三島の見解

古の女子高生

【オペラ】エウゲニ・オネーギン(新国立劇場)

2024年1月24日(水)18:30公演

新国立劇場オペラパレス

ピョートル・チャイコフスキー作曲

エウゲニ・オネーギン

 



 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

この日は大野芸術大監督による「新国立劇場だってロシアオペラやるんだもん!プロジェクト」の4公演目であり3演目(ダブルビルを1カウントとする)である「エウゲニ・オネーギン」を観に新国立劇場に参りました。同じ演目がこんなに早く帰ってくるとは思わなかった。2回以上やらないとレパートリーにならないのかな?じゃあ新国ボリスくんもやる?

 

 

では感想いってみよー。

この更新では歌手の感想を主としてちょっと演出にも触れていこうと思います。

 

 

 

オーケストラさん

よくやってくれているとは思うのですが、おチャイコ先生の音楽なのでもっと求めていきましょう。

 

 

 

ポロネーズはよかったです。「何が」とかはないけれどよかったです。第1幕2場の導入も美しかったです。力強すぎる気もしますがよく鳴っていたと思います。第3幕1場のグレーミン公爵のお歌での掛け合い(と勝手に呼んでいる)がとても素晴らしかったです。歌手が歌いオーケストラが返事をするみたいな構造になっているのがとても好きなので最大限聴かせてくれると嬉しい。

 

 

 

第1幕序曲の出だしの弦楽器の「ドゥン」もよかったですね。ここがしっかり聴こえることが大事です。他が良くても「ドゥン」が聴こえなければ嫌です。私が好きなので。その後の立ち上がりが寂しかったです。最初から3フレーズくらい全員が入りを伺っているように聴こえて安心できませんでした。大丈夫!堂々と入ってきて!!段々よくなりそのままお歌へ繋がりましたが序曲の下降音型の処理の大切さがわかりました。

 

 

 

第1幕1場はオーケストラが消えてましたね。この作品は全てのオペラ作品の中でもオーケストラとお歌が共に生きているように感じますが、オーケストラさん脱走。もし客席内を自由に動き回れるならオーケストラピットの中を覗きに行ったと思います。もちろん実際にはやりませんが。特にレンスキーくんの告白の導入はもはや導入されなかったですね。よく告白できたね。

 

 

 

タチアーナさんの長いお歌(手紙の場)の導入が雑音混じりのように聞こえました。弦楽器が力みすぎているのかな。このお歌が終わった後の木管楽器の愉快な音(牧歌?)ももっと楽しい感じに演奏して欲しい。譜面のままなのでプロの仕事を見たいし聞きたい。

 

 

 

第2幕1場の立ち上がりの音楽は出だしが元気すぎて「情緒とかないのか?」と思いました。第1幕の音楽の再現とその後やってくるワルツへの導入なのでこの差をしっかり表現して欲しいですが強調されませんでした。事故ではなく敢えてそのような音楽をつくっているのだと思いますが、だったらもう少し意味を教えてくれ。

 

 

 

第2幕2場のレンスキーくんのメインのお歌の導入の下降音型!でだぞ!下降音型だぞ!どんどん音が沈んでいくように聞こえ、それがこの先の救いのなさの暗示みたいで大好きなんですが、物凄く淡白な音楽になってしまった。譜面通り演奏していただけることは大変ありがたいのですがもっと雰囲気をください。「あーこの人死んじゃうんだよなー。」と思わせてください。エモーショナルでお願いします。

 

 

 

 

オペラだからお歌が主役でお歌でお芝居して物語を進行させなければいけないけれど同じくらいオーケストラがつくりだす音楽も大事じゃないですか。この作品に関しては特にオーケストラの存在が大きいです。オーケストラピットの中じゃなくて客席まで届けておくれ。

 

 

オネーギン

初登場で田舎に馴染みすぎていて「大丈夫か?都会の男!」と思いましたが、第1幕2場の黒い衣装になったらだいぶ垢抜けたので安心しました。パーソナルカラーってやつ?そもそもジャケットのサイズは合っていたのかな?田舎の人々に配慮して田舎風に仕上げてきたのかな?優しい。

 

 

第一声の小ささに不安を覚える。終始声がパッとしない。歌手の中に声量のある人がいなかったので大丈夫でしたが、1人でも声量のある人がいたら完全にかき消されていたと思います。お持ちの声は悪くはないです。ただ、響きが浮つくのがパッとしない原因かと思います。発音もぼやぼや系の方でネイティブ(推定)でも明朗に発音できないこともあるのだなあ、とお勉強した。

 

 

 

小さくまとめてきたな、という印象。なので惹かれるポイントもないけれど大きな問題もないです。粗はあまり目立ちませんが、説教のお歌の「мечтами,мечтами」の「та」の崩れが気になった。この音だけ口の中を広げているように聞こえた。広げることは悪くはないのだろうけれど前後の音と差ができ、かつ大きく開けたことによる障害か謎にノイズのようなものがかかり聞いていてソワソワしました。そこまでよかったのに。テンポも歌手が若干早くなっていてオーケストラとの微妙なズレが気になりました。お説教のときに手を動かしすぎるのも気になりました。説教か腕の体操かどちらかでお願い致します。

 

 

 

第3幕2場のタチアーナさんとのやりとりはもう何をいっているのかわからず。疲労?外国に行って疲れたか?私の大好きな「Нет!Нет!Нет!Нет!」が猫の鳴き声みたいになってしまった。早いからしょうがないよね。猫に気を取られてたら終幕していた。

 

タチヤーナさん

この方も出だしの声の小ささにびっくりしました。声を張る必要はないのですが、コントロールされた小ささではなく何も考えずに歌っているように聞こえました。その後のオネーギン・レンスキー・オリガと4人で歌うときは1番綺麗に響いているように聞こえました。

 

 

 

タチヤーナさんは上記のように比較対象がいると上手に聞こえるのですが、1人で歌うと場が持たない印象を受けました。中音域で言葉を捌かなければいけない時に声が音に乗ってないように聞こえました。手紙のお歌の「Нет,все не то!〜」部分は早くはないのだけれど「しゃべった?」とツッコミたくなるような歌い方でした。また、フレーズの流れは綺麗なのですが、フレーズとフレーズの間の流れが切れやすいです。切れるというか繋げる気がないような気もする。フレーズごとに1回1回落ちていくのを感じました。この問題は間をつないでくれるオーケストラの音楽が存在しないということもありますが、もうちょっと頑張ってほしいです。また動きが全て振り付けに見えました。動きの指示をただこなされても困ります。

 

 

 

終始フワフワしているタチヤーナさん。どちらかというとオネーギンの方がつかみどころがなく、タチヤーナさんへ共感を寄せた方が客席に理解されるものが多い気がします。タチヤーナさんがフワフワに徹して終幕までいってしまうとただの痛いヤツで終わるので物語の締まり具合のために第3幕はしっかりして欲しい。ずっと夢の世界にいる。これは歌手の芝居能力があまりないことが原因かもしれない。第3幕でも何も変わっていないので、オネーギンすぐにタチアーナに気づくやつよ。

 

 

 

オリガ

オリガの「Ах」の言い方が綺麗だった。オリガだけでなく他3人の外国人歌手にも言えることですが、二重子音や「オリガ」の「リ」に当たる部分の発音がきれいですよね。当たり前といえば当たり前ですけれど、いちいち母音を入れてしまう民なのでネイティブ発音に感動しました。

 

 

しっかり低音域が出るオリガを待っていた。オリガが安定していると舞台の品質が一段上がります。縦に綺麗に口を開ける方で口周り不自然な力みもなく安心して聞けました。低音を鳴らしすぎかな?と思った部分もありましたが、声にストレスはかかっておらず何の問題もなく最後まで歌っていました。

 

 

この演出の理解し難いオリガを上手く昇華し、無駄に子供っぽい衣装や髪型もそれほど違和感なく着こなしており強いなと思いました。違和感はあった。でもそれは前回(2019年)から引きずっているからしょうがない。

 

 

ゆっくり休んで残りの公演も良い低音を聴かせてください。

 

グレーミン公爵

初登場の第一声で私は勝利を確信した。前回(2019年)の唯一の良心だったグレーミンさんは今回も良心です。違う歌手だけれど。

 

 

比較すると2019年の方が好みですが、安定感とグレーミンっぽさはどちらも同じくらいあり良いです。前回のグレーミンさんは背がお高めだったので衣装に大幅なお直しがあったのかなあ、と思いました。1曲歌って客席を総なめして帰らなければならなし、もし総なめできなかったら客席の記憶から抹消されるいう難しい役です。

 

 

好きだったところは、「жизнь моя」の「жизнь」をものすごく大切に歌うところですね。「ジー」の溜めまでいかないくらいの溜めが本当に良い!大切なのだな、と共感しました。後、お歌の中でオネーギンに呼びかける時にタチアーナに寄り添いながらもオネーギンに視線を送るのが好きですね。ちゃんと呼びかけている。簡単なことだけれど大事なの!ありがとう!

 

ママとニャーニャとトリケ

ロシア語ネイティブ(推定)に混ざりよく頑張りました。で終わりにしてもいいのですが、同じ職業として舞台に立っている人たちに対してそんな失礼な話もないので同じ基準で所感書きます。

 

 

 

ママは中音域と低音域の声が違いすぎる。中音域は押して出すようなことはしないけれど、上澄みのような声でスカスカしていた印象です。低音域は胸に落としてバリバリ鳴らしてました。女性歌手が低音域を歌う際に頭声から離れるもしくはミックスすることは当たり前だし悪いことだとも思いませんが、ママはただ出しやすいところで押しながら歌っているようにしか聴こえませんでした。確かに声は届くしロシア語も聞き取りやすくはなるのですが、それは声楽の(オペラの)歌い方としてどうよ?という心境でございます。

 

 

 

ニャーニャはひたすら発声が浅かった。発音もこもる。タチアーナと掛け合いで歌うと声量も響きのなさも発声の浅さも差が顕著にわかってしまって辛い。後、手の動きが目につきます。指揮しているのかと思ったわ。

 

トリケはこの演出の都合上、おかしく面白い人にしたい事はよくわかりますが、まず声を客席に届けてください。その後にお芝居が存在すると思います。芝居ありきでやっているとそれはオペラではないよと怒ってくる人がいると思います。私ではないです。

 

 

レンスキーくん(髪切らない?)

歌は上手。

 

 

 

第1幕1場のオリガへの告白のお歌は棒読みすぎて歌詞との温度差が面白かったです。この場面だけではなく全体を通して長い休みの後の第一声から1、2フレーズくらいは良い響きで歌えるのですが、段々声が上がってくるように聞こえました。母音の種類によって声質が変わるのも気になってあまりお歌の中身に集中できませんでした。

 

 

 

第2幕2場のレンスキーくんの見せ場お歌に関してです。2019年と同じ感想なのです。もちろん歌手は違いますが。高音ジャンプのときに所在不明の経由地挟まないでください。「Что день грядущий〜」の1番高い音にはまる前に謎の音が存在しました。正しい音に辿り着くまでに時差があり、瞬時に正しい音に上がれないことにより謎の経由した音が登場しているように聞こえました。響きは先に上がるけれど音と言葉が時間が経ってからついてくるように感じました。直行便でお願いします。

 

 

 

後「Куда куда」の2回目の「да」の音を思いっきり押したし広げたなと。出だしがとてもきれいだったので、この2回目の押しのせいで今後がとても不安になりました。仕上がってはいるのですが、だからこそ細かい部分の粗さが目立っていたように感じます。

 

 

以上です。

全体的なまとまりはあったのでこの謎な演出の中、健闘していたとは思います。でも「まとまりがある=品質が良い」ではないのです。歌手もオーケストラももっと頑張ってほしい。演出もがんばれ。歌手を含め舞台と劇場の規模があってないことを改めて実感しました。

 

 

 

 

次は千秋楽の感想かな(チケットある)。

都合がつけば31日も行こうかな?

前回(2019年)は二日目に観に行って多大なるショックを受けたので二日目はやめておこう。

 

劇場で直接お話ししてくださった方々、ありがとうございました。

 

 

終わり。

 

指揮:ヴァレンティン・ウリューピン

演出:ドミトリー・ベルトマン

タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ

オネーギン:ユーリ・ユルチュク

レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ

オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ

グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク

ラーリナ:郷家暁子

フィリッピエヴナ:橋爪ゆか

ザレツキー:ヴィタリ・ユシュマノフ

トリケ:升島唯博

合唱:新国立劇場合唱団

演奏:東京交響楽団