三島の見解

古の女子高生

【オペラ】サロメ(新国立劇場)

2023年6月1日(木)19:00公演

新国立劇場

オペラパレス

リヒャルト・シュトラウス作曲

サロメ



 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

 

6月です。

6月で御座います。

今年も半分が終わりますか?

そうですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日はボリス・ゴドゥノフぶりに新国立劇場へ行きました。半年?そんなに行ってないとは驚きです。来シーズンはもう少し行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、本日はリヒャルト・シュトラウス(以下シュトラウスおじいちゃん)作曲、原作オスカー・ワイルド(原作ね。台本ではないよ。)のオペラ、サロメを観て参りました。1時間40分を休憩なしでシュトラウスおじいちゃんの音楽が走り続けます。最高です。19時に始まり21時にならずに終演は大変良心的な上演時間です。もう1作品観てもいいくらい時間がある。

 

 

 

 

 

 

 

サロメといえば記憶に新しい、サントリーホールでの公演。東京交響楽団さんのシュトラウスおじいちゃんコンサートシリーズです。来日オペラ歌手4人の完璧な歌唱技術と表現力、統率の取れたオーケストラ演奏が素晴らしすぎて未だに思い出してはニヤニヤしております。

(そのときの感想はこちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日はコンサートではなく舞台装置あり、衣装ありのオペラとしての公演です。本公演の演出は2000年に新国立劇場に登場したようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では感想いってみよー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終幕の拍手

どうして終わりの感想から書くのだろうか?

 

 

 

 

 

 

終幕から暗転した後の客席の「?」な雰囲気が面白かった。1,2秒ほどまばらな拍手タイムがあり、だんだん人数が増えて終幕の拍手になった。客席は置いて行かれていたのだな。序曲もなければ、休憩もないから置いていかれたらもう戻れないないのだ。このオペラの上演時はときどき客席の様子を伺う必要がありますね。1時間40分のオペラなので30分間隔くらいで「ついて来れてるかー!?新国立劇場ー!!?」ってやった方が良い(ロックバンドのライブ?)。話はわかりやすいのだけれど、如何せんシュトラウスおじいちゃんがお元気なもので。私はオペラを観る(聴く)ようになって早い段階でサロメに出会ったので固定概念のようなものが形成される前に何もなく、すんなり受け入れることができましたが、モーツァルト先生やベルカントオペラで長年育ってきた人がどうやってサロメを受け入れるのは興味深いです。受け入れるのかも謎だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終幕ついでで書きますが、最後のサロメちゃんが殺される描写はないほうが好みでした。好みです。良し悪しではありません。台本(楽譜)ではサロメちゃんは盾で押し潰されることになっているので、はっきりではないですが、殺される描写自体は存在することになりますが、客席からは死ぬ瞬間は盾で隠れて見えないのかなと。本公演の演出では刃物で殺されていましたが。舞台上でサロメちゃんがわかりやすく殺されることにちょっと違和感です。後一歩で刺されるくらいで暗転してほしい。舞台上で描き切ってしまうことで安っぽさがでるなあと。台本上には兵士としか記載がないところを本公演ではヘロディアスの小姓もサロメちゃん殺しに参加しておりました。この部分だけではないのですが、小姓贔屓の演出ですね。

 

 

 

 

 

ヨハナーンが井戸に戻っていくのを全員で見送っている(見送ってはいない)場面で全員が動かない中、小姓だけ動くことを許され、ナラボートくんの死体に近づき抱きしめるといったかなり目立つ演技をもらっており、またサロメちゃんやヨハナーンが歌っている後ろでよく動いていたり、ナラボート君とよく絡んでいたりとまあよく目立つこと。衣装が赤だからなお目立つ。小姓を使ってサロメの周辺だけではなく、他の人物の感情をより強く描きたいのかなあと思いました。それはそれでありですが、このオペラは音楽が元気なので舞台上の動きには慎重にならなければなりませんね。両方とも元気だと散らかりますね。(演奏会形式くらいがちょうど良いのかもしれない。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おかえりヨハナーンの会

おかえりヨハナーン!!そうです、本公演のヨハナーンはあの素晴らしい(上で書いた)サントリーホールのヨハナーンと同一人物なのです。おかえりなさい!!

 

 

 

 

 

 

 

抑揚がなく淡々と喋るように歌うことが求められている役だと思います。譜面に書いてある通りに歌っておけば成立する役のような気がします。技術的に難しい部分もなさそうだし、感情的に歌う場面もない。しかし、だからこそ誤魔化しがきかない。どっしり構えて正確に狂いなく歌う必要がある。ブレスの位置がおかしくなったり、音が上擦ったりしたらすぐにわかる。そして分厚いオーケストラの壁を超えて声を響かせなければならない。(本公演ではオーケストラ縮小版のため若干壁は薄い。)本公演のヨハナーンは何の問題もなくやってのけます。素晴らしい。舞台上にいないのに舞台上の誰よりも声が通る。音の安定と客席の安心をお届けするヨハナーンです。安定した歌声が勢いよく飛び出すけれど力技ではない。口の開き具合がとても綺麗でどの音でも同じような口の開き方をしていた。どの母音にも子音にも左右されないが発音を蔑ろにしている訳ではない。正しい発声は心地よい。その口からその歌声が出るのは納得です。高音域に若干響きが変わる箇所はあったけれど、そんなことはただの粗探しでしかないのです。「Tochter der Unzucht〜daß er dir deine Sünden vergebe.」(みだらな娘よ〜許しを乞いましょうみたいなところ)の部分で、サロメちゃんを救える人の話をしているときだけ、雰囲気が緩むというか、明るくなるというか、優しい感じになるのがよかった。何も変えてないようで絶妙な変化をつけることができる技術に感謝。

 

 

 

 

 

 

 

月明かりが眩しいヨハナーンは可愛いし、一応(?)ナラボートくんの自死にも反応する優しいヨハナーンもいいね。最後に自ら進んで井戸に戻る姿はちょっと面白い。ヨハナーンの姿を拝める時間は少ない。気がついたら生首だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サロメちゃん

サロメちゃんはね、とても難しいのです。サロメちゃんが難しすぎるのです。低音域から高音域を常に駆け抜け慣れればならないという技術的な部分、十代の無垢さとどこからか来た狂気性を表現しなければならない演技力、オペラ歌手なのに約7分間踊らなければいけないという重大な雇用契約違反。これは過労です。本当に難しいし大変だと思います。なので最後まで歌いきったことに敬意を払った上でお歌について書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この日1番気になったのは、ピアニッシモ(響きを保ったまま声量を小さくする歌い方)ですね。小声ですらないのです。音量0.5です。聴力検査始まった。オーケストラが静かになると響いているのはわかるのですが、ちょっと声量落としすぎですね。本公演のサロメちゃんは音の高さによって発声の仕方が変わってしまう。同じような高さの音で歌っているときはとても安定していてよかったです。特にナラボートを口説いている(わけではない)部分はとても美しかったです。しかし、音域を移動するような音型になってしまうと段差ができてしまう。特に低音域に行くときと帰るとき。上にも書きましたが、サロメちゃんは高音域から低音域まで駆け抜けぬけなければならないので、音域ごとに違いが出てしまうと気持ちよく聴けません。高音域は押し気味な箇所はあったけれど全体を通してみれば力強い発声でまあまあ良かったと思います。中音域は言葉が聞き取りやすく、サロメちゃんとしての演技の幅を出せる余裕があるように見えました。低音域は響かないです。低音域は捨てちゃうソプラノはいますし、曲によっては一瞬で過ぎ去るので捨てても別にたいしたことないこともありますが(捨てない方がもちろん良い)、サロメちゃんは捨てることができない役です。低音域になると声をつくる位置がかなり変わる。音が落ちるような、無理矢理低くしているような声で美しくないのです。低音域あってこそのサロメちゃんだと思っているのでもっと求めたいところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サロメちゃんは踊りを踊り終わった後に、ヘロデに生首が欲しいと言います。ヘロデが違うものを提案しても、サロメちゃんは生首が欲しいと言います。ここの聴かせ方がとても大事だと思っています。結局ヘロデは折れて生首をあげるじゃないですか。その過程をどうやって表現しますか?ということなのです。もちろん音楽から離脱して芝居を始める必要はないです。音楽の上に何を乗せることができるかが歌手の技量の見せどころですね。個人的にはヘロデを締めつけるように強く、しかしヘロデを締めつける気はない(別にそれが目的ではない)ので淡々と歌って欲しいです。しかし、本公演のサロメちゃんはそこを求めずに至らずというところでした。言葉を変えて何度か「ヨハナーンの首が欲しい」と言いますが、例えば「Ich fordre den Kopf des Jochanaan.」は1単語1単語が切れてしまい、このフレーズに休符があったのか、もしくはアクセントをつけて歌うような指示があったか確認したくなりました。効果的にアクセントをつけるかたちにして歌っても無機質さが増していいかもしれませんが、本公演は効果ではなく技量の問題な気がしました。難しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ママらぶ。

ロディアス(以下ママ)が美しい。ビジュアル最強ママ。第一声がものすごくよかった、「スカーン!」と抜ける声。ママを歌うにしてはソプラノのような声質だなあと思いましたし、メゾソプラノに求めたい声質の深さのようなものはなく終始キャンキャンしていたので好みは別れるかと思いますが、安定感はあります。唇に近いところで声をつくっている(だからキャンキャンする)ようですが、響き自体は悪くないし好きです。しっかり通る声は良い。また、歌うことのみに気を取られず自由にお芝居ができるタイプの歌手で観ていて楽しかった。サロメちゃんが生首をもらった後に歌っているとき、ママは椅子に座ってずっとサロメちゃんの方を見ているのですが、その視線の感情のなさがよかったです。生首を欲しがる娘も生首をもらって喜ぶ娘にも気持ち悪さが感じていなさそうなママでした。

 

 

 

 

 

 

ヘロデの指から指輪を抜くの大胆すぎて笑った。ヘロデも気づけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘロデ

小物感がすごい。一応王ですので。若い女と絡みたがる気持ち悪いおじさんにしか見えない。王様感をくれ。このオペラ終幕前の最後のお歌(というかフレーズ)はヘロデで、サロメちゃんを殺す命令を出します。私はここに繋がるようにヘロデという役を作っていかなければならないと思っています。小物感満載だと誰がこの命令に従うのか、そもそも小物が身内を「殺す」という判断をするのかというところです。そもそもただの気持ち悪いおじさんがサロメちゃんが異常だと狂っていると判断ができるのでしょうか?この最後の言葉にしっかり重みを出すために必要なヘロデを作って欲しい限りです。

 

 

 

 

 

 

お歌に関しては、ヘロデを歌うには弱いかなあというところですね。高音域はかなり強く歌えます。強いけれど押している感じはなかったのでとてもよかったのですか、それ以外の部分が弱い。プロフィールを見る限り、プッチーニ先生やワーグナー先生の作品がレパートリーのようでヘロデが合わないという訳ではなさそうですが。高音域の強さとかけ離れた中音域の甘さと弱さ。声が広がるのです。広がっても強い声であればまだよかったのですが、弱い声なのでふわふわと彷徨う。その辺りもヘロデの小物感に貢献してしまっている。特に舞台後方に行ってしまうと声の響きが弱い。歌っているのはわかるのですがちょっと音量を上げたくなる感じです。サロメちゃんは過労で大変なので、同じ高音域担当としてヘロデが安定していると嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

シュトラウスおじいちゃんのオペラは楽しいです。

ヨハナーンの首を切る描写の音楽が本当に気持ち悪い。(褒めてる。大好き。)

切っているところ見えないのに見ている気持ちになる。

早退したい日があったらここの音楽を数回リピートすれば顔色悪くなってすんなり早退できると思う。

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で。