三島の見解

古の女子高生

2回目【オペラ】椿姫(新国立劇場)

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2022年3月21日(月・祝)14:00公演

椿姫

新国立劇場オペラパレス

 

 

 

椿姫!

千秋楽おめでとうございました!!

感想を書きます!!!

 

 

 

今回の椿姫は、初日と千秋楽を観劇。

今考えると、もう一回は見たかった。

とりあえず3ヶ月くらい公演してほしい(長っ)。

 

 

 

千秋楽に行く前に、微妙(正直)と感じた初日の感想を更新し劇場に向かう。

(↓これです)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

千秋楽は、きっと大丈夫でしょ。

中村恵理はやってくれるでしょうと。

不安もありましたが、期待をする気持ちを持って劇場に乗り込みました。

 

 

 

 

この日は中劇場も小劇場も公演あり(多分)とのことで、初台駅も劇場内も人で溢れておりました。

着物を着たマダム、テノール風のオペラ歌手風(あくまで風ね)の人もいれば、アイドルのファンっぽい子もいる。歌舞伎町から直行してきた感じの女の子までいる。オペラパレスの公演だけだと、あまりお見かけしないような方々もいて、新鮮だったし、ちょっと楽しかった。色々な人が好きな格好(ドレスコートがなければ)で着ていい場所なんだなって思った。

 

 

劇場の写真を撮っている若い方も多かったな。彼女(彼ら)にとって、新国立劇場、もしくは劇場は非日常なのかもしれない。劇場は日常の中にある非日常であってほしいね。

 

 

 

 

 

 

さて、椿姫千秋楽!

もちろん中村恵理は復活!!!

 

 

 

 

 

では感想へ。

 

 

 

 

 

中村恵理カムバック

本当に安心した。蝶々夫人で聴いた彼女のは嘘じゃなかった。

よかった。本当によかった。

 

 

「E strano!〜」の「È strano!」の言い方が良かった。音的にはすごく軽く柔らかいんだけど、そこに今起きたことに対する感情が乗っていた。あんまり好きな言い方じゃないけど「少女に戻った。」みたいな。ちょっと違うんだけど。一番近いかな。「È strano!〜viver mio?」を一切押さずにやりきった。跳躍も何なりと。初日は発声に乱れがあって粒が揃っていない感じが否めなかったのですが、千秋楽はやりきった。すごいな。ほんとに。

 

 

しかも、「E strano!〜Croce e delizia al cor!」って座ってやってましたよね?なぜ?できる?

私、隅で歌う演出好きなんだよね。特に意味はないんだけど。

 

 

「Sempre libera」も良かった。4回下降が続くところは押した感じ(確か3回目)はあったけど、初日と違い無理矢理な上げ方ではないのでこっちはストレス少なめ。もちろん高音も綺麗。アップダウンの激しい曲を歌いあげることがそもそもすごいことなんだけどね。個人的には「Nasca il giorno, o il giorno muoia」の「muoia」の音。低音が美しすぎる。低いからって投げやりにしない、コントロールされている音。しかもここからCまで上がる。「muoia」の位置をちゃんと掴んでないと、Cまでいけないよね。てかCか。あらま。

 

 

忘れてた、乾杯の歌の後の拍手を止める(シーってやる)ヴィオレッタ可愛かった。

 

 

パパとのシーンは終始、落ち着いているヴィオレッタだった。

パパとの声の相性があんまり良くないなとは思った。

 

 

アルフレードの「Che fai?」からはもっと取り乱している演出の方が好きだけど、最初から最後まで落ち着いている感じだったな。私はここが一番盛り上がるところと思っているところ、というか好きなところなのでで、もっと重々しく、バタバタ(?)にやって欲しかったけど、この演出も面白かったです。淡々と粛々とパパのお願いを聞く大人なヴィオレッタ。

 

 

「E tardi!」は今回も最高だった。そこまでの後ろのオケが切ないこと切ないこと。若干怖いんだけどね。

 

 

「Addio del passato」は歌自体は初日と変わらずな気がしましたが、気迫がすごかった。このあたりから最後までこちらの集中力を切らせないのがすごかった。そう思うと、中村恵理は一人で全部やる方が得意なのかもな。3幕はヴィオレッタ以外空気だったし。蝶々夫人も蝶々さん以外がパッとしない感じだったのが逆に良かったのかも。「La tomba〜」のあたりでオーケストラがフォルテで襲いかかったきて、ものすごく立体感がでた。「Addio del passato」って結構淡々と終わってしまうから、音楽の盛り上がりが顕著にあると良いのかもね。てかピアノの上にいるの面白い。

 

 

「Parigi〜」はアルフレードとの歌い方の差がとても切なかった。元気な青年と、死がそばにいる女性。リズムが崩れてるわけではないけれど、どことなく、一歩だすのが重い感じがした。「De' corsi〜」の軽い歌い方もすごく綺麗だった。吐息っぽいんだけど、歌詞ははっきり聞こえるんだよね。なぜ?

 

 

そこから最後までは、こっちの気持ちを考えてほしいくらい、切なく、苦しく、悲しかった。「Voglio uscire」が叶わない。ヴィオレッタの希望を言っている言葉が本当に重い。

 

 

蝶々さんもだけど、死ぬ役だから余計にそう見えるのかもだけど、毎公演毎公演、魂を削って歌っている、演じているいるように見える。

 

 

 

中村恵理は最高だった。(敬称略でお送りしました。)

 

 

 

 

攻撃的な演奏であれ。

 

個人的な好みかもしれませんが、どんな曲でも守りに入ったら面白くないんだなって感じた。

 

オーケストラ!初日よりもまとまりと迫力がUPしていました。初日は、まとまりこそありましたが、そっちを優先するあまり、音楽がペレペラしてるなって、「魂どこいった?」って音だったけど、千秋楽は迫力あり、そしてしっかりまとまっていた。よかった。元気すぎてときどき歌が聴こえなくなることもあったけど、音楽表現的にはすごく良かった。1幕序曲の出だしと3幕の出だしの弦の音色が切ないこと切ないこと。心臓を鷲掴みにしてもぎ取ろうとしてきた。こっちが死ぬって。絶妙な音色。

 

 

あと、「frattanto avrà〜」のところ。オケが全力で不安を煽ってくる感じが凄まじく心を締め付けられた。おどろおどろしい音がヴィオレッタの背中を死へ向かって押している。もう助からないんだってヴィオレッタも客席もどうしようもなくそれを受け入れる。オーケストラ止まったらヴィオレッタは助かるんだろうなって、でも絶対に止まらない。ヴェルディの音楽が美しく残酷に一人の美しい女性を死へと導いていった。なので、こっちも死にそうだった。

 

 

 

てかさ、新国オネーギンと同じ指揮者なんだよね。

信じられないほどの出来の違いよ。

オネーギンの仕上がりはなんだったのか(永遠のトラとウマ)。

 

 

 

 

 

だけれどやっぱり盆踊り、されどやっぱり盆踊り

合唱の登場シーン。手を上にあげて、走ってくるんだけど、なんかものすごく盆踊りだった。

拭えないのだ、私たち日本人の血は。生きるのだ日本人として、って感じでよかったよ。

8ビートに乗っかれない。ワルツなんて踊れやしない。

 

 

演出家が日本人じゃないからさ、「これをやると日本人はこうなってしまう。」っていうのはもちろんわからないじゃんか。誰か助言するわけにはいかないのかな?3幕のジュリアナ東京もだけどさ。「あなたがイメージするような仕上がりにはならないんです。」って言えないものか。無理か。まあ、演出家がそういったことを理解するよりも、どういった指示や要求がきても、それなりに西洋人に見えるようにトレーニングをしておく必要があるよね。

 

「Semre liberta」でヴィオレッタも若干盆踊りになっていたから、どうしようもないのはわかるけど。

 

 

1幕の合唱が戻ってくるところ「Si ridesta〜」はすごく不気味でよかった。今回の総じて薄暗い演出にはあっていた。何かを決意したような表情のヴィオレッタとの対比がとても美しかった。

 

 

3幕女性合唱のジプシーのところの変な動きはなんですか?

変な動きをしてくださいって指示ですか?ジプシーの動きですか?

そういえばカルメンの時も変な動きしてたな。

変な動きが変な動きすぎて気になってしょうがないのですが!!

何か意味がありましたら教えてください。

 

 

あとね、舞台セットが囲いみたいになっていて(伝われ)、2幕の途中で倒れて(伝われ)、「後ろ広ーい」ってなるんですね。で、その倒れたおかげでスペースができるので、そこを埋めるために合唱の方々が移動するんですけど、この移動も新国名物の「ただ移動する」になっていて面白かった。舞台から捌けるときや、ちょっとした移動の時とか、全員が素に戻るんだよね。その辺り、なんとかしてくれたらもっと芝居に厚みが出ると思うよ(誰?)。

 

 

 

 

感情が先に出るパパ

演技派のパパ。

感情表現が豊かなパパ。

 

 

初日に感じた、1フレーズ目だけレガートがとても美しくて、2フレーズ目から何かが崩れるっているのは改善され、2フレーズ目までがレガートでとても美しく、3フレーズ目から何かが崩れるになりました。

 

 

やはり、感情が先行してしまうのだろう。

「俺の息子と別れろやい!」ってなんの慈悲もないような歌を歌っているのに、パパ自体はもうメンタルボロボロなのよ、「ヴィオレッタまじごめんね!!!」って感じなのよ。「じゃあなんでそんなこと言うの!」って感じなのよ。「piangi,paingi」って言ってますけど、あなたの方が泣いてますよね。

 

 

後、仕草がいちいちかわいいよね。泣くのかい、汗拭くのかい、帽子触るんかい。

最後のシーンはパパは後ろに下がっていくのですが、その動きすら可愛かった。

 

 

 

 

 

印象の薄いアルフレードくん

とても上手だった。イタリア人の特権(言葉にストレスがない・そもそもヴェルディの国の人)を存分に生かした歌唱だった。ストレスフリーで本当によかったんだけど、ヴィオレッタとパパの印象が強すぎてあんまり覚えてないんだわ。ごめんよ。

 

 

ヴィオレッタのことは忘れて(というかいい思い出にして)次に行きそうなアルフレードくんだった。もっと愛の重さ、みたいなものがあっても良いのかもね。歌える人だからこそもっと色々なことを付け足して言ってほしいっす。

 

 

ヴィオレッタとパパの二重唱だと、あんまり声の相性がよくないなって感じたのですが、ここにアルフレードくんが入ると、美しいハーモニーができる。中和の役割を果たしながら自分の声も美しく届けることのできる。重唱に置いてとても重宝される存在だと思います。

 

 

 

 

 

 

そんな感じかな。

 

 

初日を観た人全員に観てほしい千秋楽だった。

 

 

 

今思うことは、中村恵理のヴィオレッタにまた会いたいと言うことだけ。

同じ状態ではもう見れないと思うと寂しい。

彼女が歌う・演じるヴィオレッタの人生を何度も観たいと思う。

 

 

 

 

 

 

新国立劇場でみた中ではドン・パスクワーレに続く完成度だった。

ドン・パスクワーレとは違い、真ん中に立つ歌手が日本人であったことは絶対に忘れてはならない。