2023年11月15日(水)19:00公演
新国立劇場オペラパレス
お世話になっております。
三島でございます。
この日は新国立劇場オペラ公演の今シーズン2番目の演目を観に行って参りました。
作曲家はヴェルディ先生です。最近観ている作品ほぼヴェルディ先生ですね。偉大なるオペラ作曲家です。
この日は天皇陛下がご臨席になるとアナウンスがあり、数分後に陛下がお出ましになりご着席されました。陛下と同じ演目を同じ日に観ることができ光栄です。特に信心深い日本国民ではございませんが嬉しい気持ちになりました。
では感想いってみよ。
大野監督頑張った!
初日。新制作。本劇場オペラ芸術監督が指揮であることを考えればもう少し席が埋まっていてほしいところではありますが公演の出来は素晴らしかったです。やっと芸術監督としてのお仕事を見ることができました。2019年のドン・パスクワーレと同じくらいの満足度です。全演目観ているわけではないですが、新国立劇場で満足したのは久しぶりですね!
大野さん、いい歌手揃えましたね!イタリア出身の歌手多用は強いっす。ボリス・ゴドゥノフ(以下ボリスくん)もロシア出身者多用したらもっと上手くいったかな?ボリスくんもこのレベルでお願いしたかったなあ。
オーケストラさんにはもう少し求めたいですが、おや?、と思うことはそこまでなかったです。まとまりがありました。ただ、歌手と並走しているというより、歌手が前でオーケストラが後ろというような感じで一体感はなかったですね。出だしから民衆が出てくるまでは音が沈みがちでボリスくんのときにもオーケストラの音が上に上がってこないなあ、と感じたのを思い出しました。ただ民衆の場面はオーケストラ元気元気で爽快感がありました。元気がイチバン!
マリアの死の場面(場面というほどでもないが)や最後の総督の死などしっとり悲しさを伝えてほしいところは物足りなさがある。しかし舞台上が素晴らしいので問題はなかったです。2幕のパオロの退場の音楽はなんかしらないけれど、めちゃめちゃ振り切れていてカッコ良かったです。そこ?とは思いますけれど。華やかに去っていきました。
合唱は先日の日生マクベスの合唱がイマイチだったので本公演の新国合唱団の安定感に感謝します。本演出は合唱団がでしゃばらずに背景のような舞台セットに溶け込むような動きをしていました。お芝居要素が少ないのでガッツリ歌に集中できたからよく聞こえたのかな、と思っております。最初の男性合唱の「〜La bella prigioniera, la misera Maria.」のあたりの強弱が美しかったですね。合唱で過去一番ドキッと(いい意味で)させられました。男性合唱が飽和せず全員の声が集まると舞台が引き締まりますね。1幕のおかっぱ集団はちょっと気になったけれど。髪型ー。
照明が美しい
新国立劇場名物お金がない演出かな、と思いましたが、思ったのは最初だけで抽象的な舞台セットが大変効果的な演出となっておりました。
照明の当て方がとても綺麗でした。頭の良さを感じた。これまた新国名物暗い場面歌手のお顔も見えない現象が起こらない!舞台上はずっと暗めですが歌手の顔ははっきり見える。プロローグの赤い照明も大変に美しく、舞台装置の黒と照明の赤が舞台を引き締める。二期会ドン・カルロのせいで黒い壁はトラウマになりそうでしたが新国がトラウマ回避してくれました。ありがたい。歌手のお顔は見せるけれど、足もとや舞台端などはあまり照らさずに余白が多い舞台セットではあるけれど照らし方で余白を見せない。視線誘導が上手い。
歌手の動きも総じてよく、振り付けっぽくなる箇所はほぼなかったです。プロローグでヤコポが音ハメになってしまったときが一箇所あったくらい。何かと遠回りして移動する人たちだなあ、と思いましたが、広い舞台を大きく使うことができていることと、ただ歩いているだけでも様になる歌手が舞台上にいることに感謝。
舞台上に2人以上いるときの距離の取り方が上手で、例えば舞台中央でアメーリアが歌っているとき(シモンがパパだと判明する場面)に、アメーリアの後方にいるシモンのアメーリアを見る表情。このシモンの表情を客席からはアメーリア越しに見ることができます。真実を話すアメーリアと「娘だったらいいのに。」と思うシモンを交互に観るのではなく一本の線で見ることができるのが本当に素晴らしい。かつ、このような動きや立ち位置を一瞬ではなく時間をかけて見せる(といっても数秒かな?)のが本当に良きです。この場面は写真にしたときにもの凄く美しいと思います。新国さん、写真撮りましたか?多分私の席から撮ったら良いよ。
シモンの総督任命の場面で舞台のジェノヴァ国旗色が全面アピールになるのが憎い(褒めてる)。安直といえば安直な気もしますが、総督就任の熱量で国が強調される場面とタイミングが合うので感動しました。突然の国旗アピールにならずに済んでよかった。
富士山逆さまにして宙吊りにしているやつの正体がわからないままなのですがプログラムに書いてあるかな?(プログラム後から読む派の人間です)。後、終幕の黒い太陽と隙間からの眩しいほどの光も新しい時代が明るいのか暗いのかわからない混沌とした現実世界の今を示唆しているのかな、と思いました。スッキリしない感じが良いね!
本演出はこの後、海を渡りヘルシンキ→マドリードと旅をするそうです。気をつけて行っておいで。たくさんの人に愛されておいで。というか所有権は新国なのか?
須藤さんまたも大活躍
須藤さん、本当にお疲れ様です。
昨シーズンのラ・ボエーム(プッチーニ作曲)に続き、歌手日本代表を勤めてくださいました。
イタリア勢(アメーリアはロシア人)に囲まれながらも歌唱面も存在感も全く劣らないです。同じくらい目を惹く存在でした。マルチェッロ(ラ・ボエームより)は賑やかなやつ(?)なので、多少誤魔化しが効きそうですが、本公演は大きな感情の起伏を見せなければお祭り騒ぎしだす役でもないの誤魔化せないですよね。そのような役でも堂々とパフォーマンスできることを思い知らされました。堅実だな。オペラ歌手によくある浮つきというか自惚れみたいなものを感じない。その役として歌っているように聞こえるし見える。大きな聴かせどころはないのが残念ですがしっかり歌えるバリトンです。大事です。
またどこかで出会いたい歌手の一人です。まあ出会うだろうけれど。
日本とは?
(日本人歌手はー、外国の歌手はー、という発言は良い印象を持たれない方も多いですが、西洋の芸術を原語で上演するオペラではこの問題を表面に出していくことが必要と考えます。)という前置き。
素晴らしい公演でした。本当に素晴らしい。
でもカーテンコールのときにズラズラと明らかな西洋人が登場したときに思ったのですよ。
日本の劇場なんですけど、って。
敗北感を味わいました。別に戦ってないし戦いの土俵にもいないのですが悲しくなった。素晴らしいものを観れたことは純粋に嬉しいし文句もない。大変に満足。しかし、ほぼ異国の人たちで成り立っている公演にやるせ無い気持ちになりました。クオリティの高い公演を行うには日本人だけではできない。理解はしていますが改めて突きつけられました。
この抽象的な舞台セットを活かし切れるパフォーマンスが日本人歌手だけでできたのか?そもそもこのレベルの演出を考えることができたのか?絶対意味不明な踊りの場面入れたでしょ?抽象的なセットや舞台上の余白が多い舞台セットの場合は音楽で舞台を埋めなければなりません。というかオペラだから音楽主導なはずだけれど。舞台上に無意味な余白を存在させてはいけない。
藤原歌劇団公演の二人のフォスカリ、二期会公演のドン・カルロと似たような(と言ったら怒られるそうだが)内容の作品を直近で観劇し圧倒的な実力差を見せつけられました。切ない。表に出ないレベルでたくさんの日本人がたくさん活躍していたことを願います。
ではここで一旦更新とします。
歌手の簡単な感想文を別更新で書きます。
つづく。
指揮:大野和士
演出:ピエール・オーディ
シモン・ボッカネグラ:ロベルト・フロンターリ
アメーリア(マリア・ボッカネグラ):イリーナ・ルング
ガブリエーレ・アドルノ:ルチアーノ・ガンチ
パオロ・アルビアーニ:シモーネ・アルベルギーニ
ピエトロ:須藤慎吾
隊長:村上敏明
侍女:鈴木涼子
合唱:新国立劇場合唱団
共同制作:フィンランド国立歌劇場、テアトロ・レアル