三島の見解

古の女子高生

【コンサート】ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ オペラ・アリア・コンサート

2023年5月23日(火)19:00公演

サントリーホール大ホール

ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ

オペラ・アリア・コンサート

 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

 

天気は雨。足元がお悪いなかサントリーホールへ参りました。

 

 

 

 

 

 

3月のアンナちゃん(アンナ・ネトレプコ)の来日に続き、再び世界水準のオペラ歌手の来日でございます。

そしてアンナちゃんに引き続き「with旦那」公演です。流行りですか?

 

 

(アンナちゃんwith旦那公演の感想はこちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、早速、感想いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更新を2回に分ける予定なので、今回は全体の感想のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

with旦那公演か否か

with用心棒でしたね。仲良しなのはわかったけれどビジュアルが用心棒(どういうこと?)。寡黙な(いや、知らんけど)テステさん(以下敬称略)とニコニコしているダムラウさん(以下敬称略)のバランスが良い。可愛い。with旦那公演はアンナちゃんもそうでしたが、公演全体がふわふわしますね。演奏旅行というより家族旅行。時々歌うアジア旅行。来てくれるのはありがたいけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着せ替えダムラウ

最近の行った女性オペラ歌手のコンサートはずっと同じドレス(=着替えなし)か、1部と2部で着替える(=計2着)歌手が多かったです。本公演ではダムラウは1部の途中でお着替え、2部でお着替えで計3着。1部では同じ白いドレスでも曲ごとに羽織を変えて登場したので視覚的にはもっと多く感じました。白いドレスに黄色い羽織り→羽織だけ青にトレード→黒っぽいドレスの3パターンが1部全容。品のいい安っぽくないドレスが素敵でした。黄色い羽織りはドレスのペプラムなのかなと思いながら見ていたら羽織りでした。どうでもいいけど結構驚いた。2部の絶対に人を選ぶであろうスカイブルーの極みみたいな色のドレスが1番好きです。ポニーテールの高さもよかったです。来日オペラ歌手の派手色ドレスの着こなしは素晴らしい。ドレスに着られることがないですよね。意外とロングスリーブや羽織りを用意される方が多いんだなという印象。日本だとベアトップドレスを着ている方が多い気がする。節約かな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダムラウはとてもチャーミング(死語?)なイメージを持っていましたが、本物もイメージ通り。オーケストラの挨拶を待たずに自分だけ退場しそうになって、気づいて笑いながら定位置に戻る姿は表情が可愛らしくほっこりしました。ヨンチェヴァの来日コンサートでハイヒールが脱げてしまったときも思いましたが、一流歌手の小さなハプニングはお得感がありますね。一流以外だとただの「失敗」になってしまうので難しいところです。並の人間は小さいミスに気をつけましょう(誰?)。歌う前や歌い終わった後の表情がとても優しいですし、常に口角が上がっていてハッピーオーラ全開でした。ダムラウはいつもニコニコしている。ドイツ語を話しだすと発音の強さにびっくりするときがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、まあ、なんと、この日は大変に苦しい歌い方でした。

とにかく喉声。ほぼ喉声。なぜダムラウが日本まで来て喉声で歌っているのか意味がわからない。上半身のみでの発声。調子が悪くて喉声で歌うしかない状態だったと思いたい。もちろん、持っている声がそこらへんにいるオペラ歌手(そこらへんにオペラ歌手はいない)とは違うので、喉声・上半身のみでの発声の歌い方でも聴けなくはないですが、聴いていて気持ちのいいものではないし、こちらの喉にもストレスがかかる。これを聴くためにチケットを買ったのではないのが本音です。音もずっと固いし。音源を聴いている限りこのようなイメージは持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

高い音に跳躍する部分は音が出るまでに時差がある。ピアニッシモ(声量を落として歌うことをいう)がただの小声になっている。喉で歌うことにより、1つ1つの音が分離して滑らかではない。よろしくない歌手の要素が揃っているのですが、どういうことでしょうか?何言っているかわからない発声のアンナちゃんは何言っているかわからないだけで(それもどうよ?)声楽の技術部分では完璧だったのだなと改めて思い出す。コロラトゥーラ(主にコロコロするソプラノ歌手のことを指す)の名の通り、アジリタ部分は流れたり潰したりはないけれど、でも感動はない。なんだこれ?なんでダムラウの技術に疑問を持たなければならないのか?逆に困る。

 

 

 

 

 

1曲1曲を理解し、自分自身で表現する力の高さはよくわかりましたが、肝心のお歌がしっかりしないためにお芝居で誤魔化しているように見えました。正直、芝居がうるさく感じた。曲の感想は別更新で書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動かないテステ

この方は映像で観た(聴いた)方が上手です。劇場で聴くと迫力が落ちる。声の低さは良い。声質は好みがでそうだけれど私は好き。ただ渋みがない。深みじゃなくて渋み。老齢の役をやると薄っぺらくなりそう。低いんだけど軽いというか。難しいけど声質と迫力が一致しない感じっす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

選曲にバラエティがなく、歌い分けをしっかりしないと全部同じ印象になってしまいそうだと思っていましたが、案の定全て同じお歌に聴こえました。基本棒立ちで表情を変えずに発表会スタイルで歌っている姿が余計に同じ曲に聴こえる。テステのレパートリーについて詳しく知りませんが、この公演の曲目と劇場で聴いた印象だけで判断すると、テステは安定して歌える音域が狭いのではないかと思いました。ちょっとでも低音域からでると、喉が上がってきてしまい、口の中の空間が狭まるのが聴いていてわかりました。ひっくり返る一歩手前のような感覚。逆に、低音域はどこまでも下がっていきそうなくらい出ますね。素敵です。低くなるにつれ声量は落ちますが、響き自体はそれなりに維持できるのでオーケストラに混ざっても聴こえてきます。オーケストラによく調和する声です。

 

 

 

 

 

 

 

 

公演プログラムのプロフィールにメフィストフェレスファウスト)がレパートリーと記載があるので是非1曲トレードしていただきたい。メフィストフェレスさんにキングになってもらいましょう。(本公演はKings&Queens of operaという設定がある)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーケストラ

気になったところをいくつか。

 

 

 

 

前曲を通してホルンを除く木管楽器の皆さんが素晴らしかった。特に横笛の皆さん。華やかに美しく転がる高音が素敵でした。安定した音に安心した。特に1曲目の中間あたりの弦楽器と掛け合いになる部分の可愛らしさがとても好きです。その後の木管楽器の音符が細かそうな部分も美しかったです。ロッシーニ先生がそのまま歌手に歌わせそうな音型ですね。楽譜が手元にないので明確に場所を書き留めておくことができずに残念です。音源だと大体5分以降だと思います。曲全体は1曲目だからなのかスイッチが入りきらないふわふわした印象でしたが、素敵な箇所はありました。よかったです。逆にホルンは全曲安定しなかったな。シュトラウスのせいでホルンに対する期待値が高いのが悪い気もする。ごめんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

4曲目、ほぼジゼルの「Si j’étais roi」(我もし王なりせば)の序曲はちょっとしんどかったですね。フォルテ(だと思う)で演奏されていた部分は音楽的な強さではなく力任せの暴力のような演奏で苦しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

テステが歌った「Elle ne m'aime pas!」(ひとり寂しく眠ろう )の出だしはめちゃくちゃ重要でここをしくじったらお家に帰れませんが、意外と(?)しっかり演奏してくれてよかった。ここが肩透かしな演奏だったらヴェルディ不在のヴェルディ作品になってしまう気がします。堂々と強く演奏してくれた。ありがたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に演奏の感想ではないのですが、皆さんドニゼッティチャイコフスキーをどうやって切り替えましたか?私は切り替え不可でして、全然チャイコフスキーが入ってこなくて。なんとか残り30秒くらいで切り替わりましたが、振れ幅が大きすぎてついていけませんでした。どうせチャイコフスキーやるならポロネーズで豪快(?)にロシアにご招待しておくれ。オネーギンやるならポロネーズ演奏してほしい。最適なはず。ね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プログラム

プログラムに全曲の歌詞と訳を載せて、無料配布してくださるのは大変ありがたいし大変役に立ちます。タダで貰ったものに文句を言うなと言われそうですが、文句じゃなくて違和感をお届けします。

 

 

 

 

 

原語へのリスペクトマジ大事!

 

 

 

 

 

 

まず、本公演では2曲、キリル文字を使う言語のお歌が歌われました。ブルガリア語の「Велики Боже, чуй моята молба」(偉大なる神よ、私の願いを聞いてください)、ロシア語の「Любви все возрасты покорны」(恋は年齢を問わぬもの)です。同じキリル文字を使う言語ですが、読み方が違ったり、片方には存在しない文字があったりするそうですが、ここでは一括りにさせていただきます。(ブルガリア語のスペルが間違っている可能性あり)

 

 

 

 

 

 

 

まず、タイトル表記の差です。ロシア語のお歌は英訳での記載。一方ブルガリア語のお歌はキリル文字をアルファベット表記にしたものを記載。本当はキリル文字で書いてよ!頑張って読むから!と言いたいところですが、会場にいる人全員の気持ちを考えたときにこれはきっと私がマイノリティになると思うので黙っておきます。まあ、アルファベット表記はいいのよ。聴きながら歌詞を見る人のことを考えるとわかりやすいと思うし。しかし曲名の英訳表記は謎です。何故?これだけ?他が全て英語のお歌で合わせるために英訳のタイトルにしたとかなら意味がわかるのですが、フランス語のお歌はフランス語のままだし、イタリア語のお歌もイタリア語のままです。何故?曲名って大事じゃない?原語の音って大事じゃない?

 

 

 

 

 

 

歌詞に関しては、ブルガリア語もロシア語も原語をアルファベット表記に変換したものを記載。ロシア語の方には「※歌詞はロシア語をアルファベット表記したものを掲載しています。」と注意書きがある。しかしブルガリア語の方にはない。何故?訳を書いた方が注意書きを書いたか書いてないかの差かもしれませんが、片方だけにしか注意書きがないのが気になる。この注意書きがあると「本当は違う文字を使う言語なんですよー」と教えてくれるし、何より原語へのリスペクトを感じました。読めるとか、わかるとかではなくて、曲がどのような環境で生まれたか、育ったかがわかるヒントにもなりますよね。ワクワクしませんか?私はとてもワクワクします。言葉に対する愛が大切です。原語で聴くことに価値があるからこそ、訳やタイトルにも原語に対してのリスペクトを見せてほしい。(訳に対してではなく、公演プログラムに対しての違和感ですのでお間違いなく。)

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、適当じゃね?と思いました。

「Pyotr.I.Tchaikovsky 」とか「Eugene Onegin」はいいからせめて曲名だけは何卒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、全体の感想です。

また更新します。