三島の見解

古の女子高生

その2【オペラ】ドン・カルロ(東京二期会)

2023年10月14日(土)14:00公演

東京文化会館大ホール

二期会創立70周記念公演

シュトゥットガルト州立歌劇場との提携公演

東京二期会オペラ劇場

ジュゼッペ・ヴェルディ作曲

ドン・カルロ(イタリア語5幕版上演)

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

14日(土)のドン・カルロの感想その2です。

昨日の更新でWキャストの出演日がごちゃごちゃになりカルロ役の歌手の方を間違えたことをここでお詫び申し上げます。間違えた内容と致しましては、以前観たオペラ公演と比較しましたがそもそも別の方でした。失礼致しました。

 

それでは感想いってみよー。

 

 

修行の心持ち

3幕以降は修行僧の心持ちで観劇しておりました。なるべくツッコミをせず心を平穏に。

 

 

プログラムによると、3幕冒頭のバレエ音楽を一部取り入れ、かつバレエシーンのフィナーレのパロディの「プッシー・ポルカ」(ヴィンクラー作曲)を挿入しているそうです。なるほど。この曲を挿入したことによる効果がわからなかったのですが、誰か教えてください。曲の訴えている内容と民衆の気持ちが一致しているというところですか?バレエ音楽の場面は子どもたちが登場しおままごとのようなことをしておりました。おままごとの最後は人形を火炙りに。危険な遊び!この後の展開を示しているのか、子どもが人形を燃やすという多分健全ではない精神状態を見せたいのか。不気味さや気持ち悪さよりも演出としてのダサさが前に出ていたような気がします。

 

 

その後よく動く黒い壁の前で、カルロ、ロドリーゴ、エボリ嬢がお歌を歌う。登場時にエボリ嬢は覆面マスクベールをつけていた。ハーモニーというものは皆無で順番が来たから歌っているように聞こえました。誰の声もはっきり聴こえずに曲が終了。2幕場面転換をした後の終わりのお歌。天からの声は最初は綺麗だなと思いましたが、高音域にいくにつれ声が硬くなってしまっていた。中音域の柔らかさのまま高音域にいければとても美しかったと思う。

 

 

 

変わって4幕。黒い壁が動き、1幕のお布団が再び登場した。壁が動いて再びお布団が見えたときの客席の気持ちを答えよ。フィリッポII世の隣にエボリ穣が寝ている状態からスタート。フィリッポII世のお歌「Ella giammai m’amò〜」の出だしのオーケストラはもっと重く演奏してほしい。舞台の上がとっ散らかっているので東フィルさんが頼りです。お歌は終始のっぺりしていた。のっぺり歌うと一本調子にはなるけれど滑らかなラインは保たれるのだな。一応譜面上には強弱記号の表記はありますが(私調べ)、聴いていてわからないレベルでした。「No,amor non ha per me!」のちょっとした音の移動は綺麗だった。丸い音だった。この日のお歌を聴いてディアナ・ダムラウさんの旦那(ニコラ・テステさん)は上手だったことがよくわかった。数ヶ月越しの理解。遅くなってごめん。このお歌の最中のフィリッポII世とエボリ嬢のぎこちない絡みが見ていてしんどかったっす。

 

 

エボリ嬢が退場し宗教裁判長が入場。低い声対低声のかっこいい対話が聴きたいところでしたが、この場面ものっぺりのっぺり歌っていて長い長いこのオペラに拍車をかけていた。音域が上がってくるにつれ発生が浅くなるのがわかりやすかった。宗教裁判長が落ちていた女性物も下着(パンツ)を拾って遊び出した。遊んでないでかっこいいやり取りをしてください。

 

 

宗教裁判長が退場しエリザベッタが入場。エリザベッタが1幕でもらったカルロの肖像画は本演出だとスマートフォン(の中の写真データ?)なの?現代に置き換えた演出ってすぐスマートフォン出てくるよね。倒れたエリザベッタに駆け寄るエボリ嬢に違和感。

 

 

エボリ嬢のお歌は断然こっちの方が綺麗でした。強くはっきり歌う方が得意なのでしょうか?お歌に入る前から徐々にエネルギーとボルテージを高めていくような雰囲気を感じた。感情を前に前に出す表現が良い。ただ、お歌の内容もここまでのエボリ嬢の行動を見ていると同情できないですね。このお歌で客席の心を鷲掴みにするものだと思っていますが、本公演は何も思わず。お歌は上手なのですよ。あくまで演出的な話です。新しいエボリ嬢の誕生です。お歌中盤の「O mia Regina」の歌い方が前半の感情爆発との濃淡がはっきり出て素敵だった。お歌の最中に髪を自分で適当に切りだしていましたが、一箇所切って終わりではなく、ずっと髪を切っているので髪を切る行動を見せるのがメインなのかな、と思いました。後奏の終了を待たずに拍手が起きていましたね。

 

 

5幕終幕は修道士が血まみれ(と言っても首元からの出血で服が汚れている程度)で出てきた。血まみれは思い出すものがありますね。そうです。新国立劇場のボリス・ゴドゥノフ(ムソルグスキー作曲)です。すぐに暗転せずに黒い壁が完全に舞台を隠すのを待って終了でなんで時間稼ぎしてるかわからなかった。

 

 
演出反省会

ちょいちょい新国ボリスくんと重なる部分がありました。民衆の視点を大事にしているところ、天井から吊るされた人(本演出4幕のベッドシーン)、血糊など。宗教裁判長の代わりにピーメンが出てきても何も驚かないです。終幕の舞台上は新国ボリスくんと構図が似ているなあ、と思いました。似ている箇所をあげたいのではなくて、政治色が強いオペラを現代設定に置き換えると似るんだなあ、という話です。民衆大事にしなきゃねー。たまたまこの2つが似ているだけかもしれませんが。

 

 

勝手に反省会します。

 

まず、プログラムを読まないと理解に苦しむ演出はどうかと思います。本公演のプログラムは無料配布ではなく一部1000円での販売です。買う人買わない人買える人買えない人がいます。でも同じ劇場で同じ公演を観劇するのはことはみんな同じです。本演出はプログラムを読んで少々理解できる公演であり、手助けがないと何が何だかわからないです。少なくとも学がない私はそうです。もちろんインターネット上で調べれば情報は出てくると思いますが、初見の人が理解に困らず(全てを理解することは難しいが)、プログラムを読んだ人は「さらに」理解が深まる公演であるべきだと思います。プログラムで説明すればいいのではありません。舞台の上で勝負してください。舞台の上で示してください。ちなみに私はプログラムは本だと思っているので後でゆっくり楽しむ派です。いつもなら観劇から少し経ってから読みます。

 

 

次に歴史的条件とお別れしたことについてです。オペラ全般における現代設定への置き換え演出に関しては大歓迎でございます。大雑把にいうと完成度が高ければ何でもいいので現代設定どんとこい派です。本公演は近未来設定と合わせて「歴史的条件を脇に置く」(プログラムより)というスタイルをとっているそうです。王とか王妃とかの背景はとりあえず蹴飛ばして、それぞれの役の人間味に注目した表現ということでしょうか。そういうのもありだよね。面白いと思う。でも役の心情がわかりやすく描かれていましたか?小道具のネタ(ではない)の方が気になってしまいました。心情をわかりやすく書きたいなら台本通りの方がわかりやすくないか?。立場があるから生まれる想いであり、起因をなくしてしまったが故に場面場面での心情が結び付かず、わかりにくいことになってしまったのだと思います。全幕を支配する各々の役割が心情に繋がるのではないのかな?

 

 

最後に、上に書いたことに繋がるのですが、挑戦的な演出には鉄壁のプレイヤーを揃えてください。とんでも演出には手堅い歌手がセットです。できたらオーケストラも厚い方が良いです。でないと共倒れします。これは新国ボリスくんのときにも思いました。本公演はお歌の面で気になることはありましたが新国ボリスくんほどの大きな崩れはなかったので終幕まで見届けることができました。これで歌手も不安定なお歌を歌ったら泣きます。全員がエボリ嬢くらい動けて表現ができたら公演自体に厚みが出たかもしれません。もし厚みが出たらこの演出も良いものに見えたかもしれません。もう戻らないけれど。切ないね。

 

 

以上で反省会を終了します。

素直な気持ちを言えば(いつも素直だけど)、早急にスタンダードな演出でドン・カルロが観たい。

DVDもライブビューイングも楽しいのですが、やっぱり劇場に行きたい。

 

 

おわり。