三島の見解

古の女子高生

2回目【オペラ】サロメ(新国立劇場)

2023年6月4日(日)16:00公演

新国立劇場

オペラパレス

リヒャルト・シュトラウス作曲

サロメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

 

 

6月1日(木)に続き新国立劇場サロメを観に行って参りました。

(その日の感想はこちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では早速本日の感想いってみよー。

2回目だし、対して変化もなかったのでそんなに感想書くこともありませんが、まあいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のサロメちゃん

1回目観劇時(以下1回目)よりよかった。気になっていた音域を移動するような部分で段差を感じるような発声が少なく、ストレスなく聴くことができました。全体を通して特によかった箇所はないです。ピアニッシモ(響きを保ったまま声量を落とす歌い方)部分は雑になってしまう箇所がまだ多い。まず登場してすぐの「Wie gut ist’s,in den Mond zu sehn.」(月がどうたらこうたらの部分)の最後の音が行方不明になるくらい小声。そもそももっと声量出していい部分だと思うのですが。その後の「Es ist wie eine Gruf.」(墓っぽいねーの部分)も行方不明気味。音低いからなあ。でももうちょっと声量出してほしい。音型も問題かもしれないけれど「Jochanaan.」(ヨハナーン)という歌詞があるときに「ヨ」とそれ以下が分離しがちで新しい登場人物が誕生していた。「ヨ・ハナーン」さんが生まれました。ちょっと気になる。でも本当に本当にサロメちゃん役は業務量が多すぎるので、歌ってくれたこと演じてくれたことには大きな感謝をお送り致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のママ

ロディアス(以下ママ)は今日も美しい。第一声が気持ちよく響く。声質が高めでキャンキャンする声だが、今日も心地良い。ママは歌唱技術の見せ場がないので、表現的な部分をどうするかが見せどころですが、本公演のママはとても元気で、めっちゃ陽キャなママが愛おしいです。ママのハイライトはサロメちゃんが「Du hast einen Eid geschworen,」(約束したよね?てきな部分)とヘロデに対して歌っている後ろで「お前、約束したやろ?」とでも言いたげな表情をしていたところです。その後の高笑いも最高でしたね。気持ちいいくらい抜ける笑い声といい女っぷり。ママ最高でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のヨハナーン

ヨハナーンは今日も素晴らしい声と素晴らしい響きですが、1日目の方が良かったなあとは思いました。口の空間が1日目の方が広く感じた。母音に左右されている感じが今日はあった。しかし、しっかりくっきり歌う方なので、響きに差があっても対した問題にはならないです。1日目(とサントリーホール)の衝撃的な上手さと比べたら落ちるというくらいです。本日のお気に入りは「Niemals,〜」部分の喋りっぽくなるところです。発音がぼやけないのが素晴らしいですよね。素敵なヨハナーンを1年以内に3回も聴くことができてよかったです。また来て下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日のヘロデ

ヘロデ良かったです。1日目は第一声が飽和し、その後も高音域は良い声ではあるものの、イマイチ乗り切らないというか、ただ小物おじさん感がありましたが、本日は第一声から良かった。歌声自体は広がり気味ではありましたが、1日目よりも尖っているというか焦点があっているような歌い方でお歌が安定するので、ヘロデというキャラクターの面白みがわかりました。サロメちゃんの踊りの後、生首が欲しいと言われ、焦って様々な別のものを提案するお歌部分は、段階が表現できたほうがいいのになあと思います。「Ah! Was wollt ich sagen?〜」部分で次の提案が出せない表現が欲しかったです。ただこなしているだけの棒読みお歌になってしまったので、自分の約束のせいで自分を苦しめている様子が段階的にわかるようなお芝居と歌い方があれば良いなと思いました。ヘロデはもっとパワー系(決して力技のことではない)テノール、強めテノールをご所望なので(私が)、本公演のヘロデはちょっと違うなあと思いつつも本日は結構気に入りました。またどこかで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり気になる小姓問題

本公演の演出では、ナラボートくんとママの小姓の関係を強く描きたいようで、ナラボートくんが舞台上から退場するまで、ほぼずっと絡んでいます。この関係性強調演出自体は面白いと思いますし、強調したい気持ちもわかります。ナラボートくんは生きているうちはお歌が多いですし、そもそも早急に死ぬので、関係性アピールは小姓の役目となります。その小姓と小姓の動きが本公演に関しては悪目立ちしていたと感じました。悪目立ちの大きな理由はサロメちゃんのお歌の技術とお芝居表現が弱いので、主役の存在の確立ができてなかったところですね。サロメちゃんが圧倒的にサロメちゃんであれば、後ろでコソコソと芝居をしている小姓達がいてもバランスを取ることができたと思います。主役がしっかりしていないとその他の小ネタが変に浮いてしまって、舞台全体が安っぽくなるというか、演出サイドがやりたいことを詰め込んだだけになってしまいますね。聞いていますか?新国ボリスくん?関係性アピール自体は突拍子もないことではなく、原作からも汲み取れる要素(明確な表現あったっけ?)であるので、入れ込むのはありですが。

 

 

 

 

 

 

もう1つ思うところがあって、ヨハナーン退場からヘロデ登場までの誰も歌わない時間の使い方です。この間の音楽をほぼ小姓の演技時間に当てておりました。ナラボートくん(遺体)にゆっくり近づき抱きしめる。ついでに自死に使った剣を頂戴する(ちなみにこの剣でサロメちゃんを殺す)といった時間になっておりました。意味は分かりますが、ここも安っぽいのです。まずナラボートくんの自死から抱きしめるまでの時差。小姓はショックで気絶してしまったから時差が生まれているということでしょうが、こちらからはこの間の時間を関係性アピールに使うために気絶させたようにしか見えないのです。自死したすぐ後だと、舞台上にヨハナーンがいてその横でやってしまうと目立たないから、この間奏(のような時間)を使いたかったのでしょうか。舞台上の出来事なんて全て計算されているのはわかっていますし、それはそれでいいのですが、その計算が見えないようにわからないようにしておくれ。そもそもこの部分はサロメちゃんが舞台上にいるのに、サロメちゃんそっちのけなのが気になった。とりあえず退場させてから関係性アピールすればいいのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで新国サロメちゃんとはお別れです。この演出はもっと自由が聴く歌手が揃ったときに面白くなるのだろうなと思いました。私はテント(テントではない)の上部のガーリック的な部分がまじガーリックで好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シュトラウスおじいちゃんは最高です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、また劇場で。