2021年12月5日(日)14:00公演
新国立劇場オペラパレス
お久しぶりの新国立劇場。
イオランタぶりです。全然行ってないんだな。
行くたび、行くたび、お久しぶりって言っている気がする。
本当はね、全演目を1回は観たいところですが、観れないじゃん。
ねえ、だって、ねえ。
ねえええええええ。
私は新国オネーギンがトラウマだ。
一生騒いでてやるんだから!!!!(情緒不安定)
プッチーニのオペラってちょっと避けているところがあってですね。
ちょっと怖くないですか?怖いってホラー的な怖いではないのですが。
自由がないっていうか。なんか、こう、余白がないっていうか。狭いっていうか、硬いって言うか。
解釈違いを起こそうものなら全力で追っかけてきそうじゃん。(誰が?)
音楽の中での誘導が凄いなって思う。交通整理が行き届いている音楽(どんなよ)。
好き勝手言ったら取り締まり班が来るね。
何だろうねー。
方向性がはっきりしているという意味では聴いていて楽ですが、それが窮屈なときがある。好みの問題なので、プッチーニ作品やプッチーニ先生に文句を言っているわけではございませんので、よろしくお願いいたします。わかりやすいの好きよー。
そんなプッチーニ作品を、最近は遠くにいる新国立劇場まで観に行ったのは、蝶々さんが中村恵理さんだからですよ。
彼女、上手いじゃん。
初めて中村恵理さんの歌を聴いたのも新国立劇場。
フィガロの結婚のスザンナでした。
外国人キャストに囲まれながらも、負けない彼女の歌声に驚いたし感動した。興奮しながらパンフレットを買ったのも覚えている。私は好きな演目以外は、その公演がよかったもののみパンフレットを買います。ので、とっても気に入ったのだと思います。
劇場で聴いた(観た)ことはなくても、NHKニューイヤーオペラ(だっけ?)も出ています。他の歌手とは違う世界で歌っているのが中村恵理さんです。この説明でわかる人多そうだし、多いことを祈る。多くなくてもいい。一人でも世界違うなって印象を持っている人、印象に残っている人がいればいいな。
ということで、
中村恵理さんがすごいよ特集。
①最高の技術
本当に上手い演奏家に出会えた時、声(音)を出した瞬間に泣くよね、って思いながらピンカートンの歌を聴いていた(もちろん泣けない)。
蝶々さん(中村恵理さん)が出てきた。
歌った。
泣いた。
今日、劇場にいることができる幸せを感じた。本当に泣いた。
ティッシュなかった。ハンカチはあった。
蝶々さんと言う役柄にではなく、歌詞の意味にでもなく、ただ一つの「中村恵理の声」に感動する。音で心が動くということに更に感動する。録音やオンラインでは絶対味わえない、その場の音に共鳴して、涙が出る。感じたままに泣く。本当に幸せなことだと思う。
登場部分の歌唱。小さく細い歌声。piano・pianissimoとはこういうことだ、と知らしめるような歌唱。劇場中に響く、天井の高い声。劇場を支配する声。なぜその声量でそんなに響かせることができるのか。
完璧なその声に蝶々さんの感情をこれまた完璧に乗せる。清い声。力に頼らず、響きに全てを委ねる。委ねられる響きがある。そんな技術どうやって手に入れたのか。本当に素晴らしい。
ただひたすら歌の上手さに感動。完敗。乾杯。
高音は本当に素晴らしい。pianissimoでもforteでもぶれない。絶対に力まない。絶対に浮かない。軽やかな部分も芯のある強い声。どこを切っても美しく、心地よい。そして、技術が落ちることなく、終幕まで一定を保つ力量。ブレスを感じさせない歌唱。仕事出来過ぎやろ。
中村恵理さんの歌唱の魅力は低音にもあると思う。
ソプラノの低音って一流の歌手でも微妙だったりする。
そもそもそんなに用事がない音域(用事?)だから、一曲の中で一瞬出てくるくらいだと、やっつけ仕事人で何となく歌って過ぎ去るのを待つみたいなの多いなって感じてる。それはそれで興味深かったりするんだけど。
だがしかし、中村恵理さんの低音は最高です。
低音も響きます。低音は捨てる音ではありません。声も潰れません。喉開いてんなって。
歌詞もはっきりしています。ソプラノの低音を聴いて安心できることってあんまりないので低音にも注意して聴いてください(誰?)。
高音から低音まで出る。
響きは安定。
歌声に感情を乗せることができる。
新国立劇場の日本人キャストでここまで技術を保障できる歌唱は中村恵理さんだけです。
②芝居の人
中村恵理さんは芝居の人だと思う。
日本のオペラ歌手で彼女と同レベルの歌唱ができる人はいないと思っています。ですが、これに関しては「いや、いるし。」と言われると思います。しかし、日本のオペラ歌手で彼女と同レベルに芝居ができる人はいないです。これは断言したい。いない。
同レベルというより、日本のオペラ歌手で芝居ができるオペラ歌手は彼女ただ一人。
オペラでの蝶々さんの人生は15歳から始まり短命に終わる。
中村恵理さんは拘っていないように見えた。若さの追求はしていないように見えた。数年間の間のジェットコースターの人生を芝居で見せる。10代の少女ではなく舞台の上にいるのは「蝶々さん」という一人の人間。10代や少女っていうのはあくまでその次の話だった。
10代ということにフォーカスを当てた芝居をしない。
大事なことだと思う。フォーカスを当てるところを間違えない。
聞いているか、新国イオランタ。
少女の演技をして成立するのは(多分)砂川涼子だけだぞ。
蝶々さんの喜びに笑顔になり、悲しみに心臓を突き刺される。蝶々さんの人生を客席で体験する。「中村恵理と言うフィルター」を通しながら、体験する。これができるか。できるのか。
見た目の話はあまり好ましくないのかもしれないけれど、あえてします。
中村恵理さん自身は儚い系の「少女」が似合う見た目ではなく、どちらかと言うとピンカートンを刺しに行きそう(話変わるな)な強さを感じるかっこいい系の顔立ち・見た目をしている。
しかし、無理なく、嫌味なく、蝶々さんになれる。
蝶々さんの可憐さ、強さ、脆さ、を自分を消し表現できる。
もちろんそれらを表現する声も素晴らしい。
結末がわかっているから、蝶々さんの人生を追うのが辛くなった。
帰ってこないのよ、あなたは死を選ぶのよ、オペラの中身に感情移入してもしょうがないのに、そこにいる蝶々さんの生き方にどうしても苦しくなる。
そう思わせる。そう魅せる。
それができる歌手は彼女だけ。
③全体を引っ張る強さ
言葉を選ばすに言うと(選んだことないけど)蝶々さん以外みんなモブ。
これらから観る方がもしこのブログをお読みになっているなら、一つお伝えしたい。
ピンカートンはあなたのイマジナリーピンカートンを用意してから劇場にいきましょう。
ピンカートンでもピッカートンでもピカソでもピカチュウでもいいよ。
イマジナリーピンカートンが中村恵理さんと同レベルで仕事をしてくれれば幸いです。
中村恵理さんが仕事しすぎで辛い。仕事ができすぎて辛い。
過労よ。過労。
蝶々さんがこんなに話を引っ張っていくオペラだったかな?
真ん中の人が全体を引っ張ってはいるけれど、誰一人ついていけない感じ(スズキさんは健闘していたが)があった。そこだけをピックアップするなら、調和の取れていない感じのオペラだったという感想で終わるんですけどね。そこがネックだから1回しか観ないんですけどね。
まあ、その辺りは中村恵理さんが無双無双で問題ないよ。
ピンカートンのことが好きなようには確かに見えないし、一人でことを進めていく感じも拭えないけれど。
周りがもっとついてきてくれれば、まだ数公演(何回?)あるから頑張って。
初日とは思えぬ完成度(の中村恵理さん)。
若干、一幕飛ばしすぎの疲れで、2幕の中弛みはありましたね。「ある晴れた日に。」がコケた感あったが、(最後の〜l'aspetto.がオケに消されてた。)それでもクオリティ的には問題ないでしょう。私が、このアリアがそんなに好みではないので重きを置いていないから、まあいいかって感じっす。このアリアが好きだったら感想は結構変わると思う。
中村恵理さんの感想を書きたかったので、他のことは書きませんが、オーケストラ調子良さげでよかったぜ。新国オペラはオケの安定してるときとしていないときの差がひどいな。毎回、同じ楽団が入っているわけではないけどさ(オネーギントラウマ発動)。551を差し入れしようかな。
あるときーないときーってなっているのだろうな。
と言うことで、
日本のオペラ関係者が彼女のことを大切に適切に起用してくださることを祈ります。
他にいないからね。彼女ほど仕事ができる歌手はいないからね。
本当に頼みます。
中村恵理さん、マジ大事。