2024年5月15日(水)19:00公演
東京文化会館 大ホール
NBS旬の名歌手シリーズ2024-III
アスミク・グリゴリアン ソプラノ・コンサート(Aプロ)
お世話になっております。
三島でございます。
この日がようやくやってきました。
アスミクさん再来日です。
2022年のサロメは衝撃的でした。発声の正しいポジションを守りながらサロメが歌えるものかと。1回しか行かなかったことがいまだに悔やまれます。脱線しちゃうから一言だけにしますが、このサロメ以上にメインキャスト全員が強い公演には巡り会えていません。
この公演のプログラムは大変に興味深いです。まず、前半にチャイコフスキー先生のお歌が2曲と私たちが大変に得をする嬉しい構成です。そしてなんと17日(Bプロ)にはシュトラウスおじいちゃんが登場。休憩やオーケストラ演奏を挟むといえどタチヤーナ→クリソテミス→サロメを歌うという過労プログラムです。
日本のオペラファンの平均的な好みをフル無視する攻撃力の高いプログラムです。つまり嬉しいということです。ありがとうございます。
珍しくチケット発売日に購入しました。早く買うとそれまでに飽きちゃう可能性があるからギリギリまで買わない人なのですが今回は良い席で聞きたかったので早めの購入。後、発券したら無くすのでギリギリまで待っておきたい。
ゴタゴタ言っている場合ではない。
感想いってみよー。
(以下全て敬称略)
全体的に
お衣装は黒のスリットが入ったノースリーブのドレスでお着替えはなし。デコルテは出さずに首の付け根まで覆われている絶対に着る人を選ぶであろうドレス。首が短い民への殺傷能力が高そうなドレスです。グリゴリアンのビジュアルの強さに感動です。
ハイヒールはルブタンではない。レッドソールではなかったから。パーぺのおかげでルブタン探索隊になりました。ありがとうパーぺ。色はベージュ。素材はエナメル。ヒールは太め。9cmはあるかと思います。
2022年のサロメのときにも思いましたが相変わらず口の開け方が綺麗ですね。口を縦に開けたときに口周りが無駄に緊張せずに綺麗に縦に開きます。口周りの筋肉が適度に緩んでいるので筋張ったり硬そうだったりしません。縦には開いているけれど力技で開けていると口周りが硬まっているように見えますがそんなことはない。(後半は崩れてきたけれど。)
「a」や「o」などは常にパカッと開いている。声を出した後に口の開き方を調整することもなく瞬時に正しい位置にいけることは素晴らしいです。歌っている途中に口の形が変わることがいかに間違っているのかがわかりました。
口の縦の開き方もそうですが下顎に力が入ってないのもプラスで素晴らしいところです。特に高音域を出すときに無駄な力を入れずに顎が下がります。こちらも力で無理矢理顎を引っ張っているわけでもなく、またガクッと落ちてしまうわけでもない。
顎を下げるというのは顎を落とすとは違います。これが紛らわしい。脱力していることは良いころですがコントロール外になってしまったら良いとはいえない。ときどきただ落っこちているだけの歌手もいますね。それでも上手な人は上手なので意味不明です。参考にはなりません。グリゴリアンは本当に綺麗です。口のポジションの参考素材としてとても良いと思います。
私が1番好きな参考素材は昔々のネトレプコです。美しいー。(埋め込みできなかった。8:10〜)
https://youtu.be/Z9TCn-SBNOI?si=-X8Rd5vaGFSW-UMX&t=490
グリゴリアンの口のフォームの話は一生していられるかもしれない。終わりにしよう。
ポジションが正確なので発音ごとに音色が変わることがほぼなくまた高音ジャンプのときに寄り道することも時差が発声することもほとんどありませんでした。このあたりのストレスのない歌唱は聞いていて大変に楽です。上手な歌手の特徴です。
通して気になったがフレーズの最初の言葉を押し気味に出すことです。上手に説明できないけれど例えるなら出だしの母音が二重になるような感覚です。えーじゃなくてぇえーみたいな。激しくやっているわけではないので気にしなければ気にならないのですが。気になっちゃった。フレーズの出だしの音以外はそのような歌い方をしなかった。癖なのか?最初を強くすることでバランスを取っているのかな?
女たちの意思や感情を見せてくれるような歌唱表現ををするかと思いましたが、意外にも人のものを借りてきているような歌い方をするので、こちらも物語の中に入っていけなかったなぁと言うのが正直な感想です。この曲は私のためにありますけど?みたいなテンションで歌ってもらえると私は楽しいです。
初来日ではないけれどソロコンサートは初めなので、まだまだ日本の聴衆に対して探り探りな部分があったのではないでしょうか。このあたりはBプロには改善されるかもしれません。
口の開き方は大変に美しいのですが、それだけで上手に聞こえるわけではないことを学びました。
作曲家ごとに曲の感想ちょっと書いて終わります。
オーケストラ単体の感想は前方の席で聞いたこととどうせ金曜日(17日)のシュトラウスであーだこーだ言うので今回はやめておきます。
Mesicku na nebi hlubokém(月に寄せる歌)/「ルサルカ」より
出だしのオーケストラが全く歌わせる気がないような前奏でどうやってこれに乗っかれと?と思いましたがグリゴリアンは一流なのでふつうに歌い出しました。でもイマイチ乗り切らないです。せっかく前奏があるので上手に乗っかりたいし乗っかってほしいよね。もっと誘い込んで。
上で書いた出だしの無駄な力みが最も気になった曲です。リーザを聞いた後だから言えるけれど声のポジションが上がり気味だったと思います。薄っぺらい声だった。緊張していたのかな?なんか心ここにあらずのような歌い方でした。”vzpome nul ve snění na mne “あたりで一回溜めたの(rit.なご様子)があまり効果的ではなくなぜ止まった?と思いました。声は伸びていたけれど音楽が途切れているように聞こえました。
大丈夫。日本の聴衆は優しいから。最悪でもがんばったで賞の拍手がもらえるから。安心して歌って。
このお歌の流れの美しさはロマンティック大賞だと思っています。ひたすらに綺麗。届きそうで届かない感じがな。絶妙なところで下降してくるんだよね。金曜日はより良いものを聞きたい。
チャイコフスキー
Пускай погибну я(私は死んでも良いのです)/「エフゲニー・オネーギン」より
こちらも謎の溜めが気になった。正確に覚えているのは最初の”погибну я”の高音ジャンプ前の溜めのお時間。これは音楽表現の理由ではなく高音を上げるための準備時間ですよね?弦楽器の迫ってくるような前奏の音楽をなかったことにしてしまうのであまり好きではなかったです。
ロシア語がロシア語に聞こえるのは気持ちいいですね。子音を早く捌きつつ母音の音は丁寧。一緒に母音まで捌かないところが良い。喋っているようだけれど歌であることは忘れていないような感じでした。素敵です。
声はルサルカが上気味だったのに対しタチヤーナは暗い。暗いのはいいのです。ただアスミクの場合はつくっているような暗さがあり、持ち物ではないような声の質が気になりました。そんな声で最後までタチヤーナを歌えるのか?と思いましたがいつも間にか良い声になっていた。
オーケストラがおとなしくなる”слова надежды мне шепнул?”がとても綺麗だった。淀みのない声が静かな空間の響き渡るのは気持ちいいですね。
ルサルカの低音域は声量はないものの無理に押し出さない歌い方が綺麗でしたが、タチヤーナの低音域は埋もれ気味でした。オーケストラが元気なことも理由の一つでしょうか。
Ах, истомилась я горем(ああ、悲しみで疲れ切ってしまった)/「スペードの女王」より
タイトル部分のちょっと前から歌ったか。
同じチャイコフスキーで言うならばこちらの方が断然に良かった。声が素直に出ているし音楽の流れも綺麗。上手なスタートが切れなかったルサルカ。なんとか調整して頑張ったタチヤーナ。完成系に近づいたリーザというところでしょうか?リーザから歌うか?重いコンサートになるぞ?
全体的に良かったのですが”Я истомилась! Я исстрадалась!”の「и」の悪めだちが気になりました。口を横に引っ張ることはしないのですが、声がこの母音だけ硬くなってしまいました。
17日にもう一度聞けるのが楽しみだ。
ティグラニアン
かつて柳の木があった/歌劇「アヌッシュ」より
正確な原語の表記がわからないの邦題のみ記載しました。
アルメニア語に関しては何も存じ上げないのです。
Հայաստանի Հանրապետություն
このような文字を使う言語だそうです。
アルメニア文字。皆目見当つかない。でもかっこいい。
新しい世界を教えてくれる歌手には大変感謝します。自分だけでは到底辿り着けない世界に連れて行ってくれる。アスミクが歌うからと思い音源を探しオペラの内容を確認する。大事な時間です。ありがとうございます。
発音や表現に関しては何も分かりませんがアルメニア語で歌っているときが一番響きが集まっていると思いました。眉間あたりに集まっている自然な響きが大変に美しかったです。聞いている限りでは技術的に求められる部分は少なそうなので歌いやすかったのかもしれまぜん。
声が大変にリラックスしていて高音を出させるのが申し訳ないくらい力の抜けた良い声だった。
プッチーニ
みんな大好きプッチーニのコーナー。オーケストラはプッチーニだとマジ元気。
プッチーニの曲たちの歌唱を聞いて一番に思ったことはグリゴリアンもほわほわイタリア語部の一員ということです。
前半でチェコ語ロシア語を歌ったときよりも声をつくっている位置がさらに奥、そして高いところにいきました。それ自体は素晴らしいことです。ポジションだけでいえば完璧だったのにさらに上げてくることができるのだなと思いました。
しかし声をつくる位置が奥になったためか言葉が前に出てこないです。引っ込み思案なイタリア語です。引っ張り出したい。先日来日したヨンチェヴァもイタリア語がはっきりしないことは同じですが、ヨンチェヴァの方がアスミクより声の芯が太いかつ声量があるのでそんなものかですませられますがアスミクの場合はただただイタリア語が引っ込んでいることが気になった。
上の方で書いた口周りの筋肉が硬くなりだしたのも気になった。プッチーニ恐るべし。
それにしても1曲が長くないけれどよくもまあプッチーニのメインどころ何曲も歌えますね。純粋にすごいと思いました。
Sola perduta,abbandonata(捨てられて、ひとり寂しく)/「マノン・レスコー」より
こちらはですね、私の頭の中にヨンチェヴァが出てきました。
弱い。声が弱い。音楽に押されないで自立した発声をキープしてることは素晴らしいのだけれど感情表現が薄いプッチーニの曲はあまり面白くない。動き回るよりも内面から出てくるもので勝負しているようにも見えない。
”Orror!”のはまらなさ。サロメのときには感じなかった低音域の弱さ。プッチーニ恐るべし(2回目)。最後の”non voglio morir”なんて3回同じこと言ってますから。でも訴えかけるものがなく。寂しい。完璧な発声と共に女優並みの表現力を求めたい。
Un bel di, vedremo(ある晴れた日に)/「蝶々夫人」より
表現力はこの曲が1番高かったと思います。表情も豊かでこのオペラの場面を思い出しました。
O mio babbino caro(わたしのお父さま)/「ジャンニ・スキッキ」より
ソプラノアンコール課題曲をまさかの本編に入れ込む。完全に好みの話になりますがこの曲は本編よりもアンコールで、サービス的に歌われた方が映える曲だなと思いました。本編に入れ込むことで面白みがなくなるちゃった。いわゆるpianissimoが小声だった。それはpianissimoではない。
Tu che di gel sei cinta(氷のような姫君の心も)/「トゥーランドット」より
Vissi d'arte(歌に生き、愛に生き)/「トスカ」より(アンコール)
も歌っていました。プッチーニの有名どころを浴びてお腹いっぱい。
ここまで書いてわかりましたがグリゴリアンのプッチーニ歌唱には疑問が残ります。プッチーニを歌うことはキャリアとしては正解だろうけれど、音楽的に正解なのかがわからない。
以上です。
プッチーニを歌うことによってヨンチェヴァの凄さを思い知った。
そして!そして!
幕間にオネーギンのスペシャリストである茅野先生にお会いできました!オネーギンぶりにオネーギンで再会です!嬉しい!
さてさてBプロがやってきます。
シュトラウスおじいちゃんがやってきます。
オーケストラまじ頑張って。シュトラウスに食われるぞ。
おしまい。