三島の見解

古の女子高生

【オペラ】ラ・ボエーム(藤沢市民オペラ)

2022年11月6日(日)14:00公演

藤沢市民オペラ2022-2024シーズン

ラ・ボエーム

 



 

 

 

 

 

 

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

三島でございます。

 

 

 

 

 

今回は神奈川県は藤沢市がお送りするオペラ公演を観に行って参りました。

理由は言わずもが中村恵理さん(以下時々敬称略)が出演するからです。

 

 

 

演目はみんな大好きプッチーニ先生のこれまたみんな大好きラ・ボエームです。

中村恵理はミミです。そうですミミです。死ぬ役に定評がある(?)中村恵理。

今回もしっかり舞台上で死ぬ役です。

 

 

 

 

 

市民オペラに対してどこが良かった、どこが上手くなかったなど言うのはナンセンスで市民が本業の合間を縫って練習し披露するものに対して大きな心で観劇し何がどうなろうと大きな拍手を送らなければなりません。いいんです。プロでないのならいいのです。本人が楽しければ良いのです。

 

 

 

がしかし、なんと本公演は市民オペラという名前ではございますが、ソリストがプロ、大人合唱もプロ(全員プロかは不明)、子供は知らんが、オーケストラもプロという全く市民じゃない市民オペラなのです。市民オペラってそんなものなの?「市民(の金で成り立っている)オペラ」ってこと?ちょっとよく知らないのでパンフレットと藤沢市のH Pでお勉強します。

 

 

 

 

 

ということでプロのオペラ公演だったので今日も素直に率直に感想を書きます。

 

それではいってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

驚きの薄さ

プッチーニの音楽はいつでもどこでもどんなときもわかりやすく、こちらが考えを巡らせなくても流れてくる音楽をそのまま受け止め消化し昇華すればいいのです。それがプッチーニ先生の世界の素晴らしいところであり、なんとも入りやすい音楽なのです。とりあえず音出しておけばそれなりに立体感が出ると言いますか、書いてある通りやれば100点みたいな。答えは全てテキストに載っているテストみたいな。悪口じゃなくてね、こちらがあーだこーだ考える隙がないってことね。

 

 

 

しかしまあ今回の演奏はペラペラでしたね。うっすい。棒読みオーケストラ。魂は何処。楽譜に書いてあるままやれば立体感が出るはずなのに何故か薄いのね。プッチーニの音楽でそんなお通夜テンション(?)になるんだなと。何も印象に残ってないし。オーケストラが空気。演奏してた?オペラのオーケストラというよりカフェで流れているBGM感が強かったね。主張をしない音楽というのは嫌いではないですが、「主張しない」と「中身がない」は違うからな。オペラのオーケストラはBGMではないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うちのディーヴァ不在

中村恵理さーーん!どこですかーーー?

と言いたくなるような、偽中村恵理(偽ディミトリーみたいになった。新国ボリスくんどうぞよろしくお願いいたします。是非よろしくお願いします。)なのかと疑いたくなるほどの歌声。

 

 

 

中音域がやたらキンキンする。そんな声で歌う人ではなかったはずだ。椿姫の初日の方がまだ良かった。

(その感想はこちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

第一声の柔らかさが良い。いつももっと強い声で歌い始めることを想定するのだけど、いい意味で裏切られ、ものすごくソフトに入ってくる。一番最初を力まないことが上手く歌えるコツなのか?

 

 

 

 

 

高音の安定感と響きはあるものの、蝶々夫人で聴いたような無限に広がるような響きではなく、力技でなんとかやり過ごすような響かせ方。口も極限まで開いているというか、唇に力を感じるというか。高音の時だけ口を「ガバ!」と開けているような。もともと大きく開ける人ではあるが、観ていて気になることはなかった。今回は気になった。今まで聴いた中で一番力が入っている(悪い意味で)歌唱だった。そもそも劇場自体がオペラのための劇場じゃないというところが大きいとは思う。その中で客席に声を届けることを優先すると無理矢理感が出てしまうのは仕方ない。でも、まあ、悲しみ。

 

 

 

 

 

低音の響かせ方や低音部分のイタリア語がよりはっきりするのは相変わらず素晴らしい。彼女の歌唱は高音から低音まで声の変化がないなと改めて感じた。苦手な形の音の運びや切り替えの位置などを感じさせない。このあたりは本当に素晴らしい。

 

 

 

 

 

大西さんの一緒に歌っていると気持ちキンキン度合いが改善したので、一緒に歌っている人の問題なのかな?今回キンキン系歌手多かったからつられたのかな?蝶々夫人のときのように一人で舞台を引っ張り上げることができればいいのだか、ミミと役柄に置いて(というかボエームというオペラにおいて)は時間や周りに決定権を持たれてしまっ

ているので難しいのかな?(蝶々さんは自分で死ぬタイミング決めるから決定権があるじゃんか)

 

 

 

 

 

ムゼッタと一緒に歌うと響きの差がわかりやすかった。中村恵理の方が口の中(から頭の上まで)の空間が広い。一方ムゼッタはひたすら顔面に音を当てて響きが偽物浅いことがわかる。この辺が聞き取れればば中村恵理が一線を引くオペラ歌手であることに気づけるかもしれませんが、なんせ比較対象がいないとわからないほどによろしくない日だった。いやもっと一人でできる人なんですけどね。

 

 

 

 

 

 

本調子の中村恵理を知っているので、しかもミミ(私はミミが好きじゃない)だからということで絶望せずにはすみましたが、初めて彼女の歌を聴いた人が「大したことない」という感想になってしまっていたら悲しい。いやなるよね。やっぱり終演後に「中村恵理はもっと歌えます運動」をするべきだった。

 

 

 

今シーズンの新国立劇場に中村恵理いないのって本当?見落とし?大野さん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余裕の大西さん

めっちゃ余裕。歌も余裕。芝居も余裕。全部余裕。マルチェッロなので「素晴らしい!」となるような箇所はないのですが、舞台上のクオリティを保つのに絶対欠かせない人になっていた。品質保持担当者よ。歌は響きが安定。ぶれないなあ。喉っぽいと感じる瞬間がなかった。お芝居も取ってつけたようなものではなく、その場面その場面で心に紐づいた表情や仕草をしているように見えた。松本オネーギンのときより芝居面がよくなっているなあと(誰?)感じましたよ!

 

 

 

 

役柄が全然違うというのはありますが、オネーギンや椿姫パパを歌う(演じる)ときよりも自由さとリラックスしている感じがあり観ていても聴いていても楽しかったです。

 

 

 

 

動き回る大西さん可愛い。

ストールぐるぐる巻きの大西さん可愛い。

 

 

こういう柔らかい役をもっと聴いてみたいな。

 

 

 

 

 

 

 

片岡愛之助テノール

に似ている。化粧が濃い。キンキン系歌手その①。

 

 

 

 

本公演のどうしたお前大賞の受賞者です。おめでとうございます、ありがとうございます。

 

 

 

最初の方は「パワー系テノールかー。」と思ったくらいで、そこまで強いショックはなかったのですが(だってププッチーニじゃん)、音楽が進むに連れてどんどん発声がひどくなっていく。パワー系テノールの真似をする喉発声芸人というところか。鍵探しているあたりからもう完全に喉よ。お腹がお留守。

 

 

 

 

全ての音が胸より上で作られたものに聞こえた。「i」「e」は完全に詰まる。「Chi?」とか「Che?」とか言わないで(質問できないね)。ものすごく腕が動く。テノールのあの両手をあげて「神よ!」みたいに歌う仕草に名前はないのか?そんな壮大に歌わないでくれよ。腕を大きく広げて歌うならキンキン発声やめてくれよ。

 

 

 

 

ミミと外に行く前のミミとの重唱高音が愛之助は途中で脱落した。ロングトーン選手権みたいになっちゃったじゃん。ここでも中村恵理との響き方の差が気になった。やはり浅い。そしてすごく力技。ほぼ最初から最後まで力技で歌いきってしまうことができる喉の強さは素晴らしいと思う。

 

 

 

ミミが死んだ後の「ミミー」は良かった。力が抜けていた。

 

 

 

 

 

あ、ロドルフォの感想でした。

 

 

 

 

 

 

 

キンキン系歌手その②

「Quando me'n vò」の「Quando me'n vò」の部分だけは上手だった。

 

 

 

 

まじか。まじか。まじか。

最近はソプラノに関してはそれなりに上手な人に遭遇してきたので衝撃がでかい。顔面に当てることにこだわりすぎて浅い声になっていることが怖い。そうなのよ。顔面に当たっている感じはあるから間違ってはいないのだけれど(多分)、それ以外がないから首から上の響きしかなくて偽物感が強くなる。かつムゼッタって動きまわらなければならないから、発声にかまってられないのかもしれない。それはそれで大事件だけれどな。マフがめっちゃ暖かそうで、ムゼッタセンスいいじゃんとは思ったよ。

 

 

 

 

ミミカップルを含む別れ話重唱は、違う理由で別れ話になっている2つのカップルが面白く聴き応えがあるとのことですが(私は思わない)、今回は聞き応えというよりリスニング問題でしたね。キンキンに負けず中村恵理の声を聞き取れるかという問題ね。大西さんは結構聞こえるのだろうけど。声高めの3人がグチャグチャのキンキンでもはやハーモニーはない。

 

 

 

発声の浅さに負けてイタリア語が鮮明に聞こえないのが悔しかったなあ。イタリア在住の方のイタリア語は絶対美しいはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演出はとても素朴で、「普通」感が大事な作品にとてもあっていると思いました。

(窓を閉めても外の音量が変わらないのが面白かったです。)

 

 

 

それなりにまとまってはいました。小さく、小さくまとまっていました。まあそんな新国立劇場でもないのに色々求めるなとう感じでしょうが、こちらもプロの演奏を聴きに行っているわけでして。お金出して聴いているわけでして。プロの演奏ならまとまっているとか歌手のレベルが一定ラインを超えているとか当たり前じゃないのか?違うの?

 

 

 

 

 

 

サークル(同好会?)の公演みたいなオペラでした!

勉強になりました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、また劇場で。