2024年2月18日(水)14:00公演
マキシム・ミロノフ
テノール・リサイタル ジャパンツアー2024
ベルカントの宝物
お世話になっております。
三島でございます。
この日はキットカット抹茶味大好きおじさんことマキシム・ミロノフさん(以下敬称略)のリサイタルに行って参りました。
2019年の新国立劇場公演「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ作曲)でエルネストを歌ったときに聞いたのが最後なので約4年ぶりです。
このツアーは京都・東京・名古屋の三ヶ所で行われ、リサイタルとは別に名古屋にある大学で公開レッスンもあるそうです(19日)。私は東京公演のみ訪問。スケジュールが出たときは一緒にツアーする気満々だったのですが、1月に奈良に行ったので燃焼してしまった。
それでは感想いってみよー。
ベルカントの王子様として
舞台映えする容姿は素晴らしい。ロジーナが容姿込み好きになるアルマヴィーヴァ伯爵の誕生です。
背が高く背筋が伸びていて見た目はかなりスマートです。こちらを見なければ大変シュッとしていらっしゃいますが、舞台から客席を見る顔はそんな立ち姿と相反して可愛らしいです。初めて舞台に立ったような初々しさに似たものがありました。変にこなれずに新鮮さを保ちながら最後まで歌うことができるのも才能ですね。入場・退場の足音がうるさいのが面白かったです。ちなみにピアニストのザッパさん(以下敬称略)の足音はうるさくないので、ミロノフの歩き方の問題なのか、ミロノフの通り道だけ床が悪いかです。男性歌手なので(?)衣装チェンジはなかったです。ザッパが着ていたシャツのカフスボタンがキラキラしていたのがオシャレでした。見間違いじゃないといいな。
歌唱面に関しては安定感はある。ただその安定している場所が理想とする位置とはいえない気がしました。危ないところで安定しているような不安さが拭えず。どのような音でも音型でもポジションを保ったまま歌うことができる。特に口周りの筋肉や唇の使い方が綺麗でした。(最近、私は歌手の口元を見るのにハマっています。)口角を一定の位置でキープしており上唇はほぼ動きません。動かないけれど無理に力を入れて押さえているのではなく適度な緩み具合を保ったままキープしていました。また下顎(下唇)もゴトっと下がるようなことはなくリラックスした状態で歌えていることがよくわかりました。細かい音型のときに口の形が崩れるときがありましたが、お歌には支障なしでした。
そんな素晴らしい口のポジションとは裏腹に声の硬さが気になりました。今までの印象は柔らかい声の中に一本の芯がブレずに立っているような印象でしたが、今回のリサイタルでは芯が必要以上に太くなっているような気がしました。お持ちのお声に対してキンキンするな、感じた事はありませんでしたが、オペラではなくリサイタル、オーケストラではなくピアノ伴奏で聞くとキンキンしているように聞こえ、そのせいでミロノフの唯一無二な柔らかい声を存分に味わうことができませんでした。響きもあることはありますが、ふわっと会場を包むような声ではなく、豪速球で飛ばしてくるような響きで、声質の甘さとキンキンする音色とスピード感のある響きが一致せず頭が混乱しました。
お得意のロッシーニ先生の細かく速い音型。リンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Languir per una bella」)は手が動きすぎて手が歌っているのかと思いましたが、手を動かしていた分上手に歌えておりました。コロコロ転がしてこそのミロノフ。素晴らしいです。逆にプログラム後半に歌ったリンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Concedi amor pietoso」)の細かい部分はギリギリ流れなかった、何とか歌いきれたと言うようなレベルであまり美しい歌い方ではありませんでした。
高い音をのばすときに顔をくしゃくしゃ(言い過ぎ?)にしていたのが気になります。鼻にシワが寄る感じです。顔に力を入れている割には声自体は力まずに出ているので、その顔のくしゃくしゃやめてもできるんじゃね?と思いました。高音域が売りのミロノフなのでこれから先も安定してお届けしてください。
表現力の乏しさ
オペラアリアと歌曲を歌うときの表現力に差がある。特にアルマヴィーヴァ伯爵やリンドーロは歌詞の内容と表情が合わさって楽しめるけれど、歌曲は表情の作り方や表現方法が一本調子で大枠で捉えて歌っているように感じた。暗い歌詞だから暗い表情みたいな単調さが気になりました。
もちろんお歌の強弱表現でやりたいことはわかったけれど、お歌で表現できるならそのまま歌えば良いのにというのが正直な感想です。その価値がある声だし声の良さで勝負ができれば一本調子大歓迎ですよ。
アンコールから1曲。課題曲の「Non ti scordar di me」です。こんなに何もない「Non ti scordar di me」は初めて聞いた。いい声!いい発声!だけではカラオケになってしまう。ベルカントの人が無装備でベルカントから出たときに何が起こるかが体現されました。
得意不得意
歌い始めて「本当にドイツ語?」とプログラムを確認してしまうくらいほわほわドイツ語でした。
まず「ü」の質がバラバラである。前の子音に影響を受けているせいなのか「i」になったりなんとか「ü」になったりしていて発音の安定しなさにびっくりしました。
次に(定)冠詞が強調されすぎていました。当てられている音の高さの問題でしょうか?無駄に強調される冠詞はこんなに品質を下げるのかと、お勉強しました。ネイティブ以外あるあるな気がします。
最後に、単語終わりの「n」に「e」がくっつく癖があるのが気になりました。「ne」になってしまうということです。最初は「n」を強調したくて歌っているのかと思いましたが効果あるのか?言葉を間違えただけかな?
ドイツ語になると音楽の流れがガタガタになるのも気になりました。だから上で書いたような冠詞の強調に繋がってしまうのかもしれません。ドイツ語で歌うことの難しさを改めて感じました。ベルカント極めていてもドイツ語になったらベルカントで培った流れの綺麗を持ち込めなくなるのだなあ、と。ミロノフに関しては別にドイツ語で歌わなくてもいいじゃん。他に歌うものいっぱいあるじゃん。なのになぜわざわざ歌ったのか疑問です。
フランス語の鼻母音ほぼ消滅していたのは見逃すよ。単語終わりの「e」の発音は綺麗だった。
ベルカントとイタリア語の発音の性格さはセットだと品質が格段に上がるということを再び学びました。ミロノフはイタリア生まれイタリア育ちではないので、イタリア語の発音を求めるのはお門違いな気もしますが、ベルカントの王子様であることを考えるともう少しはっきり発音してほしいところです。今回は語末の「e」の処理の甘さが気になりました。独特な発音の仕方。力を抜いているような音に聞こえました。力み過ぎてぺしゃんこな音を避けるための脱力だと思うのですが、悪目立ちしてるように聞こえました。
素晴らしいベルカントの歌い手ということであれば、発音の明確さや母音の明るさを求めたいところです。ただ、発音の明確さは訓練でどうにかなっても、母音の明るさは天性的なものですよね。苦しいところです。逆を考えるとミロノフレベルのイタリア語であればイタリアの歌劇場で通用するということですね(発音のみ)。これは希望がもてる!
ジュリオ・ザッパ
最後に触れておきましょう。ミロノフにピッタリ寄り添い派手さはないが的確な伴奏を披露してくれたザッパ。あなたの大きな愛がミロノフの音楽を包んでいました。頼って良い伴奏者がいるって素晴らしいよね。共闘してるような組み合わせも聞き応えがあっていいのですが、ザッパのピアノ演奏は落ち着きます。癒し。
ミロノフのロシア歌曲のCDの伴奏が大好きです。このCDを引き下げてツアーしてくれればいいのに。でもそれだとベルカントの関係者が来なくなっちゃうのかな?ソロも大変に聞き応えがありお決まりの伴奏から独奏までなんでも弾けますけど?といいたいようなポテンシャルの高さを見せてくれました。ありがとう、ザッパ。
最後に
正直な感想を書いた通り疑問の残るリサイタルではありました。その分学びは多かったですが。
ただ、ベルカントを極めることの大変さはよくわかります。なんでも歌うことができる人の方が注目を浴び評価されやすいですが、明らかにベルカントを極める方が大変です。誤魔化しが効かないからな。流れが切れたときに誤魔化す術がない。ベルカントを極める姿勢とこれまでのキャリアには敬意を表します。
以上です。
ミロノフ好きなんですけどね。
好きなものに常に好きだといえない世界だ。
それくらい声楽の技術は脆い。
オペラの一役で観るくらいがちょうどいいのかな?
思っている以上に「ü」は誤魔化せない。これは習得するしかない。辛い!
ミロノフへ
日本に来てくれてありがとう。
ロッシーニ先生のテリトリーから出ちゃダメだよ。
おしまい。