三島の見解

古の女子高生

【オペラ演奏会形式】エレクトラ

2023年5月12日(金)19:00公演

ミューザ川崎シンフォニーホール

R.シュトラウス コンサートオペラシリーズ

エレクトラ

リヒャルト・シュトラウス作曲

フーゴー・フォン・ホフマンスタール台本



 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

リヒャルトの方のシュトラウス(以下シュトラウスおじいちゃん)にどハマりしております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

エレクトラです。

エレクトラですよー。

 

 

 

 

 

 

遂にこの日が来てしまいました。

本公演はシュトラウスおじいちゃんのオペラを演奏会形式で上演する企画の1つとなっており、エレクトラは第2弾でございます。第1弾のサロメが大変に素晴らしく、チラシを見ながらニヤニヤする日々を送っておりました。そしてこの日を迎えることができました。オペラを観に劇場に行くときは疑いの心を持っていきます。申し訳なのですが、公演の質を心配しております。お金を払って(しかも大体が安くない金額)席に座るのだから、質の高いものを観たいです。歌手やオーケストラの「頑張り」はどうでもいいです。残念ながら舞台に立つ人は舞台上でやったことが全てなのです。(少なくとも私はそう思う。)本公演には第1弾が大満足の結果であったので、情緒不安定にならずにすみました。公演当日は道行く見知らぬ人に「私は今からエレクトラを観に行くのです!」と言って回りたいほどウキウキでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

因みに第1弾のサロメの感想はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

興奮しすぎて感想が意味不明になっております。とても素晴らしかったです。本当に良い公演でした。主要歌手4人(全員外国人)のオペラ歌手としてのレベルの高さにシュトラウスおじいちゃんも喜んでいるでしょう。日本ではなかなお目にかかれない高水準なオペラ公演だった。(演奏会形式ではあるが。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エレクトラサロメの次に作曲されたオペラ作品です。ホーフマンスタールとタッグを組んだ最初の作品であります。初演は1909年だそうで、30代でこのオペラを作成し、40代になる頃に初演ということでしょうか。お若い!

 

 

 

 

 

 

 

 

数年間、私の中でシャウト系オペラとして分類されてきたこの作品についに対面する日が来ました。どうやって歌ってるのか全く理解できなかったオペラです。歌っているというより叫んでる印象を初めて聴いたときに受けました。なので「シャウト系オペラ」と命名し、他のオペラでシャウト系の人がいると「エレクトラじゃないんだから〜」なんて言っておりました。しかし、シュトラウスおじいちゃんの音楽を多く聴くようになり理解できるようになって(まだ3%くらいだけれど)きました。このオペラの聴き方がだんだんわかってきた中で、劇場で聴けることが本当に嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では感想いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスティーン・ガーキー

 

タイトルロールのエレクトラを歌ったのは、クリスティーン・ガーキーさん(以下敬称略)です。アメリカやヨーロッパの主要な劇場で活躍している歌手だそうです。(パンフレットより)

 

 

 

 

 

 

 

 

1番に触れるのもどうかと思うのですが、水分補給が上手でしたね!エレクトラのまま水を飲んでいました。本公演は1回も袖に引っ込めない(引っ込む時間がない)ので、舞台上の椅子(歌手用)に設置してあるペットボトルを取り出して、水分補給をしておりました。もちろん、話の中にエレクトラがペットボトルの水を飲む場面はないです。そもそもペットボトルが存在しない世界ですよね。このような、話とは関係ないけれど現実的に必要な動作(移動や小道具の回収など)を行うときに、「役」ではなく「歌手本人」になってしまいがちで、観ている方は一気に話の世界から引きずり下ろされます。そのような感覚を味わうことが多々ありました。しかし、ガーキーは水の飲み方が上手いんですよ!ペットボトルを持つとき、椅子にしまうときもほとんど手元を見ずに動く。視線で演技を継続しながら水を飲む。水を飲んでいるのは視界に映る事実なので「エレクトラさん水飲んでるなー。」とはなりますが、「ガーキーさん水飲んでるなー。」とはならなかったです。この違いが本当に大事なのです。普通に水分補給されたら集中力切れますので!歌の感想ではないのですが、どうでも良さそうな部分にも手を抜かないところに舞台の上に立つ人としての意識の高さを感じました。ガーキークラスまでいくと無意識でやっているのかもしれませんが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上に書いた通り、エレクトラはずっと舞台上にいます。演出によるとは思いますが、本公演(演奏会形式ですが)の演出では、始まってすぐ舞台上に出てきて、1回も引っ込みませんでした。出ずっぱりという言葉では足らないくらいの負担です。過労です。サロメも過労、エレクトラも過労。シュトラウスおじいちゃんのソプラノ歌手への信頼ハンパないな。歌う部分もとても多く、高音域からから低音域までを編成の大きいオーケストラをバックに歌わなければなりません。鬼ですねー。最初にオーケストラの皆様が座る椅子の数に驚くよね。敷き詰められてるなーと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな過労なエレクトラ役ですが、ガーキーは大変さを感じさせません。エレクトラは狂気の沙汰で忙しいですが、ガーキーは余裕です。歌手本人にゆとりがあると役が濃くなりますよね。歌うのに必死じゃ役の気持ちも状況も伝わらないってことですよね。しかも1日空くとはいえ14日(日)にはサントリーホールで同じことやるのでしょ?もう凄すぎてよくわからないです。ワーグナー先生の作品をレパートリーに持っている歌手って次元が違いますよね。喉も強いがそれを支える精神も強い。オペラ歌手かワーグナー対応可能オペラ歌手なのかで職種を分けた方がいいと思う。なぜあんなに強い声で長時間歌えるのか本当に謎。歌手生命の前借りをしているのだろうけれど、前借りして素晴らしいドラマティックなソプラノ歌手でいれるなら1年分でも5年分でも前借りするんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌唱に関しては圧倒されて上手く感想が書けないのですが。とりあえず、口の中のスペースが狭くなることがほとんどなかったです。どの母音でも同じくらいのスペースを保ったまま歌う。高音域もそのまま。高音域を出すときに、間なくその音が出せるのが素晴らしいです。正しい音になるのに時間がかかる場合もあるので。一発で瞬時に正しい音を美しい響きで出すことができる技術力に感動です。感謝。感謝。当たり前にやるから凄さに気づくまでに時間がかかりました。1つ気になったのは、高音域で長く伸ばすときに唇が動いていたところです。唇が動くと安定しない気がするのですが安定感はあった。どういうことよ?高音域の響きが綺麗な人はパカッと開いたまま伸ばしている記憶だったのですが、そうでなくても安定するものでしょうか?ビブラートの関係かな?唇が力みすぎても力綺麗に歌えないですしね。難しいですねー。低音域は無理矢理の発声ではなく、低音域の正しいポジションで強く歌っていました。これ以上に気持ちのいいものはないです。低音域まじかっこいい。歌った後に、変なところ(どこ?)にいかずにポジションを元の位置に戻せるのも素晴らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エレクトラの精神状態の演技もとても好みでした。妹のクリソテミス(以下妹)の話を聞いているときの薄ら笑いが印象深いです。夢を語る妹が可愛くて微笑んでいるわけでも、叶わない夢だとばかにしているわけでもなく、ただ感情のない薄ら笑いが不気味でした。オレストの悲報を聞いて悲しい気持ちが溢れ出すかと思えば、殺しの計画について妹に歌う場面は力がみなぎっており、1時間45分の公演中に音符だけでなく、感情も上から下まで急激に移動をしていることがよくわかりました。一言に狂気といえど、さまざまな悲しみだったり怒りだったり、色々なバリエーションがあるのですね。全力で狂っていらっしゃる。もっと細かく見ていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガーキーは本物の劇的エレクトラでした。本物がつくるエレクトラに出会えてよかった。是非、古今東西のソプラノ歌手の皆様にはエレクトラのオファーが来ても断っていただきたい。ご自身の喉のために。そもそも歌いたい役なのかは知らないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガーキー以外

真ん中にでかい歌手(物理的にではなく名前的に)を持ってくるとその他がどうしてもモブになってしまいますね。モブとか言ってごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

エギストとオレストは出番が少ないのでもっと歌唱量がある役で聴いたら違う印象を受ける可能性がありますが、本公演は安定した歌唱で大変聴きやすかった。オレストは深みのあるバリトンで、分厚いオーケストラを掻き分けて響く声がとても美しかった。声が出たり引っ込んだりするのがちょっと気になりましたが、まあ出番少ないのでいいでしょう。エギストも強い芯がしっかりした歌声を少ない時間でしたが聴かせてくれました。ヘロヘロしたテノールに遭遇する機会が多いもので、強めだけれど押さないテノールは本当にありがたいです。なんと、サロメちゃんのパパ(=ヘロデ)をレパートリーに持っているそうなので、ぜひ歌いにきてください。

 

 

 

 

 

 

 

妹は大健闘ではありましたが、ガーキーが後に続けて歌うと発声の深さの違いが顕著でした。年齢もキャリアも異なる2人なので比べる気はないですが。とても上手な方ですよ。それは間違いなく。しかし、如何せん、隣が大物すぎる。その大物に対抗するわけでも引いてしまうわけでもなく、ご自身の良いポジションを保ったまま歌っていたので聴きやすかったです。ときどき歌で戦い出す歌手いますよね。ドイツ語の発音が明瞭で大変聞き取りやすく、また自分の求める未来を歌っているときの表情が可愛らしくて愛おしかった。姉妹のキャラクターの違いを無理なく表現できるのが素敵です。本公演でお召しになっていたショッキングピンクのドレスはあなたしか着こなせないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリテムネスラ(以下ママ)は、私とキャスティングもしくは演出の解釈違いだと思うけれどコレジャナイ感が否めなかった。ママは王妃なので、立場ある人の凄みや圧力をみせてほしかったですね。どんなに弱っても王妃は王妃なので。本公演の演出だとただの老婆にみえた。個人の好みですかね。歌唱に関してはフレーズごとに切れてしまうのがとても気になった。1フレーズの中で切れることはないのですが、フレーズとフレーズの間に意味のない空白があった。姉妹がソプラノなのに対して唯一ママだけがメゾソプラノなので、違いを聞きたかったし、ママの低音域を堪能したかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シュトラウスおじいちゃん

 

ホ長調とかロ短調とかここのモティーフがーとかそういう頭が良さそうなことは言えないのですが、サロメに続き、人が殺されている時の音楽描写がとても上手でとても美しい。サロメでも同じことを思ったし感想投稿に書いた気がしますが、殺される現場は舞台上にはないのに、何故か目をそらしたくなるような臨場感があります。何も見えてないですよ?オーケストラが演奏し、エレクトラが座りながらソワソワ(ちょっと曖昧)しているだけです。(断末魔は聞こえますが。)何もないのに、グロテスクな場面をみせられているような気分になります。音楽がグロテスクなわけではないです。本当に美しいです。美しすぎて苦しいのです。その感覚が人の死の場面をみている苦しさに結びつくのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サントリーホールの響きで聴きたいです。楽しみです。前は、サントリーホールはなんでもかんでも響くから好きじゃなかったのですが、本当に上手な人が歌ったときの相乗効果が恐ろしくて好きになった。普通をそれなりに聴かせる音響ではなくて、上手な人をさらに押し上げる音響だったのですね。失礼致しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で。

 

 

 

 

 

 

 

 

この間、Google先生にエレクトラの初演の年を聞いてみたらシュトラウスおじいちゃんのオペラが並んでいる最後にオネーギン混じってた。面白くてスクショした。