三島の見解

こんにちは。古の女子高生です。見ると観る、聞くと聴くは使い分けておりません。

【バレエレビュー】オネーギン(東京バレエ団)

2026年11月8日(日)13:00公演

新国立劇場 オペラパレス

東京バレエ団

オネーギン

お世話になっております。

三島でございます。

 

『海賊』『白鳥の湖』と東京バレエ団さんの公演を見たので正直お腹いっぱいで見送る予定でしたが『オネーギン』はそれなりに見たいよねってこいうことでチケットを購入しました。初動で大きく売れたわけではなさそう(チケットサイトでは◎ばっかりだった記憶)ですが売れ行きは順調で金曜以外は完売でしょうか。喜ばしいことですね。

 

『オネーギン』の上演が発表されたときどう思いました?私は「全員レンスキーじゃね?」と思いました。つまり「オネーギンできる人おりますか?」と思ったということです。

 

全4公演って少ないよね。

ということで千秋楽にお邪魔です。

ではレビューといきましょう。

(以下敬称略。)

 

全体的

古典をしっかり踊れるバレエ団でも『オネーギン』『椿姫』あたりでは違うものを求められてしまい上演したものの面白みがないまま終わる可能性がありますよね。東京バレエ団もその中に入ると思っておりました。

 

しかし実際見てみると海外のそれを見ているときの高揚感や刺激はないももの大健闘しており仕上がりとしては良い結果だった。難しい振付に余裕がなかったり各々の役柄に振り回されているように見えたりと完璧とは言えないが良い舞台をづくりはできておりそして何より無事完走できて安心しました。

 

かなり抽象的な表現になってしまいますが舞台上の空気感が素敵だなあと感じることが多かった。1幕はみんな仲良し緩やかで穏やかな空気が流れていた。タチヤーナと挨拶(ハグ)する女子ズの表情もオリガとレンスキーの踊りを見守る女子ズの表情も自然で優しい。長い時間一緒にいてお互いをよく理解しているからこそ醸し出せる空気があった。そんな空気の中に登場するオネーギンの異物異質さがよく強調され存在が浮き彫りになったのもまた良い。

 

2幕も最初はみんなでパーティーを楽しんでおり1幕同様の柔かなな雰囲気とパーティーという非日常にワクワクしている様子が伝わってくる。タチヤーナへ向ける表情は優しいけれどどこか心配そうで見守る皆さんの表情は温もりがある。オリガとオネーギンを眺める皆さんの不安そうな表情から穏やかでない空気を感じ取れる。3幕は1幕2幕とは異なり暖かさはない。その中にグレーミンの大きな愛があることがまた上手に強調される舞台上になっていた。

 

単純な踊りの技術以外の所謂芝居的要素も大きく求められる演目である。振付は借りてきたもの感が強く音楽に合わせてただ踊っているだけのように見えるときがあり踊りの部分においては改善の余地ありですが意外にも舞台上が成立していて驚いた。

 

では幕ごとにちょっとだけ書きます。

 

1幕

オリガ(足立真里亜)とレンスキー(池本祥真)が幸せそうです。両名が自然な笑顔で踊っているし特にレンスキーは2幕との落差のために強調しているのか幸せいっぱいな感じが強く出ている。軽々とリフトするのは良いですが池本は1人で踊ると全体的に力みがあって手足が短く見えてしまう。

 

タチヤーナ(秋山瑛)とオリガの幼さをアピールするのではなく等身大という感じで普段の暮らしを見ているようだった。おそらく秋山と足立自身が若いので若作り演技が不要なのでしょう。ママ(政本絵美)も若くお綺麗です。

 

宮川新大のオネーギンはとても新鮮でした。宮川は白!王子様!という印象があるので。何を考えているかわからない、めんどくさそう、良く言えばミステリアスでキラキラしたオネーギンになりそうだなあと思っていたのですが意外にも普通に(?)オネーギンでした。1幕前半の踊りは頭の中で振付を確認しながら踊っているような動線が見える踊りだったのはちょっと残念。

 

鏡のパ・ドゥ・ドゥでの宮川オネーギンはにっこにっこオネーギンではない。気持ち悪いほどの笑顔で踊るオネーギンの印象が強いのでこれもまた新鮮。秋山タチヤーナの中のオネーギンは現実とそこまで差がないのかも。踊り自体が大変に丁寧でアクロバット要素が少なく見える。安全を取らなければいけない故に小さくなってしまった部分があるのかなと推測しますが物足りなさはないです。上品な仕上がりで結構好きです。宮川オネーギンが微笑なのに対し秋山タチヤーナがにっこにっこなので対比して非現実的で良い。オネーギンの退場がなんか魔法使いみたいだった。そういう話だったっけ。

 

2幕

宮川オネーギンは2幕でも丁寧。真摯に手紙を破っている。人のいないタイミングを選んでくれたんだなって感じです。足立オリガが楽しそうなのはいいのですがちょっとだけオーバーというか元気すぎるなあと思うことがあり、笑い方がファストフード店でおしゃべりしている女子高生みたいに豪快なんだよね(偏見です)。現実味が強くなってしまうのでもう少し品良くお願いしたい。

 

秋山タチヤーナの踊りは終始美しい。アラベスクの位置が高く背中の反り具合はもう二つ折りですよね。オネーギンとオリガが踊っていることが気になっているときの表情に悲しさとオリガへの心配が混ざっているように見えたし、レンスキーの情緒が危ないことをオリガに気づかせたりとお姉さんもしていた。

 

池本のレンスキーの決闘前の踊りは流れがなくて硬く正直体操に見えた。宮川も同じですが腕を下げて上体を逸らす振付が苦手なのかな。ハマらないなあと。そらしすぎてもだめなんだろうけどでも腕を下げて立っているだけに見えてしまう。

 

3幕

衣装が気になる。女子ズのネックレスがバラバラしないように薄い布(?)に貼り付けた状態で着用しているのがなんか滑稽です。普通につけたら踊るときに邪魔なのはわかるけれど不自然で気になった。バラバラしないネックレスにすればいいのに。グレーミンと踊るときのタチヤーナの衣装も微妙。古典味があり1人だけ浮いている。同じ黒でも艶感の強い生地なら良かったのではないか。終幕の衣装は素敵なのに。まあ東京バレエ団のものではないのですが。

 

グレーミンとの踊りも秋山の所作が美しさが目を惹く。表情が穏やかだけど落ち着きすぎて老けたように見えるのはあえてなのか。秋山タチアーナが退場前に振り返ってオネーギンを見るのがいいよね。視線の投げ方も上手です。

 

手紙のパ・ドゥ・ドゥは秋山の動きに宮川が合わせて動いているように見えた。パ・ドゥ・ドゥって男性が先導しているような印象があったが絶対そうではないみたい。1幕のパ・ドゥ・ドゥよりは激しかったがこちらでも丁寧さが目立つ。必死に感情をぶつける人に対して拒絶しなければならないといった激しいやりとりはない。しかし宮川オネーギンの想いは重いし秋山タチヤーナが苦しそうなのは表情からわかる。

 

最後一人になったときの秋山タチヤーナの表情は過去の自分へのお別れに見えた。オネーギンを拒絶したことにより今までの想いが過去のものになって過ぎ去っていくのを見つめているような。悲しみや苦しみではなく終わりが来たことを受け入れているような表情。不思議な感覚になった。

 

こんなところでしょうか。

生方隆之介のレンスキーが見たかったですが予定合わず。

でいつか見れることを期待。

 

オネーギン:宮川新大
レンスキー:池本祥真
ラーリナ夫人:政本絵美
タチヤーナ:秋山瑛
オリガ:足立真里亜
乳母:坂井直子
グレーミン公爵:樋口祐輝

指揮:ベンジャミン・ポープ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

【リサイタルレビュー】吉田志門×碇大知 ODE to JOY 2026年秋リサイタル ベンジャミン・ブリテン

令和8年11月5日(木)19:00公演

マリーコンツェルト

吉田志門×碇大知 ODE to JOY

2026年秋リサイタル

ベンジャミン・ブリテン

お世話になっております。

三島でございます。

 

今年はベンジャミン・ブリテンさんの没後50年とのことでブリテンさんに遭遇することが多いですね。

 

遭遇①

mishimashikahika.hatenablog.com

遭遇②

mishimashikahika.hatenablog.com

遭遇予定①

www.nntt.jac.go.jp

 

この日の演奏会は前回のイタリア町田歌劇団さんの公演にて好印象だった吉田志門さんと碇大知さんの秋リサイタルに伺いました。

 

中板橋のマリーコンツェルトさんは素敵な空間ですね。代々木上原のムジカーザさんとちょっと似ている雰囲気ですがこちらの方が秘密基地感がありちょっとドキドキした。

 

それではレビューといきましょう。

(以下敬称略。)

 

On This Island

吉田志門の歌唱は終始硬さが気になった。自由にリラックスして歌うのではなく力みを感じる歌い方になっていて安心して聞けなかった。前回お伺いした公演ではそのようなことは感じなかったので驚いた。歌い方自体は整っているが前回のドイツ語や日本語での歌唱より言葉も音楽のラインもボコボコしていた。そもそも英語を声楽発声で歌うことが難しいのだが。発音でオペラっぽくするか発音してミュージカルにするかじゃん。(そんなことはない。)

 

前回↓

mishimashikahika.hatenablog.com

1曲目(“Let the florid music praise!”)は煌びやかな碇大知のピアノが大正解(何をもっての正解なのか?)でとても安心。しかし吉田の歌が乗っかってこなかった。キラキラニ長調の話を自らした後なのにキラキラ感がでず。その後の曲調が変わるところもコントラストがなく音楽の切り替えが味わえなかった。5曲目(“As it is, plenty”)はユーモアある曲だがそれが全面に出ず真面目すぎる歌唱になっていた。

 

Seven Sonnets of Michelangelo

こちらはイタリア語での歌唱。”On This Island”よりは硬さが取れてきたがイタリア語が不明瞭でした。前曲を通して熱くて熱い曲ですがそこまで熱量は感じず。なんだか言葉に不自由しているように聞こえてしまった、おそらく前回の公演で言葉の扱い方が素敵だったから余計にそう感じるのだろう。

 

On This Islandと同じくレガートのラインが薄い。4曲目(“Tu sa’ ch’io so”)は前半の怪しげなピアノ伴奏に対してしっかりとした声で歌っていた。この曲は歌詞も聞き取りやすく方向性がわかる歌唱で良い印象。難しそうな曲ほど上手なのかもしれない。

 

Serenade for Tenor, Horn and Strings(ピアノ版)

ホルンの歌の共演というと何が最初に出てきますか?

私はリヒャルトのシュトラウスです。

 

最後のピースはホルン(向なつき)をゲストに迎えての演奏。最後に持ってきただけあってか完成度が1番高かった。吉田に関しては前半に感じた硬さはなくなりピアノとホルンとのアンサンブルを楽しむ余裕があるように聞こえた。所謂レガートライン(最近のトレンド:レガートライン)が前半より明確でラインの上に言葉が綺麗に乗っかっていた。英語で綺麗に歌えるっていいよね。

 

4曲目”Dirge”の最初の音は高めだが絶対広げて歌わない。何度も繰り返しますが毎回丁寧に歌う。ミステリアスで厳粛な雰囲気があった。同じ高音でも前半は上手に声が出せていないように感じたが後半はこの出し方がテクニックであることがわかる。同じことの繰り返しを歌では色をつけすぎずでも周りが盛り上げる。あえて黙ることの面白さを知った。

 

ホルンの向も落ち着いた演奏を披露。歌曲であることを邪魔しない謙虚な演奏だが出るところは出てくる。ホルンが芯のある強い音を出してくれると安心します。

 

そしてそして碇の演奏が大活躍している。前回はピアノの音がキンキンしていた(弾き方ではなくピアノ本体の問題かと)しそこまで派手な伴奏はなかったので弾ける人なんだろうなあでというところで終わったが今回の公演では的確な入り方や的確な音で音楽全体をがっちり支えていた。

 

1回目は伴奏なし2回目は伴奏ありの伴奏部分では伴奏が入ることでの曲の違いの変化や次の和音に対するワクワク感があった。全体を通して耳がピアノび引っ張られた。もちろんいい意味で。歌曲はピアニストさま大事なのです。

 

 

以上です。

 

おそらく若いお二人で歌曲のみの演奏会を完成させられるのはすごいよね。

歌曲の演奏って若さが邪魔になること多いからさ(偏見)。

お勉強になった。

 

【リサイタルレビュー】エリーナ・ガランチャ メゾソプラノリサイタル2026

2026年11月1日(日)13:00公演

すみだトリフォニーホール

エリーナ・ガランチャ

メゾソプラノリサイタル2026

お世話になっております。

三島でございます。

 

オペラ歌手のエリーナ・ガランチャさんの再びの来日公演です。

 

前回の来日の際は不安定な歌唱と全体的に疲労を感じたことが印象に残っています。特にオーケストラ伴奏の公演ではアンコールをしないで帰って休んでほしいと思った記憶があります。今回の来日は「もういいかな」と思っておりましたが機会が巡ってきたということでトリフォニーホールにGOしました。今回はサントリーホールと合わせて2公演でピアノ伴奏公演はなし。集客苦労している様子です。がんばれ主催!

 

一応前回の投稿。

mishimashikahika.hatenablog.com

mishimashikahika.hatenablog.com

それではレビューいってみよー。

(以下敬称略。)

 

全体的に

昨年の来日公演の仕上がりが夢だったのではないかと思うほど良い演奏が続いた。前半は紫の袖にスリットがあるドレスを着用。重そうなゴールドのチェーンネックレスが素敵でした。存在感があるネックレスですが堂々と舞台に立つ人がつけると浮かない(突然のネックレスレビュー)。ソプラノのオペラアリアも歌うプログラム構成で前回と前々回がほぼ同じ内容だったことを思い出せば面白みのある良いプログラムです。

 

前半は一つ一つの言葉に魂を込めるような歌い方で冷静ながらも熱量は高い。熱い歌唱でもイタリア風テノールのように広げたり押したりせず芯の太いぶれない歌唱で素敵だった。私の初ガランチャは2022の同会場ですがそれが蘇るようなあの時感じた燻銀のような美しさがあった。燻銀って良い意味にとらえない方もいるそうですが私の語彙群の中では最上級の良い言葉であり何より燻銀が好きです。

 

しかし後半は声が前半より浅くなり言葉がさらに聞き取りにくかった。前半で追い詰めた分後半がフニャフニャしてしまった印象。アンナ・ネトレプコが選びそうなショッキングピンクのドレスは単体では鮮やかで素敵なドレスですがウエストがリボン留める仕様のゆったりとしたラインなのでドレスというよりワンピースぽく見えてしまう。ガランチャ自身は笑顔が増えてよかったけれど歌唱は緩ませないでほしかった。しかし一流の歌手ですので大きなしくじりはなくアンコールまで駆け抜けた。

 

アンコール↓(AIで綺麗にしてもらった)

デリラかサムソンカルメンを歌わないで帰ることなんてあるのかなって思っていたらしっかりカルメン(ハバネラ)の登場。朝飯前のパフォーマンスとやっぱり楽しみにしていた客席でお祭りテンション。慣れ親しみすぎてもう歌いたくなくなりそうだがメゾソプラノ=カルメンの式(?)は崩れない。個人的にはセギディーリャを期待してい他のでちょっと残念。カルメンのときはいつも歌い終わった後にお腹を叩くのはなぜ?アンコール課題曲の”O mio babbino caro”はなし。

 

 

オーケストラがなぜか調子良い。前回来日時に指揮者兼旦那のカレル・マーク・チチョンには特別な印象はなかったが今回の指揮の熱量が高く大きな身振り手振りでオーケストラをよく導いていた。日本のオーケストラの扱い方が上達したのではないか。特にプッチーニ2曲(『マノン・レスコー』間奏曲・『トスカ』”Vissi d'arte, vissi d'amore”)ははっきりしっかりとした音とオーケストラの厚みを感じる演奏で良い仕上がりだった。

 

簡単に曲ごとのレビュー(全曲ではない)

ガランチャパートは“Io son l'umile ancella”(『アドリアーナ・ルクヴルール』F.チレア作曲)から始まった。「どうも!オペラ歌手です!」という大々的な感じはなく普通に出てきて普通に始まった。口の中の空間を感じる第一声にとても安心しました。これぞオペラ歌手と思える深い声が素敵。本来はソプラノの曲ですが違和感はなく、なんならメゾソプラノの曲より音楽の流れと丁寧さがありました。ソプラノと間違えることは無い声だが曲とは合っている。

 

声の強弱コントロールがスムーズすぎてリモコン一つで上げ下げしてような感覚だった。口の中の空間や口の形などは変わらず顔面や身振り手振りなど表面的な操作で頑張らなくてもピアニッシモもフォルテもできる。ピアニッシモでも流れや音質は変わらないんですね。

 

”Vissi d'arte, vissi d'amore”(「トスカ」G.プッチーニ作曲)は個人的には第一位です。こちらもソプラノの役ですが同じく違和感なし。ガランチャの声で聞けることにお得感すらある。本役ではおそらくやらないだろうし。高い集中力から始まる第一声の響きがホールを上手に使っており素敵。高音は強く太い。メゾソプラノが無理矢理出している感じはなく余裕のある声だった。フォルテ気味の熱いオーケストラに負けない声量があるが熱いオーケストラの前で一緒に熱くならず冷静に歌っていた。

 

“Acerba voluttà, dolce tortura... Vagabonda stella d'oriente”(『アドリアーナ・ルクヴルール』F.レチア)はメゾソプラノのガランチャらしい暗く影のある低音を披露。ここまでのどの曲よりノイズのような、声のガサガサが気になった。低音域に無理はなくそこから派生したようなその他の音域もよく出る。いつも口の中にスペースがありブレスの位置を感じさせない安定した歌唱を前半最後まで続けた。

 

後半は笑顔で登場し"Canción de Paloma”(『ラバピエスの理髪師』F.バルビエリ作曲)と"Romanza de Socorro”(『エル・バルキジェロ』チャピ作曲)は楽に歌っておりました。重めのパートが終わったからか和やかな雰囲気。しかし歌唱の緊張感も切れてしまった。オーケストラが乗り切らないのとガランチャの声が引っ込み気味でこちらは不安になった。音源ほど盛り上がらない歌い方でした。

 

イタリア歌曲3曲は前半で強く感じた音楽の流れ(つまりレガートライン)がなく聴いていて落ち着かなかった。オペラアリアだとオーケストラ演奏が救ってくれるときがありますが、歌曲それもトスティとなると鬼レガートが必須となる。また、歌曲となると歌詞が聞き取れない(ガランチャは元々明瞭に発音しない方ですが)ことがオペラアリアよりも気になる。

 

改めてオペラアリアと歌曲の違いを勉強することとなった。旦那編曲の”Musica proibita”(S.ガスタルドン作曲) の出だしのバイオリンは恐ろしい。なぜソロなのか。絶対弾きたくない(いや弾けないけど)。無事完走してくれました。

 

素敵な部分もあれば気になる部分もありました。第一線で活躍する歌手であることを改めて証明してくれたような気がします。堂々とした舞台姿や無駄に動き回らない歌唱スタイルはとても素敵ですし集中力を感じることも多かった。「ガランチャは実はソプラノだ!」ということはないですがソプラノの曲をがランチャスタイルで歌ってくれたことも良い出会いとなりました。

 

機会に感謝です。ありがとうございました。

 

プログラムの完売は毎年だよね?

【コンサートレビュー】ジャパン・アーツスペシャル・ガラ・コンサート

2026年10月25日(日)13:00公演

サントリーホール 大ホール

ジャパン・アーツスペシャル・ガラ・コンサート
―50年の感謝をこめて―

お世話になっております。

三島でございます。

 

今年はもうサントリーホールに行かないとなんとなく思っておりましたが行きました。前日までオペラシティだと思っていたので危うく間違えるところでした。会場間違える、時間間違える、チケット忘れると一通りやっているので気をつけたいところです。

 

さて、音楽事務所ジャパン・アーツさんが50周年とのことです。おめでとうございます。いつもゲルギエフ先生を呼んでくれてありがとう。

 

記念コンサートにはオペラ歌手の方々も出演されるということで訪問致しました。

 

例により歌に関する部分のレビューしかできませんのでそこだけ書きます。

(以下敬称略。)

 

 "Udiste?Come albeggi, la scure al figlio”
『イル・トロヴァトーレ』(G.ヴェルディ作曲)

森谷真理・大西宇宙

 

ピアニスト込みで見たことあると思ったら昨年末の浦安メンバーですね。

浦安メンバー↓

mishimashikahika.hatenablog.com

大西は絶賛上演中の役ですがなんだか歌いにくそう。まだトライ中か?

これだね。↓

www.geigeki.jp

前半は焦点が合わない歌唱になっており声が広がり過ぎなのが気になった。良い声ではありますが大西は整った歌い方をするイメージがあったのでまるでイタリア風テノールのように強めに撒き散らかして歌うことに違和感を覚えました。

 

進むにつれて焦点があってきて特に半分超えるとまとまりが出てきたのが良かった。最後まで力みは感じたままですがルーナ伯爵っぽくなって終わることができた。フレーズ最後の伸ばしている音が妙に長かったり、跳躍の際にこぶしが(つまり演歌)入ったのが気になった。

 

森谷は声が出たり引っ込んだりするので安心して聞いていられない。所謂レガートラインがなくボコボコした歌唱になった。一つの線の上で歌う(ってエヴァ・メイが言っていた)ことができておらず。音ごとに声質が変わってしまうのも気になった。低音をはっきり歌いレオノーラの決意や企みの強さを表す必要がありますがかなり胸に落としており悪目立ちしていた。フレーズの中での低音は響かず(というか捨てているように聞こえた)、フレーズ全体が低い時は押して出してと統一感がない歌唱となった。

 

”Vivrá! Contende il giubilo〜”の細かい音処理は上手でしたがその後の下降音型が崩れる。下がっているのか音がぶれているのかわからない。口周りがよく動いており体の芯ではなく表面的に音を処理しているように見えた。手もよく動いていた。

 

両名ともサントリーホールの響きを使えずの歌唱。イタリア語もとても不明瞭で正直何やってるかわからないとなった。(しかしこの後の『蝶々夫人』ペアよりかは良い。)

 

“Ecco, ridente in cielo" 
『セヴィリアの理髪師』(G.ロッシーニ作曲)

錦織健

 

日曜の朝に公演にいる愉快なおじお兄さんのよう。ギター片手に子供達に弾き語りしているよね。テノールって何でギター持ってきちゃうのかな。錦織は某ソプラニスタや某スーパーコロラトゥーラと同じエンターテイナー枠ということでよろしいでしょうか?

 

良い声ではある。しかし浅い発声。声質が揃ってはいるので聞けちゃうのが怖いところ。細かい音型もギリ転がっている判定ができるレベルだしその他の部分はレガートはないし独自のテンポ感がすぎるのでマジでソワソワしてしまう。器楽演奏者のファンの方が不思議に思わないか心配だった。

 

“Crudele? Ah no, mio bene... Non mi dir, bell' dol mio”
『ドン・ジョヴァンニ』(W.モーツァルト作曲)

佐藤美枝子

 

オペラ歌手枠の中では1番素敵でした。老若男女犬も猫もモーツァルトを綺麗に歌いましょう。それができれば十分なのです。

 

佐藤は歌っているときに口角が落ちないですね。固めているわけでもないですが緩やかな力で口角をキープし口の中の空間を潰さないようにしている。その結果、声の質や響きが揃い整った歌唱ができる。素晴らしいですね。特にアンコールの全員での歌唱(『花は咲く』)でわかりやすかった。他歌手の口周りがよく動くところ佐藤の口周りは一切乱れず。口の中の空間があれば口の動きがあっても質は変わらない場合もありますが空間ないなら口角くらいキープしておけよって話ですかね?勉強になります。

 

後半多少疲れは見えてきたが高音も綺麗だし早い音も問題なく歌っていた。広げたり押したりしない自然な歌唱をサントリーホールが綺麗に広い柔らかに響かせてくれる。小柄な体型だが堂々とした舞台姿や歌唱にもも小ささを感じることはなく存在感があった。イタリア語も一番聞き取れる。

 

Liebeslieder-Walzerより抜粋(1,4,8,13,1416,18)
(J.ブラームス作曲)

小林沙羅・林美智子・西村悟・加徹徹

 

テノールの西村が良かった。これは意外な結果ですよ。力で歌い通す印象があったのですが声は力強いものの空間を感じる豊かな響きがあり何よりドイツ語の発音が明瞭だった。イタリア語の作品より相性が良いのではないか。

 

ソプラノの小林が高音の出し方が無理矢理というかこねくりまわすような出し方で落ち着かない。声に重さがあり常に天井が低い声だった。抜けるような明るい声を必要とはしていない作品だと思うがアルト・バスと同列になっておりテノールが高音パートを一人で支える状態となった。佐藤が素直な歌い方だとすると小林の歌い方はつくり込みを悪い意味で感じてしまう。

 

アルトの林とバスの加徹はあまり声が聞こえず。低音パートとしてごちゃごりゃしてしまった印象。低音が支えない、高音が抜けない、テノールだけ安定しているカオスな重唱となった。

 

伴奏は連弾で牛田智大と仲道郁代が担当。なんとてゴージャスな伴奏者さま。時折聞こえるピアノの高音が素敵だった。というかこの曲集の伴奏がそもそも綺麗なんですよね。素敵な伴奏があったが歌手勢がガタガタだったので仕上がりの悪い演奏となった。

 

1曲1曲が短いので軽く考えちゃったのかな。おそらくお忙しい皆様なので合わせもできなったのかな。限られた時間の中で音楽をどう構築するかが問われた結果準備不足を感じた。

 

愛の二重唱("Bimba, dagli occhi pieni di malia”)
『蝶々夫人』(G.プッチーニ作曲)

 

触れるのも酷ではないか。両名ともレガートがなく(このコンサートの課題は間違いなくレガート)、そして上半身というか口周りだけで歌っているようにみえた。音質は揃っているので一見(一聴)騙されそうになりますがオペラ歌手の発声ではないのでちゃんと聴いてください。

 

森は下唇を内側に巻き込みように動かしておりその唇でどうやって響かせることができるのか。力の入った口周りで豊かに歌うのは難しくないか。実際に良い響きだと思った音はない。

 

互いに違う方を見ていて愛とは何なのか考えさせられる。イタリア語さんは完全にご不在でプッチーニも困ってしまうでしょう。

 

以上です。

 

ジャパンアーツがんばれ!

【演奏会レビュー】オーケストラ・ラム・スール 第13回演奏会(ヴェーゼンドンク歌曲集)

2026年10月18日(日)13:15公演

ミューザ川崎シンフォニーホール

オーケストラ・ラム・スール

第13回演奏会

お世話になっております。

三島でございます。

 

4月にもお邪魔したオーケストラ団体のオーケストラ・ラム・スールさんの演奏会に再びGOしました。

そのときの投稿はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

前回はリヒャルト・シュトラウスおじいちゃんの『4つの最後の歌』で今回は別のリヒャルトさん、ワーグナー先生の『ヴェーゼンドンク歌曲集』です。今年はめでたく4回この曲集を聞くことができました。後2回ほど追加できそうだったのですが諦めました。

 

おそらく(てか絶対)メインはアントン・ブルックナーの『交響曲第8番』ですが歌か踊りがないと何もできないもので今回もお歌のレビューに留めます。

 

それではレビューです。

(以下敬称略。)

 

ソプラノは鷲尾麻衣。ホール内に入ると歌手用の譜面台を発見してしまったので暗譜至上主義界隈の人間としては5曲くらい覚えてくれとショックであったが演奏中はほとんど譜面に目を落とすことがなかったで一安心です。

 

全体を通して滑らかさがない歌唱だった。先日のエヴァ・メイのマスタークラスを活かすのならば「一つの線に乗っている感じ」がない。いわゆるレガートですね。1曲目”Der Engel”なんて鬼レガートな曲ですけれどよく切れる。歩み寄って「一つの線」があるとするならば豊かな曲線ではなく薄墨の儚そうな線である。レガートを維持しつつ歌を推進していかなければならないので大変な曲ですが綺麗な響きと深みのある声で聞かせてほしいところである。ワーグナーを聞いてレガートの重要性を認識することになるとは。ベルカント商法大事ですね。

 

これもレガートの弱さに繋がるのですがほとんどの声が体の中に籠っており前に出てこない。しかしお得意なのか高音だけはビャーと出てくる。なので歌のラインがでこぼこしてしまう。高音とその他の音域とで声量も声質も変わってしまうので安心して聞けない。ブレスの位置が目立つことによりなんとなく集中力を削ぎ落とされる。

 

ワーグナー作品のためにわざと声を重くつくっているのかと疑いたくなるような低く重さを感じる声だった。深い声のようで低いだけなので響かないです。オーケストラにかき消されている部分もあり。またホール全体を意識してではなく1階席向けの歌唱のようでした。ご存じなかったら申し訳ないのですがこのホールとっても広くて大きいのです。

 

ドイツ語もかなり不明瞭でドイツ語ってなんだっけな?と考えながら聞いていた。低音のときのuの母音が疎かにになりがちで音に引っ張られ潰れてしまうことがしばしば。4曲目(“Schmerzen”)の最後の部分の”schmerzen”ではeがかなり平べったくなってしまった。音の高さ的に平べったくなりやすい部分だが大事な言葉を潰さずに歌ってほしい。

 

5曲目(“Träume”)も1曲目同様に鬼レガートでお願いしたい。最後の節は音に乗る歌詞の内容を注意深く表現してほしいところだ。”Sanft an deiner Brust verglühen”で少々上昇し”die Gruft”に落ちてくるような音の動きと歌詞の結びつきがシンプルながらとても美しいのに、あまりにもそのまま歌うので歌詞の意味にはあまり興味がないのかなって思っちゃうね。

 

どの曲でもオーケストラとのテンポの違いを感じる部分があった。オーケストラが間延びするような演奏だったのに対し鷲尾が先にいく印象を受けた。歌いにくそう弾きにくそう指揮しにくそうな約30分だった。『最後の4つの歌』をそれなりに完走できた団体と思えない、終始ハテナマークが浮かんでいるような演奏だった。あっちの方(最後の4つの歌)が難しくないか?ブルックナーの方にに重きを置きすぎてワーグナーまでは手が回らなかったのでしょうか。

 

でも3曲目(“Im Treibhaus”)は良かったですね。ジメジメしていて方向がわかりにくい部分が多い曲ですが歌の終わりに入ってくるの音の立ち上がりが綺麗で音量も的確だった。4曲目(“Schmeezen”)の出だしの音も綺麗に入ってきてくれた。私はここが良ければ大体よしとする。

 

交響曲の方には触れない(ではなく触れられない)がこちらの方が皆さんお元気で焦点合っている演奏をしていた。オーケストラ版の歌曲と大きめのオーケストラの曲の演奏会って歌曲がおまけになるからちょっと寂しい。

 

以上です。

いろいろ勉強になりますね。

【マスタークラスレビュー】公開マスタークラス エヴァ・メイ(新国立劇場オペラストゥディオ)

2026年10月15日(木)14:00

新国立劇場オペラパレスホワイエ

新国立劇場オペラストゥディオ

公開マスタークラス エヴァ・メイ



お世話になっております。

三島でございます。

 

マスタークラスのレビューってなんですかね。

でもまあそういうブログが弊ブログなので書いておきましょう。

 

多くのオペラ好きやオペラ関係者が名前くらいは聞いたことのあるエヴァ・メイさんによる公開マスタークラスへお邪魔しました。2週間ほど日本に滞在しオペラストゥゥゥゥディオでレッスンをしていたそうです。私自身はエヴァ・メイさんの音源を普段はほとんど聞きませんが懐古すると一時期エヴァ・メイさんが歌う”La Promessa”(ロッシーニ作曲)しか聞かない時期があったのでなんとなく久しい存在です。

 

マスタークラスが始まる前に所長から「完成系を見せるのではないからねー」「上手に歌えないかもしれないけど理解してねー」という内容の説明がありました。研修生の力量を見る場ではなくオペラストゥゥゥゥディオが機能しているのかを見る場というか大人が仕事をしていることをアピールする場ではないのかな。いつもの公演だと何を勉強させているのか不透明だから。学校や研修所の評価ってつまりはその団体や先生方の評価なわけで。まあ暖かく見守りましょう。

 

平日の昼間に誰が来るんだよというお気持ちありつつもチケットは発売日に捌けた(金取ればいいのに)。エヴァ・メイさんのファンが多いのかな?学生やオペラ歌手の卵っぽい人は少なめでしたが彼らこそ来るべきではないのでしょうかね。で、どうやって平日の昼間に来るんだよって話に戻るわけです。

 

エヴァ・メイさんはイタリア語で話していたのでこのレビューではエヴァ・メイさんが話したことの通訳(冨永直人さん)を聞いてどう思ったのかを書くのでエヴァ・メイさん直々のご発言というよりもニュアンスで捉えてくださいね。

(以下敬称略。)

 

エヴァ・メイの印象

優しい人だなあと。よく褒めるし落ち込みそうなことは言わない。適度な距離感を持ち外から助言を続ける。学ぶことを楽しみ、歌うことを楽しんでほしいような様子だった。なんかイタリア人って感じ。素敵な歌声を聞かせてくれることもあり(無料なのに!)軽々とワンフレーズを歌う声はまさに本物のオペラ歌手の声だった。リラックスした状態からスーと出てくる声に良い響きが乗っかりホワイエであることを忘れそうになった。

 

スペースとマスケラ

今回のマスタークラスの最重要キーワードは「スペース」。体を縮こませることなく広い空間を感じて保って歌いましょうということらしいです。受講した研修生もメイにスペースを指摘される前と後では声の硬さが違う。柔らかさと伸びやかさが加わり良い歌唱になっった。これを言われる前から実施し常時意識するのはとっても難しいが指摘されてきれば安心です。

 

マスケラは危険な言葉だと思っていて「マスケラに当てる」ということ自体はあっているがあくまで方向でありマスケラに当てることに執着し命の短い声を披露するだけの人にならないでほしい。スーパー抽象的な表現だが「体を使えてから」当てるのであって、マスケラに当たってから続く豊かな響きの声が必要なのである。壁打ちみたいに当てればいいものではないので捉え方を間違えるリスクがあるなら一旦引っ込めたい言葉である。後、日本人の骨格を考慮すると余計にそうなる。

 

音と音のつながり

2人目に歌った吉田未来が一番顕著だったが跳躍付近で音と音がよく離れる。これをメイが指摘し、つなげるように歌うこと、攻撃的な声にならないこと、いつも同じポジションで歌うことを説明。吉田も早々に理解したのかすぐに歌唱が改善。低音をはっきり出そうとしているのか重さを感じる声だったがメイの指摘の後は中音域と同じポジションになり声も軽く豊かな音になった。その後に続く高音もまろやかな音になり、低音高音も一つの線で繋がっており片方が良くなると影響を受け同時に改善できるのだな。

 

結局、声楽の指導ってみんな同じことしか言わないのですけどだからこそそういうのが大事で攻略法や最短ルートなどはないのでしょう。一部の天才を除く。

 

結局イタリア語は難しい

「イタリア語読んでみて」から続くイタリア語指導は母音のuの深さの指摘や過剰なくらいの巻き舌を行えと注文が入った。受講生のuの母音は日本語からは離れた深いものであったがそれでも指摘が入る。想像より深いのがイタリア語のuでありそれを歌いながらしなければいけないのだなと。

 

でもそれより気になったのはイタリア語のテンションですよ。教科書には書いていいない部分の指摘ですね。3人目の齋藤菜々子がイタリア語を読み上げあたあとメイが読んで見せた時悲しい部分だし実際の音も下降であるがメイの発音は「Addio↑〜」と語尾が全部上がるように感じた。テンションが高めというのが近しい表現だがテンションが高いわけではないのが難しい。

 

声(母音)は明るいのに悲しさを邪魔しない技はイタリア人しかできないのでないのか。母音が長くアクセントのある母音はさらに長い。イタリア語の発音って難しい。日本語話者からだとそのまま読めちゃうから余計に難しい。4曲目がドイツ語の曲だったのでドイツ語の指導をするイタリア人の図ができておりなんか面白かった。

 

よいお勉強になった。

 

私もスペース大事にしてレビュー書きます。

【オペラレビュー】オペラハイライト コジ・ファン・トゥッテ(プラッツ習志野 市民ホール)

2026年10月10日(土)15:00公演

プラッツ習志野 市民ホール

オペラハイライト

コジ・ファン・トゥッテ

お世話になっております。

三島でございます。

 

午前はチャイコフスキーの歌曲、午後は時代を遡りモーツァルトのオペラと時空の旅を致しました。

 

午前中のレビューの投稿はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

「身近に「オペラを楽しもう!」ということで解説(という名のおしゃべり)ありのハイライト版のオペラ公演です。バレエでは初めての方向きのライトな公演でも高品質で本物がそのままコンパクトになったかたちで楽しめますがバレエのようにいかないのがオペラです。解説を加えすぎると本編がどこかに行き前編日本語にしてしまうと音楽の印象が変わりと本物のレベルを落とすことなく初心者向けにするのは難しい。しかしこのあたりを充実させ新しいお客様を取り込みたいところです。

 

それではレビューといきましょう。

(以下敬称略。)

 

全体の作り

冒頭からナビゲーターのドン・アルフォンソ(飯田裕之)がこの作品の物語を面白おかしく話す。客席の扱いに慣れており堅苦しくなく楽しめる空気をつくっていた。

 

「賭けの行方を見届けましょう」と客席全員の共通の目的を示し楽しみ方がわからない人にもガイドラインを設けることにより物語に置いていかれることを防止している。そこまで考えてしゃべっているかはわからないしそもそも初めての人に挙手を募ったら数人(もしかしたら1人?)だったので初心者ばかりではないのでいらないガイドラインだったかもだけれど。

 

流行りの小ネタ満載(時事問題からドラマネタまで)なのは面白い一方、様々なネタをひたすら投下してくるので本編とは関係のないところで疲れました。ナビゲーター(飯田)だけがやっているならまだいいのですが全員もれなく小ネタを入れてくるので散らかるし正直「いただき女子」は笑えないでしょ。

 

ハイライト版なのでカットは大有りです。1幕に時間を使い2組はほぼ結末だけだった気がする。各々の心境の変化はすっ飛ばした。『コジ・ファン・トゥッテ』といえば重唱なので重なりに重なった重唱をアピールしてくれても良かった。それぞれのお歌の面白さは見せ場であることが強調されていたが重唱はわちゃわちゃしている間に終わってしまったので少し残念。

 

『コジ・ファン・トゥッテ』は変な解釈入りの演出が多いじゃないですか(体感でまじごめん)。この公演は小ネタ多めであるが謎解釈はないので良い。ドン・アルフォンソが仲間に入っている感じが良い。仲間はずれ演出とかまじ泣いちゃうから。

 

全幕原語上演フルオーケストラ公演の来場きっかけをつくりたいハイライト版でありわかりやすい版であり日本語上演版なのだと思っているのですが作品として別物感が出てしまったのが気になるところ。ハイライト版を歌うためにオペラ歌手になったのではないだろうからそこで完結するような公演にしたくないよなあと勝手に思うのです。

 

ハイライト版を見た人が興味を持ち劇場に行き公演の需要が増加し公演数が増えてオペラ歌手のオペラ歌手らしい仕事が増えることにつながればいいよね(夢物語?)そこまで意識して公演をつくった方がいいんじゃないかな。壮大すぎ?

 

お歌について

飯田は喋りに喋りまくっているのに歌うときはスムーズに入るので驚き。声種の関係もあるけれど喋りの延長線で歌うし喋りすぎによる疲れもみせない。グリエルモの堺裕馬と同様お持ちの声がとても良い声です。バリトンとバスはお持ちの声問題とどれだけ動けるか問題の比重が大きいのですがその問題は両名ともクリアですね。別作品でお会いしたい。

 

フェルランドの金山京介はよく頑張っているがこの役を歌うのであればもっと伸びがほしいです。全体的に広がり気味で高音も余裕がなくゆったりと音楽を味わうことはできなった。フェランドの最初のアリア("Un'aura amorosa〜")って本当に激ムズだよね。アリアで一番難しい曲を求められたらこれを差し上げます。

 

フィオルディリージの中畑有美子はとても上手。この一言でレビューを終わりにできる。1人だけ質が違うし逆によく周りの歌手たちは中畑に食らえついてきたなという感じですよ。声量があるのでもっと大きな会場を用意してあげたい。モーツァルトを歌うには全力というか余裕を感じないが「高音から低音まで一音外さないぞ」という強い意志を感じたしそれが強い強いフィオルディリージちゃんに繋がった。細かい音型が少々滑らかさに欠けたがそこくらいじゃないですかね。

 

ドラベッラ(錦織まりあ)とデスピーナ(木村綾子)は声が細くイタリア語も平べったい。滑らかに流れないので聞いていてヒヤヒヤした。特にデスピーナの

変装場面では声を変えて歌っていたがそのせいで声が出なくなっていた。出ないと音楽ではなくなってしまうので一旦普通に歌ってほしかった。

 

以上です。

 

モーツァルトのオペラを定期的に見て原点回帰しておいた方が他作品を楽しめるなあと思います。

大事な土台です。

 

歌手:中畑有美子/錦織まりあ/金山京介/堺裕馬/飯田裕之/木村綾子

ピアノ:齊藤真優