三島の見解

古の女子高生

【オーケストラ】怖いクラシックコンサート

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2021年9月19日(日)14:00開演

東京文化会館 大ホール

怖いクラシックコンサート

 

 

 

お久しぶりの東京文化会館です。

駅から信号を渡らずに劇場まで行けるようになったのが本当に快適です。

密集密接を避けることができます。

現在の状況下にぴったりの改修です。

 

 

 

私は感想ブログを更新するときにチケットを購入した経緯を書いている(はず)のですが、今回の経緯は本当に寒い。ボロネーゼを食べていたらポロネーズを聴きたくなったのです。もしくはその逆です。うわっさむっ。

 

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因みに某カフェのボロネーゼに粉チーズかけまくって食べていました。ここのパスタってめちゃくちゃ美味しいわけでもないし、しかも価格設定高めなのですが、無性に食べたくなるときがあります。何故でしょうか?あーあー食べたくなってきた。

 

と言うことでチケットを買いました。

怖い絵シリーズとかその辺りのことはよくわかりません。

 

 

 

 

 

では感想。

 

 

 

 

メインディッシュ

チャイコフスキー:オペラ「エフゲニー・オネーギン」より

ポロネーズ

 

ポロネーズ一曲目なんかい。

これぞいきなりステーキ。

 

『怖いクラシックコンサート』といっておきながら、ポロネーズの選曲理由は解説の先生がお好きだからだそうです。

 

 

そう、S U K I D A K A R A!

 

 

初っ端からメインテーマとは関係ないという曲が演奏される。好きだからでテーマと違う曲を持ってきていいのか。自分が著書シリーズの演奏会バージョン(?)だからいいのか。私もやりたいわ。三島の『好きだからコンサート』やりたいわ。出演者募集します。

 

因みに監修・解説の中野氏はチャイコフスキーのオペラでオネーギンが一番好きなのだそうで。私もなんですぅ。一緒、一緒。

 

 

 

曲全体のオーケストラの音の鳴りは悪くないとは思います。音の質とわかりやすい表現(強弱)はコンサートのスタートとして、驚かせすぎず、置いていかない演奏。客席を優しくスプーンで掬うような仕上がりになっていると感じました。ただ、厚みがないと言うか、音量のわりにスカスカしているというかもの足りないなあ、と。もう少し客席に向かってくる圧(いい意味の)や迫ってくる音がある方が好みではある。

 

 

気になった箇所を少しだけ書いておこう。

 

 

まず、出だしが元気なかった。第一部は全体を通して金管が元気ない感じでもの足りなさが終始あった。一小節目のトランペットは「それでいけるのか!?大丈夫なのか!?」と聞きたくなった。続く、他楽器のユニゾンもヌルっと入ってきて、あまり好みではない演奏になるかもしれないなあちょっと不安になった。

 

その後の弦楽器が増えていくところは、第一バイオリンと第二バイオリンの動きがハマってないように聞こえました。ズレているという程でもないですが、ちょっと上手くいってないように聴こえました。そのような感じの出だし十数小節でだったので、どうやってffに向かうのかと勝手に心配しましたが、始まってしまえば、音のキレもよく、楽しめました。

 

ただ、連符の前がもたつきすぎると言うか、テンションが下がってしまうと言うか。毎度矢印が下に下がるマークでも書いてあるのかと思うくらい雰囲気の下降を感じました。そのおかげで次の入りが余計に鋭く、かっこよく聴こえるので効果的といえば効果的ではありました。

 

変わって木管のターン。木管は最初から最後まで綺麗な音でキラキラしていた。メロディラインが変わったときは、人を惹きつけるチャンスでもあるけれど、逆に興味をそらされてしまうタイミングでもあり、特にこの部分は、それまでダイナミックさから一気に可愛らしく(ちょっと語弊がある?)なるので、注意が必要な気がします。

 

今回の演奏は、音が宙を舞うような、良い意味でふわふわしている音を聴くことができました。流れとしてではなく、ここの部分のみに惹きつけられたのは初めてだと思います。

 

一曲だけ取り出して演奏しているので、お門違いかもしれませんが、もしこれがオペラとして演奏されるのであれば、この先3幕が展開していくには盛り上がりにかける感じはあります。これから始まる気配がない、到着!解散!という感じで、頭の中で次の音が続かなかったのがちょっと寂しい。求めすぎかもしれませんが。

 

 

 

 

ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

ベラケレス:「王女マルガリータ

スクリーンに映し出されたのは、椅子に手を置いているマルガリータ王女の絵画。絵画に対する感性がなくて申し訳ないのですが、何が怖いのかさっぱりわからなかった。解説は近親婚とドレスが大人用しかなかったから無理矢理サイズ合わせて着せていた話だったかな?

 

スペイン・ハプスブルク家の戦略や当時の時代背景が怖いと思うポイントなのかもしれませんが、先にそっちを知っているとそんなものだよねー、と。もう驚かないぜ。それともコルセット痛いのが怖いってことでしょうか?小さい子のコルセットを締め上げるのは確かに怖い。

 

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は違うとわかっていても、一瞬だけ『フィガロの結婚』の「Dove sono?」に聞こえてしまいます。毎回。多分一生。演奏は良かったです。以上。

 

 

 

プッチーニ:オペラ「蝶々夫人」より「かわいい坊や」

ドラクロワ:「怒れるメディア」

 

蝶々さんとメディアさんは異国の妻であることが一緒だけど、子供を残す一方と子供を殺す一方でそのあたりは違うねってお話だった気がする。

 

この絵の解説は簡潔で面白かった。揺れるイヤリングにも、子供の視線にも意味がある。劇場でのスクリーンに映された絵の画質が良くなかったので改めてパソコンで見ると怖い絵と言いたい意味がわかります。

 

が、しかし、この2つ(2人)を結ぶのはちょっと違う気がします。曲に入る前に司会の方が、「双方の違いなどを〜」(ニュアンス)と言った気がしますが、演奏中にスクリーンにずっと絵が映されてたら、蝶々さんとメディアさんは同じような怒りの感情を持っていると思ってしまう恐れがあるのではないでしょうか?解説で双方の違いをもっと深く説明してもらえたらと思います。できたらアリアの歌詞にも触れて、この歌詞のこの部分の感情はメディアさんも近いものを持っていたかもしれませんねー、とかね。ない気がするけど。

 

 

砂川涼子さんって失敗しないよね。好みはあるけど、あくまで好みの問題で歌唱は常に安定している。基本的にはなんでもできるって感じだわ。頭良さそう。

 

ですので!感想は安定的に上手いに尽きます。好みをいうと、可憐な役がお似合いになる方なので、蝶々さんはちょっと違う。上手いけど。にしても老けないよね。

 

 

 

あと、

 

ムソルグスキー交響詩「禿山の一夜」

ファレーロ:サバトに赴く魔女たち

 

がありましたが、そんなに頭に残っていないので感想書きません。嘘です。書けません。

 

 

 

 

 

第一部感想終わり。

 

第二部感想へ続く。