三島の見解

古の女子高生

【オペラ】カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師(荒川オペラシリーズ)

2024年3月15日(金)18:00公演

日暮里サニーホール

荒川オペラシリーズ第67回公演

ピエトロ・マスカーニ作曲

カヴァレリア ルスティカーナ

ルッジェーロ・レオンカヴァッロ作曲

道化師

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

この日はヴェリズモオペラとしてお馴染みの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」の二本立て公演の観劇に行って参りました。

www.acc-arakawa.jp

 

 

 

では感想いってみよー。

(以下全て敬称略)

 

 

劇場と概要

劇場は日暮里にあるホテルラングウッドの4階にあるホールでした。キャパは最大約400名とそれなりの大きさです。客席も7割は埋まっていたと思います。思ったよりも集客ができている公演なんだなと思いました。備え付けのいわゆる劇場のイスが設置されているのは後方のみでこちらには段差がありますが、前方は会議室や病院の待合室にあるようなパイプ椅子の上位転換のようなイスでした。段差もありませんでした。ここだけみると体育館みたいでちょっとちゃっちいですが、全体をみると立派な劇場です。

 

 

声やピアノが響きにくい劇場なので反響がないぶん無駄に力んだり、音を強く出したりしてしまう危なさがあるな、と思いました。ピアニストはそのあたりも熟知しているのか、余裕あふれる演奏でがっちり舞台を支えていました。ピアノ伴奏の全幕公演にある程度の抵抗感があり、オーケストラがいないことによる満足度の低さを心配しましたが、特に問題なかったです。もちろんオーケストラ伴奏で聴けるとに越したことはないですが、作品の魅力を十分に引き出す雄弁な演奏と頼りがいのある技術で舞台の立体感に一役をかっていました。作品を選ぶとは思いますがピアノ伴奏でも聴けるものですね。

 

 

歌手個別の感想はこの後別で書きますが、全体の印象としては歌手は予想通り力みがちの歌唱となっておりました。環境がよろしくないところで歌うといかに基礎が根底がしっかりしているかがわかります。

 

 

作品で歌手のクオリティに大きな差がありました。道化師チームは一応オペラ歌手としてのパフォーマンスを披露してくれましたが、カヴァッレリーアチームは学生レベルだったというのが正直な全体の感想です。道化師はオペラをオペラとして公演するラインには届いておりましたが、カヴァッレリーアはただ歌っているだけでした。譜面から音を起こしたところで終わっている。二本立て公演ではなく道化師チームの公演の前座のカヴァッレリーアチームみたいになってしまったのは残念です。カヴァッレリーアチームの方が若手だったのかな?フレッシュとベテランみたいな?事情は知りませんが、二本立てなら同じくらいのクオリティでお願いしたいです。

 

 

合唱は区民の集まりなのでしょうか。みなさんが楽しんでお芝居されていたりお歌を歌っている姿はとても素敵でした。手の込んだメイクや髪型は舞台にかける思いが伝わります。純粋に正面から向き合っている姿が美しいです。芝居はとてもお上手です。歌唱面でのことを言えばキリがありませんが技術的な目標を持って歌っているわけではないと思うので差し控えます。

 

 

では作品ごとの歌手の感想を簡単に書いて終わります。

 

 

カヴァレリアチーム

 

サントゥッツァ(古志祐香)は完全な喉発声でした。声に芯がないのでお歌が安定しない。喉だけの発声のせいでコントロールが行き届かずほとんどの音がハマってない。だいたい低い。中音域で喋るように歌う部分は母音が短く無駄にリズミカルになってしまっていた。母音の長さが保てないことはほとんどの日本人歌手の課題ですね。すぐに次の子音がやってくる気持ちはよくわかる。

 

高音は広げて出すようなことはしないし声が出ていないわけではないけれど、喉発声のせいで頼りない声が弱々しく聞こえるくらいで美しくなかった。天井が低いまま無無理矢理高い声を出すから天井の重みで声が伸びないし音が潰れる。ほとんど出番はなかったが低音域に関しては良いポジションで歌えており、ソプラノによくある押し出すような歌い方はせず力が抜けた状態で歌えているように聞こえた。この技術を持っていることを考えるともっと歌える人なのではないのでしょうか。口角が常に横に開いているのもお歌が安定しない原因の一つですね。

 

 

とんでもない口の開き方でなぜか上手に歌える歌手もいますが、まあ忠実に守っていく方が近道な気がしますね。

 

 

トゥリッドゥ(内田吉則)は舞台袖から歌っていた最初の最初の曲(「O Lola ch'ai di latti la cammisa〜」)は何を言っているのか、何を歌っているのかわからない仕上がりでしたが、実際に舞台にでてくるとまあまあ聞けるお声とお歌ではありました。口周りに無駄な力がないことはサントゥッツァという明確な比較対象がいることでわかりやすかったです。後半にいくに連れて安定感が増してきたのはよかったです。しかし、小さい声で歌う部分ではただの小声になってしまいました。響かないのは劇場のつくりも関係していると思いますが、根底の発声技術が足りない気がします。小声で響かせることができるかはオペラ歌手の技量がよくわかる部分ですね。お持ちの声は良いと思いますが、それだけにならないように頑張ってほしいです。

 

 

アルフィオ(寺西丈志)もお持ちの声は良いです。明るい声です。ただ声だけが先行してしまい完全なるのど自慢大会が開催されていた。声を無駄に広げて歌っている印象。もっと焦点を集めて歌った方が良い。フレーズの流れがないので、音ごとにボコボコしてしまい良い声では解決できない感じになってしまった。

 

 

ローラ(高津有里)はとても上手でした。この役だけだと歌手としての魅力がわからないから他でも出会いたいですね。

 

 

で、問題はなぜ芝居ができない人たちがこの作品をやっているのか?ということです。芝居要素大事じゃね?トゥリッドゥ(内田吉則)はまだ動けていた方ですが、他キャストは歌うのに精一杯というところです。物語を知っているし字幕もあるので内容は分かりますが、音楽と舞台上が一致しないことをどう受け入れればいいのか分かりませんでした。

 

 

 

 

 

道化師チーム

素晴らしい歌手が一人いました。カニオを歌った新後閑大介です。正直このレベルの歌手がこの公演に出演しているとは思っていなかったので驚きと感動で踊り出しそうでした(迷惑)。久しぶりに本物に近いオペラ歌手に会いました。

 

 

プログラムのプロフィールを拝見する限りイタリアのご出身ではなさそうですが、イタリア語ネイティヴに求めたい母音の明るさを持っていました。なぜ?イタリア人しかできないと思っていたのにこの人はできている。後天的に得られるものなのか。どうやって習得したのか是非伺いたい。母音が明るいことによりイタリア語がクリアに聞こえます。決してネイティブ発音ではないですが、音に乗っかる母音のはまり具合が心地よいです。

 

 

口の中の空間が広いことがわかる歌い方です。よく開いている声です。「i」の母音はかなり硬めだけれど口の中に空間の余裕があるから声が詰まるように聞こえないし平べったい音にもなりません。口の中の広さがあればある程度の発音のブレは誤魔化せるのだと学ぶました。日本人の課題「u」の母音は単語によってばらつきがあり深いときと浅いときがありました。「u」のクオリティが上がればさらにイタリア語の響きがよくなると思いました。

 

 

また、発声元が口ではなく鼻上というか眉間あたりの位置になり、いわゆる顔面に声を当てて歌うことができている方でした。この発声方法を言葉のまま顔面に当てるように歌うだけだと、ただの顔面衝突事故になりキンキンした声になってしまうだけですが、新後閑大介は上で書いた通り、母音の明るさと口の中の広さがあるので眉間から声を出すように歌っても衝突事故にならずにほしい響きを出せていました。聞いている側が気持ち良いくらいの声の通りと響きと深みでした。

 

 

歌唱に余裕があるからかお芝居のクオリティも高いです。カニオの葛藤が音楽によく乗っていおり、芝居と音楽の相乗効果を歌で届けるということができていました。素晴らしいです。芝居掛かった歌い方をしても無理がなく、響きが落ちることもないので安心して聞けます。だんだん舞台上にいないことに不安になってきていしまい、カニオがずっと歌っていればいいのに、と思ってしまいました(話変わる)。気迫があるお芝居が最高に良かったです。後、殺し方が上手だった。プロフィールを読むとレパートリーのよう(以前に歌った経験がある)なので慣れもあるかもしれませんが、素晴らしい仕上がりでした。ありがとうございました。

 

 

是非オーケストラ伴奏の全幕オペラでお会いしたいです。プロフェッショナルなキャストに囲まれた時にどこまでパフォーマンスができ、上手な人が隣にいる状態で引け劣らないか聞いてみたいものです。

 

 

 

ネッダ(宗田舞子)は日本人ソプラノのとしては珍しく中音域のラインと綺麗がありました。中音域に無理がなく発音と発声が両立しているお歌を聞けるのは嬉しいです。しかし高音域はピャーピャー系でした。中音域の安定感はどこへ?高い声が出ないわけではないけれど、とりあえず音を出しているようなレベルの歌い方でした。カヴァッレリーアチームのサントゥッツァよりは上手ですが。比較するのもよくないよね。「鳥の歌(Stridono lassù)」は本当に歌っていたのか不安なくらい中身がなかった。歌ってなかったのかもしれない。高音を伸ばすときに体のポジションを決まった位置にしないと出ないのか体勢を固定してから歌うのでその部分だけリサイタル形式になってしまうのは作品を壊しているしせっかく動ける人(芝居が上手)なのにもったいないですね。

 

 

残りのキャストもややのど自慢大会ではありましたが、よく動ける方たちだったので見ていて楽しかったです。

歌が上手な人を動かすより、動ける人の歌を向上させていく方が早いと思っているので、これからも頑張ってください。

 

 

 

以上です。

 

 

カニオが本当に上手だった。

ありがとうございました。

 

 

 

おしまい。

【バレエ】パキータ(日本バレエ協会)

2024年3月9日(土)18:00公演

東京文化会館大ホール

公益社団法人日本バレエ協会公演

2024都民芸術フェスティバル

パキータ

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

この日バレエを観に東京文化会館へ。

なんでもいいからバレエが観たいと思いチケットを購入。

パリオペショックから抜け出せずにいたら一ヶ月も経ってしまいました。

パリオペショックはこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

 

それでは感想いってみよー。

(以下全て敬称略)

 

 

 

本日のパキータ

演目はアンナ=マリー・ホームズによる演出・振付でお送りする世界主演のパキータです。そもそもこの作品は、最後のお祝いの場面のみ上演される機会が多いですが全幕が上映されるのは珍しいそうです。

 

 

開演前に日本バレエ協会さんから舞台上でのご挨拶がありました。挨拶の中で今回の演出・振付のアンナ=マリー・ホームズと演出補のリアン=マリー・ホームズ・ムンローが登場し今回の演出についてや注目ポイント、マイムの説明がありました。

 

 

ストーリーに重きを置いた演出とスピーディーな物語展開になっているということでした。実際に幕が開いてみると物語に比重が置かれていることがよくわかりました。ただ物語を重視しているだけではなく、物語を客席に伝えることにも長けているように感じました。パキータとリュシアンが出会う瞬間はピンスポット(照明)で2人を照らし視線が他に行きにくいようにしており、安直ではありますが最大限の効果を発揮していたように思えます。また、メダリオンの大きさがやや大きめでした。プロローグでメダリオンと共に放置された赤ちゃんと1幕のパキータが腰につけているメダリオンが一致するので、「主役どこ?」「パキータどれ?」といった状態を防げます。上演頻度が少ない作品や新演出でどのように登場するかわからないときにキーアイテムになるものがあると理解を助けてくれますね。

 

 

 

開演前にマイムについての説明があったことも物語の理解度を上げることができよかったです。この演出のオリジナルマイムだそうです。(聞き間違いだったらすいません。)説明がなくてもわからなくはないですが、演出側から正解を教えてもらった状態で観劇ができると心が楽ですね。意味を考えるのも楽しいですが、この日は純粋にバレエを楽しみたかったので説明はありがたかったです。

 

 

メダリオン」のマイムでバレエダンサーの手の綺麗さを味わうことができたり、「戦士」のマイムがちょっとカッコよかったりとお得なマイムでした。ただ、物語のわかりやすさはありましたがマイムの時間が多過ぎた気もします。「いつまで喋っているの?」という気持ちになったのは嘘ではない。

 

 

開演前の説明にあった通り(パンフレットにも書いてある)、お祝いの場面(2幕3場)までの進行は大変にスピーディーでした。私はスピード感がある演出や作品が好きなので、私の好みと完全一致した演出で嬉しかったです。スピーディーといっても、ただ速いだけではなくキャラクターの心情がしっかり乗っかっているのでキャラクターやバレエダンサーがスピードについていけていないような印象はなかったです。客席は好みがあると思うので速くて辛かった人もいるかもしれません。ただ私は好き。

 

 

 

オーケストラに関しては、そこまで書く事は無いので、こちらで2、3個。まず、音楽が聞こえてくることに大きく感謝いたします。特別どこが良かったということは無いのですが、安定した音楽が続いていたということと、フレーズや曲ごとののメリハリがあり、柔らかいところは柔らかく鋭いところは鋭くといったような音楽表現があったかなと思います。2幕2場の弦楽器がちょっと物足りないというか、もうちょっとたっぷり演奏してほしいなと思いましたが、オーケストラの全力お祝いモードは良かったと思います。ジャパン・バレエ・オーケストラはバレエ協会が発足したオーケストラだそうです。劇場付きや団体付きのオーケストラとまではいかないですが、バレエ音楽への理解が深い団体なのかなと思いました。専属って難しいけれどこのような団体がそれだけで職業として成立し、増えていけば業界の未来は明るいですね。難しいですね。

 

 

 

以下幕ごとの感想。

今回は特に注目しているキャストがいなかったので、数行だけ幕ごとの感想を書いて終わります。

 

 

 

1幕

女性陣の衣装が可愛いものが多く全員の衣装にある程度は手がかかっているように見えました。オペラでペラペラのお金ない衣装に見慣れているのでお金がかかってそうで感動しました。どの衣装も濃い色を使っていてはっきり見えるのがよかったです。パキータの友人たちのうち2人が着ていた青(紫がかった濃い青)の衣装がとても好みでした。椿姫もそうですが、バレリーナが着るオフショルダーの衣装ってなんであんなに可愛いのでしょうか?また髪型も引っ詰めお団子ではなくハーフアップやポニーテールにしていて可愛いだけでなく踊るときに髪が揺れるのが美しかったです。

 

 

 

リュシアンが登場の際の圧倒的主役感に安心と感動と感謝の気持ちがありました。あんなに楽しみにしていたパリオペ公演で味わえなかったものをリュシアン(厚地康雄)が1人でやってくれている。リュシアンは舞台後方から歩きながら登場するので存在感がなければその他大勢に紛れてしまいますが、キラキラ度合いが明らかに他と違い隠し切れないオーラ(隠すな)が出ていて大変にありがたかったです。お祝いの場面までほとんど踊りませんが華やかな容姿と歩き方や手の動かし方がとても美しく踊らなくてもバレエダンサーというのはこういうことなんだと改めて感じました。

 

 

 

パキータの友人4人を含む主役以外の踊りのレベルも安定していて気になる事はそれほどなかったです。踊りと物語に集中することができる技術レベルに感謝します。このレベルが「当たり前」な気がしますがなかなか贅沢は言えないのでね。パキータの友人の中で1人だけ笑顔が自然な方(多分、吉田まい)がいました。貼り付けたような笑顔で踊るバレリーナがあまり得意ではないので、この方の不自然ではない笑顔にとても好感が持てました。4人の踊りは技術面での差がそこまでなく、派手さは無いけれど安心して見れる心地よい踊りでした。意識がつま先や手先までいき届いている踊りは美しいですね。この踊りがもっと大きな表現につながっていけば良いなと思います。オーケストラがたっぷり演奏しているのに振りが先に終わっちゃうような感じは常にがあったので、後0.01秒でも音楽をたっぷり使えると見応えが増します。

 

 

 

肝心のパキータ(上野水香)です。表情がとても豊かで可愛かったです。コミカルだけれど面白くなりすぎない表現が素敵です。物語のスピード感に乗っかりコロコロ変わる表情が心情変化をわかりやすく表していて、舞台の立体感に貢献していました。踊りに関してはやや不安が残る踊り方だなと思いました。手の使い方はとても綺麗で美しいのですが、足(下半身)の使い方がその手の美しさについていってないような違和感を持ちました。手と足が別の人のような感覚です。回るときに回転数に関わらず軸足の頼りなさが気になりました。軸足が地面にきちんとついていないように見えました。また回転の終わりの降り方があまり美しくなかったです。最後の最後まで意識を保てていないように見えました。踊りについては両手を挙げて喜べないです。

 

 

パドマタドールの踊りが一番気に入りました。1回だけ背中を大きく反らせる振付があったのですが、背中のラインがとても綺麗でした。また足裏を地面につけた状態で4番ポジションで体を屈めて自転する振りがありましたが、ただ腰が曲がっている人にならず美しい振りにきちんと昇華できるのはさすがバレリーナだなと思いました。

 

 

男性陣の集団の踊りはジャンプの着地の位置や方向のバラバラさは気になりましたが、女性陣の集団は比較的揃っていたので満足です。

 

 

 

2幕(祝いの場面以外)

ほとんど踊りの場はなく、マイムを用いての物語進行に特化していたと思います。リュシアンが腰に剣を所持していないことに気づいて素手で戦う練習をするためにシャドーボクシングのようなことをしたり、寝たふりをしているのがバレそうになって急いで元に戻ったりする姿がかっこいいのですがとても可愛かったです。シャドーボクシングは繰り返しパンチをしていたので「長くね?」と思いましたが、ファンサービスですね。1幕のパキータ同様、面白くなりすぎずバレエの範囲を出ないレベルでのコミカルさは良いですね。

 

 

パキータもとても可愛く、リュシアンに暗殺計画を伝えたり、睡眠薬が入ったコップをすり替えたり忙しそうにしておりました。メダリオンを見つけて隠していたイニゴ(寝てる)をパカパカ殴るお芝居が可愛すぎました。踊る場面がほとんどなかったので、そこまで気になる事はなかったのですが、椅子の背に手をかけて後ろに足を上げるときに、上まで均等な力加減であげるのではなく1カ所何かを超えるようなテンションがあったように見えました。

 

 

その後、ドン・ロペスと王子が剣で戦っているのに、何故か一緒に戦い出すパキータとドン・ロペスが捕まった後、剣を取り上げられるパキータが可愛かったです。ひたすらパキータが可愛くて好きな演出です。デルヴィリ伯爵夫人とメダリオンを見せ合いながら「一緒だねー。お揃いだねー。」とやりとりをしている姿もとても可愛かったです。デルヴィリ伯爵夫人とパキータのハグに泣いた。

 

 

 

お祝いの場面

最初に出てきた小さいバレリーナ達がとても可愛いです。みんな同じようなレベルに見えますが、よく見てみると手の使い方や体の倒し具合に差があり、これぐらいの歳でも上手下手がわかれるのだなと思いました。ただまだ小さいのでこれから成長するかもたくさんいるでしょう。とにかく小さいバレリーナ達の未来が明るいことを祈ります。

 

 

リュシアンの踊りは素晴らしかったです。前にあげた足が美しい。すっと伸びていました。ジャンプしながら、空中で開脚をする振り付けでは、ジャンプしている最中にさらに足が開くように見えました。空中滞在時間に何かができるのは意味がわかりません。凄過ぎます。この場面までほとんど踊らなかったのがもったいないです。踊りまくる作品を観にいかなくては。隙のない完成度の高い踊りをありがとうございました。

 

 

 

女性陣は衣装がクラシック・チュチュになりました。何が言いたいかというと、1幕で半分隠れていた足が見えているということです。髪もきっちりとまとめたので、なんというか、ボロが出るというか、この場面だけ見たら満足度は下がりますね。踊りに大きさがないのをスカートや髪のひらひらでごまかしていましたが、それがなくなるので全部バレちゃうような感じでした。もちろん丁寧ではありますが踊りに硬さがありました。かっちり踊りたいのかなと思いますが、硬いかっちりって違うからな。アチチュードの高さが低い方や、滞空時間の短さが気になりました。集団の振付は揃っているのは良い。

 

 

 

パキータはこの場面は調子よかったですね。高速回転のときは安定した軸がありましたし何より全体的に華やかでした。テクニックでどこがすごいということはなかったです。ただ、大きくまとめることができるのは良いことです。小さくまとめるのはみんなできるんだけどそれだと舞台が余っちゃうので、真ん中でポーズをとるだけで舞台の四隅まで埋めるような技術というか存在感は素晴らしいです。

 

 

 

 

以上です。

 

 

 

良い公演でした。

パリオペショックでバレエを楽しんで見れなくなるかと思いましたが無事に克服できました。

全力で拍手したし、拍手する気が起きないような踊りもなかった。

高品質の公演ってやっぱりいいですよね。

 

 

日本バレエ協会さんありがとうございました。

これからも頑張ってください。

 

 

おしまい。

【リサイタル】マキシム・ミロノフ テノール・リサイタル ジャパンツアー2024 ベルカントの宝物

2024年2月18日(水)14:00公演

浜離宮朝日ホール

マキシム・ミロノフ

テノール・リサイタル ジャパンツアー2024

ベルカントの宝物

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はキットカット抹茶味大好きおじさんことマキシム・ミロノフさん(以下敬称略)のリサイタルに行って参りました。

 

2019年の新国立劇場公演「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ作曲)でエルネストを歌ったときに聞いたのが最後なので約4年ぶりです。

 

このツアーは京都・東京・名古屋の三ヶ所で行われ、リサイタルとは別に名古屋にある大学で公開レッスンもあるそうです(19日)。私は東京公演のみ訪問。スケジュールが出たときは一緒にツアーする気満々だったのですが、1月に奈良に行ったので燃焼してしまった。

 

それでは感想いってみよー。

 

 

ベルカントの王子様として

舞台映えする容姿は素晴らしい。ロジーナが容姿込み好きになるアルマヴィーヴァ伯爵の誕生です。

 

背が高く背筋が伸びていて見た目はかなりスマートです。こちらを見なければ大変シュッとしていらっしゃいますが、舞台から客席を見る顔はそんな立ち姿と相反して可愛らしいです。初めて舞台に立ったような初々しさに似たものがありました。変にこなれずに新鮮さを保ちながら最後まで歌うことができるのも才能ですね。入場・退場の足音がうるさいのが面白かったです。ちなみにピアニストのザッパさん(以下敬称略)の足音はうるさくないので、ミロノフの歩き方の問題なのか、ミロノフの通り道だけ床が悪いかです。男性歌手なので(?)衣装チェンジはなかったです。ザッパが着ていたシャツのカフスボタンがキラキラしていたのがオシャレでした。見間違いじゃないといいな。

 

 

歌唱面に関しては安定感はある。ただその安定している場所が理想とする位置とはいえない気がしました。危ないところで安定しているような不安さが拭えず。どのような音でも音型でもポジションを保ったまま歌うことができる。特に口周りの筋肉や唇の使い方が綺麗でした。(最近、私は歌手の口元を見るのにハマっています。)口角を一定の位置でキープしており上唇はほぼ動きません。動かないけれど無理に力を入れて押さえているのではなく適度な緩み具合を保ったままキープしていました。また下顎(下唇)もゴトっと下がるようなことはなくリラックスした状態で歌えていることがよくわかりました。細かい音型のときに口の形が崩れるときがありましたが、お歌には支障なしでした。

 

 

そんな素晴らしい口のポジションとは裏腹に声の硬さが気になりました。今までの印象は柔らかい声の中に一本の芯がブレずに立っているような印象でしたが、今回のリサイタルでは芯が必要以上に太くなっているような気がしました。お持ちのお声に対してキンキンするな、感じた事はありませんでしたが、オペラではなくリサイタル、オーケストラではなくピアノ伴奏で聞くとキンキンしているように聞こえ、そのせいでミロノフの唯一無二な柔らかい声を存分に味わうことができませんでした。響きもあることはありますが、ふわっと会場を包むような声ではなく、豪速球で飛ばしてくるような響きで、声質の甘さとキンキンする音色とスピード感のある響きが一致せず頭が混乱しました。

 

 

お得意のロッシーニ先生の細かく速い音型。リンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Languir per una bella」)は手が動きすぎて手が歌っているのかと思いましたが、手を動かしていた分上手に歌えておりました。コロコロ転がしてこそのミロノフ。素晴らしいです。逆にプログラム後半に歌ったリンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Concedi amor pietoso」)の細かい部分はギリギリ流れなかった、何とか歌いきれたと言うようなレベルであまり美しい歌い方ではありませんでした。

 

 

高い音をのばすときに顔をくしゃくしゃ(言い過ぎ?)にしていたのが気になります。鼻にシワが寄る感じです。顔に力を入れている割には声自体は力まずに出ているので、その顔のくしゃくしゃやめてもできるんじゃね?と思いました。高音域が売りのミロノフなのでこれから先も安定してお届けしてください。

 

 

表現力の乏しさ

オペラアリアと歌曲を歌うときの表現力に差がある。特にアルマヴィーヴァ伯爵やリンドーロは歌詞の内容と表情が合わさって楽しめるけれど、歌曲は表情の作り方や表現方法が一本調子で大枠で捉えて歌っているように感じた。暗い歌詞だから暗い表情みたいな単調さが気になりました。

 

もちろんお歌の強弱表現でやりたいことはわかったけれど、お歌で表現できるならそのまま歌えば良いのにというのが正直な感想です。その価値がある声だし声の良さで勝負ができれば一本調子大歓迎ですよ。

 

アンコールから1曲。課題曲の「Non ti scordar di me」です。こんなに何もない「Non ti scordar di me」は初めて聞いた。いい声!いい発声!だけではカラオケになってしまう。ベルカントの人が無装備でベルカントから出たときに何が起こるかが体現されました。

 

 

 

得意不得意

歌い始めて「本当にドイツ語?」とプログラムを確認してしまうくらいほわほわドイツ語でした。

 

まず「ü」の質がバラバラである。前の子音に影響を受けているせいなのか「i」になったりなんとか「ü」になったりしていて発音の安定しなさにびっくりしました。

 

次に(定)冠詞が強調されすぎていました。当てられている音の高さの問題でしょうか?無駄に強調される冠詞はこんなに品質を下げるのかと、お勉強しました。ネイティブ以外あるあるな気がします。

 

最後に、単語終わりの「n」に「e」がくっつく癖があるのが気になりました。「ne」になってしまうということです。最初は「n」を強調したくて歌っているのかと思いましたが効果あるのか?言葉を間違えただけかな?

 

ドイツ語になると音楽の流れがガタガタになるのも気になりました。だから上で書いたような冠詞の強調に繋がってしまうのかもしれません。ドイツ語で歌うことの難しさを改めて感じました。ベルカント極めていてもドイツ語になったらベルカントで培った流れの綺麗を持ち込めなくなるのだなあ、と。ミロノフに関しては別にドイツ語で歌わなくてもいいじゃん。他に歌うものいっぱいあるじゃん。なのになぜわざわざ歌ったのか疑問です。

 

フランス語の鼻母音ほぼ消滅していたのは見逃すよ。単語終わりの「e」の発音は綺麗だった。

 

ベルカントとイタリア語の発音の性格さはセットだと品質が格段に上がるということを再び学びました。ミロノフはイタリア生まれイタリア育ちではないので、イタリア語の発音を求めるのはお門違いな気もしますが、ベルカントの王子様であることを考えるともう少しはっきり発音してほしいところです。今回は語末の「e」の処理の甘さが気になりました。独特な発音の仕方。力を抜いているような音に聞こえました。力み過ぎてぺしゃんこな音を避けるための脱力だと思うのですが、悪目立ちしてるように聞こえました。

 

 

素晴らしいベルカントの歌い手ということであれば、発音の明確さや母音の明るさを求めたいところです。ただ、発音の明確さは訓練でどうにかなっても、母音の明るさは天性的なものですよね。苦しいところです。逆を考えるとミロノフレベルのイタリア語であればイタリアの歌劇場で通用するということですね(発音のみ)。これは希望がもてる!

 

 

ジュリオ・ザッパ

最後に触れておきましょう。ミロノフにピッタリ寄り添い派手さはないが的確な伴奏を披露してくれたザッパ。あなたの大きな愛がミロノフの音楽を包んでいました。頼って良い伴奏者がいるって素晴らしいよね。共闘してるような組み合わせも聞き応えがあっていいのですが、ザッパのピアノ演奏は落ち着きます。癒し。

 

ミロノフのロシア歌曲のCDの伴奏が大好きです。このCDを引き下げてツアーしてくれればいいのに。でもそれだとベルカントの関係者が来なくなっちゃうのかな?ソロも大変に聞き応えがありお決まりの伴奏から独奏までなんでも弾けますけど?といいたいようなポテンシャルの高さを見せてくれました。ありがとう、ザッパ。

 

最後に

正直な感想を書いた通り疑問の残るリサイタルではありました。その分学びは多かったですが。

 

ただ、ベルカントを極めることの大変さはよくわかります。なんでも歌うことができる人の方が注目を浴び評価されやすいですが、明らかにベルカントを極める方が大変です。誤魔化しが効かないからな。流れが切れたときに誤魔化す術がない。ベルカントを極める姿勢とこれまでのキャリアには敬意を表します。

 

 

以上です。

 

ミロノフ好きなんですけどね。

好きなものに常に好きだといえない世界だ。

それくらい声楽の技術は脆い。

 

オペラの一役で観るくらいがちょうどいいのかな?

 

思っている以上に「ü」は誤魔化せない。これは習得するしかない。辛い!

 

 

ミロノフへ

日本に来てくれてありがとう。

ロッシーニ先生のテリトリーから出ちゃダメだよ。

 

おしまい。

【バレエ】白鳥の湖(パリ・オペラ座バレエ団2024年日本公演)

2024年2月10日(土)18:30公演

東京文化会館大ホール

パリ・オペラ座バレエ団2024年日本公演 

ピョートル・チャイコフスキー作曲

ルドルフ・ヌレエフ振付

白鳥の湖

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はパリ・オペラ座バレエ団(以下パリオペ)の白鳥の湖を観に東京文化会館へ行って参りました。

 

コロナじわじわ期の来日公演ぶりのパリオペでございます。2020年の公演の際はギリギリまでチケットを販売していた記憶がありましたが、「白鳥の湖」に関しては早い段階で完売しておりましたね。「白鳥の湖×パリオペ」は強いのか。

 

念願のヌレエフ版白鳥の湖での観劇です。また、オニール八菜さんのオデット(オディール)とジェルマン・ルーヴェさんの王子は2022年の東京バレエ団公演で観劇しており、版が違えど同じペアの観劇ができて嬉しいです。

 

 

では感想いってみよー。

 

 

まず、

来日してもらっておきながらこのような感想を持つことに多少の申し訳なさを感じておりますが満足のいく公演ではありませんでした。感想を書くことも苦しいのですが、行動記録は大事なので軽く書いおきましょう。

 

 

 

原因①コールドのばらつきが気になる

揃っているように見れば揃っているように見えるのですが、つまり、揃っているように見てあげる必要がありました。

 

 

1幕のワルツでは男性陣のジャンプからの着地した体の向きがバラバラでした。男性陣に限らず全員バラバラしていた記憶あります。体の向きや手の下ろし方(スピード)が揃わないし、女性バレリーナをリフトから下すのときも1人だけ遅いということが起きてました。乾杯の踊りは揃っていましたが。2幕の小さな4羽の白鳥の踊りは動きは揃ってましたが、パ・ド・シャを4回するところで1回目より2回目、2回目より3回目とどんどん高さが下がっていってしました。揃っているだけにもったいなかったです。4幕の白鳥たちは全員で端に移動するときの振付に1人だけ立つタイミングを間違えた方がおりました。1人だけ床に伏せたままでした。カウントを取り間違えた「だけ」だとは思います。それだけですが、そのようなありきたりなつまらないミスをパリオペでは見たくなかったです。

 

 

 

海外の名門バレエ団が来日するということで期待値を上げ過ぎた気もします。観劇前に「パリオペ 現在 レベル」とか「パリオペ 古典 レベル」とかで検索かけておくべきだった。

 

 

原因②真ん中3人の存在感のなさ

終始暗い照明のせいなのか、オデット(オディール)・王子・ロットバルト(家庭教師)もパッとせず。凄まじい華やかさを期待していたので存在感のなさに悲しくなりました。特にロットバルト(家庭教師)はオデットでも王子でもないけれど「その他」ではない。ヌレエフ版だからこそのアプローチを楽しみにしておりましたが、全く主張してこず何をしているのかわからない。私がヌレエフ版初見だったら、「お前はなんだ?」とツッコんでいたでしょう。ちょろちょろしているだけといえばそれだけなので、そのぶん歩き方や手の出し方など所作の美しさを求めたいところです。それこそオディールも王子も食べちゃってロットバルトしか記憶に残らないくらいの勢いで来て欲しいのですが。

 

 

オデット(オディール)と王子にもつい追いかけてしまうような存在感はなく、どの場面もただこなしているだけのように感じました。もちろん踊りが一流なのでそれでも成立するといえば成立しますが、それ以上を見たいから劇場に行ったわけでございまして。そんな踊れているだけでいいなら誰でもいいわけでございまして。

 

 

オニール八菜さんは2022年や京都バレエ団との共演のときに感じた圧倒的な存在感は薄く、パリオペの団員と一緒にいると埋もれるな、という印象を受けた。真ん中にいるのに埋もれるの。どこにいても常に発光できるというのは難しいことなんだなと思いました。全員がエトワールになれるわけではないけれど等しい採用基準(推定)のもと同じ団体に所属しているわけで、全員が存在感があるのでそこからさらに輝くというのは大変でしょう。マチュー・ガニオは大丈夫だけれど。(ガニオさんは自家発電しているから照明落としても光っていると思う。)役を邪魔するレベルでキラキラできるくらいがちょうどいいのかもしれない。つまりガニオさん最強。

 

 

 

原因③オーケストラの音

これは来日楽団ではなく我が国のオーケストラなので逆に謝らねければいけないかもしれないばい。

全員体調不良か?

 

 

 

良かったところ

オデットは王子にとってちょうどいいオデット設定にしており、版によってここまで違うのかと驚きました。オデットから意思や感情を強く感じることはありませんでした。もちろんロボットように踊っているわけではないので悲しんだり王子と出会えて安心しているような雰囲気はありますが、何かのフィルターを通して見ているような感覚がありました。

 

オディールは全く王子に興味がなく、ロットバルトに雇われて王子を誑かしているような表現。手を差し出したオディールの手に王子が触りにいく振付は「お前こういうのが好きなんか?」と言いたげに何度か繰り返していて面白かったです。3幕でオデットが背景の後ろに映し出されたのをよく観察し、その後の振付で「こういう感じだったな。」と真似をして学習能力の高さが見えました。

 

 

ジェルマン・ルーヴェは束の間の2番ポディションが綺麗だな、と思いました。男性陣の脚力やジャンプ力がよくわかった公演でありましたが、やはりエトワールです。踊り出すと他と違うのがよくわかります。一つの動作に対しての通り道がとても美しいです。パッセからアラセゴンへの動作はどの瞬間を切り取っても変な写真にならないでしょう。瞬間瞬間が美しいです。ジャンプも安定感と跳躍力があり軽々と飛びます。また、着地のときのポジションの綺麗さもありますが、一番好きなのは着地が静かなことです。他バレリーナの足音が気になることが多かったのですが、ジェルマン・ルーヴェは静かに丁寧に着地します。3幕の花嫁候補との踊りで後半部分に一人ずつを軽く持ち上げるときに片腕を回すだけでフワッと花嫁候補たちが浮いてしまうのが最高に素敵だった。メランコリーな表情も大変美しく、踊らなくても価値があるなと思いますが表情豊かに踊る方がお得感がありますね。これはヌレエフ版だからしょうがない。

 

 

3幕の各国の踊りは床を削り倒す勢いで足裏で床を使っておりトゥシューズを履いている時との差が楽しめました。

 

 

チケットを買うことができて楽しみにしていた公演でしたが、正直に言えばチケット代の価値はありませんでした。安価な席で見たならばこの感想でもいいのですが、まあまあな良席を購入したのです。良い席で見ても面白くないときは面白くないのだなあ、とお勉強。思い返すと前回の来日の「オネーギン」観劇後に追いチケする予定でしたが見送りました。作品の問題ではなくもう1回観たいと思える仕上がりではなかったからです。当時の感想は良いところを拾って書いた気がしますが。

 

 

私はパリオペに所属する個人が好きなだけであってパリオペという団体は好みじゃないのかもしれない。めんどくさいお客様ですね。個々が出稼ぎで来日する公演くらいがちょうど良いです。

 

 

来日公演というお祭りでどこまで実力を発揮できているのかわかりません。これが完全体なわけがない。現地で観て初めて価値がわかると思います。誰かパリ行こうぜ。

 

 

 

ということでした。

この状態でマノンはしんどいので見送りました。

マノンが素晴らしかったことを祈ります。

 

おしまい。

【オペラ】ドン・パスクワーレ(新国立劇場)

2024年2月4日(日)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ガエターノ・ドニゼッティ作曲

ドン・パスクワーレ

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

2月3日の「エウゲニ・オネーギン」(チャイコフスキー作曲)千秋楽公演から「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ作曲)の初日へ訪問。ロシアからイタリアへ移動です。

 

 

喜劇作品を見るのはいつぶりかと遡りましたら2023年2月に「セビリアの理髪師」(ロッシーニ作曲)を観たのが最後でした。約1年ぶりの喜劇です。オネーギンからドン・パスクワーレは差が大きすぎて朝から変なテンションで活動し昼に劇場へ参りました。

 

 

 

それでは感想いってみよー。

 

 

 

掌握

タイトルロールのパスクワーレさん(ミケーレ・ペルトゥージさん)が強い。

 

 

幕が開き、パスクワーレさんが登場した瞬間から客席全体をつかみにきます。「私の家にようこそ!」と言うかのようなウィルカム体勢。招聘歌手をお迎えするはずなのに何故か招聘歌手に迎えられている事態。目を引くような動きをしているわけではないのですが、存在感の強さで一気に惹きつけます。舞台はパスクワーレさんのお家なのでこのような歓迎体勢で始まるのは楽しいし嬉しいです。

 

 

舞台上にいるときの視線の使い方や動作が客席を意識しており、客席にオペラを見せているというより客席と一緒にオペラを上演しているような巻き込みを感じました。弄ばれる客席です。完全に劇場を支配しています。自分の歌や芝居を客席に届ける完璧な術をお持ちです。何をすれば面白くなるのか、楽しんでもらえるかを理解しすぎているので動きに遠慮ないです。余裕はあるのに遠慮がない。「舞台慣れとはこういうことです。」と言われた気分です。

 

 

第一声が本物のオペラ歌手の声でこの瞬間に勝利を確信しました。体に音が入ってくる感覚は心地よいです。こちらが上手に聞こえるように聞き取る必要がない。席に座っているだけで良い。ありがたいです。

 

 

イタリア語ネイティブ(パルマ出身だそうです)に求めたい母音の明るさがあります。これだけで嬉しい。テノール歌手が一番わかりすいですが、バス歌手でも母音の明るさはあります。声自体の深さと母音の明るさが喧嘩しないのはいつ聞いても不思議です。喜劇でも悲劇でも明るさは維持されたままですが、音楽表現を邪魔することがない。これがイタリア語の正しい音なのだろうな。

 

 

オペラなので歌っていることには間違いないのですが喋っているように聞こえました。これは地声や喉発声という意味ではなく、音楽に言葉が的確に乗っかっており自然に歌えているからだと思います。つまり難しい技です。さすがイタリア語ネイティブといったところです。言葉の自由が約束されるだけで音楽もお芝居も膨らみます。

 

 

音楽に合わせてノリノリのパスクワーレさんが可愛いです。よく踊っていました。1幕のパスクワーレさんのお歌の前奏では管楽器の音に合わせて手に持った彫刻を筆でこちょこちょしているのが可愛かったです。曲の終わりには両手をバタバタさせながら拍手を求めてきました。最大の拍手をお届けしました。客席をものにしていますね。

 

 

3幕冒頭でノリーナの外出に反対しているのに、ノリーナに外出用の豪華なネックレスをつけてあげるのは優しさなのかな。また、3幕最後のノリーナとエルネストの結婚を許可する場面では、二人の間に立って二人が繋いだ手を持っていました。このときの表情には真剣さと悲しさがあり、自分の騙された気持ちと二人の門出を投げやりにできないという気持ちが入り混じっているように見えました。喜劇だからといってただ面白くするのではなく、そのときそのときの感情をどう歌っていくかどう見せていくかが計算されつくされている素晴らしいパフォーマンスでした。

 

 

 

 

ノリーナさん

可愛い。チャーミング。3幕のピンクのドレスと宝石(イミテーションでしょうけど)がとても似合う。

 

 

可愛いので全部OK!

 

 

とは流石になりませんが、でも良い出来だったと思います。お歌に関しては全体的にキンキンする声と高音の硬さはありましたが徐々に声が柔らかくなっていきました。最後までキンキンさは取れなかったのでこれはお持ちの声質なのかなと思います。転がすように歌う細かい音型は軽く柔らかく歌っておりました。聞いていて心地よかったです。フィナーレのお歌の転がり具合が一番よかったです。音が丸く口の中でボールが規則的にバウンドしているような綺麗な転がりでした。

 

 

細かい音型で最後の音が高音の場合、その音だけ悲鳴っぽくなってしまうのが気になります。癖かな?綺麗に上昇していくのに最後だけもったいないです。また、高音の切り方が雑なのも気になりました。急に終わる感じ。予期せずシャットダウンされたような歌い方でした。

 

 

ソプラノ課題曲である登場一発目のお歌は硬さが目立ちました。曲調が変わる前の笑い方が可愛くて歌よりも良い響きでした。その後の歌詞を間違えた気がします。「So anch'io la virtù magica〜」を次の歌詞である「so anch'io come si bruciano〜」と歌っていた記憶です。本人もびっくりしたのか表情が崩れました。大丈夫。ここ日本だから。顔に出さなきゃバレないから。最後の高音の伸びが悪かった。

 

 

パスクワーレさんを騙しているときと素のノリーナの切り替えが客席に伝わるようになればといいなと思いました。お芝居も硬さがありましたね。1幕で手紙を運んできた人に対して「アリガトウゴザイマス!」と言いりんごをお返ししていたのが可愛かったです。来日歌手だからこそできる演出ですね。

 

 

 

 

マラテスタ

前回の同演出公演(2019年)のときはマラテスタさんも海外からお呼びしましたが、今回は日本人のバリトン歌手を起用です。

 

 

 

忙しい役を上手にこなしていたと思います。高音域の行き詰まり感と低音域の響かなさは気になりましたが(良い響きで歌える音域が狭いのかな?)、肝心の中音域でイタリア語を捌いていく部分はとてもお上手でした。イタリア語が忙しい作品なので言葉が前に飛んでこないと聞いていて不安になります。イタリア語を守ってくれてありがとうというところです。

 

 

1幕のノリーナと一緒に歌う部分はまだお互いが遠慮しているように見えたので距離を縮めて絡んでいけたらもっと面白くなると思います。ノリーナと手を繋いでステップを踏んでいるのに視線が指揮者なのでせっかくの可愛い場面が味気なくなってしまいました。ノリーナ越しに指揮を見ることができたらいいですね。立ち位置的に難しいか。また、パスクワーレさんとの場面はパスクワーレさんが動ける方なのでそれを追い越す勢いで動かせたらもっと面白くなりますね。作戦を立てて指示を出しているのはマラテスタなので舞台上の主導権も持てるとより「っぽく」なると思います。このあたりは千秋楽まででのびるでしょう。

 

 

発音に関しては歌っているときは上手ですが、お手紙を読むときは浅くなるなと思いました。パスクワーレさんの母音の深さが素晴らしいので交互に歌うと浅く聞こえますが、イタリア語ネイティブが隣にいなければ問題ないです。これはどうしようもない問題かもしれませんが”o”の母音の深さが全然違うことに気づきました。声種が違うこともありますが、マラテスタも深い発音をしているのですが、パスクワーレさんが隣で同じ”o”が入った言葉を歌ったときの音の深さにびっくりしました。イタリア語の発音って難しいんだな。たかが”o”。されど”o”ですね。

 

 

さらっと外国人キャストに混ざって歌えて悪目立ちしないパフォーマンスができることは素晴らしいです。残りの公演も楽しく素晴らしいものになりますように。

 

 

 

エルネスト

とってもエルネストの声です。第一声で安心しました。お礼を言いたいくらいのエルネストボイス。太い芯はあるけれど柔らかい声でどこにも引っかかることなく劇場全体に声を届けます。お歌の流れも綺麗でほとんど母音の種類に左右されずに声が伸びます。歌っている姿に必死さはありますが、エルネストが頑張っていると思うと応援したくなります。

 

 

2幕のエルネストのお歌ではだんだん高音が詰まってきているように聞こえました。ちょっと歌いづらそうで心配でしたが、3幕のお歌は素晴らしく伸びやかな声が聞けました。2幕の高音に対する不安を帳消しにするような充実感のあるお歌になりました。素直な声が響き渡るのは気持ちいですね。鼻にかかるような部分もありましたがお歌のラインは崩れません。さすがです。

 

 

エルネストだけではないのですが、三人以上で一緒に歌うお歌になると全員が遠慮しながら歌っているのかオーケストラに負けちゃうのが面白かったです。1人だとちゃんと聞こえるのに束になったら聞こえないのは不思議。オーケストラが元気に演奏していたのでそのせいかもしれませんが。この作品は重唱も楽しいので頑張ってほしいです。フィナーレはよかったですが。

 

 

 

合唱団さま

言葉も作曲家も違いますが前公演のオネーギンのときの合唱と比べると楽に歌っているように聞こえました。声の揃い具合も違いますね。全体的に音の安定感がありました。小声で歌う部分は小さい音と厚みのある音が両立することがわかりました。お勉強させていただきました。

 

 

踊らせないけれど突っ立っているだけでなはない。適度なお芝居でお歌に集中できる環境がある。個人的のは今シーズンの「シモン・ボッカネグラ」(ヴェルディ作曲)の演出のようにほぼ背景と化している演出が好きなのですが、合唱団の愉快な感じが適度に楽しめるこの演出も好きです。2厨房の場面でお皿投げている方とキャッチする方が上手すぎて面白かったです。あの方たちはお皿投げのプロですか?

 

 

 

 

以上です。

この演出好きなのでまた観ることができて楽しかったです。

 

 

オペラ全幕観劇はしばらくなさそうです(予定)。

新国ともしばしお別れです。

中村ヴィオレッタの帰国を待ちます。

 

 

とりあえずパリ・オペラ座バレエを全力で楽しめるように体調に気をつけて生活します。

(オニールさんが日本入りされましたね。おかえりなさい。)

 

 

 

 

終わり。

 

指揮:レナート・バルサドンナ

演出:ステファノ・ヴィツィオーリ

ドン・パスクワーレ:ミケーレ・ペルトゥージ

マラテスタ:上江隼人

エルネスト:フアン・フランシスコ・ガテル

ノリーナ:ラヴィニア・ビーニ

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団

 

 

 

 

 

 

 

3回目【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

2024年2月3日(土)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ピョートル・チャイコフスキー作曲

エウゲニ・オネーギン

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

この日は新国立劇場オペラ公演「エフゲニー・オネーギン」(最後は世に通っている名前で書く)を観に行って参りました。

 

 

 

千秋楽です。

私は27日以外の3公演を観劇しました。

初日は2019年の絶望を思い出し気を引き締めて観劇。31日は数日前の藤原歌劇団公演「ファウスト」(グノー作曲)がどんちゃん騒ぎのバタバタ公演でしたので全てを許容するゆるゆるモードでの観劇。なので、千秋楽が一番フラットに観れた(聴けた)と思います。といっても数回観ている人のフラットなので演出への慣れはありますが。2019年の最初の投稿が一番フラットなコメントでしょうね。

 

 

それでは感想いってみよー。

 

この演出のすきなところ

前回の投稿ではお歌の話をした記憶があるので、この投稿では2024年公演の新国オネーギンの好きなところを書いておきます。再演演出家の方の腕前でしょうか?良いお仕事をしてくださったと思います。

 

 

 

①タチヤーナとファミリーが仲直り

2019年に観劇したときはタチアーナとファミリーの対立関係のような演出が嫌で嫌でトラウマになりましたが、2024年ではだいぶ解消されたように思います。

 

 

ママは若干冷たいものの嫌いまでいかないように見えました。「人と変わっているうちの娘」を許容しているようで、オリガに向ける愛情とは違うけれど娘に対する愛情がないようには見えませんでした。安心です。オリガもタチアーナに対して嫌いという感情を持っているよりかはタチヤーナに構ってほしい故に意地悪をしているように見えました。1幕1場でオネーギンとタチヤーナが一緒に舞台から退場するときに追いかけていこうとする場面はタチヤーナが気になるのでついていきたいのかな、と思いました。ニャーニャの心配そうにタチアーナを見る視線に愛情を感じました。今後も家族円満でお願いします。

 

 

 

 

②オリガがジャム

この演出においてはジャムがオリガの本体ですね。1幕1場では煮詰めているジャムをつまみ食いしていました。自家製ジャムは美味しいだろう、タチヤーナにもあげようとしたけれど断られていました。2幕1場ではレンスキーくんにジャムを食べさせてあげているところから始まります。誰にでもジャムをあげたいオリガ可愛い。2幕2場終幕間際の「Владимир, успокойся, умоляю!」でもジャムの瓶とジャムを掬ったスプーンを片手にレンスキーくんに近づきます。食べて落ち着こうってことか?演出としてはよくわからないけれどオリガが可愛いから好きです。

 

 

 

 

③レンスキーくん激おこの後のタチヤーナ

レンスキーくんが怒っちゃった後に歌う「В вашем доме 〜」が始まる間際にタチヤーナがレンスキーくんの近くに寄り肩に触れるのが良い。二人の視線があったときにタチヤーナがニコッとするのが良いです。オネーギンに傷つけられた同士諸君だもんね。舞台上ではオリガとレンスキーの仲しか描かれていないけれど、タチヤーナとレンスキーくんも一緒にいた時間があることを教えてもらった気がした。(前回か他の演出でも同じ感想を持っただった気がする。)

 

 

 

全体的にはよろしくないけれど好きなところがないわけではない。

 

 

逆にトリケの演出は全部嫌です。演出ね。演出。

早急にドミトリー・ベルトマンさん(この公演の演出家)にオペラトークならぬトリケトークをお願いしたいです。意図と意味を是非ともお伺いしたい。トリケのお歌が始まる前の部分がほとんど聞こえない問題に関しては、演出サイドも想定していなかったのかな、と思っております。多少聞き取りにくくても「歌」と「ガヤ」の区別はできると思っていたが、いざ歌わせたら想像以上に声が聞こえなかったけれど続行するしかなかったのかな、のかと。

 

もし「トリケの声は聞こえなくていい。」というお考えならトリケになんらかの恨みがあるはずなので悩み相談に乗ろうと思います。オペラなので譜面が第一優先ですよね。2幕2場のピョコピョコしているトリケはそもそもいらないんだけど、もしこの演出を続けるのであれば最後の泣き声だけはカットでお願いします。嗚咽というかもはや吐いているのではないかと思うほど汚い。オーケストラの演奏を潰していますね。歌は響かないのに鳴き声は妙に響くし。

 

 

 

 

1幕3場の紗幕に映る葉っぱの落下速度がめちゃめちゃ気になるのです。最初から最後まで射幕が降りたままで、舞台上で実際に葉っぱがひらひら落ちてくるのと並行して紗幕にも葉っぱが落下する映像が映し出されます。映像の葉っぱの落ちる速度の速さとほぼ直線落下なのが気になります。多少はひらひらしていますが実際に落ちてくる葉っぱと速度が合わないのがなんかストレスだった。どうも、めんどくさい客です。

 

 

 

 

では歌手個人の感想。

 

 

 

グレーミンの現役バリバリ感

31日に感じた声に籠りが千秋楽では程々に解消された。よかった。

 

 

オネーギンの後ろに周り、手でオネーギンに目隠しをして「だーれだ?」と遊ぶグレーミン。オネーギンが振り返ったら「グレーミンでしたー!」とやるの可愛すぎる。イチャイチャするな。お友達感がでていいね。そんなことしなさそうなビジュアルでやっちゃうのがまた可愛い。

 

 

今回のグレーミンは若いです。現役感がすごい。プログラムには退役軍人と書いてありますが本当かしら?現役の間違いじゃ?グレーミンのお歌はしっとり大人の魅力をアピールするかのように歌っている方が多い印象ですが、今回のグレーミンは躍動感のある歌い方です。めちゃめちゃ熱い人ですね。単語一つ一つに圧がありオネーギンが説教されているように聞こえました。

 

2回目の「Любви все возрасты покорны 〜」部分で声量を落としますがしっかり聞こえます。深みと愛情のある声で良い。その前の「Среди лукавых, малодушных〜」をかなりはっきり歌っていたので違いが出て良かったです。1番最後の音はあまり声量がなくオーケストラに消されていましたが、そんなものかなってところです。この部分は松本グレーミンが大変素晴らしかったのが記憶に残っておりますので私の中ではハードルが高い音です。松本オネーギンの記憶はだいぶ薄れましたが、グレーミンの最後の音だけやたら鮮明に覚えているのでよほど楽しかったらしい(私が)。

 

 

プログラムに記載のある通り「愛妻家」であることがよく伝わるお歌と表情でした。一曲しか歌わないのに全てを表現して帰っていくなんて素晴らしいです。素敵なグレーミンをありがとうございました。

 

 

ジャムとオリガ

オリガは初日が一番よかったです。低音の衝撃があったからかな。

 

 

出だしお歌「Слыхали ль вы〜」は声が響かなすぎて焦りましたがその後は通常運転になったので安心しました。レンスキーくんが「Я люблю тебя, я люблю тебя」と一生懸命に愛を歌っているのですが、去っていったタチヤーナとオネーギンの方を見ているのでレンスキーくんには背中を向けているのがおもしいですよね。正面から聞いてあげてよ。2幕1場のパーティーでは、倒れたトリケに対して一番に駆け寄り扇子で仰いであげます。優しい子です。モグモグしながらだけれど。タチヤーナとオネーギンが一緒に踊るように促すのもオリガです。ここはお節介で好き。

 

 

歌うときに首が筋張るので相当力で歌っているんだなと思いました。オリガのパート量だから持つけれどもっと歌うところがある役だと最後まで声が保てるのか気になります。低音の質は好みですしどの母音でも発音がこもらないのは素晴らしいです。

 

 

ビジュアルの話をするのはこの時代怖いものもありますが、オリガ役の方(アンナ・ゴリャチョーワさん)美しいです。すらっとしていて頭から肩にかけてのラインが綺麗。長身のオネーギンと並んでいると違う物語が始まりそうなくらい収まり良いです。

 

またどこかでお会いしたいです。

 

 

タチヤーナになったタチヤーナ

よく頑張った。千秋楽が一番良かった。

 

 

1幕1場のオネーギン・レンスキー・オリガと一緒に歌うお歌は千秋楽も良い響きで歌っておりました。全てのお歌をこのお歌のように素直な発声で歌えれば良いのですが、それだとタチヤーナの声としては細く軽いので曲と合わなくなってしまいそうです。同じく1幕の2場の手紙の場は本当によく頑張ったと思います。初日から大きく進化しました。歌手の成長を見に劇場に行くわけではありませんが、大きく変わったのを確認できるのは悪くないですね。

 

 

 

まず、初日から気になっていた動作が振付になっている感じがだいぶ薄くなりました。千秋楽でも場所を移動するときに「あそこまで行かなきゃ!」のような必死さが見えるときもありましたが、その他の動きは自然になりました。自分の動きとして昇華できたのだと思います。動きが自然になってきたのでこちらの集中力も続き千秋楽で初めてお皿を割ることに抵抗がなくなりました。違和感はある。割らなくていいなら割らない方針でお願いしたい。

 

「Была бы верная супруга И добродетельная мать」の部分(たぶん)で子供を腕に抱えあやすような動きが今日はとても自然に感じました。ちょっとだけ短かったかもしれません。ここの振付あんまり好きじゃなかったのですが今日は受け入れることができました。31日で微妙だなと思った「Вот он! Вот он! 」部分はだいぶ改善しました。もうちょっと声芯がほしいところですが。

 

 

この日のハイライトは「Кто ты, мой ангел ли хранитель〜」部分です。ここは素晴らしかったです。小さい声で細く響かせることができ、下降音型も崩れることなく丁寧に歌っていました。小さい声で響かせることは何よりも難しい気もしますが、彼女の場合は大きい声で歌うことよりも自然に声が出るのでこのような歌い方の方があっているのでしょう。「〜заслуженным укором! 」部分の後のオーケストラはバイオリンの上昇音型の硬さを感じました。滑らかさをもっとください。

 

 

 

1幕3場のオネーギンのお歌(お説教)を聞くタチヤーナの表情がとても良いです。2019年はアホの子タチヤーナになっていたのでお歌の意味が伝わっていないことへの解釈に困りましたが、2024年はオネーギンが歌っていることの意味を理解しており、暗い顔をして聞いていました。とても好きです。ただ、最後にオネーギンの腕に頭をくっつける(もたれ掛かる)のはちょっと謎。

 

 

 

3幕1場のタチアーナさんの表情ですが、時が経って彼女が変わったことを表情でも表現してほしいな、といったところです。初日よりは改善しましたが、笑顔がふにゃとなる方のようなので、やはり子供時代のあどけなさがまだ残っているように感じてしまいます。あまりニコニコせずに微笑む位の高貴な感じで、お願いできたらなと言うのはあります。可愛いのですが1・2幕との差がほしいです。

 

 

3幕2場は初日との違いが良然です。最初から声が落ち着いて出ており、きれいに響かせることができています。地声っぽくなるのもだいぶ解消されました。ゆっくり歌える部分の完成度は高いです。オネーギンに淡々と語るように歌っていて、タチヤーナの今の立場がよくわかります。「Ах! Счастье было так возможно〜」の部分好きですね。切ないです。最後の「Навек прощай!」部分の最初は地声っぽくなっちゃうのが気になりますが、最後の音の伸びは千秋楽が一番でした。

 

 

もちろん他のタチヤーナと比べたらまだまだですが、ロールデビューということを加味すれば大健闘でしょう。舞台経験を重ねて成長できるということも才能ですからね。カーテンコールの際のタチヤーナから解放された笑顔がとても可愛く素敵なので、終始この笑顔で歌える役でまた出会いたいです。お疲れ様でした。

 

 

ビジュアル系オネーギン

まず、この方のお歌の技術ついて。不可解なこの人の技術力に関して、今日はお口の動きに注目しながら見ていたのですが、口角を無理にあげてるような力の入った口元がよく見えました。口の開き方は悪くなく口角に力が入っているが横に引っ張っているわけではありません。3幕に出てきたグレーミンと比べるとわかりやすかったのですが、同じように縦に口を開けていても、グレーミンは口周りは脱力しているのに対し、オネーギンは口元が固くなっているように見えます。声種が違うので一概にはいえないのかもしれませんがこの2人が同じことをやっているようで全然違うことが確認でき勉強になりました。

 

 

もちろん口角の力が抜けているときもあります。力が抜けていると初日で感じたノイズっぽい声がなくなりスムーズに声が出ている印象を受けました。3幕1場の「Увы, сомненья нет〜」が1番脱力を感じた部分です。力が抜けたことにより言葉の運びがスムーズでスラスラと歌っているように感じました。音域の問題もあると思いますが。ただ脱力したために声に勢いがなくなり声量も落ちます。口元の力を多く使って歌っていることがわかりました。口元で全てをコントロールすることは難しい。というかできないし、できたとしてもつくりもののような声になってしまいますね。また、大きい声や高い音出すときに胸と腰にテンションがかかります。胸が張り腰が反ります。腰痛が心配です。

 

 

1幕3場のオネーギンのお歌の出だしの音が力任せに出しているように聞こえ違和感がありました。初日より手の動きが減ってよかったです。3幕2場の言葉の捌けなさはだいぶ解消しましたが、言葉を言うことに必死になって、息を吸うときの雑さやテンポ感の甘さは千秋楽も気になりました。ご本人も自覚しているのか指揮を見る頻度が増えます。指揮を見るのは構わないですが上手に見てくれ。タチヤーナに歌っているのか指揮者に歌ってるのかわからなくなってしまいます。

 

 

 

3幕1場でタチヤーナを見つけたときのオネーギンの表情が「金のなる木」を見つけたときの表情です。答えここにあり、と感じました。その後3幕2場でタチヤーナが脱いだドレスを手に取り匂いを嗅ぐ(嗅いでない?)のですが、結局このドレスを着ている公爵夫人に興味があるだけでタチヤーナ本体はどうでというベルトマンからのメッセージでしょう。私はそう思いました。

 

 

1幕の衣装は長身で腰の位置が高いことを殺してしまうシルエットです。オーバーサイズのようにみえます。一緒に登場するレンスキーくんとお揃いに見えて仲良しだなぁ、と思いました。それ以外の黒い衣装はジャケットのラインが綺麗でお持ちのスタイルが活きるます。2幕1場の最初の方の居心地が悪そうな表情がツボです。後半の貼り付けたような笑顔もツボです。

 

 

2幕2場で死んだレンスキーくんから離れないオネーギンと袖から駆け寄ってくるオリガとママが遭遇してもお互い冷静なのすごいよね。私がオリガだったらオネーギンに一発喰らわす。

 

レンスキーくんを見ずに発砲して即死させることができる銃の腕前が素晴らしい。転職した方が良いですね。

ヘルデンレンスキー

初日と変わったところがあまりないですね。発声を優先しすぎている発音と声量で倒しにくる歌い方がなんか愛おしくなってきました。いいものではありませんがちょっとだけお別れするのが寂しい。私の面白レンスキーフォルダに入れておきます。

 

 

高音域での詰まりそうな母音を徹底して避けます。「ты」が「えい」になるのも納得ですね。

下記、茅野先生の記事より。

 

でも " Ты одна в моих мечтаньях, " のところの Ты のズリ上げは大いに改善の余地あり。最早 Ты じゃなくて「(子音 т 消滅の後)えい~↑」だったもんな。

新国立劇場『エウゲニ・オネーギン』2024/01/24 - レビュー - 世界観警察

 

「え」で音を当ててから「い」に変えれば高音にて詰まるリスクは軽減されますよね。「い」を詰まらずに柔らかく出せる人は少ない。だいたい上手に誤魔化す。「т」行方不明になりましたが、気持ちはわかります。しかし大胆すぎる。だったらもう「えー」で良い。「い」に直そうとする意識はよくわからない。もっと誤魔化し方を考えてください。

 

 

1幕1場の登場場面はオネーギンとほぼ同時に登場するので初見だとどっちがオネーギンかわかりにくいですね。でもすぐに「みんな、こっちがオネーギンだよ!」と教えてくれるので優しさを感じます。紹介してくれるのとても親切。同じく1幕1場のお歌の最後の方で、オリガに指輪をプレゼントするためにポケットを探って取り出すのですが、探すことに気を取られているように見えて心配になります。歌い終わってから取り出すじゃダメだったのかな?集中してほしい。

 

「Куда, куда, куда вы удалились〜」の赤字のところは相変わらず押しますね。押し広げるという方が近いか。主張が強い母音が生まれる割に音楽の流れがきれないの不思議です。出だしの「Что день грядущий мне готовит?」部分は勢いがありすぎます。最初から高めの音だから声量出して安定させたいのは分かりますが、繊細にお願いしたい。

 

 

 

プロフィールを確認するとワーグナー先生の作品の役をレパートリーにお持ちのとこと。確かに。ワーグナー先生のお歌を歌うならこの強い声は役立ちますね。オーケストラに負けることなく声が届くでしょう。ワーグナー先生の作品を歌ったら上手なのかはわかりませんが、レンスキーくんを歌い上げるには決定的に違うものがある。ロシアのテノールの名刺代わりの役柄とディミトリー・コルチャックさんがインタビューで答えてましたが(リンクは下記)、合わないのに歌う必要もないと思います。ロシア人テノールということへのジレンマみたいでスッキリしません。

ebravo.jp

 

 

 

自分に答える

書くことなくなると思ったので前回の投稿で自分にお題を振りました、

でも書くことあったのでお題必要じゃなくなったのですが一応答えておきます。

 

 

初日と31日公演で気になったところは解消されたか?

→概ね解消。タチヤーナの動きが良くなったことは大きい。グレーミンもこもった感じがなくなった。ニャーニャの手の動きは少なくなったと思います。この方は手が動いていないとこの方が声が安定します。逆か。安定しないから手でバランスを取ろうとしているのか。

 

 

疑問点の答えが見つかったのか?

→オネーギンの発声の謎がだいぶわかった。

 

 

で、結局新国オネーギンはどうよ?

→再演演出家が頑張った(推定)ので2019年よりは良くなった。オーケストラの音と音楽つくりが2019年より良いのでこの演出でも見れるようになった。しかし、今年はグレーミンとオネーギンのビジュアル以外キャスティングミスが否めない。

 

 

 

そして本日も茅野先生とお会いできました。嬉しかったです!後ろから突撃してすいませんでした。フルスコア持参さすがです。

 

 

茅野の先生の記事は大変勉強になります。自分が見ていなかった(聞いていなかった)部分に関しての説明は新しい発見になりますし、同じところを見ていたとしても先生の言葉で説明してくださると解像度が上がります。先生がいるからオネーギンがさらに楽しくなります。

 

 

弊ブログは茅野先生の記事から飛んできてくださる方も多いですが(ありがとうございます。)、もし、茅野先生のサイトに未訪問の方がいらっしゃるなら下記よりご訪問ください。必読です。

sylphes.hatenablog.com

sylphes.hatenablog.com

sylphes.hatenablog.com

リンク外の記事も必読です。

先生の記事を読んでロシアとデンマークに行きましょう。

 

 

茅野先生、今度ともよろしくお願い致します。

アスミク・グリゴリアンさんのコンサートで再会できることを楽しみにしております。

5月なんて実質明日ですので(?)。

 

 

以上です。

書きたいことがでてきたらまた書こう。

では、さようなら新国オネーギン。

 

 

私は大野和士くんの任期中にもう1回あるのでは?と思っている。ラストシーズンで自分で振るのでは?と。和士くんのオネーギン怖い。恐ろしい。やばい。

 

 

そして、今後の

 

新国立劇場だってロシアオペラやるんだもん!」

プロジェクト

 

はどうなるのでしょうか?

ボリスくん来ちゃう?来ちゃう?来ちゃう?

イオランタ(再)かな?

新演目くるかな?

 

 

 

では、さようならー。

 

 

 

終わり。

 

指揮:ヴァレンティン・ウリューピン

演出:ドミトリー・ベルトマン

タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン:ユーリ・ユルチュク

レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク

ラーリナ:郷家暁子

フィリッピエヴナ:橋爪ゆか

ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ:升島唯博

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団

 

 

 

 

2回目【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

2024年1月31日(水)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ピョートル・チャイコフスキー作曲

エウゲニ・オネーギン

 



 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

この日は1月24日に引き続き新国立劇場にてロシアオペラのエウゲニ・オネーギンを見て参りました。

 

では感想いってみよー。

(藤原歌劇団の「ファウスト」のおかげでハードルが下がっております。加糖しまくりの甘い甘い感想をお送り致します。)

 

オーケストラ

全体的に良く聞こえました。間違いなく初日より好みだし、2019年の公演分を含めて考えても1番よく聞こえた演奏でした。最初から最後までしっかりとした演奏。あれ?と思った箇所がないわけではありませんが忘れましょう。初日の感想でも書きましたが序曲出だしの「ドゥン」がちゃんと聞こえれば基本的に満足なのです。

 

 

序曲はフレーズごとに丁寧に着地をしていくような演奏でした。フレーズの終わりにきちんと「。」を書いていくような、しかし、決して流れを切ることなくに次に繋いでいました。下降音型をどんどん被せてくるようなたたみかける演奏が好きなのですが、ゆっくり演奏しても音がしっかりしていれば楽しめるものだと気づきました。

 

 

 

同じく序曲中盤の下降音型を異なる楽器で引き継いでいく部分は別の旋律を演奏する弦楽器の力みなのか歪みなのか、原因はわからないのですがノイズっぽくなるのが気になりました。ただ、双方が潰れることなく、かといって遠慮しているわけでもなく両方が自立して音楽になっているように聞こえました。物語の導入大事だからね。

 

 

 

 

そのまま1曲目のお歌への繋ぎも綺麗でした。そもそもこの作品は曲と曲の繋ぎが綺麗だから劇場でもそこを聴かせてくれるのは嬉しいです。ママの「Корсет, альбом,〜」のところで管楽器がピロピロしているのが好きなのですが、あんまり聞こえなかったです。歌に集中していても勝手に耳に届くのですが初日もこの日も聞こえず。ママのロシア語を聴き取るのに必死になっていたからかもしれませんが。千秋楽では気をつけます。

 

 

 

手紙の場はオーケストラがちゃんといました。これは嬉しい。なんならタチヤーナよりでしゃばっていいと思っている。どちらが主役かわからないくらいが正解な演奏だと思っている。出だしからお歌に入る前までは、もっと情感をくれー、と思ってしまいましたがそれでもよく鳴っていた方です。途中指揮者の息遣いが聞こえてきた気がします。最後のタチヤーナの「〜заслуженным укором!」の後のオーケストラがとても良かったです。最高でした。ここはオーケストラが全力で主役を奪いにくるところですね。掻っ攫ってください。全部持っていって!!音量もあり圧も強めで大変に好みでした。

 

 

 

全体的によかった。よかったのですが、音量の強弱表現に頼りすぎている気がします。0か100かの強弱表現です。悪くはないのですが何度も何度もくる強弱にだんだん飽きてきます。もし私が初めて生のオーケストラを聞いたのであれば純粋に驚くし楽しいと思いますが、リピーターになってしまった私からすると一本調子で少し退屈です。嫌だねー。慣れって嫌だねー。めんどくさい客じゃん、私。ホルンの不安定なときが目立ったのと、1幕2場(手紙の場の後)のオーボエはもっと軽快にお願いしたい。実直すぎる。

 

 

 

オペラ全体の枠に囚われ過ぎずにフレーズ・文章・1つ1つの音にアプローチをしていくような音楽つくりは興味深く、突拍子もないことをしているわけではありませんがとても新鮮です。指揮者のやりたいこともわかってきました。しかし、オーケストラ(歌手も)がまだついていけてないといったところではないのでしょうか。千秋楽でどこまで化けるか。期待します。

 

 

歌手

下手ではないけれど、決して両手を手放して上手と言えるほど上手ではない。それが全員に共通することです。グレーミン公爵に関してはここから除外したいところですが、この日の歌声は少々疑問が残りました。ただ書くことも少ないのでここに一言。音が籠るのが目立った。そしてオリガは特殊です。

 

 

歌手の声の気になった点を書いて終わります。

オリガ

まあよくそんなにくっきりはっきり低音が出ますね、といったところです。口の開き方が綺麗です。私が見ていた範囲では、唇を横に引っ張ることがなく常に縦に開いて歌っておりました。この方は人のお手本になるような歌い方をしているのか、と言ったら疑問がありますが、低音を素晴らしく歌いこなせることは事実です。真似しようとしたら確実に籠ってしまい無理矢理低音を歌っている感じになると思います。特殊です。特殊。訓練で得られるものではないのでは?ただ声に硬さがあるので出番が多い役だとどうなるかわかりません。喉の疲労も気になるポイントです。レンスキーくんとの掛け合い(1幕1場)は声の相性が良いのだか良くないのか分からず。好みによって大きく意見が分かれそう。

 

 

タチヤーナ

とても素直な声です。初日は演技力のなさが気になりましたが、この日はだいぶ動けるようになっていたので改めて声の良さに気づきました。

 

所謂ロシア人ソプラノ歌手として想像する声よりも明るく軽い声を持っています。胸から上で歌っているような浅さは多少あるけれど響きが落ちることは少ないです。タチヤーナを歌っていると自分の声が乗る(歌いやすい)音型やフレーズはとても美しく繊細な声が聞ける一方、無理につくったり重くしたりしているように聞こえるときもあります。「タチヤーナ向きの声ではない」(新国のインタビューより)とのことですが、私も同意見です。外国だから歌えるチャンスがあったわけで、ロシアでタチヤーナとして通用するかと言われたら難しそうです。彼女が下手なわけではなくもっと良いタチヤーナがいるということです。あの国は全員タチヤーナだからな(違います)。

 

この日一番よく聞こえたフレーズは2幕1場のレンスキーくんが怒っちゃった後の「Потрясена я,〜」部分です。他劇場や音源などで聞いた印象だとキンキンしてしまう人が多い記憶がありますが、このタチヤーナは優しい歌声で柔らかく歌われていました。これが本来生かすべき彼女の声なのでしょう。

 

 

 

手紙の場も初日より健闘しておりました。(かいつまんでいうと)手紙を書いているだけの場面をどう見せるか、というお話しですがとても頑張っていました。初日は指揮やプロンプターを見ているのが丸わかりでもうちょっと上手に見てくれ、と思いました。見なきゃダメなのはわかる。でも見方に上手い下手がある。今日は視線が落ちることをそこまで感じませんでした。初日よりオーケストラの支えも厚かったので歌いやすかったのかもしれません。

 

 

手紙の場はタチヤーナに向いている向いていない問題がよくわかります。お持ちの良い声が生かされていないと思います。中音域だと輝かないのです。中音域を歌いまくった後の高音(そんなにないけれど)は響きが悪くなる。疲労かな?もう少し聞いて考える価値がありそうです。後半の「вот он,вот он!」の母音の浮つきが気になりました。踏み切れないというか音が甘いというか。フォルテだったような。最後の「〜заслуженным укором!は発声の位置を胸に落とすことで安定はするのですがお持ちの軽やかな声が全く生かされなくなるのは辛いですね。つくっているような声になってしまうのが気になりました。この声自体は悪くないのですが、あなたのアピールポイントはそこではないので。なんか勿体無い?

 

 

 

また3幕2場が優秀で(オネーギンはなんかおかしかったけれど)丁寧に精密に歌っておられました。中音域でも丁寧に歌う余裕があれば綺麗に響くのですが、言葉を捌いていかなければならない部分(特に手紙の場とその前後)は地声感が出てしまいますね。最後の「Навек прощай!」まったり発音している時間がないので雑な発声になりその後の高音も十分な準備ができずに浅い高音になってしまったのでしょう。そもそもこのような劇的な高音を出して輝く声ではない。

 

 

 

感想書いていたら彼女の声がタチヤーナではないことがよくわかってきた。歌える合っているって違うからな。そのせいで歌いたいものが歌えない苦悩が発生する。タチヤーナを本格的にレパートリーにお迎えするなら中音域の丁寧なトレーニングが必要な気がします。規則正しい作品(役)というかかっちりしている作品(役)の方が良さそう。モーツァルト先生とか?彼女本来の声が十分に味わえる役柄でまた出会いたいものです(千秋楽行くけど。)。

 

オネーギン

この人の声はよくわからん。難しい。言葉で書けるのか。

 

オーケストラの音楽に支えられてボロが出ていませんが、発声の浅さは気になります。壁打ちのような声の出し方で深みや奥行きがない。ピアノ伴奏だとちょっと怖いかも。

 

 

音の広がりがなくただそのまま口から出しているような声で、骨格が日本人とは違うのでそのような出し方でもある程度響きますが、同じことを日本人がやったら悲惨な結果になります。また、レンスキーくん同様、力技で解決する部分も多いです。次の音がある程度離れているときは結構な確率で押しながら歌っています。初日にも気になった1幕3場の「мечтами,мечтами〜」の「та」の謎の崩れは、無駄に口に力が入ってるのが原因な気がします。声を発した後に、口を広げていたのでその動きが不自然な音を生んでいるようです。伸ばすために口の力を使っているのでしょうか?どのみち謎ですね。

 

 

 

 

3幕2場は初日以上にぐだぐだしていました。タチヤーナ同様オネーギンも言葉捌きが美しくなく、ひたすらしゃべっているような部分は余裕がなくなり発声・発音ともに雑になります。言葉捌きが追いつかないからか、テンポが保てなくなりオーケストラとのズレが発生していました。音の取り方もだんだん甘くなっていきました。指揮者も一生懸命指示を送っていましたが、途中から指揮者が諦めてオネーギンにテンポを合わせた気がします。一生懸命指揮を見て歌っていましたがズレるものですね。

 

舞台映えする容姿となんとなく歌えているので評価は高そうですが私はまだ考えようと思います。

千秋楽への宿題とします。

 

 

レンスキー

レンスキーくんはレンスキーくんを歌うにしてはテクニックの繊細さがかけるというところでしょうか。

これまた言葉で言うのが難しい。「Куда, куда」の歌詞を少々お借りして感想を書きます。

 

まず、

Куда, куда, куда вы удалились,〜

初日は2回目の「Куда」の「да」を広げ過ぎたのが気になりましたが、今回はその後の「удалились」の「да」を広げました。スムーズに歌ってくれ。

 

 

Что день грядущий мне готовит?

出だしの声が「とりあえず爆発させておこうぜ!」と思っているのではないかというくらい爆発している。声量出さないと最初の音にたどり着けないのはわかるのですが、漫画だったら右横に「バーン!!!」と書かれてしまうような声。繊細さも情緒もない。発声的には怖い。拳銃打つのはその後だからもうちょっと待って。「Что」の発音に関して、初日は「ショーン!!!」と言っているように聞こえましたが、この日は頑張ったら「Что」に聞こえるかなあ、と思いました。私が私の耳を正しい発音に寄せました。優しい。ただ「Ч」と「то」の間に謎の時差がありました。「то」の「о」で音をはめるので高音を正確に出すための時差だとは思いますが、これはいただけないですね。この方は自分の歌いやすいように発音を誤魔化していますね。ソプラノ・テノールだと良くあることですが流石に崩し過ぎです。

 

 

иль мимо пролетит она〜

「мимо」の「м」がやたら前に出てくる印象を受けた。子音がきちんと聞き取れるレベルで発音されるのは嬉しいのですが悪目立ちも良くないので難しいところです。

 

 

Ах, Ольга, я тебя любил!

最初「あはーん!」と聞こえてしまいました。まじで自由な発音。

 

 

1幕と2幕1場で口の動きに注目していたら、口を開けたときに舌に力が入っているように見えました。無理矢理下の歯の裏にくっつけているように見えました。もちろん客席からオペラグラスで確認したので推定ではありますが。唇が横にひっぱりすぎることはないけれど、舌が力が入ってしまい硬くなるから音も一緒に硬くなってしまっているのかもです。母音ごとの声質の変化があるなか音楽的な流れを失うことがないのは素晴らしいです。だから上手に聞こえるのだろう。ただ自分の気持ちの良いところで歌い過ぎていますね。広げ過ぎ歌い過ぎの良い例でしょう。

 

 

ママと乳母とときどきトリケ

ママは相変わらず低音域とそれ以外で声質が変わってしまう。低音域の吠えるように押し出す歌い方は軽減されたように聞こえたが言葉が聞き取れなくなった。ニャーニャは相変わらず指揮している。トリケがタチアーナの名前覚えていない演出が嫌だ。

 

以上です。

 

 

茅野先生、茅野先生のフォロワーさま、ご一緒できて嬉しかったです。

勝手に混ざってすいませんでした。楽しかったです。

 

 

残すところ一公演、千秋楽です。

めでたく終わってください。

 

 

千秋楽の感想は

初日と31日公演で気になったところは解消されたか?

疑問点の答えが見つかったのか?

で、結局新国オネーギンはどうよ?

 

以上3本立てでお送りする予定です。

テーマ決めとかないと。

もう書くことないし。

今日の感想も本当はオネーギンの物語の話をしたかったですが結局お声の話をしている。

 

では千秋楽で。

 

 

 

終わり。

 

指揮:ヴァレンティン・ウリューピン

演出:ドミトリー・ベルトマン

タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン:ユーリ・ユルチュク

レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク

ラーリナ:郷家暁子

フィリッピエヴナ:橋爪ゆか

ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ:升島唯博

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団