三島の見解

古の女子高生

【オペラ演奏会形式】トゥーランドット(東京春祭 2022)

2022年4月15日(金)18:30公演

東京・春・音楽祭 2022

東京春祭プッチーニ・シリーズ vol.3

トゥーランドット(演奏会形式)

 

 

 

 

そういえば聴きに行ってた。

最高に良い演奏でもなければ最悪の出来でもなかったので、逆に感想書くことないなって思って放置してましたが、聴きに行ったことは事実なので更新しておきます。

 

 

 

みんな大好き(?)東京・春祭。演目もみんな大好きトゥーランドット。会場は我が国のクラシック音楽のハコ、東京文化会館です。客入り悪かったな。駅前の信号がなくなり、謎の足止めを食うことなく劇場にたどり着けるようになったのは本当にありがたい。行くたびに感謝している。雰囲気も良くなったよね。後は駅の中にもっとカフェがほしいです。お願いします。

 

 

 

 

 

コロナのせいで来日が叶わず、日本人キャストが多い公演を見る日々でしたが、本公演はメインの4役が外国人キャスト。演奏会形式と言えど、外国人キャストの歌声が聴けるのは嬉しい。外国人歌手・外国籍オーケストラばかり良い良い言うと怒られやすいし、わかってないなど言われることありますが、私が今まで聴いた限り(かなり薄い経歴だが)では平均点はかなり上である。そしてこれが最大のフラグである。

 

 

 

プッチーニの音楽があまり得意ではありませんが(理由は下にて)、多くの人、特にオペラファンまではいかないけれどオペラを観る・聴くくらいの方々からオペラを聴き続けて2億年のような方々にも好まれている印象を受けます。コアなファンの方々が、どこがどのように好きなのかを憶測で語るのは難しいので、ライトに楽しんでいる方たちにとって何が良いのか、また何がライト層を取り込んでいるのを独断と偏見で語ります。

 

 

ライト層を取り込める一番の理由は、音楽のわかりやすさですね!はい!プッチーニは解釈違い絶対許さないマンなので、私たち聴衆は彼がつくった音楽に身を任せ、右にも左にもいけばいいだけなのである。逆行や離反などせず、そのままそのまま。ストーリー性のあるジェットコースターに乗っているようなものです。ジェットコースター乗ったら有事の際以外は途中で降りないでしょ?乗っておけば良いのだ。誰よりもわかりやすい。耳に入ってきた音楽をそのまま楽しめば良いのである。「ここのモティーフが〜」や「ここの意味は〜」と深掘りすれば色々ありましょうよ!!?それをせずとも楽しめるのがプッチーニのオペラなのです。因みに私は、この縛られている感じが苦手なのでプッチーニは得意でないのです。脱線したい人間なので。したいっていうかしちゃうんだけど。

 

 

次の理由としては、話のテンポが良いことですね。物語が停滞しないのが素晴らしいところだよね。話の流れを止めるアリアさんが短いのでテンポよく進む。独白に次ぐ独白なんてこともなく、全ての歌が話を進めるための役割を果たしている。本演目の超有名アリア「Nessun dorma」は歌っている側にとっては短いのかコンサートだと2回繰り返すこともありますよね。しかしこの短さこそが良いのだ。オペラの中で聴くにはちょうど良い。もう少し聞きたいのに、と思わせる。そして次の来客に繋げなさい、テノールさん。また、音楽の壮大さも貢献していると思う。なんかでかいじゃん。スケールが。合唱もフォルテ!オーケストラもフォルテ!で終幕!バーン!!って感じじゃないですか(語彙力との別れ)。客席からすれば、特に初めて見た人などは、「なんかよくわからないけどすごいもの見たぞ!」という気にさせてくれる。そのままお家に帰ってベッドに入れば充実感は半端ない。初心者を迎え入れ、ライト層として定着してもらうには最高のオペラである。ここで迎え入れた人々をどう次に繋げるかは知らないけれど。プッチーニから入るならドラマチック系(?)繋がりで、ヴェルディあたりはいかが?でももっと軽い方がいいなあ。ファルスタッフくらいかなー?

 

 

 

 

なんか公演の感想書く記事なのにプッチーニで客集めようぜって話になりそうだから、本公演の感想にいきます。

 

 

 

 

 

 

オーケストラと合唱

どちらも良い仕事をしていたと思います。

 

上の方の席での鑑賞でしたが、楽器の響きがよく、音が上まで届くので不発な感じもなく楽しめました。幕ごとの終わりの音の処理が綺麗。そしてとてもかっこよかった。揃っている音とその音に乗っかる音の圧が聴いていて気持ちよかったですね。全体を通して繊細さにはかける、迫力で押し切っている感はありましたが、歌手が全員パワー系だったので、オーケストラもパワー系で方向性一致。多少の力技は味になりますね。

 

合唱に関しては、どうしても新国立劇場合唱団という比較対象が存在してしまうので、潔く比較します。オペラシンガーズの合唱は、新国よりか研ぎ澄まされている印象を受けました。劇場(会場)が違うので響きにも違いが出ますが、オペラシンガーズは自分たちの声がどう届くか計算できてる感じがあります。仮に各々のレベルが一緒だったとしても、オペラシンガーズは場にあったやり方を知っている。音だけだとオペラシンガーズの方がインテリジェンス。インテリジェンスな音ってなんだ?女声合唱の中でソロを歌った方の声の通りがよく、ステージを観なければソリストが出てきたのかなって思えるレベル。フォルテが叫びになってなかったのはとても良い。オペラシンガーズの方が垢抜けてるんだよね。容姿じゃなくて声がね。

 

 

気になったところが2つございましてですねー、すいませんね。良い仕事をしていたとか言っておきながら申し訳ないね。1つ目は「Nessun dorma」の予兆(予兆?)のところのオーケストラの音。カラフが「俺の名前当ててっちょ!」と言っていることろね。1音進むごとに崩れていく感じがありました。ここから「スーパー有名アリアに繋がるぞ!」ってなるのにしょぼくれすぎじゃね?2つ目は、リューが死んだあとの間のあと。ここの間がとても良かったんですよ。リューへの追悼の時間。もしくは「プッチーニはここまでしか書けなかった(書かなかった)のですよ!」タイム。その前の音からきちんと引き継がれた間であり、お休みの時間ではなかった。無音に支配される劇場がとても新鮮で神聖だった。しかしな、その後な。出だしの音バラバラだった。せっかくいい時間だったのにね。指揮者がいきなり始めて反応できる人とできなかった人がいたのかな?

 

 

そんな感じです。酷いばらの騎士を観た後なので基本的によく聴こえたというのもある。

 

 

 

 

肩透かしカラフ

見た目は、「いい歌、歌いますよ!」感があった。実際はそこまで上手くないけど別に下手でもない。ただ見た目がスーパーカラフっぽいからちょっと肩透かしではあった。なんていうのか?出オチってやつか。なので特に書く事はないのですが聴きに行った以上「Nessun dorma」には何か発言しなければならない気がする(気のせいだけどな)。

 

「Nessun dorma」ももちろん肩透かし。上手いよ。高音も伸びやかで、力強い声が歌にあっていた。ただ、物足りない。有名なアリアを歌いましたってだけで面白みがなかった気がする。いや、上手いんだけどね。気になったのは、「Vincero!Vincero!」からオーケストラへの渡しが崩れたところ。歌が終わり、オーケストラがサビ(サビ?)をなぞるじゃないですか。歌とオーケストラの交換の瞬間に間があった記憶。歌の終わりの響き連れてオーケストラの音が会場に広がるのがとても美しく壮大でかっこ良いのですが、それがなかったなあ、と。カラフが若干早めに歌い切っちゃってオーケストラとの引き継ぎが上手くいかなかったのかしらね。ここは一番盛り上がるところなのでもうちょっと聴かせて欲しかった。

 

 

 

功労者リュー

リューは一音節です。

 

物語でも功労者でありますが、歌手としても功労者でございました。

 

正直言えば(正直しか言ったことはないのだが)、そこまで上手いわけではない。しかし、トゥーランドットがひどかったこと(下に記載)で女声の素敵ポイントを一人で稼がなければいけなった。ちなみにオペラはポイント制ではない。

 

ピアニッシモもしくはピアノで出す高音に関して、前半の1、2回はとても美しかったが後半につれ押し気味になってしまった。最近、高音がハマるかハマらないかをフィギュアスケートの四回転もしくはトリプルアクセルを見るような感覚で聴いている気がする。できたら素晴らしい。できなくても挑戦したことが素晴らしい、みたいなね。フィギュアスケートは芸術の側面も持ちながら、オリンピック競技でもあるように「スポーツ」なわけでこの挑戦が評価(結果にならなくても)されることは良いことだと思うが、声楽は芸術であり芸術でしかないのでこの聴き方はちょっとやめたい。もしくは、声楽がオリンピック競技になってくれ。

 

日本の歌手では聞くことができない重さ(暗さ)がある声は大変魅力的でした。後、カラフがリューを見ていない時はカラフを見つめるけど、視線を向けられると逸らすという、敬っている+恋する乙女みたいな演技はとてもよかったぜ!!

 

 

 

どうしたおまえ大賞受賞者

トゥーランドット!姫!どうしたんだYO!カラフの名前が気になって歌声おかしくなったか?いや、その前からおかしかったな。

 

現代と比べると録音環境が整ってなくて、本当は上手いんだけど声が綺麗に録音されないがために上手く聞こえない歌手の方みたいになってた(なんだそれ)。もしくは若いころは上手かったけれど全盛期に無理しすぎて晩年は声が持たなくなってしまった歌手の方の歌声だったね。いやー、もう酷いとも言えないよ。どうした?大丈夫か?話聞こうか?レベル。揺れまくりだし。なんだろうね?民謡風オペラかしら?

 

この方、高音を出すとき、口を開けるのではなく口角を引っ張るんですよ。かなり。ドイツ語の「i」の正しいポディションくらい。仮に言葉の母音が「i」だったとしても引っ張りすぎだしそもそもイタリア語だし。唇全体にかなり力を入れている。苦しくないのかな?逆に考えるとこの口の使い方で高音出せるのはすごい。唇・口角に力が入っているのは確かなんだけれど、口の中が潰れているような音ではなかった。口角を引っ張りつつ、口の中のスペースを確保できるのは素晴らしいね。

 

めちゃくちゃだったけど、面白いものが見れた感はあるからいいか。

 

 

 

 

 

日本人歌手の限界と挑戦とやっぱ限界

ピンとパンとポンです。

 

とてもコミカルな3人組。トリケ(オネーギンより)が3人みたいな。物語の主人公たちが重いので、このコミカルさが客席と重い人たちの仲介になる。客席とステージの乖離を防いでいる。この3人がいないと私たちはいい感じに置いていかれるよね。解説であり進行でありファニー担当である。いい役たちだよね。それなりに動くしそれなりに歌うし。おいしい !!!

 

しかし、カラフができる人との差が圧倒的にあると感じた。カラフができる人っていうと、完成度を気にしなければ誰でもできるので「今日からあなたもカラフ」になってしまうんだけど、ここで意味するのは名前が通っている劇場もしくは興行で歌えるってことです。

 

歌のうまさの問題ではなく、役のキャパシティの問題を垣間見た気がした。ちょうどいいんだよ。細々とした感じがな。派手さはない。器用にこなすけど目は惹かない。とても日本人っぽい。日本人とピンパンポンの相性の良さ。しかし、カラフになると求められるものが変わる。カラフ役は厳しい。アホのカラフくんではないものの、壮大さと明るさを維持する必要があり、それを生まれも育ちも日本人がやるのはなんかカラフに追いつけないものがあるよね。魂レベルの問題っす。みんなすぐ「Nessun dorma」歌うけど役としては本当は難しいんだな。私たちは「Nessun dorma」一曲歌うだけで我慢しましょう。でも挑戦も大事だよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

来日キャスト・来日公演が増えそうで増えないなか、日本まできてくださったことには感謝。

でもそこに忖度しないで今日も生きていきましょー。

 

 

 

 

指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ

トゥーランドット:リカルダ・メルベート

カラフ:ステファノ・ラ・コッラ

リュー:セレーネ・ザネッティ

ティムール:シム・インスン

皇帝アルトゥム:市川和彦

ピン:萩原 潤

パン:児玉和弘

ポン:糸賀修平

役人:井出壮志朗