三島の見解

古の女子高生

勝手に人物解釈【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

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2019
103()14:00開演

新国立劇場オペラ公演

エウゲニ・オネーギン

新国立劇場オペラパレス

 

 

新国オネーギンの人物解釈をまとめます。

私の解釈なので人と違うし合ってるか合ってないかは知りません。

私にはこう見えました。

 

 

 

 

 

オネーギン

かっこよくないオネーギン。(悪い意味ではありません。)

 

新国オネーギンはあまり主張しないというか、溶け込んでるように見えました。でもそれだとオネーギンではないですよね。

 

上手く文章にできませんが、新国オネーギンは普通の人、優しい近所のお兄さんという感じ。周りを見て行動している。自分がありのままで行動すると浮くのがわかっている。これが1番辛いことで、混ざろうと思えばいくらでも混ざれるけれど心が死んでしまう。大人として上手く立ち回っているが、自分自身に思う不満や苛立ちのようなものが根底にあり、それがでてきたときに所謂「オネーギン」になる。

 

説教のアリア(言い方)も優しく優しく歌っていました。

 

休憩中に「チャラ男ってオネーギン?」という声が声が聞こえてきましたが、新国オネーギンはチャラ男ではないな。(私はオネーギンをチャラ男だと思ったことありませんが。)

 

そういえば、手紙返せてなかった気が。

 

自分で書いててどんな解釈だよって思えてきました。なんか違うかも?(違うのかい)

面白いオネーギンだと思いますが、なんかぼやぼやするんだな。

狙いなのかな?

 

 

タチヤーナ

可愛い。可愛いよー。ターニャ可愛いよー。

いじめられてる設定とプレトークで聞いたときに何故?と思いましたよ。

可愛がってよ。愛してよ。最高に可愛いのだよ、タチヤーナは。

 

オネーギンの「Мой дядя~」で叔父さん死んだってわかって祈ってた()ところ美しかった。

悲しいことや暗い気持ちに直結することに敏感なタチヤーナなんだろうな。感受性が強いってやつか。

 

オネーギンの説教の歌詞を1つ1つ拾っている演技がよかった。たぶんタチヤーナには「兄のように愛している。」の「愛している。」だけ拾ったのでしょう。母に可愛がられず妹とも仲良く出来ず、1人寂しいときに、意図とは違うが自分の欲しい言葉をもらえて舞い上がっってしまい、本質を捉えられないタチヤーナに見えました。

 

王道よりも頭悪そうなタチヤーナ。でもとても儚く美しい。

 

手紙の場は、決められた動きをしているだけに見えました。

ここで移動、ここで手を伸ばす、ここで窓に近づく、のような。

音楽の完成度が高ければそんなことどうでもいいんですけどね。手紙の場は本当に悔しい。

 

 

2幕、レンスキーの「В вашем доме~」からずっとレンスキーの側にいて、レンスキーの姉のよう(年齢設定はレンスキーの方が上)に見えました。妹の婚約者ではあるが、たくさんの時間を共有してきたのだろうな。描かれていない情景が広がりました。

 

当事者ではない(当事者といえば当事者ですが)からわかる痛みと、タチヤーナ自身も失恋ほやほやで心がズタボロだからレンスキーの気持ちがよくわかるのでしょう。ここ1番好きかも。

 

タチヤーナのここの歌唱は綺麗に響いてましたね。久しぶり()に歌うから声が乗り切らないことが多いですが上手かった。

 

3幕は全く大人になっていないタチヤーナと見た。

オネーギンがいなくなった後もずっと好きで、グレーミン公爵と結婚しても気持ちが変わってないタチヤーナ。オネーギンを視界に捉えたときの動揺っぷりがそう見えた!

 

オネーギンが好きなのか、初恋を引きずっている自分が好きなのかはわかりませんが、全く前に進めてないタチヤーナ良い。(王道は前に進んでたものが再開により引き戻される。今回は全く進んでいないが、オネーギンにはわからないように振る舞いボロが出て「昔に戻った!」って言われる。と思った。)

 

新しいタチヤーナ像の確立。これは好きだぞ。

 

 

オリガ

若い。

レンスキーのこと全然好きじゃないですよー。12歳より6歳くらいに思える。オリガのこと全然わからなかったよ。

 

決闘後にまさかの登場。

あの幼さで見せたら完全に病むでしょ、と謎の心配。

 

 

レンスキー

すいません。歌が気になってほぼ芝居を見れなかった。1幕「Как счастлив~」以降の愛してる愛してるソング(なに)はどこのだれに歌ってるのかわからないよー。

 

いや。良いところを書こう。

 

2幕決闘前のアリアで詩を書き、最後に燃やすところの演出本当良い。

切株凍ってたけど手袋しなくて大丈夫なの?(あれ?)

 

 

グレーミン公爵

公爵はタチヤーナと結婚して、幸せで本当によかったと思っているけれど、同じようにタチヤーナが思っていないことはわかっている。切ない。タチヤーナがほかの人を見ていることがわかっている。(それがオネーギンなのは知らないと思います。)そして、3幕でオネーギンと再会しタチヤーナの変化に気づく。

 

アリアをオネーギンに対してではなく、タチヤーナに歌っていました。

「そっちに行かないでくれ。」という思いだったのでしょう。

 

今までは、そういう結婚だからと思っていたが、相手(オネーギン)が登場したことによる焦りが出てタチヤーナに向けて歌った。

 

最後、テーブルで頭を抱えてた。タチヤーナに思いが全く届いてないこともわかっているのだろう。

大人になれていないタチヤーナがいるからこそ、このグレーミン公爵が成り立つ。

幸せいっぱいグレーミン!も大好きですけど、影を落とす演出もあり。ありというかありあり。

 

グレーミン公爵の声種をバスにしたチャイコフスキーに感謝。(突然)

バスってかっこいい。素敵。

 

 

ラーリナ夫人

動きと言葉が優先されて歌になっていない感強い。

髪型と化粧のせいでアースラ(ディ○ニー作品よりこんにちは)に見えるんですよね。アースラ夫人ですか。

 

 

フィリッピエヴナ

アースラ夫人同様歌になってない感が強い。

設定のタチヤーナに冷たいニャーニャと台本と音楽の優しいニャーニャがぶつかっているような気がします。

 

 

合唱

1幕は出ない。さみしい。

 

2幕、名の日の場面でレンスキーが退場した後も変わらずパーティーを続けてました。

 

当事者でなければ娯楽。

美味しい料理もお酒もあるのにそんなこと知らないわ。

むしろ酒のつまみだわ。

というような。いいですよー。ここ。

 

レンスキーやオリガに思いを寄せることもできますが、徹底した他人っぷり。そうだよね。人の不幸はエンタメだもんね。ここも好きですね。

 

3幕の無機質な都会の表現は良いのですが、動きが洗練されていないのでもさもさするのですよ。ダンサー使えば良いのにと思ってしまう。

 

 

 

 

 

音楽の魅力が欠けすぎてて比較的安定した歌唱だったタチヤーナとグレーミン公爵しかまともに書けていない。

楽譜があって、演奏が上手く行って、その上に乗っかってくるものが演出・演技だと痛感致しました。心が痛い。

 

誰かが悪いわけではなく、ただただ何かが上手く行かなかったのでしょうね。

 

でもこうやって自分の感じたことを整理すると演出自体はとても興味深く、細かく作られていることに気づきました。そこにある日常を垣間見ているような演出。とてもおもしろい。

 

トンデモ解釈だったら笑えるけどね!!