三島の見解

古の女子高生

【オペラ】ボリス・ゴドゥノフ(新国立劇場)

2022年11月15日(火)14:00公演

新国立劇場

オペラパレス

ボリス・ゴドゥノフ

 

 

 

 

 

 

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

三島でございます。

 

 

 

 

本日は我らが愛すべき新国立劇場に行って参りました。

25歳だそうです。

おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

今年もこの時期がやって参りました。

その名も「新国立劇場もロシアオペラやるんだもん!プロジェクト」です。嘘です。

本公演は3作目でございます。よく頑張るな。

 

 

 

 

 

 

 

記憶から離れない衝撃の『エウゲニ・オネーギン』、オネーギンのおかげで「意外といいんじゃね?」と思わせてくれた『イオランタ』と『夜鳴きうぐいす』、そして今期は『ボリス・ゴドゥノフ』でございます。順調にレパートリー拡大中ですね!何よりでございます。オネーギンの話をしたいなあ。やっぱりオリガとタチアナは仲良い方がいいよねー(トラウマ)。

 

 

 

 

 

 

 

私、三島は勉強不足ではございますがロシアオペラ大好き人間でございます。ただ私、三島もそれなりに学習するので、新国オネーギンが期待しまくって悲しみの結果だったことを反省し、ボリスくんはあまり期待せず(失礼)に観劇することに致しました。終わった後に悲しくて泣きたくないしね。

 

 

 

 

 

 

そして本日、初日を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、どこから話しましょうか?

広げすぎてしまうと一生書き終わらないので、

今回は歌手の歌唱に関する雑感を主とした公演の感想と致しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初見。パンフレットは未読。この後読みます。

前情報なしの感想なのでこの公演が意図していることと違うかもしれません。

まあ正直にね、書きますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では感想いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

歌手の感想の前に

歌手の歌唱部分の感想を書くといったすぐに違うことを言い出す。

 

 

オネーギンのときも思ったのですが、ロシアオペラになると客席の治安悪くない?何?ロシアオペラ舐められてる?幕中のお喋りや水分補給(これは致し方ない部分はあると思いますが堂々と何回も飲む人は初めて見た)や咳払い。普段は他人のそういう行為をそんなに気にしならないのですが、今日はとても気になりました。客席の拍手もいつもより少なめ?そもそも客入り悪すぎ。いや、それだけなんですけど、オネーギンときも治安悪かったなあって思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボリスくん

初日1週間ほど前に開催されたオペラトークのときにボリスくんはお歌いになりました。そのときにこれは危ないかも知れないレーダーが反応したんですけれども、ホワイエという場所のせいで響かないから声が軽く聞こえるんだろうなーと思うことにしました。

 

 

 

 

 

初日を迎えてみてわかったことは私のレーダーは正確ということ。

 

 

 

 

 

好みはありますが、私はボリスくんを歌うにはお持ちの声が軽いかなと思います。でも歌うことが決まっている以上そんなこと言ってもしょうがない。お持ちの声はさておき、本日の歌唱はと言いますと声が飛ばない。響かない。聴こえますけどね?いや聴こえてますよ?でも響いているのではない。低めの音を出す部分は声が集めやすいからか、結構いい声といい重さになるのですが、それ以外は中身がない。プロローグの部分で客席に背を向けて2フレーズくらい歌った記憶がありますが、後ろ向かれると声が行方不明になるので後ろ向かないでください。第2幕でpianissimoぽくしたと思ったらそのままフェードアウトした箇所がありました。まだ死なないで。

 

 

 

 

 

お芝居は悪くないのだけれど、音楽で表現するという部分においては空っぽだった。なんだかずっと棒読みで言葉の大事なところや感情が強くなるところがわかりにくいのね。強弱はあるけれど抑揚がない。何が違うんだと言う話かもですが。「とりあえず譜読みと暗譜は終わってます!」というところで今日が来たようなまだ中身を詰めきれていない歌唱。芝居と音楽が分離していた。というか音楽があったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピーメン

上手い。いい声。第1幕でずっと歌っているのに声に疲れがでないし。安定した響きと押さない発声が心地よい。髪型意味不明だが。淡々と歌う姿が威厳と恐ろしさを増長する。髪型意味不明だが。ピーメンを堪能する時間を作りたい。髪型意味不明だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偽ミトリーくん

偽ドミトリーだと「偽」と「ドミトリー」の間で切らなきゃいけないから今日からあなたは偽ミトリーね!

 

 

 

あーそうきたか。そうきましたか。ここでこそパワー系テノールがきてほしいんだけどまあまあなイタリアンテノールがきましたよ。別にイタリアンテノールにロシアオペラ歌うなと言っている訳ではなくて、イタリア色のままこっち(どっち?)来たのね、って感じっす。僧侶②(?)の方が声に強さがあって偽ミトリーくんの声っぽいんだよなあ。まあ、そんな偽ミトリーくんは音が引っ込みます。籠りますね。お持ちの声はとても綺麗で、「さすがイタリアンテノール!」といったところですが(これでイタリアンテノールじゃなかったらどうしよう)、体の中(=口の中)で響いているだけになりがちで音が外に出てこない。低めの音であれば籠らないのだけれど、高音に行くにつれてどんどん響きが中に入っていってしまうように聴こえた。こちらの耳がボリューム調整をしなければいけないくらい差がある。押さない発声ではあるのでそのあたりのストレスはないが、別のストレスが存在する。

 

 

 

 

 

 

 

登場のときのお前はそこにいたのね、感笑った。ヨガマットにも笑った。

 

 

 

 

 

 

フィナーレの舞台上の2階部分(でいいのかな?)から階段を使って降りてくる姿、見えてますよ。素で降りているの見えてますよ。偽ミトリーくんとして階段降りてください(要望)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女将

日本人の声楽家がロシア語を歌うとこうなるの図。

 

 

 

 

ものすごく上の方で歌っている。言葉や発音に気をとられて、発声が疎かになってしまっているような歌唱。ロシア語難しい。喉から上で鳴らしているからお腹すっからかんで深みが出ない。ピャーピャーしている。芝居要素の負担が大きい役なので、舞台上でお芝居の仕事もしなければならない。動かなければならない。だから落ち着いて発声を戻す時間もない。でそのまま幕切れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ターニャ

じゃなくてクセニア。

オペラでやりたい役は何?って聞かれたらクセニアって答えるようにしている。

聞かれたことないけど。オペラやらないけど。

出番少ないけど配役として出るし、高音ないし、お得感◎。

 

 

 

 

 

 

日本人の声楽家がロシア語を歌うとこうなるの図から逸脱した上手さ。ソプラノのロシア語は最速諦めようと思いましたが、あら上手。声が安定している。響きが綺麗。クセニアの音域になると、どう聴かせることができるか?がポイントになりますが、癖がなく、バランスの取れた歌唱が素敵だった。もっと場面があればとも思った。

 

 

 

 

 

 

 

息子

この演出は息子じゃないらしいよ。

声が届かない。息子(ではないらしい)の前だけ透明な分厚い壁があるのではないかと思うほど飛ばない。

 

 

 

 

 

 

 

 

高音どうしたの?そんなギリギリで生きていたいテノールみたいな高音の上げ方しないでください。喉詰めて力のかぎり叫ぶみたいなのやめてください(要望)。ひっくり返る手前で堪えてるような声。高音以外は発声のポジションが少し変わりやすい人なのかなとは思いましたが、別に悪くはないよ(誰?)。ものすごく腕に力を入れて歌っているように見えたから、その腕の力を抜いてくれ。その腕の力みが喉にも影響を与えている(多分)。ボリスくんと会話する部分の全然会話していない風が面白かった。演出かな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖愚者

いや、待って、何?清水さん聖愚者として舞台上にで出てこないの?逆に贅沢みたいなのやめて。

聖愚者の声ってやめて。

 

 

 

オペラトークの際に清水さんも歌ってくれました。聖愚者の歌唱がこのオペラ全体の出来に大きな影響を与えると勝手に思っています。この浮遊した人をどのように歌唱で表現するのか、できるのかがポイントです。異質を客席まで届けてください。オペラトークの際は正直期待していなかった(すみません)のですが、聴いてみたら素晴らしい声でございまして。これこそスタンディングオべーションですよ。声は柔らかいがフワフワしない芯がしっかり通った歌唱だった。明るめな声の中にどことなく不気味な雰囲気を持たせることができる声。舞台で聴けるの楽しみだなあと思っていたのですが。まさかの舞台で聴けない。もったいない。裏で歌うのと舞台上で歌うの響き違うじゃん。正面で聴きたいよ。清水さんのロシア語好き。

 

 

 

オペラトークで正面から聴けたことに感謝しろってこと?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僧侶①(声が低い方)

女の子とイチャイチャしていたら発声を忘れてしまった可愛そうな僧侶①。もといヴァルラーム。

 

 

 

ヴァルラームの酒場場面の歌唱は面白いところでもあり、歌手の見せ場でもあり、このオペラにおいて一番色が多いところであると思います。自分のファン獲得タイムのような時間よね。。第一声が勢いついていて、声もそれなりにいい声で歌唱部分に期待したのですが、女の子のお尻を触るのに忙しいせいでどんどんどんどん発声が疎かに。第一声のまま最後までいければ相当かっこいいと思う。最後の方は声出てなかったよね。無理したかな?演出過多というか演技過多というか。酒場の場面は全員が喉っぽい発声だった。無駄に情報量が多い舞台と歌手の歌唱レベルの低下で中弛みになってしまったなという印象。女の子たちの動きがゾンビみたいなのはなんなのか考えてたら曲が終わってたのだけれども。ピンヒール怖いな。ゾンビ演出?キマっているということでOK?

 

 

 

 

 

 

 

 

合唱

プロローグの合唱の違和感。フレーズの出だしがぬるっとしていて、音が完全に乗り切るまでのスピードとオーケストラの音に時差があった。子音で終わる時の弾く音に後付けになっている。一回切れていると言ったらいいのかな?新国合唱団ってそういうところは完璧な印象があったので驚き。それ以降は何も気にならなったので初日だからということですかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後は、

・舞台装置を動かす音うるさい

・子供合唱団の被り物はヌレエフのくるみ割りか

・暗転しても結構見えてますので完全に捌けるまで気を抜かないでください

・ボリスくんが死んだ後の場面は飽きさせるためにやっているのかと思うくらいの同じくだり

・血糊オペラ

・薬物シーン興醒め

ですかね?

何故か箇条書き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演出の感想を軽く書いてみます。

演出過多です。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

演出単体では素晴らしく面白いものを持ってきたなと思います。演出が興味深いオペラ、歌手が動き回るオペラ大好きです。時代を現代に置き換えそれをこのオペラに効果的に落とし込んでいると思いました。ちょっとやりすぎ感は拭えないが。オペラの演出とは歌手が歌手の仕事ができていれば本来の魅力が伝わりません。わかりません。オペラは歌が歌えないことには成り立たないのです。知名度あるタレントが明日からオペラ歌手にはなれないのです。ミュージカル俳優にはなれるけれど。

 

 

 

 

 

 

歌手の技量が追いつかなかったのか、演出過多のせいで歌唱そっちのけになってしまったのかわかりませんが、音楽と演出が分離している印象を終始受けました。オペラトークでも本日のアフタートークでも大野監督は「ムソルグスキーの音楽が〜」「ここの音楽が〜」と仰っておりましたが、音楽は何処でしょうか?オーケストラはよくまとまっていたとは思いますが全く刺さるものがなくBGM演奏になっていました。こういうこと言っていると「そもそも音楽が素晴らしくないから演出でカバーしているんですけど?」と言われそう。ムソルグスキーに失礼だろ。演奏がある上で演出が活きるのに、この公演は悪い意味で「お芝居」でした。これだけやることが多い演出を本番を迎えられるレベルまで持っていき、今日を無事に終えられたことは素晴らしいことです。けれど、それは大人に「信号守れて偉いね。」と言っているようなもので、そんなレベルでお仕事してないでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

演出は好きだけどなー。

もっと中身に没頭したかったなー。

んー。演出は好きだけどなー。

なんかチェーザレさんのときと同じことを言っているなー。

(こちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新国初演なら古典演出(というのか?)でやる方が良くない?とずっと思ってます。

オネーギンだって一般的にやればよかったのだ(一般的なオネーギンとは?)。

オリガとタチアナは仲良くていいのだ(まだ言う)。

スタンダードで一回聴かせてから変化球を投げてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も素直に書きました。

 

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で!