三島の見解

こんにちは。古の女子高生です。見ると観る、聞くと聴くは使い分けておりません。

【リサイタルレビュー】エリーナ・ガランチャ メゾソプラノリサイタル2026

2026年11月1日(日)13:00公演

すみだトリフォニーホール

エリーナ・ガランチャ

メゾソプラノリサイタル2026

お世話になっております。

三島でございます。

 

オペラ歌手のエリーナ・ガランチャさんの再びの来日公演です。

 

前回の来日の際は不安定な歌唱と全体的に疲労を感じたことが印象に残っています。特にオーケストラ伴奏の公演ではアンコールをしないで帰って休んでほしいと思った記憶があります。今回の来日は「もういいかな」と思っておりましたが機会が巡ってきたということでトリフォニーホールにGOしました。今回はサントリーホールと合わせて2公演でピアノ伴奏公演はなし。集客苦労している様子です。がんばれ主催!

 

一応前回の投稿。

mishimashikahika.hatenablog.com

mishimashikahika.hatenablog.com

それではレビューいってみよー。

(以下敬称略。)

 

全体的に

昨年の来日公演の仕上がりが夢だったのではないかと思うほど良い演奏が続いた。前半は紫の袖にスリットがあるドレスを着用。ティファニーのハードコアシリーズっぽい金のネックレスが素敵でした。存在感があるネックレスですが堂々と舞台に立つ人がつけると浮かない(突然のネックレスレビュー)。ソプラノのオペラアリアも歌うプログラム構成で前回と前々回がほぼ同じ内容だったことを思い出せば面白みのある良いプログラムです。

 

前半は一つ一つの言葉に魂を込めるような歌い方で冷静ながらも熱量は高い。熱い歌唱でもイタリア風テノールのように広げたり押したりせず芯の太いぶれない歌唱で素敵だった。私の初ガランチャは2022の同会場ですがそれが蘇るようなあの時感じた燻銀のような美しさがあった。燻銀って良い意味にとらえない方もいるそうですが私の語彙群の中では最上級の良い言葉であり何より燻銀が好きです。

 

しかし後半は声が前半より浅くなり言葉がさらに聞き取りにくかった。前半で追い詰めた分後半がフニャフニャしてしまった印象。アンナ・ネトレプコが選びそうなショッキングピンクのドレスは単体では鮮やかで素敵なドレスですがウエストがリボン留める仕様のゆったりとしたラインなのでドレスというよりワンピースぽく見えてしまう。ガランチャ自身は笑顔が増えてよかったけれど歌唱は緩ませないでほしかった。しかし一流の歌手ですので大きなしくじりはなくアンコールまで駆け抜けた。

 

アンコール↓(AIで綺麗にしてもらった)

デリラかサムソンを歌わないで帰ることなんてあるのかなって思っていたらしっかりカルメン(ハバネラ)の登場。朝飯前のパフォーマンスとやっぱり楽しみにしていた客席でお祭りテンション。慣れ親しみすぎてもう歌いたくなくなりそうだがメゾソプラノ=カルメンの式(?)は崩れない。個人的にはセギディーリャを期待してい他のでちょっと残念。カルメンのときはいつも歌い終わった後にお腹を叩くのはなぜ?アンコール課題曲の”O mio babbino caro”はなし。

 

 

オーケストラがなぜか調子良い。前回来日時に指揮者兼旦那のカレル・マーク・チチョンには特別な印象はなかったが今回の指揮の熱量が高く大きな身振り手振りでオーケストラをよく導いていた。日本のオーケストラの扱い方が上達したのではないか。特にプッチーニ2曲(『マノン・レスコー』間奏曲・『トスカ』”Vissi d'arte, vissi d'amore”)ははっきりしっかりとした音とオーケストラの厚みを感じる演奏で良い仕上がりだった。

 

簡単に曲ごとのレビュー(全曲ではない)

ガランチャパートは“Io son l'umile ancella”(『アドリアーナ・ルクヴルール』F.チレア作曲)から始まった。「どうも!オペラ歌手です!」という大々的な感じはなく普通に出てきて普通に始まった。口の中の空間を感じる第一声にとても安心しました。これぞオペラ歌手と思える深い声が素敵。本来はソプラノの曲ですが違和感はなく、なんならメゾソプラノの曲より音楽の流れと丁寧さがありました。ソプラノと間違えることは無い声だが曲とは合っている。

 

声の強弱コントロールがスムーズすぎてリモコン一つで上げ下げしてような感覚だった。口の中の空間や口の形などは変わらず顔面や身振り手振りなど表面的な操作で頑張らなくてもピアニッシモもフォルテもできる。ピアニッシモでも流れや音質は変わらないんですね。

 

”Vissi d'arte, vissi d'amore”(「トスカ」G.プッチーニ作曲)は個人的には第一位です。こちらもソプラノの役ですが同じく違和感なし。ガランチャの声で聞けることにお得感すらある。本役ではおそらくやらないだろうし。高い集中力から始まる第一声の響きがホールを上手に使っており素敵。高音は強く太い。メゾソプラノが無理矢理出している感じはなく余裕のある声だった。フォルテ気味の熱いオーケストラに負けない声量があるが熱いオーケストラの前で一緒に熱くならず冷静に歌っていた。

 

“Acerba voluttà, dolce tortura... Vagabonda stella d'oriente”(『アドリアーナ・ルクヴルール』F.レチア)はメゾソプラノのガランチャらしい暗く影のある低音を披露。ここまでのどの曲よりノイズのような、声のガサガサが気になった。低音域に無理はなくそこから派生したようなその他の音域もよく出る。いつも口の中にスペースがありブレスの位置を感じさせない安定した歌唱を前半最後まで続けた。

 

後半は笑顔で登場し"Canción de Paloma”(『ラバピエスの理髪師』F.バルビエリ作曲)と"Romanza de Socorro”(『エル・バルキジェロ』チャピ作曲)は楽に歌っておりました。重めのパートが終わったからか和やかな雰囲気。しかし歌唱の緊張感も切れてしまった。オーケストラが乗り切らないのとガランチャの声が引っ込み気味でこちらは不安になった。音源ほど盛り上がらない歌い方でした。

 

イタリア歌曲3曲は前半で強く感じた音楽の流れ(つまりレガートライン)がなく聴いていて落ち着かなかった。オペラアリアだとオーケストラ演奏が救ってくれるときがありますが、歌曲それもトスティとなると鬼レガートが必須となる。また、歌曲となると歌詞が聞き取れない(ガランチャは元々明瞭に発音しない方ですが)ことがオペラアリアよりも気になる。

 

改めてオペラアリアと歌曲の違いを勉強することとなった。旦那編曲の”Musica proibita”(S.ガスタルドン作曲) の出だしのバイオリンは恐ろしい。なぜソロなのか。絶対弾きたくない(いや弾けないけど)。無事完走してくれました。

 

素敵な部分もあれば気になる部分もありました。第一線で活躍する歌手であることを改めて証明してくれたような気がします。堂々とした舞台姿や無駄に動き回らない歌唱スタイルはとても素敵ですし集中力を感じることも多かった。「ガランチャは実はソプラノだ!」ということはないですがソプラノの曲をがランチャスタイルで歌ってくれたことも良い出会いとなりました。

 

機会に感謝です。ありがとうございました。

 

プログラムの完売は毎年だよね?

【コンサートレビュー】ジャパン・アーツスペシャル・ガラ・コンサート

2026年10月25日(日)13:00公演

サントリーホール 大ホール

ジャパン・アーツスペシャル・ガラ・コンサート
―50年の感謝をこめて―

お世話になっております。

三島でございます。

 

今年はもうサントリーホールに行かないとなんとなく思っておりましたが行きました。前日までオペラシティだと思っていたので危うく間違えるところでした。会場間違える、時間間違える、チケット忘れると一通りやっているので気をつけたいところです。

 

さて、音楽事務所ジャパン・アーツさんが50周年とのことです。おめでとうございます。いつもゲルギエフ先生を呼んでくれてありがとう。

 

記念コンサートにはオペラ歌手の方々も出演されるということで訪問致しました。

 

例により歌に関する部分のレビューしかできませんのでそこだけ書きます。

(以下敬称略。)

 

 "Udiste?Come albeggi, la scure al figlio”
『イル・トロヴァトーレ』(G.ヴェルディ作曲)

森谷真理・大西宇宙

 

ピアニスト込みで見たことあると思ったら昨年末の浦安メンバーですね。

浦安メンバー↓

mishimashikahika.hatenablog.com

大西は絶賛上演中の役ですがなんだか歌いにくそう。まだトライ中か?

これだね。↓

www.geigeki.jp

前半は焦点が合わない歌唱になっており声が広がり過ぎなのが気になった。良い声ではありますが大西は整った歌い方をするイメージがあったのでまるでイタリア風テノールのように強めに撒き散らかして歌うことに違和感を覚えました。

 

進むにつれて焦点があってきて特に半分超えるとまとまりが出てきたのが良かった。最後まで力みは感じたままですがルーナ伯爵っぽくなって終わることができた。フレーズ最後の伸ばしている音が妙に長かったり、跳躍の際にこぶしが(つまり演歌)入ったのが気になった。

 

森谷は声が出たり引っ込んだりするので安心して聞いていられない。所謂レガートラインがなくボコボコした歌唱になった。一つの線の上で歌う(ってエヴァ・メイが言っていた)ことができておらず。音ごとに声質が変わってしまうのも気になった。低音をはっきり歌いレオノーラの決意や企みの強さを表す必要がありますがかなり胸に落としており悪目立ちしていた。フレーズの中での低音は響かず(というか捨てているように聞こえた)、フレーズ全体が低い時は押して出してと統一感がない歌唱となった。

 

”Vivrá! Contende il giubilo〜”の細かい音処理は上手でしたがその後の下降音型が崩れる。下がっているのか音がぶれているのかわからない。口周りがよく動いており体の芯ではなく表面的に音を処理しているように見えた。手もよく動いていた。

 

両名ともサントリーホールの響きを使えずの歌唱。イタリア語もとても不明瞭で正直何やってるかわからないとなった。(しかしこの後の『蝶々夫人』ペアよりかは良い。)

 

“Ecco, ridente in cielo" 
『セヴィリアの理髪師』(G.ロッシーニ作曲)

錦織健

 

日曜の朝に公演にいる愉快なおじお兄さんのよう。ギター片手に子供達に弾き語りしているよね。テノールって何でギター持ってきちゃうのかな。錦織は某ソプラニスタや某スーパーコロラトゥーラと同じエンターテイナー枠ということでよろしいでしょうか?

 

良い声ではある。しかし浅い発声。声質が揃ってはいるので聞けちゃうのが怖いところ。細かい音型もギリ転がっている判定ができるレベルだしその他の部分はレガートはないし独自のテンポ感がすぎるのでマジでソワソワしてしまう。器楽演奏者のファンの方が不思議に思わないか心配だった。

 

“Crudele? Ah no, mio bene... Non mi dir, bell' dol mio”
『ドン・ジョヴァンニ』(W.モーツァルト作曲)

佐藤美枝子

 

オペラ歌手枠の中では1番素敵でした。老若男女犬も猫もモーツァルトを綺麗に歌いましょう。それができれば十分なのです。

 

佐藤は歌っているときに口角が落ちないですね。固めているわけでもないですが緩やかな力で口角をキープし口の中の空間を潰さないようにしている。その結果、声の質や響きが揃い整った歌唱ができる。素晴らしいですね。特にアンコールの全員での歌唱(『花は咲く』)でわかりやすかった。他歌手の口周りがよく動くところ佐藤の口周りは一切乱れず。口の中の空間があれば口の動きがあっても質は変わらない場合もありますが空間ないなら口角くらいキープしておけよって話ですかね?勉強になります。

 

後半多少疲れは見えてきたが高音も綺麗だし早い音も問題なく歌っていた。広げたり押したりしない自然な歌唱をサントリーホールが綺麗に広い柔らかに響かせてくれる。小柄な体型だが堂々とした舞台姿や歌唱にもも小ささを感じることはなく存在感があった。イタリア語も一番聞き取れる。

 

Liebeslieder-Walzerより抜粋(1,4,8,13,1416,18)
(J.ブラームス作曲)

小林沙羅・林美智子・西村悟・加徹徹

 

テノールの西村が良かった。これは意外な結果ですよ。力で歌い通す印象があったのですが声は力強いものの空間を感じる豊かな響きがあり何よりドイツ語の発音が明瞭だった。イタリア語の作品より相性が良いのではないか。

 

ソプラノの小林が高音の出し方が無理矢理というかこねくりまわすような出し方で落ち着かない。声に重さがあり常に天井が低い声だった。抜けるような明るい声を必要とはしていない作品だと思うがアルト・バスと同列になっておりテノールが高音パートを一人で支える状態となった。佐藤が素直な歌い方だとすると小林の歌い方はつくり込みを悪い意味で感じてしまう。

 

アルトの林とバスの加徹はあまり声が聞こえず。低音パートとしてごちゃごりゃしてしまった印象。低音が支えない、高音が抜けない、テノールだけ安定しているカオスな重唱となった。

 

伴奏は連弾で牛田智大と仲道郁代が担当。なんとてゴージャスな伴奏者さま。時折聞こえるピアノの高音が素敵だった。というかこの曲集の伴奏がそもそも綺麗なんですよね。素敵な伴奏があったが歌手勢がガタガタだったので仕上がりの悪い演奏となった。

 

1曲1曲が短いので軽く考えちゃったのかな。おそらくお忙しい皆様なので合わせもできなったのかな。限られた時間の中で音楽をどう構築するかが問われた結果準備不足を感じた。

 

愛の二重唱("Bimba, dagli occhi pieni di malia”)
『蝶々夫人』(G.プッチーニ作曲)

 

触れるのも酷ではないか。両名ともレガートがなく(このコンサートの課題は間違いなくレガート)、そして上半身というか口周りだけで歌っているようにみえた。音質は揃っているので一見(一聴)騙されそうになりますがオペラ歌手の発声ではないのでちゃんと聴いてください。

 

森は下唇を内側に巻き込みように動かしておりその唇でどうやって響かせることができるのか。力の入った口周りで豊かに歌うのは難しくないか。実際に良い響きだと思った音はない。

 

互いに違う方を見ていて愛とは何なのか考えさせられる。イタリア語さんは完全にご不在でプッチーニも困ってしまうでしょう。

 

以上です。

 

ジャパンアーツがんばれ!

【演奏会レビュー】オーケストラ・ラム・スール 第13回演奏会(ヴェーゼンドンク歌曲集)

2026年10月18日(日)13:15公演

ミューザ川崎シンフォニーホール

オーケストラ・ラム・スール

第13回演奏会

お世話になっております。

三島でございます。

 

4月にもお邪魔したオーケストラ団体のオーケストラ・ラム・スールさんの演奏会に再びGOしました。

そのときの投稿はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

前回はリヒャルト・シュトラウスおじいちゃんの『4つの最後の歌』で今回は別のリヒャルトさん、ワーグナー先生の『ヴェーゼンドンク歌曲集』です。今年はめでたく4回この曲集を聞くことができました。後2回ほど追加できそうだったのですが諦めました。

 

おそらく(てか絶対)メインはアントン・ブルックナーの『交響曲第8番』ですが歌か踊りがないと何もできないもので今回もお歌のレビューに留めます。

 

それではレビューです。

(以下敬称略。)

 

ソプラノは鷲尾麻衣。ホール内に入ると歌手用の譜面台を発見してしまったので暗譜至上主義界隈の人間としては5曲くらい覚えてくれとショックであったが演奏中はほとんど譜面に目を落とすことがなかったで一安心です。

 

全体を通して滑らかさがない歌唱だった。先日のエヴァ・メイのマスタークラスを活かすのならば「一つの線に乗っている感じ」がない。いわゆるレガートですね。1曲目”Der Engel”なんて鬼レガートな曲ですけれどよく切れる。歩み寄って「一つの線」があるとするならば豊かな曲線ではなく薄墨の儚そうな線である。レガートを維持しつつ歌を推進していかなければならないので大変な曲ですが綺麗な響きと深みのある声で聞かせてほしいところである。ワーグナーを聞いてレガートの重要性を認識することになるとは。ベルカント商法大事ですね。

 

これもレガートの弱さに繋がるのですがほとんどの声が体の中に籠っており前に出てこない。しかしお得意なのか高音だけはビャーと出てくる。なので歌のラインがでこぼこしてしまう。高音とその他の音域とで声量も声質も変わってしまうので安心して聞けない。ブレスの位置が目立つことによりなんとなく集中力を削ぎ落とされる。

 

ワーグナー作品のためにわざと声を重くつくっているのかと疑いたくなるような低く重さを感じる声だった。深い声のようで低いだけなので響かないです。オーケストラにかき消されている部分もあり。またホール全体を意識してではなく1階席向けの歌唱のようでした。ご存じなかったら申し訳ないのですがこのホールとっても広くて大きいのです。

 

ドイツ語もかなり不明瞭でドイツ語ってなんだっけな?と考えながら聞いていた。低音のときのuの母音が疎かにになりがちで音に引っ張られ潰れてしまうことがしばしば。4曲目(“Schmerzen”)の最後の部分の”schmerzen”ではeがかなり平べったくなってしまった。音の高さ的に平べったくなりやすい部分だが大事な言葉を潰さずに歌ってほしい。

 

5曲目(“Träume”)も1曲目同様に鬼レガートでお願いしたい。最後の節は音に乗る歌詞の内容を注意深く表現してほしいところだ。”Sanft an deiner Brust verglühen”で少々上昇し”die Gruft”に落ちてくるような音の動きと歌詞の結びつきがシンプルながらとても美しいのに、あまりにもそのまま歌うので歌詞の意味にはあまり興味がないのかなって思っちゃうね。

 

どの曲でもオーケストラとのテンポの違いを感じる部分があった。オーケストラが間延びするような演奏だったのに対し鷲尾が先にいく印象を受けた。歌いにくそう弾きにくそう指揮しにくそうな約30分だった。『最後の4つの歌』をそれなりに完走できた団体と思えない、終始ハテナマークが浮かんでいるような演奏だった。あっちの方(最後の4つの歌)が難しくないか?ブルックナーの方にに重きを置きすぎてワーグナーまでは手が回らなかったのでしょうか。

 

でも3曲目(“Im Treibhaus”)は良かったですね。ジメジメしていて方向がわかりにくい部分が多い曲ですが歌の終わりに入ってくるの音の立ち上がりが綺麗で音量も的確だった。4曲目(“Schmeezen”)の出だしの音も綺麗に入ってきてくれた。私はここが良ければ大体よしとする。

 

交響曲の方には触れない(ではなく触れられない)がこちらの方が皆さんお元気で焦点合っている演奏をしていた。オーケストラ版の歌曲と大きめのオーケストラの曲の演奏会って歌曲がおまけになるからちょっと寂しい。

 

以上です。

いろいろ勉強になりますね。

【マスタークラスレビュー】公開マスタークラス エヴァ・メイ(新国立劇場オペラストゥディオ)

2026年10月15日(木)14:00

新国立劇場オペラパレスホワイエ

新国立劇場オペラストゥディオ

公開マスタークラス エヴァ・メイ



お世話になっております。

三島でございます。

 

マスタークラスのレビューってなんですかね。

でもまあそういうブログが弊ブログなので書いておきましょう。

 

多くのオペラ好きやオペラ関係者が名前くらいは聞いたことのあるエヴァ・メイさんによる公開マスタークラスへお邪魔しました。2週間ほど日本に滞在しオペラストゥゥゥゥディオでレッスンをしていたそうです。私自身はエヴァ・メイさんの音源を普段はほとんど聞きませんが懐古すると一時期エヴァ・メイさんが歌う”La Promessa”(ロッシーニ作曲)しか聞かない時期があったのでなんとなく久しい存在です。

 

マスタークラスが始まる前に所長から「完成系を見せるのではないからねー」「上手に歌えないかもしれないけど理解してねー」という内容の説明がありました。研修生の力量を見る場ではなくオペラストゥゥゥゥディオが機能しているのかを見る場というか大人が仕事をしていることをアピールする場ではないのかな。いつもの公演だと何を勉強させているのか不透明だから。学校や研修所の評価ってつまりはその団体や先生方の評価なわけで。まあ暖かく見守りましょう。

 

平日の昼間に誰が来るんだよというお気持ちありつつもチケットは発売日に捌けた(金取ればいいのに)。エヴァ・メイさんのファンが多いのかな?学生やオペラ歌手の卵っぽい人は少なめでしたが彼らこそ来るべきではないのでしょうかね。で、どうやって平日の昼間に来るんだよって話に戻るわけです。

 

エヴァ・メイさんはイタリア語で話していたのでこのレビューではエヴァ・メイさんが話したことの通訳(冨永直人さん)を聞いてどう思ったのかを書くのでエヴァ・メイさん直々のご発言というよりもニュアンスで捉えてくださいね。

(以下敬称略。)

 

エヴァ・メイの印象

優しい人だなあと。よく褒めるし落ち込みそうなことは言わない。適度な距離感を持ち外から助言を続ける。学ぶことを楽しみ、歌うことを楽しんでほしいような様子だった。なんかイタリア人って感じ。素敵な歌声を聞かせてくれることもあり(無料なのに!)軽々とワンフレーズを歌う声はまさに本物のオペラ歌手の声だった。リラックスした状態からスーと出てくる声に良い響きが乗っかりホワイエであることを忘れそうになった。

 

スペースとマスケラ

今回のマスタークラスの最重要キーワードは「スペース」。体を縮こませることなく広い空間を感じて保って歌いましょうということらしいです。受講した研修生もメイにスペースを指摘される前と後では声の硬さが違う。柔らかさと伸びやかさが加わり良い歌唱になっった。これを言われる前から実施し常時意識するのはとっても難しいが指摘されてきれば安心です。

 

マスケラは危険な言葉だと思っていて「マスケラに当てる」ということ自体はあっているがあくまで方向でありマスケラに当てることに執着し命の短い声を披露するだけの人にならないでほしい。スーパー抽象的な表現だが「体を使えてから」当てるのであって、マスケラに当たってから続く豊かな響きの声が必要なのである。壁打ちみたいに当てればいいものではないので捉え方を間違えるリスクがあるなら一旦引っ込めたい言葉である。後、日本人の骨格を考慮すると余計にそうなる。

 

音と音のつながり

2人目に歌った吉田未来が一番顕著だったが跳躍付近で音と音がよく離れる。これをメイが指摘し、つなげるように歌うこと、攻撃的な声にならないこと、いつも同じポジションで歌うことを説明。吉田も早々に理解したのかすぐに歌唱が改善。低音をはっきり出そうとしているのか重さを感じる声だったがメイの指摘の後は中音域と同じポジションになり声も軽く豊かな音になった。その後に続く高音もまろやかな音になり、低音高音も一つの線で繋がっており片方が良くなると影響を受け同時に改善できるのだな。

 

結局、声楽の指導ってみんな同じことしか言わないのですけどだからこそそういうのが大事で攻略法や最短ルートなどはないのでしょう。一部の天才を除く。

 

結局イタリア語は難しい

「イタリア語読んでみて」から続くイタリア語指導は母音のuの深さの指摘や過剰なくらいの巻き舌を行えと注文が入った。受講生のuの母音は日本語からは離れた深いものであったがそれでも指摘が入る。想像より深いのがイタリア語のuでありそれを歌いながらしなければいけないのだなと。

 

でもそれより気になったのはイタリア語のテンションですよ。教科書には書いていいない部分の指摘ですね。3人目の齋藤菜々子がイタリア語を読み上げあたあとメイが読んで見せた時悲しい部分だし実際の音も下降であるがメイの発音は「Addio↑〜」と語尾が全部上がるように感じた。テンションが高めというのが近しい表現だがテンションが高いわけではないのが難しい。

 

声(母音)は明るいのに悲しさを邪魔しない技はイタリア人しかできないのでないのか。母音が長くアクセントのある母音はさらに長い。イタリア語の発音って難しい。日本語話者からだとそのまま読めちゃうから余計に難しい。4曲目がドイツ語の曲だったのでドイツ語の指導をするイタリア人の図ができておりなんか面白かった。

 

よいお勉強になった。

 

私もスペース大事にしてレビュー書きます。

【オペラレビュー】オペラハイライト コジ・ファン・トゥッテ(プラッツ習志野 市民ホール)

2026年10月10日(土)15:00公演

プラッツ習志野 市民ホール

オペラハイライト

コジ・ファン・トゥッテ

お世話になっております。

三島でございます。

 

午前はチャイコフスキーの歌曲、午後は時代を遡りモーツァルトのオペラと時空の旅を致しました。

 

午前中のレビューの投稿はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

「身近に「オペラを楽しもう!」ということで解説(という名のおしゃべり)ありのハイライト版のオペラ公演です。バレエでは初めての方向きのライトな公演でも高品質で本物がそのままコンパクトになったかたちで楽しめますがバレエのようにいかないのがオペラです。解説を加えすぎると本編がどこかに行き前編日本語にしてしまうと音楽の印象が変わりと本物のレベルを落とすことなく初心者向けにするのは難しい。しかしこのあたりを充実させ新しいお客様を取り込みたいところです。

 

それではレビューといきましょう。

(以下敬称略。)

 

全体の作り

冒頭からナビゲーターのドン・アルフォンソ(飯田裕之)がこの作品の物語を面白おかしく話す。客席の扱いに慣れており堅苦しくなく楽しめる空気をつくっていた。

 

「賭けの行方を見届けましょう」と客席全員の共通の目的を示し楽しみ方がわからない人にもガイドラインを設けることにより物語に置いていかれることを防止している。そこまで考えてしゃべっているかはわからないしそもそも初めての人に挙手を募ったら数人(もしかしたら1人?)だったので初心者ばかりではないのでいらないガイドラインだったかもだけれど。

 

流行りの小ネタ満載(時事問題からドラマネタまで)なのは面白い一方、様々なネタをひたすら投下してくるので本編とは関係のないところで疲れました。ナビゲーター(飯田)だけがやっているならまだいいのですが全員もれなく小ネタを入れてくるので散らかるし正直「いただき女子」は笑えないでしょ。

 

ハイライト版なのでカットは大有りです。1幕に時間を使い2組はほぼ結末だけだった気がする。各々の心境の変化はすっ飛ばした。『コジ・ファン・トゥッテ』といえば重唱なので重なりに重なった重唱をアピールしてくれても良かった。それぞれのお歌の面白さは見せ場であることが強調されていたが重唱はわちゃわちゃしている間に終わってしまったので少し残念。

 

『コジ・ファン・トゥッテ』は変な解釈入りの演出が多いじゃないですか(体感でまじごめん)。この公演は小ネタ多めであるが謎解釈はないので良い。ドン・アルフォンソが仲間に入っている感じが良い。仲間はずれ演出とかまじ泣いちゃうから。

 

全幕原語上演フルオーケストラ公演の来場きっかけをつくりたいハイライト版でありわかりやすい版であり日本語上演版なのだと思っているのですが作品として別物感が出てしまったのが気になるところ。ハイライト版を歌うためにオペラ歌手になったのではないだろうからそこで完結するような公演にしたくないよなあと勝手に思うのです。

 

ハイライト版を見た人が興味を持ち劇場に行き公演の需要が増加し公演数が増えてオペラ歌手のオペラ歌手らしい仕事が増えることにつながればいいよね(夢物語?)そこまで意識して公演をつくった方がいいんじゃないかな。壮大すぎ?

 

お歌について

飯田は喋りに喋りまくっているのに歌うときはスムーズに入るので驚き。声種の関係もあるけれど喋りの延長線で歌うし喋りすぎによる疲れもみせない。グリエルモの堺裕馬と同様お持ちの声がとても良い声です。バリトンとバスはお持ちの声問題とどれだけ動けるか問題の比重が大きいのですがその問題は両名ともクリアですね。別作品でお会いしたい。

 

フェルランドの金山京介はよく頑張っているがこの役を歌うのであればもっと伸びがほしいです。全体的に広がり気味で高音も余裕がなくゆったりと音楽を味わうことはできなった。フェランドの最初のアリア("Un'aura amorosa〜")って本当に激ムズだよね。アリアで一番難しい曲を求められたらこれを差し上げます。

 

フィオルディリージの中畑有美子はとても上手。この一言でレビューを終わりにできる。1人だけ質が違うし逆によく周りの歌手たちは中畑に食らえついてきたなという感じですよ。声量があるのでもっと大きな会場を用意してあげたい。モーツァルトを歌うには全力というか余裕を感じないが「高音から低音まで一音外さないぞ」という強い意志を感じたしそれが強い強いフィオルディリージちゃんに繋がった。細かい音型が少々滑らかさに欠けたがそこくらいじゃないですかね。

 

ドラベッラ(錦織まりあ)とデスピーナ(木村綾子)は声が細くイタリア語も平べったい。滑らかに流れないので聞いていてヒヤヒヤした。特にデスピーナの

変装場面では声を変えて歌っていたがそのせいで声が出なくなっていた。出ないと音楽ではなくなってしまうので一旦普通に歌ってほしかった。

 

以上です。

 

モーツァルトのオペラを定期的に見て原点回帰しておいた方が他作品を楽しめるなあと思います。

大事な土台です。

 

歌手:中畑有美子/錦織まりあ/金山京介/堺裕馬/飯田裕之/木村綾子

ピアノ:齊藤真優

【リサイタルレビュー】朝倉 麻里亜 チャイコフスキー歌曲リサイタル Vol.1

2026年10月10日(土)11:00公演

MUSICASA

朝倉 麻里亜

チャイコフスキー歌曲リサイタル Vol.1

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日は朝からロシアです。チャイコフスキーの歌曲の演奏へ伺いました。11:00から歌うとなると早起きして声のコンディションを整えてと気にしなければいけないことが多そうで大変恐縮です。

 

記憶の限りではMUSICASAさんへ初訪問。お洒落な空間と客席との近さと歌曲の演奏会を行うには最適な空間です。もう少し客席とロビーがあれば私の理想の姿だった。好みの押し付け失礼いたしました。

 

朝倉麻里亜さんは大学院にてチャイコフスキーの歌曲を演奏研究していたとのことで片手間歌曲勢(偏見)とは異なる様子。期待度が上がります。休憩なし1時間のコンパクトな演奏会ですが気軽に伺えるので良いですね。特にロシア歌曲などイタリアさんと比較すると馴染みのない方が多いと思うので「1時間なら行ってみるか」と最初の一歩としては利点になりそうです。

 

ではレビューです。

(以下敬称略。)

 

暗譜至上主義者より

客席に座りピアノの前に譜面台があると少々悲しくなります。「楽譜見みるのかー」と思ってしまうのです。そりゃ見たければ見ればればいいですよ。でも誰にお呼ばれされたのでもない自分自身のリサイタルであり、20曲も歌わないし、そして長く自分が研究してきたものならば暗譜で歌唱するのが道理ではないか。と暗譜至上主義者は思うわけです。

 

暗譜した人が必ず良い演奏をするわけでもなく譜面見ていても上手な人は上手ですけれど。客席に向かって歌うのであれば暗譜していた方が見栄えも双方の集中力も上がる。譜面から目を離すことにより音楽や歌詞が演奏者自身のものになり説得力や伝わるものも増える。もちろんずっと譜面を見ていたわけではないが譜面を置かないでほしかった。

 

歌の話

お勉強を長くされていたことと研究歴があることがわかる演奏会だった。自身の演奏にある程度自信を持っているようだがそれをひけらかすのではなく真摯に歌う姿は好感度が高い。全体を通して丁寧さが行き届いている歌唱でした。ここまでお導きいただいた先生各位がお喜びになるでしょう。

 

ロシア語の発音が上手な部分とゴニョゴニョしてしまう部分があり改めてロシア語の難しさを感じた。特に”Ни слова, о друг мой”では同じ歌詞が繰り返しされるのですが1回目はとても綺麗な発音でしたが2回目は歌詞が流れてしまう印象をうけた。何か音楽表現を加えようと(同じ歌詞同じように歌ってはならない問題があるので)した結果ロシア語にも影響が出てしまったというところか。

 

“И больно, и сладко ”は最後のフレーズの低音が上手に流れず切れ気味だったのが気になった。おそらく”Кольбельная песня ”でも同じことが言える。最高音をあげることはできたものの伸ばしている最中に声量が落ちまた声の質が変わった。それをひけらかすのではなく心身に歌う姿は好感度が高い。両方とも上半身発声により声を保てなかったことが原因かと推測。終始、上半身だけ発声になっているのではないがところどころ上がってきてしまうのでおしい箇所が発生する。

 

人前で演奏すること

曲の中の音楽表現(ピアニッシモなど)が歌詞や音楽と切り離されており「ここでやると決めたからやっている」と中身の伴わない指示通りの歌唱になっており面白みに欠ける。特に”Забыть так скоро”の後半で劇的な表現をしたが思い切りすぎてイタリアオペラのようだった。前半の流れを汲み取りながら楽譜の指示を受け取り演奏に乗せる必要がある。そこだけ唐突に芝居を始めた人に見えた。

 

全力すぎてこちらが少々疲労を感じたが低音も高音も綺麗に歌っていた部分は好印象(さっきも書いたか?)。しかし成果発表の場で良い評価をもらうための歌唱に感じてしまった。チャイコフスキーの歌曲の面白さや美しさを伝えたいというのであればここから離れなければならない。歌手の声ではなく曲の中身を伝えるための演奏会であれば何も伝わってこなかったというのが正直な気持ち。

 

曲紹介の文章も棒読みでかつ文章がテンプレート化しているので研究してきた人だからこそ知っている面白みや知識をもっと織り込んで話しても良かったではないでしょうか。何がいいたいかというと「上手ですねー!」で終わらない演奏をお願い致しますということです。

 

以上です。

歌曲の演奏会に感謝。

 

帰りの坂道歩くの難しすぎてペンギンみたいになってしまった。

【オペラレビュー】イタリアのトルコ人(新国立劇場 2026年)

2026年10月2日(金)18:00公演

新国立劇場オペラパレス

ジョアキーノ・ロッシーニ作曲

イタリアのトルコ人

新シーズン開幕おめでとうございます!

今シーズンも暖かくときにときに生暖かく見守ってそして応援していきましょう!

www.nntt.jac.go.jp

開幕公演はロッシーニ先生が担います。ロッシーニ先生やドニゼッティ先生あたりは新国立劇場と相性がいいので良い選択ですね。

 

それではレビューといきましょう。

(以下基本的に敬称略。)

 

歌手

一昨年の『夢遊病の女』(ドニゼッティ作曲)でアミーナを務めたクラウディア・ムスキオが再び登場。精神病み病みの役ではなく明るい役で帰ってきてくれました。前回とは違ったムスキオを見ること聞くことができ嬉しい限り。

 

ムスキオの声はキンキンしそうな声質ですが高音を出してみると丸みがありキンキン系の角を上手に削ったようになっている。声自体に重さがなくどこまでも飛んでいきそうな声で終始歌っていた。自由自在に声を転がし伸びやかに響かせるが芯はしっかりしているのでうわついたり押したりすることがない。どの音でもどんな音型でもスムーズに歌い疲れを見せることもない。

 

少し大きめに声をだしてすぐにピアニッシモにするような歌い方をしている箇所があったがピアニッシモにしても響きが下がったりブレたりすることはなかった。細かい音型でも口の形をほとんど変えずに歌っており表面ではなく口の中で処理できていることがよくわかる。腕は多少動くものの気にならない程度でなぜ両腕をバタバタさせて歌う人がいるのかさらに気になってきた。

 

通常のお芝居とこは異なる振付のような動きも可愛らしくこなしており、またはっきりとした色の衣装も似合っている。生き生きとしたフィオリッラを楽しそうに演じていた。ときどき(特に1幕)ブレスの場所がわかりやすい歌い方になっていたので音楽が一瞬止まってしまうのは気になったが上手に聞いてあげる必要のない歌唱は本当に楽です。このままずっと聞いて入れられる素敵な歌唱でした。

 

夫のジェローニオを演じるパオロ・ボルドーニャは終始余裕を感じる歌唱と舞台姿だった。このような人が1人いるだけで舞台上の安定感が増す。ムスキオとボルドーニャの2人でとりあえず完成してしまうような充実度。外国人歌手の皆様は全力で歌う演じるというよりまったりしながらよく知らない劇場の響きや空気を味わうように歌っていたがボルドーニャが一番そのように感じました。舞台慣れしております。

 

歌唱に派手さはないけれど正確にでも自由に歌っておりムスキオ同様安心して聴くことができた。大爆笑はないが要所要所が面白く作品を邪魔しない面白さを心得ているようです。2幕ではちょっとした仕草や動きが常に面白くクスクスと笑ってしまった。

 

セリムのアレハンドロ・バリニャス・ビエイテスは声が大きめでした。異国の人を意識しすぎた歌唱はなく綺麗に歌っておりました。細かい音型のときに上半身がアイソレーションしているようだったのが気になる。振付か?癖か?堂々と歌ってはいたがボルドーニャに食べられている感じはあった。ただフィオリッラの霞がかかった世界の話と捉えるならば少々ふわふわしていた方がいいのでしょう。

 

詩人プロスドーチモのブルーノ・タッディアは声が広がりすぎているところが少々気になる。進むにつれて集まってきたので良かった。役のポジション的に外から見ている様子が強いかと思いましたが意外にも内側の人で詩人として都合のいい方に進めたいがそうもいかないもどかしさをみせてもらった。

 

面白いテノールを連れてきました。ナルチーゾ役のルジル・ガティンです。テノールならでは(?)のめんどくささを役に上手に反映しお芝居をしていた。この作品の登場人物に感情移入することはないはずだったが2幕のお歌はコミカルながらも感情を強くこめて歌っていたので気持ちが持っていかれそうになった。独特で唯一無二な声をお持ちなのはじめは主張強い系のテノールかと警戒しましたが終始柔らかく高音を出しても柔らかさを保っており感度があがる。常に謙虚な舞台姿(役柄もあるが)で「俺の声聞いてくだーい!」とやらないのが本当に良かった。

 

日本人チームも頑張っていた。特に但馬由香(ザイダ)は外国人歌手に混じって歌う場面が多かったが歌唱面では同レベルとはいえないが大きく差があるわけでもなかった。前に『マクベス夫人』(ヴェルディ作曲)の侍女役で聞いた時も気になったが歌っているときの姿勢があまり良くない。今回は猫背はそれほど目立たなかったが声だけだと堂々と歌っているように聞こえるが立ち姿を見るとどこか落ち着かない様子に見えるし指揮をよく見ているので結果視線が落ちてしまう。声だけ聞いていればまずまずですが舞台姿込みで見ると惜しい。

 

ロッシーニをお歌いになる方々は「私の技術すごいでしょー!!!」という主張が全面に出ることが多く(え?偏見?)そのような歌唱は苦手ですが今回の歌手はロッシーニの音楽に組み込まれており主張しすぎない歌唱が心地よくて安心して最後まで座っていられた。コミカルな動きと音楽がよくあっていてロッシーニが決めた振付だと言われれば信じられなくもない。違和感が少なくてよいです。あと動けない歌手(合唱団を含む)がいても解決できるからよいです。

 

フォトノベルの効果はあまり味わえなかったが舞台上のお洒落さはとても素敵。公式の公演写真など見てわかるが写真にしたときにとても映えている。舞台上の情報量が多くなり見にくくなることを心配しましたが意外にも整理整頓されていた。仕掛けとして楽しむこともできるし完全に無視してても支障ないので好きな方向で舞台を見ていても成立する。

 

以上です。

 

ロッシーニ作品を楽しむことができた。

ロッシーニ先生に苦手意識はないのですがこの界隈がなんとなくね。

なんとなく。