三島の見解

古の女子高生

【オペラ演奏会形式】サロメ

2022年11月20日(日)14:00公演

サロメ(演奏会形式)

サントリーホール



 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

この日はサントリーホールシュトラウスおじいちゃんのオペラであるサロメを聴きに行きました。

サントリーホールには夜公演しか行ったことがなかったので明るい中歩くのは新鮮でした。雨降っていたからまあまあ暗かったですが。先日のボリスくんに引き続き天気が悪かったですね。次のボリスくんも天気悪そうですね。

(ボリスくんの感想はこちらから↓)

 

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

劇場に行くのでお洒落したいなと思っても結局めんどくさくなってしまうやつです。全て気温のせい。

ドレスコードがなくてもサントリーホールだけはちょっと気を使いますね。

おハイソな方が多いからでしょうか?港区だからでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

リヒャルトのシュトラウスに関しては偉大なる作曲家であることは存じ上げておりますが、「シュトラウス大先生」ではなく「シュトラウスおじいちゃん」とお呼びしております。おじいちゃんは最初からおじいちゃんだったわけではありませんが(当たり前)、おじいちゃんのイメージが強いのでおじいちゃんはおじいちゃんです。シュトラウスおじいちゃん好きなんですよー。音楽と歌詞の結びつきが美しくて(特に歌曲)、情景の描写で常に殴られる感じが好きです。音楽が語りますよね。おじいちゃんはかく語りきです。

 

 

 

 

 

 

 

サロメは「難しいオペラ」というイメージが世間一般の意見でしょうか。新国の「初心者におすすめ」マークが付く日は一生こないですよね。音楽がよくわからないということでしょうか。話の内容はわかりやすいと思いますし、サラッと楽しめそうな気もしますが。サラッと楽しむにはヘビーかな?シュトラウスおじいいちゃんのオペラは、イタリアオペラのように(というとし主語が大きすぎますが)、「歌」と「オーケストラ」の双方を独立させて耳に入れるというより両方をごちゃ混ぜにして耳に入れたほうがわかりやすいと思います。つまりビビンバです。躊躇せずに混ぜましょう。因みに我らがチャイコフスキー大先生のオペラは「会話」ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあそんな感じ(?)で感想いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総評

やだー、総評とかかっこいいこと言っちゃってー、やだー。今日もお茶の間テンションです。

 

 

 

久しぶりに本物のオペラを観た(聴いた)。歌手のレベルが一定の水準を超えており(外国人キャストに限る)、発声や響きなどの歌唱の技術的な部分に気を取られずにオペラの物語の中にどんどん入っていくことができた。歌唱に関してはほぼストレスなし(外国人キャストに限る)だった。演奏会形式といえど、しっかりと物語が構築されており、シュトラウスおじいちゃんの音楽から離れずに、しかしそれ以上に物語を展開させる、魅せるオペラだった。演奏会形式であることにもの足りなさを感じないくらいちゃんとオペラだった。意味わかってくれ。

 

 

 

 

 

 

オーケストラの皆さんの入場の際、劇場内にはどこか張り詰めた空気を感じました。サロメの世界に入っていく準備をしているかのような、もはや序章のような今まで感じたことのない静けさと冷たさを感じた。お行儀がいいとも言えるが、なんか不気味だった。

 

 

 

 

 

 

 

外国人キャスト4名のレベルは高い。歌も芝居も高品質。高すぎて怒り。この歌唱が日常にある人が羨ましい。本当に上手いオペラ歌手が揃うと「歌が上手い」ことが気にならなくなります。比較対象がいないので「歌が上手い」ことが当たり前になる。これぞオペラ歌手のオペラである。どの人も優れているというのは聴いていてストレスがないし、変に暇になる時間がない。集中力が切れない。むしろ切らしたかった。休憩なしがしんどいのは初めてだった。オーケストラの前の空間と椅子しかない舞台で世界を作り出せる強さと、演奏会ではなくオペラとして魅せることができる強さ、そしてぶれない技術を舞台上に持っていける強さ。三強です。素晴らしい技術を持った上で繰り広げられるサロメの世界はこんなにも不安定で冷たい世界なのか。サロメサロメママ・ヨカナーンの無機質さとヘロデ王の感情表現が良いコントラストを生み出し、奇妙さを際立てる。

 

 

 

 

 

 

自分の美声を披露したい、誰かに認められたいというような欲を排除した舞台だと思う。もちろん根底にはそういった部分があると思うしなければ歌手にはならないのだろうけれど、仕事として歌手が音楽に向き合った結果のパフォーマンスである気がする。「俺!俺!俺!」というような自己主張激し目な歌唱ではなく、自分自身は歌唱の中に隠した(隠れた)パフォーマンスだった。自己主張しなくても、歌唱がよければきちんとした評価は受けれるはず(言い切れないのが悲しいねー。学歴社会だねー。)だから音楽に徹してほしい。その願いが叶えられているパフォーマンスだった。

 

 

 

 

 

 

終演後に泣いてしまった。サロメの世界がものすごく怖くて解放された安堵が涙になった(この文章かっこよくない?)。引き込まれた。ヨカナーンの首を切っている当たりからどんどん身動きが取れなくて、ヨカナーンの頭が出てきたときは目を逸らしてしまった。実際には首を切っている演出はないし、ヨカナーンの首は赤い布を丸めたやーつ(銀の皿にも乗っていない)だったが、思わず目をそらすほど世界に入ってしまった。私、三島はいい公演に出会うと勝手に中に入ってしまうのです。本公演はまさにそれだった。音楽と物語と技術の3つが高水準で揃ったとき、サロメというオペラは、とても暴力的な美しさを魅せるのだと気づかされた。これは中毒になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーケストラ

上に書いたような張り詰めた空気の中に始まった音楽。意外と控えめというか遠慮がちで「おやっ?」と思ったことは事実。出だしはおじいちゃんが殴り込みに来たような(どんな?)、静かではあるが、もう少しはっきりとしたものを期待していたというのもあるが、ぬるっと始まったなというのが感想。でもナラボートくんが死んだ後くらいからよくなり出した。ナラボートが自殺したらよくなる音楽。ナラボートが栓だったのか。

 

 

 

 

 

7つのヴェールの踊りはオペラ本公演であればサロメが踊りますが、今回は演奏会形式ということで歌手陣は一旦退場しオーケストラのみで勝負。出だしのぶっ飛ばし感(?)はもう少しほしいところではあった。全体的にお上品にまとめていた。媚び媚びよりかは本来の形ではあるのかな。曲半ばmolto espr.の(練習番号Oあたり?)十六分音符(音符の話したくないのだが)の後の休符に心臓を持っていかれました。休符への入り→給付の時間→次の音の流れが綺麗で綺麗で。美しいのだけどなんか不安で。不安というのは表現的な話で音の不安はないよ。体がフワッと浮くような音。もう一回続いたら本当に心臓を持っていかれたね。ここ本当に好きだわ。

 

 

 

 

 

4幕のサロメのアリアのオーケストラ。とても美しかった。外から見るとサロメのやっていることは意味不明なのに、そこに不気味なだけの音楽ではなく、まるで勝利を掲げて帰ってきた英雄のような音楽であったり、美しさに徹したような優雅なメロディラインだったりさまざまな展開を与えたおじいちゃん。とても長い曲ではあるが、歌手を支えつつ、全力で美しい音楽を聴かせてくれました。サロメのレベルが高いからオーケストラも良い演奏ができるんだろうなあ。互いが互いの仕事を全うした結果生まれる最上級の美しさだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

サロメ

口の開け方が綺麗(そこ?)。最近よくみるのは、口は空いているのがけれど唇に力が入ってしまっている人。しかしサロメを歌ったアスミク・グリゴリアンさんは、唇には力を入れずに(ずっと力んでないはけではないが)、口は綺麗に開ける。無理矢理開いているのではなく、自然でありそして歌うことに優れた開け方をしている(と思う)。高音の時の口の開け方も縦に開いていくようで全方向に引っ張るような開け方ではない。その口から出てくる歌声は均等でストレスがないものだった。

 

 

 

 

サロメの役作りとしては、「静かなる狂気」といったところだろうか。あまり表面には出さず、あくまで一定を保つ。宴が嫌なのも、ヨカナーンに会いたいのも、ナラボートにお願いをするのも全て一定。その中に、ちょこちょこ顔を出す、感情表現に惹きつけられた。「Ich verlange von dir den Kopf des Jochanaan.」「Ich fordre den Kopf des Jochanaan!」など首がほしいというところの無機質さがかっこよかった。サロメ王が「だめ!」と言っても一切乱さずに「ほしい。」と繰り返す。「Ich bin nicht durstig〜」「Ich bin nicht hungrig〜」の冷たい歌唱もよかったな。なんで「Ich」から始まるところばかりピックアップしているのか。

 

 

 

 

 

高音から低音まで駆け抜ける必要がある歌とほぼ舞台上にいるサロメの役は相当大変だろう。4幕のアリアもばか長い。しかし、全てをものにしている。音楽が進むに連れて彼女の中にどんどんサロメが入っていくような感じがあった。

 

 

オーケストラのせいもあるが(人のせいにしためだめだよ!)出だしはそれほどでも?と思ったが、オーケストラ同様、ナラボートが死んだあたりからよくなっていった(ナラボートは呪いか?)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カナーン

声の重み、深みともに最高。大きな圧のある声だが、喉周りのストレスは全くない。言葉に感情を乗せずに「預言者」を徹して演じている。P席(ステージ後ろの席)からの歌唱も全くもって距離を感じない。最低音あたりがオーケストラに負ける時があったが、音が上がるに連れて声がメキメキと出てくる感じは聴いていた面白かった。本当の深みを持った低い声が出せる人は貴重。

 

 

 

 

 

 

 

 

ママ

無理のないメゾソプラノ。外国人キャストを並べると少し歌唱が安定しないイメージは受けたが、私が日常で聴けるメゾソプラノとは一線をひく実力は持っている。「Ah! Das sagst du gut〜」の楽しそうなこと楽しそうなこと。ササロメが首がほしいと言った後から終幕までのママの表情がとてもよかったです。勝利した女の顔。品の良さを装いながらも内側でめちゃくちゃガッツポーズしてそう。ママは今度はたくさん歌う役で来日してほしいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘロデ王の息子がサロメヘロデ王なわけです。その娘がサロメなんですね。(大野監督より)

全国のテノールの皆さん!古今東西テノールの皆さん!

聞いてください!これが正しい「強めのテノール」です。あなたたちは「強めのテノール」の仮面を被ったただ押し出し発声テノールです。

 

 

 

 

 

声の粒を揃えたまま力強い歌唱ができる。強いが喉にはかからず、おへその下あたりから天井まで「すかーん!」と抜ける声。ラインを保ったまま、激しい感情表現をする。そこまで振り乱しても発声は崩れないものなのか。言葉一つ一つを客席に届けるのが上手だなあと。この4人の中で、客席に一番近いのってヘロデじゃないですか。いや、全員遠いけどね?強いて言えばね?全員遠いよ?それは知ってるよ?なのでヘロデが微妙だと作品の印象がぼやけるというか掴みにくいというか。結構大事なポジションなんですよ。そんな役を圧倒的な歌唱力で耳を満足させつつ、感情や視覚的にも客席を掴むというのがさすがだなと思います。このレベルの強めテノールはそばに置いておきたいね(?)。

 

 

 

 

 

あ、因みに「強めテノール」という分類はございません。便宜上使ってます。結構わかりやすいと思う。

 

 

 

 

 

ヘロデの最後の言葉を言わないでほしかった。あなたがそこを歌ったらこのオペラが終わっちゃうんだ。歌わないでくれ、帰らないでくれと思ったよ。でも、最後の最後までしっかり芝居ができていて、頭上に掲げた手とそこからの暗転が非常に印象に残っている。ものすごくかっこいい瞬間で、この1つの歌詞にヘロデが何を思っているのか考えさせられる、考えることをしたいと思う意味を持たせる歌唱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日には帰れないことが辛い。

もう一度聴けないものなのか。

美しさで殴ってくるサロメに会いたい。

 

 

 

幸せだった。

シュトラウスおじいちゃんも喜んでいる。(知らんけど)

オスカー・ワイルドくんも喜んでいる。(知らんけど)

 

 

 

 

 

 

このレベルが常に聴ける日常を送っている人々が羨ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で。