれだよね。」と思いながら聞いていました。フィオルディリージ・ドラベッラ姉妹の登場は華やかさが全開で歌手が登場したときのワクワク感が久しぶりに味わえました。

 

しかし、2幕から雲行きが怪しくなります。結果から言えばフィナーレまでに持ち直し無事終幕しましたが、1幕で披露してくれた丁寧な歌い方がどんどん崩れ出す様子に驚きました。ドン・アルフォンソ以外1幕と2幕の両方に見せ場のようなお歌を持っているのですが、歌い方の差が顕著で悲しくなりました。

 

まさか、2幕だけ練習や稽古をしてないのか?

 

「1幕は本調子が出てないように感じるけれどだんだん良くなっていった。」ということはよくあるのですが、逆パターンは久しぶりな気がします。

 

他の作曲家の作品だと「疲れが出てきたな。」くらいの感想で終わることもありますが、モーツァルト先生の作品だと疲れがそのまま曲の崩れに繋がってしまいますね。少なくともこの公演ではそのように思いました。誤魔化しがききませんね。

 

プッチーニ先生の作品のように激しい怒りや悲しみの感情表現があるわけでもなければ、ロッシーニ先生の作品のようにひたすらに続く細かい音型で譜面通り歌っていればブラーボをもらえるわけではない。

 

歌手の基礎能力が試されるような気がするのがモーツァルト先生の作品です。歌手だから常に丸腰で歌っているはずですが(太ももに拳銃仕込んでいる人いたらごめん)、モーツァルト先生の作品は裸で歌っているように感じます。何も隠せず、誰も助けずのような。上記の作曲家の作品が簡単だとか誤魔化しが効くという意味はありません。それぞれに違った難しさと過労があります。ただ、モーツァルト先生は怖いっす。

 

 

キャラクターの描き分け

この公演(演出)で1番好きなのはキャラクターの描き分けがしっかりとされていたことです。

 

フィオルディリージとドラベッラの性格の違いは2幕までいけばわかりますが、1幕の段階ではどっちがどっちだかわかりにくように感じます。

 

この演出ではドラベッラがフィオルディリージよりも先に(1幕の時点で)変装したグリエルモに興味を示すことがわかりやすく演出されていました。フィオルディリージが歌っているのにグリエルモ(変装)の服を引っ張ったり顔を触ったりしていました。興味津々じゃないですか。可愛いな。2幕でフィオルディリージよりもこの状況を楽しんでいることにも繋がります。

 

「そう思ってるんだろうな。」と言う推測ではなく演出として見える形にしてくれるのが良かったです。

 

ドン・アルフォンソはフィナーレまではなめられているかわいそうなご老人感があり、みんなでドン・アルフォンソに付き合ってあげているような雰囲気にみえましたが、フィナーレでデスピーナを含む女性陣にネタバレをした後、全員を冷静に実験結果を観察する様子にこの物語の主導権を握っているのはドン・アルフォンソということが示されました。各々楽しんでいたようにみえますが、全てはドン・アルフォンソの手の中でしたという結末が明確だなあと思いました。

 

デスピーナはドン・アルフォンソとは対極にフィナーレまでは自分がリーダーとして作戦を実行し主導権も握っているように見せていましたが、フィナーレでこの作戦の自分が知らなかった部分がわかると一気に小物感が出て、威勢のよさと立場を失った感じが面白く表現されていました。悔しそうな表情が良かったです。

 

デスピーナとドン・アルフォンソの立場が逆転したというとちょっと違いますが、あるべきところにあるべき権利が戻っていったようにみえました。上手にまとまったお芝居でした。

 

終幕の曲はハッピーエンドでは終わらずにちょっと気まずいままでした。ほぼ笑わずに終幕。そりゃ笑えないわな。私はモーツァルト先生の無理矢理ハッピーフィナーレが大好きなので、とりあえずニコニコ終わって欲しかったなと思います。ただの好みです。

 

過剰なお芝居はありませんでした。よかったです。視線の使い方やちょっとした動きがそのキャラクターの心情や性格をよく表していたと思います。ついでにレチタティーヴォに関してですが、イタリア語の発音は置いておいて、テンポよくサクサク進むのがよかったです。

 

無駄な溜めが存在しないレチタティーヴォが好きです。無駄に「考える」「戸惑う」という間を入れられるのが苦手。全員が本物のイタリア語を喋れるならいいのかもしれませんが、とってつけたように芝居されるのが苦手なもので。

 

 

それでは歌手個別の感想をちょっと書いて終わります。

(以下全て敬称略)

 

フィオルディリージ

超過労お姉さんことフィオルディリージです。

1人だけ音符の数が多そう。数えてみる?

 

第一声から大変に美しかったです。少し影のある声をお持ちですが響きがキラキラしていて重さがないです。登場してから姉妹で歌うお歌でドラベッラが”Se questo mio core〜Vivendo penar”と歌っていて、同時にフィオルディリージが音を伸ばしていますが、声ののびやかさとpianissimoが素晴らしかった。小さい声で響かせることができるのは最重要ポイントですね。美しかった。

 

技術的にもお芝居的にもほぼ安定していました。1幕のお歌(“Come scoglio immoto resta~”)は高音に迫力がありフィオルディリージの強さがよく伝わってきました。中音域の歌い方のまま高音域にいける技術がをお持ちの方です。若干の時差があるので瞬時に高音にたどり着くことはできませんでしたが、気にしていなければ気づかないレベルだと思います。なるべく寄り道せずに最短ルートでいきたいものですね。

 

細かい音型は歌い方自体は綺麗なのですが、若干歌が早くなってしまってオーケストラとお別れしてました。この曲だけではなく他の曲でも起きていた現象なので、細かい音型を歌うと早くなる癖があるのかもしれません。

 

高音域や中音域はいいのですが低音域に関しては特にこだわりがないのか、響かせることを諦めてるように歌います。ポジションを胸辺りに落として歌うことをせず中音域と同じところで歌い、響かないならそれで構わないといったご様子。ソプラノの低音が好きなので切ないです。

 

1幕のお歌(“Come scoglio immoto resta~”)は低音が響かなくても聞き応えがありましたが、2幕のお歌(“Per pietà, ben mio, perdona〜”)はそうもいかなかった。

 

2幕のお歌(“Per pietà, ben mio, perdona〜”)は上・下・上・下と忙しい音の動きを正確にこなせるから聞き応えがあるのであってスカスカの低音だと魅力半減でした。出ないわけではなさそうだけれどやらない。

 

低音域の細かい音型はゴニョゴニョしていて謎だった。それがOKな世界なのかしら。”caro”の”c”を飛ばすのが気になった。”kkkaro”のように聞こえた。

 

低音に関しては悲しみでしがないが、端正な歌い方はとても素敵でした。

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ドラベッラ

無理矢理つくっていないメゾソプラノの声は本当にありがたい。みんなで歌っていても勝手に耳に入ってくるかき消されないしっかりした声が印象的でした。

 

1幕のお歌(”Smanie implacabili Che m'agitate〜”)はお歌前のレチタティーヴォ(”Ah, scostati!〜”)が「はい!私が!今から!歌いますよー!!」のようなテンションで面白かった。”De' miei sospir”がまさにため息のようでとても綺麗でした。音を重く切らないというか息を細くしてから切る感じですね。

 

しかし、2幕のお歌(”È amore un ladroncello”)は全体的に声が広がり気味で、高音も絶叫一歩手前に聞こえました。disgustoの母音の浅さが気になりました。

 

表情豊かで生き生きしたドラベッラは大変に可愛かったです。

 

 

フェルランド

素晴らしく綺麗に歌う人だった。

 

1幕のお歌(“Un'aura amorosa〜”)の歌い方に驚きを隠せませんでした。このお歌は声量と勢いで高音を出すことによってかたちになる曲だと思っていたのですが、そんなものに頼らずに歌えるのですね。曲の流れが全く崩れない。どこを切っても同じ断面になっているような歌い方でした。高音を出すというより歌っていたら高音に辿り着いているような感覚です。

 

淡白すぎるのでつまらなく感じたお客様もいるかと思います。物語を意識するのであればもっと表情豊かに歌ってほしいところです。ただ、この曲をテンションに頼らず発声技術一本で歌えることが恐ろしいので私は大満足です。

 

声量自体は小さいので劇場の上の席まで声が届いていたか不安ですが、響きのある小さい声なので届いていたと信じましょう。

 

2幕のお歌(”Tradito, schernito〜”)は歌詞の内容もあってか声量を大きくして歌っていました。そのせいで、その後のフィオルディリージと対話する部分(”Ed intanto di dolor〜”)で声がおかしくなっていました。焦点の定まらない音が続いていました。フィナーレで持ち直しましたが。

 

 

グリエルモ

周り見て歌う人だった。自分1人で歌うときと他の人と一緒に歌うときで明らかに声量が違います。技術的に安定していたので周りを見る余裕があるのだなと思いました。それ以外の感想はないです。歌に関して特に素晴らしいところはないのです。大きな失敗もなかったです。

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デスピーナ

声の芯が太い。なのでものすごく安定している。芯がしっかりしているから動いていてもお芝居していても声がブレない。響き自体は軽く明るいのですが、それを支える芯がしっかりしているので頼りない響きにはなりません。コントロールが行き届いています。太く軽いと細く重いの違いがわかりました。

 

イタリア語の発音がクリアで心地よかったです。他キャストよりレチタティーヴォの説得力があります。読んでいる人と喋っている人の違いといえばいいでしょうか。デスピーナだけ自分の言葉っぽさがありました。レチタティーヴォで誰かがデスピーナに話かけるような部分も受け取り方が自然だと感じました。計算されているというよりその場でリアクションをしているような新鮮さがありました。

 

 

1幕も2幕も変装している場面では無理に声をつくらずにそのまま歌っていたのが印象的です。そのまま歌っていいのか。私はつくらない方が好きだけどつくらなきゃダメなのかと思っていました。

 

基本的にそつなくテキパキ歌っていましたが、2幕のお歌(“Una donna a quindici anni〜”)の後半で高音の出し方がおかしかったです。びっくりして声が出ちゃったのような歌い方でした。1幕は高音を細くせずそのまま上げるように歌っておりました。細くせずに歌えるものだなと思いながら聞いてましたが、2幕の高音は勢いで出しているように聞こえました。広げているわけでもビャービャー歌っているわけでもありませんでしたが、1幕とは歌い方が違う。なので2幕は聞いていてちょっしんどかった。

 

フィナーレで異国の方々がお嬢様達の婚約者だとわかったあとの不貞腐れが可愛い。

 

 

ドン・アルフォンソ

上手なとき下手なときの差が激しい方でした。音を伸ばしながら声量をあげていくときにどこかで力みが発生し段差ができるのが気になりました。力強く歌っているときの声の抜け感が心地よく、力強いけれど力みすぎない声は素敵でした。

 

1人で歌っていると独自のテンポをつくってしまいがちでよくオーケストラとお別れしてました。ドン・アルフォンソがオーケストラより先に終わっていた。

 

1幕で変装したフェルランドたちに会ったという小芝居の場面(”Stelle! Sogno o son desto? Amici miei〜”)の棒読み加減が面白かった。大袈裟ではなく、お芝居の中の小芝居がわかるレベルでちょうど良い表現と歌い方でした。もっとお芝居する作品で出会いたい歌手です。

 

 

以上です。

 

 

今後の「コジ・ファン・トゥッテ」の上演は大きいところだと新国立劇場(5月・6月)と二期会(9月)ですね。

1年に3回観たことになるな。多いな。

そろそろ「フィガロの結婚」をお願いしたい。

 

 

おしまい。

 

 

 

フィオルディリージ:サマンサ・クラーク
ドラベッラ:リハブ・シャイエブ
フェランド:ピエトロ・アダイーニ
グリエルモ:アレッシオ・アルドゥイーニ
デスピーナ:バルバラ・フリットリ
ドン・アルフォンソ:ロッド・ギルフリー

音楽監督:小澤 征爾
指揮:ディエゴ・マテウス小澤征爾音楽塾首席指揮者)
演出:デイヴィッド・ニース
装置・衣裳:ロバート・パージオーラ
照明:高木正人
演奏:小澤征爾音楽塾オーケストラ
合唱:小澤征爾音楽塾合唱団

 

オペラ本編の前に献奏がありました

曲はW.モーツァルト「ディベルティメント(K.136)第二楽章」でした。

 

【コンサート】東京音楽大学卒業演奏会

2024年3月18日(月)18:00公演

サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

東京音楽大学卒業演奏会

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は東京音楽大学の卒業演奏会に行ってまいりました。

ご卒業おめでとうございます。

www.tokyo-ondai.ac.jp

 

演奏者は10名。

内訳は声楽3名、ピアノ2名、ヴァイオリン2名、打楽器1名、トロンボーン1名、サクソフォーン1名です。卒業演奏会なので選ばれし成績優秀者かと思います。

 

因みに入場料は一般1500円でした。

卒業演奏会というと入場無料のイメージがありますがこの公演は有料での開催。学校の施設ではなく外会場だからでしょうか。理由は知りませんが、私は無料より1000円から3000円取ってもらった方が気合い入れて見れる(聞ける)のでありがたいです。

 

 

では感想いってみよー。

声楽のみの感想です。

(以下全て敬称略)

 

 

La danza(G.ロッシーニ作曲)の伴奏に感謝

先に触れておきたいのは伴奏者(山家有翔)の上手さについてです。伴奏者もピアノソロでこの演奏会に出演しており、F.シューベルト=F.リスト作曲の12の歌S.558より”アヴェ・マリア”とF.リスト作曲の「リゴレット」による演奏会用パラフレーズ S.434を披露されました。(略し方がわからないのでプログラム丸写しです。)

 

細かい音型をとても綺麗に弾かれていました。自分のソロが終わった後に伴奏者として再び舞台に登場したときに伴奏の勝利を確信しました。テンポを落として歌う方がいないわけではありませんが、遅いテンポのこの曲になんの価値があるかわからないので、アップテンポに対応できる伴奏技術と絶対に流れない音が良かったです。安心して聞けました。この曲は前奏が地味に長いのでこの日もカットありでの演奏となっておりました。いや、全部弾いてくれ。むしろ前奏のみで終わって良い。

 

もう一曲のR.シュトラウス作曲の”Di rigori armato il seno”(オペラ「ばらの騎士」より) の伴奏はもっとたっぷり弾いてほしかったところが本音ですが充分に上手でした。かっちりしすぎ感は否めないけれど。

 

しかし求められるものが異なる伴奏をどちらかの完成度が格段に落ちることなく演奏してくれたのは嬉しいです。今後のキャリアをピアニストとして進むのか、声楽の伴奏者になるのかは知りませんが、どちらにせよ良いキャリア形成ができるように祈っております。

 

 

 

声楽のお三方に共通して言えること

発声が浅い。3人とも胸から下が全く使えておらず発声元が喉周りになっていました。この音やこのフレーズは良い発声だな、と単発での良さもなく不思議なくらいずっと上の方で歌っておりました。

 

一見すると(一聴すると)、よくまとまっているし音楽の流れが切れるようなこともなかったので上手に聞こえると思います。声がきちんと出ているし高音も音にはなっていました。この演奏会が趣味やプロフェッショナルでない方の発表の場であればよく頑張っているなと思いますが、残念なことにこの演奏会は音楽大学の公演です。4年間もしくはそれ以上に学ばれてきた方の演奏と考えると大変によろしくないです。

 

20代そこそこの人たちに完璧な発声技術を求めているわけではありません。声楽の技術が安定してくるのはもっとおじさんおばさんになってからです。コンクールの要件を見ると声楽部門だけ年齢制限が高いのもそういうことだと思います。

 

私が思うのは、彼らがどのような教育を受けてきたかと言うことです。完璧でなくても完璧を目指しているのかはわかりますよね。かたちにはできていないけれど進む方向があっているとは思いたいです。それが全くなかったのが残念というより悔しいです。

 

歌手未満にいわゆるオペラ歌手的な感想を書いても可哀想なので、ふわっと柔らかに個々の感想を書いて終わります。

 

 

早口言葉頑張ったテノールくん

テノールくん(矢澤遼)は1曲目の”La danza”の早口言葉は頑張りました。口が回っていたのは素晴らしいと思います。テンポもダレることなく(伴奏者のおかげな気もするが)完走したは良かったです。この歌の最初の難関はイタリア語が捌けるかですからね。

 

最初の言葉「già」の音のはまりが悪かったです。出だしの音が上手に聞こえないと聞く方としては構えてしまうので、出だしは丁寧に飛ばして欲しいです。全体的に音が低めでした。こちらが抜けるような明るいテノールの声を想像していたので低いように感じたのかもしれない。声量を落としたときにただの小声になってしまいました。

 

これはほぼ全員の課題ですが、如何に根底がしっかりしていないかがバレます。声量を増やして歌えば響いているように聞こえますが、芯がなく声量で頑張っているだけなのではよくないです。声の響きではなくただのパワーですね。

 

2曲目の”Di rigori armato il seno”はフレーズの流れが切れなかったのはよかったです。ただ終始何言っているかわからない発音でした。逆を取れば言葉がはっきりしないおけげで母音ごとに響きが変わるのは避けられたと思う。

 

最高音を出すときに、二重顎になってしまう。元々じゃなくて高音を出すために口周りに力が入ってしまい、二重顎のラインがはっきりくっきり出てしまう。今はそのパワーで解決できますが、長い目で見ると危ういものがあります。

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ロシア語頑張ったソプラノさん

この方(矢頭なみき)はロシアオペラ「皇帝の花嫁」(N.リムスキー=コルサコフから”Иван Сергеич, хочешь, в сад пойдем?”を歌われました。マルファのお歌です。

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卒業演奏会でロシアオペラアリアを歌えるということはロシアオペラを勉強する環境が大学にあるということでしょうか。素敵ですね。

 

歌は2つの要素に分けて感想を書く必要があります。必要はないですね。勝手に書いているだけです。

 

まずロシア語の発音に関してです。ロシア語を発音するせいで音楽の流れが切れることはなく一定したラインを維持できていたのは素晴らしいと思います。ただ、全体的に平べったい発音でロシア語には聞こえますが限りなく日本語の発音に近いロシア語でした。出だしの「Иван Сергеич」が完全に日本語で焦りました。

 

 

子音が2つ以上続く言葉は間に母音が入ってしまいますね。私が二重子音に異常に過敏なので余計にそう聞こえた可能性がありますが、特に「в」から始まる単語は気になる。後「мне」も気になりました。難しいよね。わかる。

 

 

お歌のみの技術はお三方の中で一番安定していましたが上に書いた通り胸上での発声なので声は広がりません。きちんと歌えている感はありますが、それゆえの抑揚のなさが気になります。ロシア語で歌えることは素晴らしいことですが、ロシア語に比重を置くと発声がほったらかしになるのかもしれませんね。

 

イタリア語で歌うのとはいろいろ違いますので。イタリアオペラ至上主義はよくないですが、発声を同時に学んでも無理のないイタリア語の作品の大事さを感じました。

 

 

高音頑張ったソプラノさん

こちらの方(老川鈴唄)はフランス語でA.トマの”A vox jeux, mes amis”(オペラ「ハムレット」より)オフィーリアのお歌を歌唱。

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細かい音型と凄まじく高い音が登場する難しいお歌です。W.モーツァルトの夜の女王のお歌(“Der Hölle Rache kocht in meinem Herzenオペラ「魔笛」より)の最高音が想像より高い位置にいるファです。音だけで言えば夜の女王のが高いですが、お歌の難易度でいうとオフィーリアが高いと思います。もちろん個人的な意見です。だいたいとち狂っている場面のお歌は難しいのよ。

 

高音域がよく出ることはわかったのですが、口周りの使い方を見ていると、高音域を歌うときに下唇が内側に入っていました。かなり口周りに力を入れて、そこの力に頼って高音を出していることがわかります。体で支えられないから唇の力でなんとかしています。

 

最後に高音を伸ばした際に、伸ばしている最中に音の質が変化していきました。ただの力みで高音を出しているので音を保とうとした時に思うように保てずに力の入れ具合に変化が生じ音色が変わってしまいます。出る出ないで言えば出ているし、「質なんてどうでもいい!」という見方の聴衆はそれでいいのかもしれません。

 

細かい音型は一つ一つの音は綺麗に聞こえませんでしたが、学生ならまあいいかというレベルです。こちらが妥協します。高音域から中音域に降りてきたときに音の質が変わってしまうのも気になりました。中音域は力で響いているように聞かせることもできない音でした。中音域捨てたのかな?日本人ソプラノあるあるだよね。

 

難しい曲をよく頑張ったと思いますが、ここまで背伸びして歌うほどでもなかったのではないかというのが正直な感想です。

 

 

以上です。

彼らの問題というより彼らの後ろにいる学校(先生)の問題も大きいですよね。

切ない。

 

 

後半に演奏されたヴァイオリンの方(遠井彩花)が聞いていて一番引き込まれました。

技術的なことは述べられなず大変申し訳ないですが、歌に限らず楽器でも芯の通った高音は聞いていて気持ち良いですね。

浮ついた音を出さないところにプロフェッショナルさを感じました。

 

 

 

おしまい。