三島の見解

古の女子高生

【リサイタル】マキシム・ミロノフ テノール・リサイタル ジャパンツアー2024 ベルカントの宝物

2024年2月18日(水)14:00公演

浜離宮朝日ホール

マキシム・ミロノフ

テノール・リサイタル ジャパンツアー2024

ベルカントの宝物

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はキットカット抹茶味大好きおじさんことマキシム・ミロノフさん(以下敬称略)のリサイタルに行って参りました。

 

2019年の新国立劇場公演「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ作曲)でエルネストを歌ったときに聞いたのが最後なので約4年ぶりです。

 

このツアーは京都・東京・名古屋の三ヶ所で行われ、リサイタルとは別に名古屋にある大学で公開レッスンもあるそうです(19日)。私は東京公演のみ訪問。スケジュールが出たときは一緒にツアーする気満々だったのですが、1月に奈良に行ったので燃焼してしまった。

 

それでは感想いってみよー。

 

 

ベルカントの王子様として

舞台映えする容姿は素晴らしい。ロジーナが容姿込み好きになるアルマヴィーヴァ伯爵の誕生です。

 

背が高く背筋が伸びていて見た目はかなりスマートです。こちらを見なければ大変シュッとしていらっしゃいますが、舞台から客席を見る顔はそんな立ち姿と相反して可愛らしいです。初めて舞台に立ったような初々しさに似たものがありました。変にこなれずに新鮮さを保ちながら最後まで歌うことができるのも才能ですね。入場・退場の足音がうるさいのが面白かったです。ちなみにピアニストのザッパさん(以下敬称略)の足音はうるさくないので、ミロノフの歩き方の問題なのか、ミロノフの通り道だけ床が悪いかです。男性歌手なので(?)衣装チェンジはなかったです。ザッパが着ていたシャツのカフスボタンがキラキラしていたのがオシャレでした。見間違いじゃないといいな。

 

 

歌唱面に関しては安定感はある。ただその安定している場所が理想とする位置とはいえない気がしました。危ないところで安定しているような不安さが拭えず。どのような音でも音型でもポジションを保ったまま歌うことができる。特に口周りの筋肉や唇の使い方が綺麗でした。(最近、私は歌手の口元を見るのにハマっています。)口角を一定の位置でキープしており上唇はほぼ動きません。動かないけれど無理に力を入れて押さえているのではなく適度な緩み具合を保ったままキープしていました。また下顎(下唇)もゴトっと下がるようなことはなくリラックスした状態で歌えていることがよくわかりました。細かい音型のときに口の形が崩れるときがありましたが、お歌には支障なしでした。

 

 

そんな素晴らしい口のポジションとは裏腹に声の硬さが気になりました。今までの印象は柔らかい声の中に一本の芯がブレずに立っているような印象でしたが、今回のリサイタルでは芯が必要以上に太くなっているような気がしました。お持ちのお声に対してキンキンするな、感じた事はありませんでしたが、オペラではなくリサイタル、オーケストラではなくピアノ伴奏で聞くとキンキンしているように聞こえ、そのせいでミロノフの唯一無二な柔らかい声を存分に味わうことができませんでした。響きもあることはありますが、ふわっと会場を包むような声ではなく、豪速球で飛ばしてくるような響きで、声質の甘さとキンキンする音色とスピード感のある響きが一致せず頭が混乱しました。

 

 

お得意のロッシーニ先生の細かく速い音型。リンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Languir per una bella」)は手が動きすぎて手が歌っているのかと思いましたが、手を動かしていた分上手に歌えておりました。コロコロ転がしてこそのミロノフ。素晴らしいです。逆にプログラム後半に歌ったリンドーロ(アルジェのイタリア女より)のお歌(「Concedi amor pietoso」)の細かい部分はギリギリ流れなかった、何とか歌いきれたと言うようなレベルであまり美しい歌い方ではありませんでした。

 

 

高い音をのばすときに顔をくしゃくしゃ(言い過ぎ?)にしていたのが気になります。鼻にシワが寄る感じです。顔に力を入れている割には声自体は力まずに出ているので、その顔のくしゃくしゃやめてもできるんじゃね?と思いました。高音域が売りのミロノフなのでこれから先も安定してお届けしてください。

 

 

表現力の乏しさ

オペラアリアと歌曲を歌うときの表現力に差がある。特にアルマヴィーヴァ伯爵やリンドーロは歌詞の内容と表情が合わさって楽しめるけれど、歌曲は表情の作り方や表現方法が一本調子で大枠で捉えて歌っているように感じた。暗い歌詞だから暗い表情みたいな単調さが気になりました。

 

もちろんお歌の強弱表現でやりたいことはわかったけれど、お歌で表現できるならそのまま歌えば良いのにというのが正直な感想です。その価値がある声だし声の良さで勝負ができれば一本調子大歓迎ですよ。

 

アンコールから1曲。課題曲の「Non ti scordar di me」です。こんなに何もない「Non ti scordar di me」は初めて聞いた。いい声!いい発声!だけではカラオケになってしまう。ベルカントの人が無装備でベルカントから出たときに何が起こるかが体現されました。

 

 

 

得意不得意

歌い始めて「本当にドイツ語?」とプログラムを確認してしまうくらいほわほわドイツ語でした。

 

まず「ü」の質がバラバラである。前の子音に影響を受けているせいなのか「i」になったりなんとか「ü」になったりしていて発音の安定しなさにびっくりしました。

 

次に(定)冠詞が強調されすぎていました。当てられている音の高さの問題でしょうか?無駄に強調される冠詞はこんなに品質を下げるのかと、お勉強しました。ネイティブ以外あるあるな気がします。

 

最後に、単語終わりの「n」に「e」がくっつく癖があるのが気になりました。「ne」になってしまうということです。最初は「n」を強調したくて歌っているのかと思いましたが効果あるのか?言葉を間違えただけかな?

 

ドイツ語になると音楽の流れがガタガタになるのも気になりました。だから上で書いたような冠詞の強調に繋がってしまうのかもしれません。ドイツ語で歌うことの難しさを改めて感じました。ベルカント極めていてもドイツ語になったらベルカントで培った流れの綺麗を持ち込めなくなるのだなあ、と。ミロノフに関しては別にドイツ語で歌わなくてもいいじゃん。他に歌うものいっぱいあるじゃん。なのになぜわざわざ歌ったのか疑問です。

 

フランス語の鼻母音ほぼ消滅していたのは見逃すよ。単語終わりの「e」の発音は綺麗だった。

 

ベルカントとイタリア語の発音の性格さはセットだと品質が格段に上がるということを再び学びました。ミロノフはイタリア生まれイタリア育ちではないので、イタリア語の発音を求めるのはお門違いな気もしますが、ベルカントの王子様であることを考えるともう少しはっきり発音してほしいところです。今回は語末の「e」の処理の甘さが気になりました。独特な発音の仕方。力を抜いているような音に聞こえました。力み過ぎてぺしゃんこな音を避けるための脱力だと思うのですが、悪目立ちしてるように聞こえました。

 

 

素晴らしいベルカントの歌い手ということであれば、発音の明確さや母音の明るさを求めたいところです。ただ、発音の明確さは訓練でどうにかなっても、母音の明るさは天性的なものですよね。苦しいところです。逆を考えるとミロノフレベルのイタリア語であればイタリアの歌劇場で通用するということですね(発音のみ)。これは希望がもてる!

 

 

ジュリオ・ザッパ

最後に触れておきましょう。ミロノフにピッタリ寄り添い派手さはないが的確な伴奏を披露してくれたザッパ。あなたの大きな愛がミロノフの音楽を包んでいました。頼って良い伴奏者がいるって素晴らしいよね。共闘してるような組み合わせも聞き応えがあっていいのですが、ザッパのピアノ演奏は落ち着きます。癒し。

 

ミロノフのロシア歌曲のCDの伴奏が大好きです。このCDを引き下げてツアーしてくれればいいのに。でもそれだとベルカントの関係者が来なくなっちゃうのかな?ソロも大変に聞き応えがありお決まりの伴奏から独奏までなんでも弾けますけど?といいたいようなポテンシャルの高さを見せてくれました。ありがとう、ザッパ。

 

最後に

正直な感想を書いた通り疑問の残るリサイタルではありました。その分学びは多かったですが。

 

ただ、ベルカントを極めることの大変さはよくわかります。なんでも歌うことができる人の方が注目を浴び評価されやすいですが、明らかにベルカントを極める方が大変です。誤魔化しが効かないからな。流れが切れたときに誤魔化す術がない。ベルカントを極める姿勢とこれまでのキャリアには敬意を表します。

 

 

以上です。

 

ミロノフ好きなんですけどね。

好きなものに常に好きだといえない世界だ。

それくらい声楽の技術は脆い。

 

オペラの一役で観るくらいがちょうどいいのかな?

 

思っている以上に「ü」は誤魔化せない。これは習得するしかない。辛い!

 

 

ミロノフへ

日本に来てくれてありがとう。

ロッシーニ先生のテリトリーから出ちゃダメだよ。

 

おしまい。

【バレエ】白鳥の湖(パリ・オペラ座バレエ団2024年日本公演)

2024年2月10日(土)18:30公演

東京文化会館大ホール

パリ・オペラ座バレエ団2024年日本公演 

ピョートル・チャイコフスキー作曲

ルドルフ・ヌレエフ振付

白鳥の湖

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はパリ・オペラ座バレエ団(以下パリオペ)の白鳥の湖を観に東京文化会館へ行って参りました。

 

コロナじわじわ期の来日公演ぶりのパリオペでございます。2020年の公演の際はギリギリまでチケットを販売していた記憶がありましたが、「白鳥の湖」に関しては早い段階で完売しておりましたね。「白鳥の湖×パリオペ」は強いのか。

 

念願のヌレエフ版白鳥の湖での観劇です。また、オニール八菜さんのオデット(オディール)とジェルマン・ルーヴェさんの王子は2022年の東京バレエ団公演で観劇しており、版が違えど同じペアの観劇ができて嬉しいです。

 

 

では感想いってみよー。

 

 

まず、

来日してもらっておきながらこのような感想を持つことに多少の申し訳なさを感じておりますが満足のいく公演ではありませんでした。感想を書くことも苦しいのですが、行動記録は大事なので軽く書いおきましょう。

 

 

 

原因①コールドのばらつきが気になる

揃っているように見れば揃っているように見えるのですが、つまり、揃っているように見てあげる必要がありました。

 

 

1幕のワルツでは男性陣のジャンプからの着地した体の向きがバラバラでした。男性陣に限らず全員バラバラしていた記憶あります。体の向きや手の下ろし方(スピード)が揃わないし、女性バレリーナをリフトから下すのときも1人だけ遅いということが起きてました。乾杯の踊りは揃っていましたが。2幕の小さな4羽の白鳥の踊りは動きは揃ってましたが、パ・ド・シャを4回するところで1回目より2回目、2回目より3回目とどんどん高さが下がっていってしました。揃っているだけにもったいなかったです。4幕の白鳥たちは全員で端に移動するときの振付に1人だけ立つタイミングを間違えた方がおりました。1人だけ床に伏せたままでした。カウントを取り間違えた「だけ」だとは思います。それだけですが、そのようなありきたりなつまらないミスをパリオペでは見たくなかったです。

 

 

 

海外の名門バレエ団が来日するということで期待値を上げ過ぎた気もします。観劇前に「パリオペ 現在 レベル」とか「パリオペ 古典 レベル」とかで検索かけておくべきだった。

 

 

原因②真ん中3人の存在感のなさ

終始暗い照明のせいなのか、オデット(オディール)・王子・ロットバルト(家庭教師)もパッとせず。凄まじい華やかさを期待していたので存在感のなさに悲しくなりました。特にロットバルト(家庭教師)はオデットでも王子でもないけれど「その他」ではない。ヌレエフ版だからこそのアプローチを楽しみにしておりましたが、全く主張してこず何をしているのかわからない。私がヌレエフ版初見だったら、「お前はなんだ?」とツッコんでいたでしょう。ちょろちょろしているだけといえばそれだけなので、そのぶん歩き方や手の出し方など所作の美しさを求めたいところです。それこそオディールも王子も食べちゃってロットバルトしか記憶に残らないくらいの勢いで来て欲しいのですが。

 

 

オデット(オディール)と王子にもつい追いかけてしまうような存在感はなく、どの場面もただこなしているだけのように感じました。もちろん踊りが一流なのでそれでも成立するといえば成立しますが、それ以上を見たいから劇場に行ったわけでございまして。そんな踊れているだけでいいなら誰でもいいわけでございまして。

 

 

オニール八菜さんは2022年や京都バレエ団との共演のときに感じた圧倒的な存在感は薄く、パリオペの団員と一緒にいると埋もれるな、という印象を受けた。真ん中にいるのに埋もれるの。どこにいても常に発光できるというのは難しいことなんだなと思いました。全員がエトワールになれるわけではないけれど等しい採用基準(推定)のもと同じ団体に所属しているわけで、全員が存在感があるのでそこからさらに輝くというのは大変でしょう。マチュー・ガニオは大丈夫だけれど。(ガニオさんは自家発電しているから照明落としても光っていると思う。)役を邪魔するレベルでキラキラできるくらいがちょうどいいのかもしれない。つまりガニオさん最強。

 

 

 

原因③オーケストラの音

これは来日楽団ではなく我が国のオーケストラなので逆に謝らねければいけないかもしれないばい。

全員体調不良か?

 

 

 

良かったところ

オデットは王子にとってちょうどいいオデット設定にしており、版によってここまで違うのかと驚きました。オデットから意思や感情を強く感じることはありませんでした。もちろんロボットように踊っているわけではないので悲しんだり王子と出会えて安心しているような雰囲気はありますが、何かのフィルターを通して見ているような感覚がありました。

 

オディールは全く王子に興味がなく、ロットバルトに雇われて王子を誑かしているような表現。手を差し出したオディールの手に王子が触りにいく振付は「お前こういうのが好きなんか?」と言いたげに何度か繰り返していて面白かったです。3幕でオデットが背景の後ろに映し出されたのをよく観察し、その後の振付で「こういう感じだったな。」と真似をして学習能力の高さが見えました。

 

 

ジェルマン・ルーヴェは束の間の2番ポディションが綺麗だな、と思いました。男性陣の脚力やジャンプ力がよくわかった公演でありましたが、やはりエトワールです。踊り出すと他と違うのがよくわかります。一つの動作に対しての通り道がとても美しいです。パッセからアラセゴンへの動作はどの瞬間を切り取っても変な写真にならないでしょう。瞬間瞬間が美しいです。ジャンプも安定感と跳躍力があり軽々と飛びます。また、着地のときのポジションの綺麗さもありますが、一番好きなのは着地が静かなことです。他バレリーナの足音が気になることが多かったのですが、ジェルマン・ルーヴェは静かに丁寧に着地します。3幕の花嫁候補との踊りで後半部分に一人ずつを軽く持ち上げるときに片腕を回すだけでフワッと花嫁候補たちが浮いてしまうのが最高に素敵だった。メランコリーな表情も大変美しく、踊らなくても価値があるなと思いますが表情豊かに踊る方がお得感がありますね。これはヌレエフ版だからしょうがない。

 

 

3幕の各国の踊りは床を削り倒す勢いで足裏で床を使っておりトゥシューズを履いている時との差が楽しめました。

 

 

チケットを買うことができて楽しみにしていた公演でしたが、正直に言えばチケット代の価値はありませんでした。安価な席で見たならばこの感想でもいいのですが、まあまあな良席を購入したのです。良い席で見ても面白くないときは面白くないのだなあ、とお勉強。思い返すと前回の来日の「オネーギン」観劇後に追いチケする予定でしたが見送りました。作品の問題ではなくもう1回観たいと思える仕上がりではなかったからです。当時の感想は良いところを拾って書いた気がしますが。

 

 

私はパリオペに所属する個人が好きなだけであってパリオペという団体は好みじゃないのかもしれない。めんどくさいお客様ですね。個々が出稼ぎで来日する公演くらいがちょうど良いです。

 

 

来日公演というお祭りでどこまで実力を発揮できているのかわかりません。これが完全体なわけがない。現地で観て初めて価値がわかると思います。誰かパリ行こうぜ。

 

 

 

ということでした。

この状態でマノンはしんどいので見送りました。

マノンが素晴らしかったことを祈ります。

 

おしまい。

【オペラ】ドン・パスクワーレ(新国立劇場)

2024年2月4日(日)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ガエターノ・ドニゼッティ作曲

ドン・パスクワーレ

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

2月3日の「エウゲニ・オネーギン」(チャイコフスキー作曲)千秋楽公演から「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ作曲)の初日へ訪問。ロシアからイタリアへ移動です。

 

 

喜劇作品を見るのはいつぶりかと遡りましたら2023年2月に「セビリアの理髪師」(ロッシーニ作曲)を観たのが最後でした。約1年ぶりの喜劇です。オネーギンからドン・パスクワーレは差が大きすぎて朝から変なテンションで活動し昼に劇場へ参りました。

 

 

 

それでは感想いってみよー。

 

 

 

掌握

タイトルロールのパスクワーレさん(ミケーレ・ペルトゥージさん)が強い。

 

 

幕が開き、パスクワーレさんが登場した瞬間から客席全体をつかみにきます。「私の家にようこそ!」と言うかのようなウィルカム体勢。招聘歌手をお迎えするはずなのに何故か招聘歌手に迎えられている事態。目を引くような動きをしているわけではないのですが、存在感の強さで一気に惹きつけます。舞台はパスクワーレさんのお家なのでこのような歓迎体勢で始まるのは楽しいし嬉しいです。

 

 

舞台上にいるときの視線の使い方や動作が客席を意識しており、客席にオペラを見せているというより客席と一緒にオペラを上演しているような巻き込みを感じました。弄ばれる客席です。完全に劇場を支配しています。自分の歌や芝居を客席に届ける完璧な術をお持ちです。何をすれば面白くなるのか、楽しんでもらえるかを理解しすぎているので動きに遠慮ないです。余裕はあるのに遠慮がない。「舞台慣れとはこういうことです。」と言われた気分です。

 

 

第一声が本物のオペラ歌手の声でこの瞬間に勝利を確信しました。体に音が入ってくる感覚は心地よいです。こちらが上手に聞こえるように聞き取る必要がない。席に座っているだけで良い。ありがたいです。

 

 

イタリア語ネイティブ(パルマ出身だそうです)に求めたい母音の明るさがあります。これだけで嬉しい。テノール歌手が一番わかりすいですが、バス歌手でも母音の明るさはあります。声自体の深さと母音の明るさが喧嘩しないのはいつ聞いても不思議です。喜劇でも悲劇でも明るさは維持されたままですが、音楽表現を邪魔することがない。これがイタリア語の正しい音なのだろうな。

 

 

オペラなので歌っていることには間違いないのですが喋っているように聞こえました。これは地声や喉発声という意味ではなく、音楽に言葉が的確に乗っかっており自然に歌えているからだと思います。つまり難しい技です。さすがイタリア語ネイティブといったところです。言葉の自由が約束されるだけで音楽もお芝居も膨らみます。

 

 

音楽に合わせてノリノリのパスクワーレさんが可愛いです。よく踊っていました。1幕のパスクワーレさんのお歌の前奏では管楽器の音に合わせて手に持った彫刻を筆でこちょこちょしているのが可愛かったです。曲の終わりには両手をバタバタさせながら拍手を求めてきました。最大の拍手をお届けしました。客席をものにしていますね。

 

 

3幕冒頭でノリーナの外出に反対しているのに、ノリーナに外出用の豪華なネックレスをつけてあげるのは優しさなのかな。また、3幕最後のノリーナとエルネストの結婚を許可する場面では、二人の間に立って二人が繋いだ手を持っていました。このときの表情には真剣さと悲しさがあり、自分の騙された気持ちと二人の門出を投げやりにできないという気持ちが入り混じっているように見えました。喜劇だからといってただ面白くするのではなく、そのときそのときの感情をどう歌っていくかどう見せていくかが計算されつくされている素晴らしいパフォーマンスでした。

 

 

 

 

ノリーナさん

可愛い。チャーミング。3幕のピンクのドレスと宝石(イミテーションでしょうけど)がとても似合う。

 

 

可愛いので全部OK!

 

 

とは流石になりませんが、でも良い出来だったと思います。お歌に関しては全体的にキンキンする声と高音の硬さはありましたが徐々に声が柔らかくなっていきました。最後までキンキンさは取れなかったのでこれはお持ちの声質なのかなと思います。転がすように歌う細かい音型は軽く柔らかく歌っておりました。聞いていて心地よかったです。フィナーレのお歌の転がり具合が一番よかったです。音が丸く口の中でボールが規則的にバウンドしているような綺麗な転がりでした。

 

 

細かい音型で最後の音が高音の場合、その音だけ悲鳴っぽくなってしまうのが気になります。癖かな?綺麗に上昇していくのに最後だけもったいないです。また、高音の切り方が雑なのも気になりました。急に終わる感じ。予期せずシャットダウンされたような歌い方でした。

 

 

ソプラノ課題曲である登場一発目のお歌は硬さが目立ちました。曲調が変わる前の笑い方が可愛くて歌よりも良い響きでした。その後の歌詞を間違えた気がします。「So anch'io la virtù magica〜」を次の歌詞である「so anch'io come si bruciano〜」と歌っていた記憶です。本人もびっくりしたのか表情が崩れました。大丈夫。ここ日本だから。顔に出さなきゃバレないから。最後の高音の伸びが悪かった。

 

 

パスクワーレさんを騙しているときと素のノリーナの切り替えが客席に伝わるようになればといいなと思いました。お芝居も硬さがありましたね。1幕で手紙を運んできた人に対して「アリガトウゴザイマス!」と言いりんごをお返ししていたのが可愛かったです。来日歌手だからこそできる演出ですね。

 

 

 

 

マラテスタ

前回の同演出公演(2019年)のときはマラテスタさんも海外からお呼びしましたが、今回は日本人のバリトン歌手を起用です。

 

 

 

忙しい役を上手にこなしていたと思います。高音域の行き詰まり感と低音域の響かなさは気になりましたが(良い響きで歌える音域が狭いのかな?)、肝心の中音域でイタリア語を捌いていく部分はとてもお上手でした。イタリア語が忙しい作品なので言葉が前に飛んでこないと聞いていて不安になります。イタリア語を守ってくれてありがとうというところです。

 

 

1幕のノリーナと一緒に歌う部分はまだお互いが遠慮しているように見えたので距離を縮めて絡んでいけたらもっと面白くなると思います。ノリーナと手を繋いでステップを踏んでいるのに視線が指揮者なのでせっかくの可愛い場面が味気なくなってしまいました。ノリーナ越しに指揮を見ることができたらいいですね。立ち位置的に難しいか。また、パスクワーレさんとの場面はパスクワーレさんが動ける方なのでそれを追い越す勢いで動かせたらもっと面白くなりますね。作戦を立てて指示を出しているのはマラテスタなので舞台上の主導権も持てるとより「っぽく」なると思います。このあたりは千秋楽まででのびるでしょう。

 

 

発音に関しては歌っているときは上手ですが、お手紙を読むときは浅くなるなと思いました。パスクワーレさんの母音の深さが素晴らしいので交互に歌うと浅く聞こえますが、イタリア語ネイティブが隣にいなければ問題ないです。これはどうしようもない問題かもしれませんが”o”の母音の深さが全然違うことに気づきました。声種が違うこともありますが、マラテスタも深い発音をしているのですが、パスクワーレさんが隣で同じ”o”が入った言葉を歌ったときの音の深さにびっくりしました。イタリア語の発音って難しいんだな。たかが”o”。されど”o”ですね。

 

 

さらっと外国人キャストに混ざって歌えて悪目立ちしないパフォーマンスができることは素晴らしいです。残りの公演も楽しく素晴らしいものになりますように。

 

 

 

エルネスト

とってもエルネストの声です。第一声で安心しました。お礼を言いたいくらいのエルネストボイス。太い芯はあるけれど柔らかい声でどこにも引っかかることなく劇場全体に声を届けます。お歌の流れも綺麗でほとんど母音の種類に左右されずに声が伸びます。歌っている姿に必死さはありますが、エルネストが頑張っていると思うと応援したくなります。

 

 

2幕のエルネストのお歌ではだんだん高音が詰まってきているように聞こえました。ちょっと歌いづらそうで心配でしたが、3幕のお歌は素晴らしく伸びやかな声が聞けました。2幕の高音に対する不安を帳消しにするような充実感のあるお歌になりました。素直な声が響き渡るのは気持ちいですね。鼻にかかるような部分もありましたがお歌のラインは崩れません。さすがです。

 

 

エルネストだけではないのですが、三人以上で一緒に歌うお歌になると全員が遠慮しながら歌っているのかオーケストラに負けちゃうのが面白かったです。1人だとちゃんと聞こえるのに束になったら聞こえないのは不思議。オーケストラが元気に演奏していたのでそのせいかもしれませんが。この作品は重唱も楽しいので頑張ってほしいです。フィナーレはよかったですが。

 

 

 

合唱団さま

言葉も作曲家も違いますが前公演のオネーギンのときの合唱と比べると楽に歌っているように聞こえました。声の揃い具合も違いますね。全体的に音の安定感がありました。小声で歌う部分は小さい音と厚みのある音が両立することがわかりました。お勉強させていただきました。

 

 

踊らせないけれど突っ立っているだけでなはない。適度なお芝居でお歌に集中できる環境がある。個人的のは今シーズンの「シモン・ボッカネグラ」(ヴェルディ作曲)の演出のようにほぼ背景と化している演出が好きなのですが、合唱団の愉快な感じが適度に楽しめるこの演出も好きです。2厨房の場面でお皿投げている方とキャッチする方が上手すぎて面白かったです。あの方たちはお皿投げのプロですか?

 

 

 

 

以上です。

この演出好きなのでまた観ることができて楽しかったです。

 

 

オペラ全幕観劇はしばらくなさそうです(予定)。

新国ともしばしお別れです。

中村ヴィオレッタの帰国を待ちます。

 

 

とりあえずパリ・オペラ座バレエを全力で楽しめるように体調に気をつけて生活します。

(オニールさんが日本入りされましたね。おかえりなさい。)

 

 

 

 

終わり。

 

指揮:レナート・バルサドンナ

演出:ステファノ・ヴィツィオーリ

ドン・パスクワーレ:ミケーレ・ペルトゥージ

マラテスタ:上江隼人

エルネスト:フアン・フランシスコ・ガテル

ノリーナ:ラヴィニア・ビーニ

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団

 

 

 

 

 

 

 

3回目【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

2024年2月3日(土)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ピョートル・チャイコフスキー作曲

エウゲニ・オネーギン

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

この日は新国立劇場オペラ公演「エフゲニー・オネーギン」(最後は世に通っている名前で書く)を観に行って参りました。

 

 

 

千秋楽です。

私は27日以外の3公演を観劇しました。

初日は2019年の絶望を思い出し気を引き締めて観劇。31日は数日前の藤原歌劇団公演「ファウスト」(グノー作曲)がどんちゃん騒ぎのバタバタ公演でしたので全てを許容するゆるゆるモードでの観劇。なので、千秋楽が一番フラットに観れた(聴けた)と思います。といっても数回観ている人のフラットなので演出への慣れはありますが。2019年の最初の投稿が一番フラットなコメントでしょうね。

 

 

それでは感想いってみよー。

 

この演出のすきなところ

前回の投稿ではお歌の話をした記憶があるので、この投稿では2024年公演の新国オネーギンの好きなところを書いておきます。再演演出家の方の腕前でしょうか?良いお仕事をしてくださったと思います。

 

 

 

①タチヤーナとファミリーが仲直り

2019年に観劇したときはタチアーナとファミリーの対立関係のような演出が嫌で嫌でトラウマになりましたが、2024年ではだいぶ解消されたように思います。

 

 

ママは若干冷たいものの嫌いまでいかないように見えました。「人と変わっているうちの娘」を許容しているようで、オリガに向ける愛情とは違うけれど娘に対する愛情がないようには見えませんでした。安心です。オリガもタチアーナに対して嫌いという感情を持っているよりかはタチヤーナに構ってほしい故に意地悪をしているように見えました。1幕1場でオネーギンとタチヤーナが一緒に舞台から退場するときに追いかけていこうとする場面はタチヤーナが気になるのでついていきたいのかな、と思いました。ニャーニャの心配そうにタチアーナを見る視線に愛情を感じました。今後も家族円満でお願いします。

 

 

 

 

②オリガがジャム

この演出においてはジャムがオリガの本体ですね。1幕1場では煮詰めているジャムをつまみ食いしていました。自家製ジャムは美味しいだろう、タチヤーナにもあげようとしたけれど断られていました。2幕1場ではレンスキーくんにジャムを食べさせてあげているところから始まります。誰にでもジャムをあげたいオリガ可愛い。2幕2場終幕間際の「Владимир, успокойся, умоляю!」でもジャムの瓶とジャムを掬ったスプーンを片手にレンスキーくんに近づきます。食べて落ち着こうってことか?演出としてはよくわからないけれどオリガが可愛いから好きです。

 

 

 

 

③レンスキーくん激おこの後のタチヤーナ

レンスキーくんが怒っちゃった後に歌う「В вашем доме 〜」が始まる間際にタチヤーナがレンスキーくんの近くに寄り肩に触れるのが良い。二人の視線があったときにタチヤーナがニコッとするのが良いです。オネーギンに傷つけられた同士諸君だもんね。舞台上ではオリガとレンスキーの仲しか描かれていないけれど、タチヤーナとレンスキーくんも一緒にいた時間があることを教えてもらった気がした。(前回か他の演出でも同じ感想を持っただった気がする。)

 

 

 

全体的にはよろしくないけれど好きなところがないわけではない。

 

 

逆にトリケの演出は全部嫌です。演出ね。演出。

早急にドミトリー・ベルトマンさん(この公演の演出家)にオペラトークならぬトリケトークをお願いしたいです。意図と意味を是非ともお伺いしたい。トリケのお歌が始まる前の部分がほとんど聞こえない問題に関しては、演出サイドも想定していなかったのかな、と思っております。多少聞き取りにくくても「歌」と「ガヤ」の区別はできると思っていたが、いざ歌わせたら想像以上に声が聞こえなかったけれど続行するしかなかったのかな、のかと。

 

もし「トリケの声は聞こえなくていい。」というお考えならトリケになんらかの恨みがあるはずなので悩み相談に乗ろうと思います。オペラなので譜面が第一優先ですよね。2幕2場のピョコピョコしているトリケはそもそもいらないんだけど、もしこの演出を続けるのであれば最後の泣き声だけはカットでお願いします。嗚咽というかもはや吐いているのではないかと思うほど汚い。オーケストラの演奏を潰していますね。歌は響かないのに鳴き声は妙に響くし。

 

 

 

 

1幕3場の紗幕に映る葉っぱの落下速度がめちゃめちゃ気になるのです。最初から最後まで射幕が降りたままで、舞台上で実際に葉っぱがひらひら落ちてくるのと並行して紗幕にも葉っぱが落下する映像が映し出されます。映像の葉っぱの落ちる速度の速さとほぼ直線落下なのが気になります。多少はひらひらしていますが実際に落ちてくる葉っぱと速度が合わないのがなんかストレスだった。どうも、めんどくさい客です。

 

 

 

 

では歌手個人の感想。

 

 

 

グレーミンの現役バリバリ感

31日に感じた声に籠りが千秋楽では程々に解消された。よかった。

 

 

オネーギンの後ろに周り、手でオネーギンに目隠しをして「だーれだ?」と遊ぶグレーミン。オネーギンが振り返ったら「グレーミンでしたー!」とやるの可愛すぎる。イチャイチャするな。お友達感がでていいね。そんなことしなさそうなビジュアルでやっちゃうのがまた可愛い。

 

 

今回のグレーミンは若いです。現役感がすごい。プログラムには退役軍人と書いてありますが本当かしら?現役の間違いじゃ?グレーミンのお歌はしっとり大人の魅力をアピールするかのように歌っている方が多い印象ですが、今回のグレーミンは躍動感のある歌い方です。めちゃめちゃ熱い人ですね。単語一つ一つに圧がありオネーギンが説教されているように聞こえました。

 

2回目の「Любви все возрасты покорны 〜」部分で声量を落としますがしっかり聞こえます。深みと愛情のある声で良い。その前の「Среди лукавых, малодушных〜」をかなりはっきり歌っていたので違いが出て良かったです。1番最後の音はあまり声量がなくオーケストラに消されていましたが、そんなものかなってところです。この部分は松本グレーミンが大変素晴らしかったのが記憶に残っておりますので私の中ではハードルが高い音です。松本オネーギンの記憶はだいぶ薄れましたが、グレーミンの最後の音だけやたら鮮明に覚えているのでよほど楽しかったらしい(私が)。

 

 

プログラムに記載のある通り「愛妻家」であることがよく伝わるお歌と表情でした。一曲しか歌わないのに全てを表現して帰っていくなんて素晴らしいです。素敵なグレーミンをありがとうございました。

 

 

ジャムとオリガ

オリガは初日が一番よかったです。低音の衝撃があったからかな。

 

 

出だしお歌「Слыхали ль вы〜」は声が響かなすぎて焦りましたがその後は通常運転になったので安心しました。レンスキーくんが「Я люблю тебя, я люблю тебя」と一生懸命に愛を歌っているのですが、去っていったタチヤーナとオネーギンの方を見ているのでレンスキーくんには背中を向けているのがおもしいですよね。正面から聞いてあげてよ。2幕1場のパーティーでは、倒れたトリケに対して一番に駆け寄り扇子で仰いであげます。優しい子です。モグモグしながらだけれど。タチヤーナとオネーギンが一緒に踊るように促すのもオリガです。ここはお節介で好き。

 

 

歌うときに首が筋張るので相当力で歌っているんだなと思いました。オリガのパート量だから持つけれどもっと歌うところがある役だと最後まで声が保てるのか気になります。低音の質は好みですしどの母音でも発音がこもらないのは素晴らしいです。

 

 

ビジュアルの話をするのはこの時代怖いものもありますが、オリガ役の方(アンナ・ゴリャチョーワさん)美しいです。すらっとしていて頭から肩にかけてのラインが綺麗。長身のオネーギンと並んでいると違う物語が始まりそうなくらい収まり良いです。

 

またどこかでお会いしたいです。

 

 

タチヤーナになったタチヤーナ

よく頑張った。千秋楽が一番良かった。

 

 

1幕1場のオネーギン・レンスキー・オリガと一緒に歌うお歌は千秋楽も良い響きで歌っておりました。全てのお歌をこのお歌のように素直な発声で歌えれば良いのですが、それだとタチヤーナの声としては細く軽いので曲と合わなくなってしまいそうです。同じく1幕の2場の手紙の場は本当によく頑張ったと思います。初日から大きく進化しました。歌手の成長を見に劇場に行くわけではありませんが、大きく変わったのを確認できるのは悪くないですね。

 

 

 

まず、初日から気になっていた動作が振付になっている感じがだいぶ薄くなりました。千秋楽でも場所を移動するときに「あそこまで行かなきゃ!」のような必死さが見えるときもありましたが、その他の動きは自然になりました。自分の動きとして昇華できたのだと思います。動きが自然になってきたのでこちらの集中力も続き千秋楽で初めてお皿を割ることに抵抗がなくなりました。違和感はある。割らなくていいなら割らない方針でお願いしたい。

 

「Была бы верная супруга И добродетельная мать」の部分(たぶん)で子供を腕に抱えあやすような動きが今日はとても自然に感じました。ちょっとだけ短かったかもしれません。ここの振付あんまり好きじゃなかったのですが今日は受け入れることができました。31日で微妙だなと思った「Вот он! Вот он! 」部分はだいぶ改善しました。もうちょっと声芯がほしいところですが。

 

 

この日のハイライトは「Кто ты, мой ангел ли хранитель〜」部分です。ここは素晴らしかったです。小さい声で細く響かせることができ、下降音型も崩れることなく丁寧に歌っていました。小さい声で響かせることは何よりも難しい気もしますが、彼女の場合は大きい声で歌うことよりも自然に声が出るのでこのような歌い方の方があっているのでしょう。「〜заслуженным укором! 」部分の後のオーケストラはバイオリンの上昇音型の硬さを感じました。滑らかさをもっとください。

 

 

 

1幕3場のオネーギンのお歌(お説教)を聞くタチヤーナの表情がとても良いです。2019年はアホの子タチヤーナになっていたのでお歌の意味が伝わっていないことへの解釈に困りましたが、2024年はオネーギンが歌っていることの意味を理解しており、暗い顔をして聞いていました。とても好きです。ただ、最後にオネーギンの腕に頭をくっつける(もたれ掛かる)のはちょっと謎。

 

 

 

3幕1場のタチアーナさんの表情ですが、時が経って彼女が変わったことを表情でも表現してほしいな、といったところです。初日よりは改善しましたが、笑顔がふにゃとなる方のようなので、やはり子供時代のあどけなさがまだ残っているように感じてしまいます。あまりニコニコせずに微笑む位の高貴な感じで、お願いできたらなと言うのはあります。可愛いのですが1・2幕との差がほしいです。

 

 

3幕2場は初日との違いが良然です。最初から声が落ち着いて出ており、きれいに響かせることができています。地声っぽくなるのもだいぶ解消されました。ゆっくり歌える部分の完成度は高いです。オネーギンに淡々と語るように歌っていて、タチヤーナの今の立場がよくわかります。「Ах! Счастье было так возможно〜」の部分好きですね。切ないです。最後の「Навек прощай!」部分の最初は地声っぽくなっちゃうのが気になりますが、最後の音の伸びは千秋楽が一番でした。

 

 

もちろん他のタチヤーナと比べたらまだまだですが、ロールデビューということを加味すれば大健闘でしょう。舞台経験を重ねて成長できるということも才能ですからね。カーテンコールの際のタチヤーナから解放された笑顔がとても可愛く素敵なので、終始この笑顔で歌える役でまた出会いたいです。お疲れ様でした。

 

 

ビジュアル系オネーギン

まず、この方のお歌の技術ついて。不可解なこの人の技術力に関して、今日はお口の動きに注目しながら見ていたのですが、口角を無理にあげてるような力の入った口元がよく見えました。口の開き方は悪くなく口角に力が入っているが横に引っ張っているわけではありません。3幕に出てきたグレーミンと比べるとわかりやすかったのですが、同じように縦に口を開けていても、グレーミンは口周りは脱力しているのに対し、オネーギンは口元が固くなっているように見えます。声種が違うので一概にはいえないのかもしれませんがこの2人が同じことをやっているようで全然違うことが確認でき勉強になりました。

 

 

もちろん口角の力が抜けているときもあります。力が抜けていると初日で感じたノイズっぽい声がなくなりスムーズに声が出ている印象を受けました。3幕1場の「Увы, сомненья нет〜」が1番脱力を感じた部分です。力が抜けたことにより言葉の運びがスムーズでスラスラと歌っているように感じました。音域の問題もあると思いますが。ただ脱力したために声に勢いがなくなり声量も落ちます。口元の力を多く使って歌っていることがわかりました。口元で全てをコントロールすることは難しい。というかできないし、できたとしてもつくりもののような声になってしまいますね。また、大きい声や高い音出すときに胸と腰にテンションがかかります。胸が張り腰が反ります。腰痛が心配です。

 

 

1幕3場のオネーギンのお歌の出だしの音が力任せに出しているように聞こえ違和感がありました。初日より手の動きが減ってよかったです。3幕2場の言葉の捌けなさはだいぶ解消しましたが、言葉を言うことに必死になって、息を吸うときの雑さやテンポ感の甘さは千秋楽も気になりました。ご本人も自覚しているのか指揮を見る頻度が増えます。指揮を見るのは構わないですが上手に見てくれ。タチヤーナに歌っているのか指揮者に歌ってるのかわからなくなってしまいます。

 

 

 

3幕1場でタチヤーナを見つけたときのオネーギンの表情が「金のなる木」を見つけたときの表情です。答えここにあり、と感じました。その後3幕2場でタチヤーナが脱いだドレスを手に取り匂いを嗅ぐ(嗅いでない?)のですが、結局このドレスを着ている公爵夫人に興味があるだけでタチヤーナ本体はどうでというベルトマンからのメッセージでしょう。私はそう思いました。

 

 

1幕の衣装は長身で腰の位置が高いことを殺してしまうシルエットです。オーバーサイズのようにみえます。一緒に登場するレンスキーくんとお揃いに見えて仲良しだなぁ、と思いました。それ以外の黒い衣装はジャケットのラインが綺麗でお持ちのスタイルが活きるます。2幕1場の最初の方の居心地が悪そうな表情がツボです。後半の貼り付けたような笑顔もツボです。

 

 

2幕2場で死んだレンスキーくんから離れないオネーギンと袖から駆け寄ってくるオリガとママが遭遇してもお互い冷静なのすごいよね。私がオリガだったらオネーギンに一発喰らわす。

 

レンスキーくんを見ずに発砲して即死させることができる銃の腕前が素晴らしい。転職した方が良いですね。

ヘルデンレンスキー

初日と変わったところがあまりないですね。発声を優先しすぎている発音と声量で倒しにくる歌い方がなんか愛おしくなってきました。いいものではありませんがちょっとだけお別れするのが寂しい。私の面白レンスキーフォルダに入れておきます。

 

 

高音域での詰まりそうな母音を徹底して避けます。「ты」が「えい」になるのも納得ですね。

下記、茅野先生の記事より。

 

でも " Ты одна в моих мечтаньях, " のところの Ты のズリ上げは大いに改善の余地あり。最早 Ты じゃなくて「(子音 т 消滅の後)えい~↑」だったもんな。

新国立劇場『エウゲニ・オネーギン』2024/01/24 - レビュー - 世界観警察

 

「え」で音を当ててから「い」に変えれば高音にて詰まるリスクは軽減されますよね。「い」を詰まらずに柔らかく出せる人は少ない。だいたい上手に誤魔化す。「т」行方不明になりましたが、気持ちはわかります。しかし大胆すぎる。だったらもう「えー」で良い。「い」に直そうとする意識はよくわからない。もっと誤魔化し方を考えてください。

 

 

1幕1場の登場場面はオネーギンとほぼ同時に登場するので初見だとどっちがオネーギンかわかりにくいですね。でもすぐに「みんな、こっちがオネーギンだよ!」と教えてくれるので優しさを感じます。紹介してくれるのとても親切。同じく1幕1場のお歌の最後の方で、オリガに指輪をプレゼントするためにポケットを探って取り出すのですが、探すことに気を取られているように見えて心配になります。歌い終わってから取り出すじゃダメだったのかな?集中してほしい。

 

「Куда, куда, куда вы удалились〜」の赤字のところは相変わらず押しますね。押し広げるという方が近いか。主張が強い母音が生まれる割に音楽の流れがきれないの不思議です。出だしの「Что день грядущий мне готовит?」部分は勢いがありすぎます。最初から高めの音だから声量出して安定させたいのは分かりますが、繊細にお願いしたい。

 

 

 

プロフィールを確認するとワーグナー先生の作品の役をレパートリーにお持ちのとこと。確かに。ワーグナー先生のお歌を歌うならこの強い声は役立ちますね。オーケストラに負けることなく声が届くでしょう。ワーグナー先生の作品を歌ったら上手なのかはわかりませんが、レンスキーくんを歌い上げるには決定的に違うものがある。ロシアのテノールの名刺代わりの役柄とディミトリー・コルチャックさんがインタビューで答えてましたが(リンクは下記)、合わないのに歌う必要もないと思います。ロシア人テノールということへのジレンマみたいでスッキリしません。

ebravo.jp

 

 

 

自分に答える

書くことなくなると思ったので前回の投稿で自分にお題を振りました、

でも書くことあったのでお題必要じゃなくなったのですが一応答えておきます。

 

 

初日と31日公演で気になったところは解消されたか?

→概ね解消。タチヤーナの動きが良くなったことは大きい。グレーミンもこもった感じがなくなった。ニャーニャの手の動きは少なくなったと思います。この方は手が動いていないとこの方が声が安定します。逆か。安定しないから手でバランスを取ろうとしているのか。

 

 

疑問点の答えが見つかったのか?

→オネーギンの発声の謎がだいぶわかった。

 

 

で、結局新国オネーギンはどうよ?

→再演演出家が頑張った(推定)ので2019年よりは良くなった。オーケストラの音と音楽つくりが2019年より良いのでこの演出でも見れるようになった。しかし、今年はグレーミンとオネーギンのビジュアル以外キャスティングミスが否めない。

 

 

 

そして本日も茅野先生とお会いできました。嬉しかったです!後ろから突撃してすいませんでした。フルスコア持参さすがです。

 

 

茅野の先生の記事は大変勉強になります。自分が見ていなかった(聞いていなかった)部分に関しての説明は新しい発見になりますし、同じところを見ていたとしても先生の言葉で説明してくださると解像度が上がります。先生がいるからオネーギンがさらに楽しくなります。

 

 

弊ブログは茅野先生の記事から飛んできてくださる方も多いですが(ありがとうございます。)、もし、茅野先生のサイトに未訪問の方がいらっしゃるなら下記よりご訪問ください。必読です。

sylphes.hatenablog.com

sylphes.hatenablog.com

sylphes.hatenablog.com

リンク外の記事も必読です。

先生の記事を読んでロシアとデンマークに行きましょう。

 

 

茅野先生、今度ともよろしくお願い致します。

アスミク・グリゴリアンさんのコンサートで再会できることを楽しみにしております。

5月なんて実質明日ですので(?)。

 

 

以上です。

書きたいことがでてきたらまた書こう。

では、さようなら新国オネーギン。

 

 

私は大野和士くんの任期中にもう1回あるのでは?と思っている。ラストシーズンで自分で振るのでは?と。和士くんのオネーギン怖い。恐ろしい。やばい。

 

 

そして、今後の

 

新国立劇場だってロシアオペラやるんだもん!」

プロジェクト

 

はどうなるのでしょうか?

ボリスくん来ちゃう?来ちゃう?来ちゃう?

イオランタ(再)かな?

新演目くるかな?

 

 

 

では、さようならー。

 

 

 

終わり。

 

指揮:ヴァレンティン・ウリューピン

演出:ドミトリー・ベルトマン

タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン:ユーリ・ユルチュク

レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク

ラーリナ:郷家暁子

フィリッピエヴナ:橋爪ゆか

ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ:升島唯博

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団

 

 

 

 

2回目【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

2024年1月31日(水)14:00公演

新国立劇場オペラパレス

ピョートル・チャイコフスキー作曲

エウゲニ・オネーギン

 



 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

この日は1月24日に引き続き新国立劇場にてロシアオペラのエウゲニ・オネーギンを見て参りました。

 

では感想いってみよー。

(藤原歌劇団の「ファウスト」のおかげでハードルが下がっております。加糖しまくりの甘い甘い感想をお送り致します。)

 

オーケストラ

全体的に良く聞こえました。間違いなく初日より好みだし、2019年の公演分を含めて考えても1番よく聞こえた演奏でした。最初から最後までしっかりとした演奏。あれ?と思った箇所がないわけではありませんが忘れましょう。初日の感想でも書きましたが序曲出だしの「ドゥン」がちゃんと聞こえれば基本的に満足なのです。

 

 

序曲はフレーズごとに丁寧に着地をしていくような演奏でした。フレーズの終わりにきちんと「。」を書いていくような、しかし、決して流れを切ることなくに次に繋いでいました。下降音型をどんどん被せてくるようなたたみかける演奏が好きなのですが、ゆっくり演奏しても音がしっかりしていれば楽しめるものだと気づきました。

 

 

 

同じく序曲中盤の下降音型を異なる楽器で引き継いでいく部分は別の旋律を演奏する弦楽器の力みなのか歪みなのか、原因はわからないのですがノイズっぽくなるのが気になりました。ただ、双方が潰れることなく、かといって遠慮しているわけでもなく両方が自立して音楽になっているように聞こえました。物語の導入大事だからね。

 

 

 

 

そのまま1曲目のお歌への繋ぎも綺麗でした。そもそもこの作品は曲と曲の繋ぎが綺麗だから劇場でもそこを聴かせてくれるのは嬉しいです。ママの「Корсет, альбом,〜」のところで管楽器がピロピロしているのが好きなのですが、あんまり聞こえなかったです。歌に集中していても勝手に耳に届くのですが初日もこの日も聞こえず。ママのロシア語を聴き取るのに必死になっていたからかもしれませんが。千秋楽では気をつけます。

 

 

 

手紙の場はオーケストラがちゃんといました。これは嬉しい。なんならタチヤーナよりでしゃばっていいと思っている。どちらが主役かわからないくらいが正解な演奏だと思っている。出だしからお歌に入る前までは、もっと情感をくれー、と思ってしまいましたがそれでもよく鳴っていた方です。途中指揮者の息遣いが聞こえてきた気がします。最後のタチヤーナの「〜заслуженным укором!」の後のオーケストラがとても良かったです。最高でした。ここはオーケストラが全力で主役を奪いにくるところですね。掻っ攫ってください。全部持っていって!!音量もあり圧も強めで大変に好みでした。

 

 

 

全体的によかった。よかったのですが、音量の強弱表現に頼りすぎている気がします。0か100かの強弱表現です。悪くはないのですが何度も何度もくる強弱にだんだん飽きてきます。もし私が初めて生のオーケストラを聞いたのであれば純粋に驚くし楽しいと思いますが、リピーターになってしまった私からすると一本調子で少し退屈です。嫌だねー。慣れって嫌だねー。めんどくさい客じゃん、私。ホルンの不安定なときが目立ったのと、1幕2場(手紙の場の後)のオーボエはもっと軽快にお願いしたい。実直すぎる。

 

 

 

オペラ全体の枠に囚われ過ぎずにフレーズ・文章・1つ1つの音にアプローチをしていくような音楽つくりは興味深く、突拍子もないことをしているわけではありませんがとても新鮮です。指揮者のやりたいこともわかってきました。しかし、オーケストラ(歌手も)がまだついていけてないといったところではないのでしょうか。千秋楽でどこまで化けるか。期待します。

 

 

歌手

下手ではないけれど、決して両手を手放して上手と言えるほど上手ではない。それが全員に共通することです。グレーミン公爵に関してはここから除外したいところですが、この日の歌声は少々疑問が残りました。ただ書くことも少ないのでここに一言。音が籠るのが目立った。そしてオリガは特殊です。

 

 

歌手の声の気になった点を書いて終わります。

オリガ

まあよくそんなにくっきりはっきり低音が出ますね、といったところです。口の開き方が綺麗です。私が見ていた範囲では、唇を横に引っ張ることがなく常に縦に開いて歌っておりました。この方は人のお手本になるような歌い方をしているのか、と言ったら疑問がありますが、低音を素晴らしく歌いこなせることは事実です。真似しようとしたら確実に籠ってしまい無理矢理低音を歌っている感じになると思います。特殊です。特殊。訓練で得られるものではないのでは?ただ声に硬さがあるので出番が多い役だとどうなるかわかりません。喉の疲労も気になるポイントです。レンスキーくんとの掛け合い(1幕1場)は声の相性が良いのだか良くないのか分からず。好みによって大きく意見が分かれそう。

 

 

タチヤーナ

とても素直な声です。初日は演技力のなさが気になりましたが、この日はだいぶ動けるようになっていたので改めて声の良さに気づきました。

 

所謂ロシア人ソプラノ歌手として想像する声よりも明るく軽い声を持っています。胸から上で歌っているような浅さは多少あるけれど響きが落ちることは少ないです。タチヤーナを歌っていると自分の声が乗る(歌いやすい)音型やフレーズはとても美しく繊細な声が聞ける一方、無理につくったり重くしたりしているように聞こえるときもあります。「タチヤーナ向きの声ではない」(新国のインタビューより)とのことですが、私も同意見です。外国だから歌えるチャンスがあったわけで、ロシアでタチヤーナとして通用するかと言われたら難しそうです。彼女が下手なわけではなくもっと良いタチヤーナがいるということです。あの国は全員タチヤーナだからな(違います)。

 

この日一番よく聞こえたフレーズは2幕1場のレンスキーくんが怒っちゃった後の「Потрясена я,〜」部分です。他劇場や音源などで聞いた印象だとキンキンしてしまう人が多い記憶がありますが、このタチヤーナは優しい歌声で柔らかく歌われていました。これが本来生かすべき彼女の声なのでしょう。

 

 

 

手紙の場も初日より健闘しておりました。(かいつまんでいうと)手紙を書いているだけの場面をどう見せるか、というお話しですがとても頑張っていました。初日は指揮やプロンプターを見ているのが丸わかりでもうちょっと上手に見てくれ、と思いました。見なきゃダメなのはわかる。でも見方に上手い下手がある。今日は視線が落ちることをそこまで感じませんでした。初日よりオーケストラの支えも厚かったので歌いやすかったのかもしれません。

 

 

手紙の場はタチヤーナに向いている向いていない問題がよくわかります。お持ちの良い声が生かされていないと思います。中音域だと輝かないのです。中音域を歌いまくった後の高音(そんなにないけれど)は響きが悪くなる。疲労かな?もう少し聞いて考える価値がありそうです。後半の「вот он,вот он!」の母音の浮つきが気になりました。踏み切れないというか音が甘いというか。フォルテだったような。最後の「〜заслуженным укором!は発声の位置を胸に落とすことで安定はするのですがお持ちの軽やかな声が全く生かされなくなるのは辛いですね。つくっているような声になってしまうのが気になりました。この声自体は悪くないのですが、あなたのアピールポイントはそこではないので。なんか勿体無い?

 

 

 

また3幕2場が優秀で(オネーギンはなんかおかしかったけれど)丁寧に精密に歌っておられました。中音域でも丁寧に歌う余裕があれば綺麗に響くのですが、言葉を捌いていかなければならない部分(特に手紙の場とその前後)は地声感が出てしまいますね。最後の「Навек прощай!」まったり発音している時間がないので雑な発声になりその後の高音も十分な準備ができずに浅い高音になってしまったのでしょう。そもそもこのような劇的な高音を出して輝く声ではない。

 

 

 

感想書いていたら彼女の声がタチヤーナではないことがよくわかってきた。歌える合っているって違うからな。そのせいで歌いたいものが歌えない苦悩が発生する。タチヤーナを本格的にレパートリーにお迎えするなら中音域の丁寧なトレーニングが必要な気がします。規則正しい作品(役)というかかっちりしている作品(役)の方が良さそう。モーツァルト先生とか?彼女本来の声が十分に味わえる役柄でまた出会いたいものです(千秋楽行くけど。)。

 

オネーギン

この人の声はよくわからん。難しい。言葉で書けるのか。

 

オーケストラの音楽に支えられてボロが出ていませんが、発声の浅さは気になります。壁打ちのような声の出し方で深みや奥行きがない。ピアノ伴奏だとちょっと怖いかも。

 

 

音の広がりがなくただそのまま口から出しているような声で、骨格が日本人とは違うのでそのような出し方でもある程度響きますが、同じことを日本人がやったら悲惨な結果になります。また、レンスキーくん同様、力技で解決する部分も多いです。次の音がある程度離れているときは結構な確率で押しながら歌っています。初日にも気になった1幕3場の「мечтами,мечтами〜」の「та」の謎の崩れは、無駄に口に力が入ってるのが原因な気がします。声を発した後に、口を広げていたのでその動きが不自然な音を生んでいるようです。伸ばすために口の力を使っているのでしょうか?どのみち謎ですね。

 

 

 

 

3幕2場は初日以上にぐだぐだしていました。タチヤーナ同様オネーギンも言葉捌きが美しくなく、ひたすらしゃべっているような部分は余裕がなくなり発声・発音ともに雑になります。言葉捌きが追いつかないからか、テンポが保てなくなりオーケストラとのズレが発生していました。音の取り方もだんだん甘くなっていきました。指揮者も一生懸命指示を送っていましたが、途中から指揮者が諦めてオネーギンにテンポを合わせた気がします。一生懸命指揮を見て歌っていましたがズレるものですね。

 

舞台映えする容姿となんとなく歌えているので評価は高そうですが私はまだ考えようと思います。

千秋楽への宿題とします。

 

 

レンスキー

レンスキーくんはレンスキーくんを歌うにしてはテクニックの繊細さがかけるというところでしょうか。

これまた言葉で言うのが難しい。「Куда, куда」の歌詞を少々お借りして感想を書きます。

 

まず、

Куда, куда, куда вы удалились,〜

初日は2回目の「Куда」の「да」を広げ過ぎたのが気になりましたが、今回はその後の「удалились」の「да」を広げました。スムーズに歌ってくれ。

 

 

Что день грядущий мне готовит?

出だしの声が「とりあえず爆発させておこうぜ!」と思っているのではないかというくらい爆発している。声量出さないと最初の音にたどり着けないのはわかるのですが、漫画だったら右横に「バーン!!!」と書かれてしまうような声。繊細さも情緒もない。発声的には怖い。拳銃打つのはその後だからもうちょっと待って。「Что」の発音に関して、初日は「ショーン!!!」と言っているように聞こえましたが、この日は頑張ったら「Что」に聞こえるかなあ、と思いました。私が私の耳を正しい発音に寄せました。優しい。ただ「Ч」と「то」の間に謎の時差がありました。「то」の「о」で音をはめるので高音を正確に出すための時差だとは思いますが、これはいただけないですね。この方は自分の歌いやすいように発音を誤魔化していますね。ソプラノ・テノールだと良くあることですが流石に崩し過ぎです。

 

 

иль мимо пролетит она〜

「мимо」の「м」がやたら前に出てくる印象を受けた。子音がきちんと聞き取れるレベルで発音されるのは嬉しいのですが悪目立ちも良くないので難しいところです。

 

 

Ах, Ольга, я тебя любил!

最初「あはーん!」と聞こえてしまいました。まじで自由な発音。

 

 

1幕と2幕1場で口の動きに注目していたら、口を開けたときに舌に力が入っているように見えました。無理矢理下の歯の裏にくっつけているように見えました。もちろん客席からオペラグラスで確認したので推定ではありますが。唇が横にひっぱりすぎることはないけれど、舌が力が入ってしまい硬くなるから音も一緒に硬くなってしまっているのかもです。母音ごとの声質の変化があるなか音楽的な流れを失うことがないのは素晴らしいです。だから上手に聞こえるのだろう。ただ自分の気持ちの良いところで歌い過ぎていますね。広げ過ぎ歌い過ぎの良い例でしょう。

 

 

ママと乳母とときどきトリケ

ママは相変わらず低音域とそれ以外で声質が変わってしまう。低音域の吠えるように押し出す歌い方は軽減されたように聞こえたが言葉が聞き取れなくなった。ニャーニャは相変わらず指揮している。トリケがタチアーナの名前覚えていない演出が嫌だ。

 

以上です。

 

 

茅野先生、茅野先生のフォロワーさま、ご一緒できて嬉しかったです。

勝手に混ざってすいませんでした。楽しかったです。

 

 

残すところ一公演、千秋楽です。

めでたく終わってください。

 

 

千秋楽の感想は

初日と31日公演で気になったところは解消されたか?

疑問点の答えが見つかったのか?

で、結局新国オネーギンはどうよ?

 

以上3本立てでお送りする予定です。

テーマ決めとかないと。

もう書くことないし。

今日の感想も本当はオネーギンの物語の話をしたかったですが結局お声の話をしている。

 

では千秋楽で。

 

 

 

終わり。

 

指揮:ヴァレンティン・ウリューピン

演出:ドミトリー・ベルトマン

タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン:ユーリ・ユルチュク

レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク

ラーリナ:郷家暁子

フィリッピエヴナ:橋爪ゆか

ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ:升島唯博

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団

 

その2【オペラ】ファウスト(藤原歌劇団)

2024年1月27日(土)14:00公演

東京文化会館大ホール

藤原歌劇団公演

シャルル・グノー作曲

ファウスト

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

藤原歌劇団公演のファウストの感想その2です。

 

 

 

昨年の「二人のフォスカリ」の際に土曜日公演の方が好評だったので今回は土曜日に観劇してみましたが、効果なしでした。土曜日は安定キャスト、日曜日は挑戦キャストと聞いたのですが。グーグル先生に。ダブルキャストだと両方観たくなるものですが、この公演に関しては私のメンタルが心配なので二日間は無理ですね。

 

 

 

藤原歌劇団唯一の良いところは開演前と終演後に総監督がロビーでご挨拶しているところです。関係者だけでなく、私のようなパンピーにも「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」と挨拶をしてくれます。この部分は推せます。

 

 

 

昨日の投稿で「若い男女ではなく妙齢の〜」と書いてしまいました。同じことを書きました。失礼いたしました。修正済です。本当は「初老」と書いたかったのですが我慢しました。

 

 

 

 

では感想の続きにいってみよー。

 

 

 

 

マルグリート

ビブラートが多いです。ずっとビブラートがくっついてくる。細かい音符以外はビブラートになってしまう。声が保てなくなってきているのかな?効果的ではないビブラートはこちらの心労になります。次に高音が悲鳴です。ほぼ全て悲鳴であり絶叫である。何を叫んでいるのか、と思ったらお歌でした。ああ、そこは音符なんですね、と頭をの中での確認作業をしておりました。

 

 

 

「トゥレの王」から「宝石の歌」が大好きなんですけれども、こんなにもつまらなく歌えるものなのだな、とある意味新しい発見に感動しました。こんなに可愛い曲をこんなにも普通に歌ってしまうなんて。歌詞に何個「!」がついているのでしょうか。1人でキャッキャしている可愛いマルグリートちゃんをください。

 

 

 

 

「トゥレの王」は出だしの声から響かないので聞き取り辛い。いつ歌い始めたのか分かりにくい。暗くつくりながら歌っているように聞こえ、間に挟むセリフのような部分との対比を表したかったのかもしれませんが、セリフも暗い。一応お歌とセリフの区別はつきましたがもう少しわかりやすくお願い致します。

 

 

 

その後の宝石発見する場面の

 

Ô Dieu! que de bijoux ! 〜

上記部分、全然驚いていないように見えました。このマルグリートちゃんは宝石をもらい慣れてるのかな?ご一緒のオーケストラの音が寂しかったことも関係しぬるっと始まりました。そこから「宝石の歌」に入る前までのセリフ部分はとりあえず歌っているように見えたし聞こえました。セリフ部分でお芝居しなくてどうするのでしょうか?

 

 

そして私のお気に入りである「宝石の歌」に突入。

 

Ah ! je ris de me voir〜

驚きの「Ah!」のはずですが、カスったような声に聞こえました。ため息っぽくしたかったのかなと考えることもできますが、技術的な問題で上がる音型に力尽きて最終音を上手に出せなかったに一票です。

 

 

Est-ce toi, Marguerite ?

この自問自答可愛いじゃん。なのにただ歌っているだけで寂しい。文章ごとに感情を乗せてほしいわけですよ。そんなあっさり味付けで歌わないでくれ。もしかして可愛く歌わない演出なのか?

 

 

C'est la fille d'un roi !

「fille」の部分の上がっていく音型は流れが滑らかで良かったです。

 

 

Ah!Comme une demoiselle Il me trouverait belle !

「Ah!」で上がっていくときに一音一音がしっかりはっきり階段になってしまって、ボコボコしていました。一個前の綺麗な流れはなんだったのかと思うくらい段差を感じました。その歌い方でよければ全員が明日からマルグリートよ?その後の文章は2回違う音型で繰り返しますが、同じ言葉を発音しているとは思えないくらい、1回目と2回目で声質が変わってしまいました。一音ごとに口から出る矢印の方向が変わるような印象を受けました。

 

 

Qu'on salue au passage !

最後です。この最後の高音は唯一悲鳴になりきれなかった高音でした。良かったです。喉にへばりついた高音ではあったけれどオペラな高音でした。この音符の上にはフェルマータがついております。しかし、この公演では3拍あったかもあやしいです。早めに切り上げた気がした。伸ばすものだと思っていたので3拍が異常に早く感じただけかもしれませんが。もしかしてフェルマータついてなかったか?

 

 

 

 

 

ファウストがとんでもない事故を起こしていたので彼女が上手に聞こえそうですが、ちょっと立ち止まってみました。本当は立ち止まらなくてもわかるレベルだけれど。「宝石の歌」が上記の通りだったのでそれ以降はマルグリートちゃんにはあまり注目せずに観てました。5幕の精神病んじゃったお芝居は上手でしたね。視線の使い方が特に上手。アイメイクにラメを使用しており、照明に当たって無駄にキラキラしてしまったのが気になります。狙いは何?反射で表情が見ずらいです。

 

 

メフィストフェレス

誰が一番マシだったかと聞かれたらこの方ですけど、あくまでマシであって良かったではありません。

 

 

唯一の外国人歌手でイタリアのご出身の方です。

 

 

2幕の「金の子牛の歌」は前奏の迫力に上手に乗っかりましたが、張り切りすぎな気もします。しっかり歌えることはいいことですが、もうちょっと落ち着いて歌ってほしい。自信満々な歌い方は慣れているのかこの歌がお気に入りかですね。私もメフィストフェレスのこのお歌が大好きなのでこれを上手に歌ってくれたことには大満足です。3幕以降、他の歌手の疲労が見え始め、ファウストが高音を失っても、メフィストフェレスだけは初登場時より上手になっていきました。疲れを感じさせずに歌ってくれることに感謝。メフィストフェレスまで声を失ったら誰が話を進めるんだよ。生き残ってくれてありがとう。

 

 

 

周りが周りだったので、相当上手に聞こえたような気もしますが、正直な話をすればそんなにお上手ではなかったです。声量と目力で解決しているように見せてましたが、喉から発せられる声が多く、また天井の低い声で音の伸びやかさがありません。年長者や技術者が支えてくれる公演に出演し余裕を持って舞台に臨むのが良いと思います。このぐだぐだな舞台を引っ張っていってくれてありがとう。仕事は選んでいいんだよ。

 

 

誰ですか?事前予習にディーマ(ディミトリー・ホロストフスキーさん)の音源を聴きまくっていた人は?そんなにハードルを上げてはいけません。

 

 

音楽の流れというものが皆無です。終始音と音の間が切れる。一回一回音が落ちる。高い音は数回ひっくり返りそうになる。危なっかしい。ブレスの位置がよくわかる。上手に吸えていない気がする。目が泳ぎっぱなしで視線が定まらないと上手に歌えないって本当なんだなあ、とお勉強した。どちらかというと死に際のお歌の方が上手でした。体を倒しながら歌っていた方が無駄に力まずに声でるもんね。ただ、とんでもない歌詞を歌っているのに対して棒読みだなあ、と。みんな棒読みだったから浮かないけれど。

 

 

マルトとシーベルとワグネル

マルトに関して、人種であーだこーだ言うと怒られちゃう可能性がありますが、日本人メゾソプラノは低音がこもる人が多いですよね。低音担当なのに一番しっかり聞こえなきゃいけない音が曇ります。こもります。口の奥の奥の奥の方で言葉をつくっているように感じました。モワモワしている。この方の良かった点は舞台映えする身長をお持ちの方でメフィストフェレスと並んだ時に子供っぽくみえないところですね。

 

 

 

シーベルの方はデスピーナちゃん(「コジ・ファン・トゥッテ」)を歌った時に聞いております。声飛ばし大会を行なっていたのなら優勝です。強めの声が勢いよく飛び出していくように聞こえ爽快感はありましたが発声方法がそれでいいのかは疑問です。力技なのが気になります。ズボン役ということとお持ちの声がよくあっていました。お歌もまとまってはいました。教科書に書いてあることはやっていると言ったところでしょうか。ただ、声の響きや広がりなどオペラ歌手に求めたいような技術は披露されず。良かった点を挙げるならお兄ちゃんがマルグリートの方へ行こうとするのを止めているときの表情ですかね。

 

 

 

ワグネルは分厚いフェイスシールドでもつけているのかと思うくらい声が遠い。以上。

 

 

 

 

以上です。S席定価17000円の公演です。恐ろしい。

 

 

 

私の席からはファウストに対してのブーイングは聞こえませんでしたが、他の方の感想を拝読しているとブーイングがあったそうです。なんでもかんでも拍手をする人ばかりではなくて安心します。ただ、ブラボーが聞こえたのも事実です。

 

 

 

日曜日(1/28)の公演がこの日より良いものであったことを祈ります。

恐ろしくて感想を読めない。

 

 

 

どうしましょう。ちゃんとしたのが見たいシリーズが溜まっていく。

 

 

終わり。

 

指揮:阿部 加奈子
演出:ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ
ファウスト:村上 敏明
メフィストフェレス:アレッシオ・カッチャマーニ
マルグリート:砂川 涼子
ヴァランタン:岡 昭宏
シーベル:向野 由美子
ワグネル:大槻 聡之介
マルト:山川 真奈
合唱:藤原歌劇団合唱部
バレエ:NNIバレエ・アンサンブル
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

 

 

【オペラ】ファウスト(藤原歌劇団)

2024年1月27日(土)14:00公演

東京文化会館大ホール

藤原歌劇団公演

シャルル・グノー作曲

ファウスト

お世話になっております。

三島でございます。

 

この日はグノー先生のオペラ作品であるファウストを観に東京文化会館に参りました。

 

 

ファウストは好きなオペラの一つです。音楽が怖かったり可愛らしかったり厳かだったりと多彩な部分とマルグリートちゃんの救いのなさが良いです。最終的に救われるけど。

 

 

それでは感想いってみよー。

 

オーケストラとバレエ

オーケストラピットにいらっしゃるのは東京フィルハーモニー交響楽団さん。派手さや面白みは少ないですが、スタンダードをスタンダードに遂行する力はあります。

 

お歌の感想はこの後書きますが、この公演はオーケストラの演奏に救われました。全幕を通してしっかり音を出していた印象。テンポ感に疑問を思う部分があったり、全体を通してドラマチックさには欠ける音楽づくりではあったけれど、歌手が舞台上でどんちゃん騒ぎをしていたことに対して、舞台上の影響を受けずに自分の仕事をしていました。

 

 

2幕のお兄ちゃん(ヴァランタン)のお歌の前奏はイマイチでした。何を始めたのかわからない。その後のメフィストフェレスのお歌の前奏はとてもかっこよかったです。しっかりはっきり出てきた音がこの曲の面白さのアピールになっておりその波に歌手も上手くに乗ることができていました。綺麗に下地をつくってくれているな、と思いました。

 

 

3幕マルガリータのお歌(「トゥレの王」)の前奏の入りはテンポが早くて驚きましたが、歌に入る前の溜めの効果を狙ったのかなと思いました。その後、宝石を見つけたときの音はあまり主張がなかったので寂しかったです。舞台上の歌手の声量と合わせた音量だったのかもしれません。私の大好きな「je ris de me voir Si belle en ce miroir!」の後の下降音型が本当に素晴らしかったです。下降だけれど上に上がっていくような華やかな音に感謝。フルートさんありがとうございます。ここがこの日のハイライトです。

 

 

5幕のバレエ場面(「ワルプルギスの夜」)はオーケストラさん頑張っていましたね。バレリーナさんたちの踊り自体はよかったですが、振り付けの単調さや意図する内容の安直さに面白みがありませんでした。難しいことをやってほしいわけではありませんが普通すぎるのも良くないですね。難しいところです。歌手が事故につぐ事故だったことを思うと、ここでバレエ場面までわちゃわちゃされると危険すぎるので結果オーライです。

 

 

フィナーレはもっと厳かで神秘的に演奏したほうがよかったのではないでしょうか。舞台上に女性合唱がわらわら出てきたとこもあり、厳かというよりスーパーハッピーフィナーレのようでした。

 

合唱

新国立劇場の合唱団を上手と思いつつもここと言うポイントがなく、良いところはどこなのか考えていることもありましたが、藤原歌劇団の合唱を聞いたことにより新国立劇場の合唱団の上手さがわかりました。比較対象がいないとわからないと言うところはとりあえず置いておきます。

 

 

 

藤原歌劇団の合唱は全員が真っ直ぐ前に声を出しているように聞こえます。直線なので声が広がらずに数メートル先に落下するような歌い方です。もちろん合唱なので束になることにより声量はありますが良い響きになりません。また、ハーモニーがなくそれぞれが好きなように歌っているように感じます。合唱という団体ではなく、合唱にいる「俺」の声をどこまで届けるか、という試合のようでした。その点合唱団の一員として合唱を行うことができるのが新国立劇場の合唱団ですね。藤原歌劇団の合唱はソプラノ・テノールはそれでもまだ聞こえますが、低音域担当の方々はお留守にされることが多いみたいで声が聞こえません。

 

 

舞台自体は広いのですが、合唱が動ける範囲が狭いので常に群がっているのも気になりました。広く使えば良いのに。2幕にちょっとした踊りの場面があり、ぎこちないペアダンスを見せてくれました。こういうのがイマイチなのは新国立劇場も一緒だね。

 

 

4幕のお兄ちゃん帰宅の場面。兵士たちの行進の手のばらつきがとても気になりました。兵隊さんなので揃えた方が良い。そんな難しいことではないと思うので綺麗に合わせましょう。しょうもないところなんだけれども、こういうところに気を配れると舞台の完成度が地味に上がると思います。

 

演出

新演出だそうです。幕が開いて思い出しました「藤原歌劇団お金ないんだった(推定)」と。昨年の「二人のフォスカリ」に続きお金ない演出です。ただ今回は衣装はしっかりとしたつくりに見えました。触ってみたらペラペラな可能性ありますが。

 

 

 

舞台上には大きい3枚のスクリーンがあり、色々な写真を映して舞台背景としておりました。スクリーンの活用は便利なのだろうけれど、一気に安っぽくなるから別のところで舞台のクオリティを上げる必要が出てきますね。スクリーンに色々映し出されることを確認しただけなので特に感想はないです。このスクリーンが舞台装置になり扉の役割や部屋の役割も果たしていました。

 

 

歌手全員

とってもとってもカラオケ大会でした。オーケストラ付きのカラオケ大会っていいなあ。

 

 

歌手全員の声が喉にへばりついているように聞こえました。全員が喉に力をかけて歌っているようで高音を出したり強く歌うことはできても抜けるような声はありませんでした。客席に声を届けることはできていると思いますが届いているだけで全くもって良い響きではありません。頑張って思い出しても良い声だった人も音もないです。

 

 

メフィストフェレス役のアレッシオ・カッチャマーニさん以外にいえることですがフランス語が不明瞭です。私自身、フランス語は何とかオペラや歌曲が聴けるレベルにしかできないので詳しいことを言える立場にはありませんが、アレッシオさんだけ子音がはっきり聞こえるな、という印象を持ちました。子音が飛ぶというのでしょうか?単語と文章の切れ目がわかる発音でした。残りの方たちは終始言葉がモゴモゴしていてフランス語という前提で聞いているのでフランス語に聞こえますが前提がなかったらわからないと思います。モゴモゴフランス語部ですね。私も多分そのレベルだから入部しよう。

 

 

 

以下歌手個別にしたかったのですが、この投稿ではファウストのみ。

残りは別更新します。

 

ファウスト

好き勝手に歌い後半はほぼ高音が出ずも拍手をもらえる幸運な方です。

 

 

 

1幕出だしから声は怪しい。

 

・母音によって声質が変わる

・「i」の母音が固い

・全力で喉声

 

全幕通して上記の通りです。3幕以降は

 

・高音でない

 

が追加されます。上三つだけならよくある話でもあるので、テノールあるあるだなあ、と思って終わりにできなくもないですが、四つ目はちょっと厳しいですね。正しいポジションで高音が出ないのではなく、声になってないのです。本当に出ないのです。音がないのです。一大事です。

 

 

原因は根本の発声方法がよろしくないことによるものでしょう。基本的に押し出すように歌い高音も何も考えずにビャービャー叫ぶ。声量を段々大きくしたいときに口で操作している(=口回りに力が入る)。全部が喉から出ている。「お腹から声を出す」という具体的なようでスーパー抽象的な表現がありますが、ちょっとだけその意味がわかりました。お腹がお留守は危険。まだなんとかなっていた1・2幕で発声ポジションを正しい方向に修正できていれば、声がでない事態は避けられたかもしれません。力技で出しているので相当の負担が喉にあったはずです。あんなに大きな会場で。疲労です。

 

 

3幕の見せ場のお歌はひどいもので何が何だかわかりません。拍手とブラボーをもらえているのが謎です。その後、他の歌手と一緒に歌う場面では中音域はかき消され、本来目立つであろう高音域で存在が確認できない事態に陥っておりました。

 

 

 

1幕でファウストメフィストフェレスと取引をし若返りますが、若返ってないんだよね。マルグリートも若くみえないので若い男女というよりもっと上の年齢の不倫カップルに見えるんだよね。あれ?読み替え演出なのかな?プログラム読まなきゃ!

 

今回は2回休憩があったので遅くても2回目の休憩までに代役を用意し交代する必要があったと思います。声が出てないのです。つまり仕事ができていないのです。裏事情はわかりません。代役がいなかったのか本役が譲らなかったのかわかりません。ただこのレベルで歌えない場合は劇団が然るべき措置を取るべきだったと思います。代役もしくは舞台袖から代役が歌い演技本役で行うなど。(そんなことあるのか?)歌手の実力発表会ではありませんので。作品にもお客さまにもよろしくないのでは?冷静な判断を何卒お願い致します。(芸事の世界だからよくわからないけれど一般企業だったら責任問題な気が?する?)

 

残りの感想は後日に別投稿にて。

 

 

終わり。

 

指揮:阿部 加奈子
演出:ダヴィデ・ガラッティーニ・ライモンディ
ファウスト:村上 敏明
メフィストフェレス:アレッシオ・カッチャマーニ
マルグリート:砂川 涼子
ヴァランタン:岡 昭宏
シーベル:向野 由美子
ワグネル:大槻 聡之介
マルト:山川 真奈
合唱:藤原歌劇団合唱部
バレエ:NNIバレエ・アンサンブル
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団