三島の見解

古の女子高生

【オペラ セミ・ステージ形式】平和の日

2023年4月8日(土)17:00公演

東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ

セミ・ステージ形式

Bunkamuraオーチャードホール

平和の日



 

 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

この日はー、なんとー、シュトラウスおじいちゃんです。

愛おしすぎて「おじいちゃん」とお呼びしております、シュトラウスおじいちゃんことリヒャルト・シュトラウス(以下シュトラウスおじいちゃん)のオペラを観に渋谷へ行ってまいりました。

 

 

 

 

 

土日の渋谷って極力避けたいのですが、土日公演のみだとしょうがないですよね。行くしかない。オーチャードホール周辺は人少ないからなんとも思わないのですが、渋谷駅周辺は人・人・人でした。しかも雨。カサコワイ。駅周辺だけでなく駅構内のホームから人で溢れかえっておりました。トカイコワイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、オペラです。

 

 

 

 

 

この日の演目は「平和の日」というオペラです。サロメ(1905年)やばらの騎士(1911年)より後の作品で、1938年の初演らしいです。1938年とか最近すぎるよね。100年経ってないもんな。シュトラウスおじいちゃんは70代ですね。作曲家が何歳のときに作曲したのか普段そこまで気にしないのですが、シュトラウスおじいちゃんは長生きなのと時代を渡り歩き過ぎているので把握しておくと理解が深まります。シュトラウスおじいちゃんの人生を通して感じる時代とその作品はとても面白い。他の作曲家でも把握しろという話ですが。勉強不足です。すいません。

 

 

 

上演時間は75分(全1幕で休憩なし)と大変良心的な設計です。ああ、ワーグナー先生。

因みに本公演は80分と案内あり。

 

 

 

 

 

 

「平和の日」は日本初演だそうです。戦争の物語であり、シュトラウスおじいちゃんが作曲したときもそのような最中であったそうです。そして今現在もそのような最中なのです。最中(もなか)ではないです。こんな時代だからこそ上演する必要がある作品ということでしょうか?逆にこんな時代でなければ日の目を見るこのとない作品なのでしょうか?切ないぜ、おじいちゃん。

 

 

作曲家が意図した以外の意味を公演に盛り込んでいるものがとても苦手です。その意味を納得させられる圧倒的技術があれば別ですが。基本的には音楽や台本または原作から離れすぎずに公演をつくっていく必要があると思うのです。どうですか?聞いてますか?新国ボリスくん?

 

 

 

 

この公演に関しては、上演すること自体に今現在の世界に対するメッセージ的なものを盛り込んでいるのでしょう。無理矢理の結び付けではなく、作品自体にそのようなメッセージというか意図があるそうなので良いと思います(誰?)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では感想いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーケストラ

まとまりはあるがとても小さい。コンパクトオーケストラ。幕開け出だしの音が劇場内を支配するような勢いと強さできてほしかったが「鳴ってます?かね?」というようなこちらが取りにいかなければならない音だった。シュトラウスおじいちゃんの音楽はどの作品も容赦なく心臓を握り潰すような美しい旋律が散りばめられている。本当に暴力的である(褒めている)。唐突に美しい旋律がやってきては去っていくので、音源を聴いていると「今のはなんですか?」と停止ボタンを押してリピートしてしまう。このオペラの音源はたくさん聴いたわけではないが、こちらがしんどくなるような(褒めている)旋律が歌にしてもオーケストラにしても存在している。しかし本公演では何も感じなかった。「あー、頑張っているなあ。」くらい。頻繁に上演される作品でないため参考音源が少なく大変だったと思うが、もっとシュトラウス感が欲しかった(シュトラウス感とは?)。

 

 

 

 

 

 

私はお歌が大好きなので、オペラやオーケストラ伴奏の演奏会でもお歌を中心に音楽を楽しみます。お歌以外を蔑ろにしている訳ではなくそういう構造の耳です。しかし、シュトラウスおじいちゃんの音楽はいつの間にかオーケストラやピアノ伴奏に耳を持っていかれることが多々あります。本公演でもそうなることを期待しましたがそれはなかったです。残念。

 

 

 

 

 

場面でいうと戦争終わったあたりからは良く鳴るようになってきたけれど、天井の高い劇場で平面的な演奏が永遠に続くのは寂しかったし、頭上からシュトラウスおじいちゃんの音楽を浴びたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌手

出だしの2人の声が飛ばなかった。しかし、進むに連れて安定していった。出だしって難しいよねー。

 

 

 

 

 

 

司令官が上手かった。間違いなくこの公演のナンバーワン。声の響きとドイツ語の発音が分離せずに、音の上に言葉が綺麗に乗っていた。深く響きのある声とまでは言えないが、響きが落ちることなく一定した歌唱はストレスフリー。司令官のいう人物の芯の強さと立場ある人を表現できる声の重さがとても好みだった。子音の処理に気を取られがちなドイツ語の発音も綺麗なフレージングを崩さずに対応できていて、聴いていて不快にならなかった。(ドイツ語のお歌は子音飛ばし大会始まりがちだからな。)ネイティブが聴くともしかしたら「発音が弱い」と思うかもしれませんが私は満足。

 

 

 

 

「Zu Magdeburg in〜」はもっと弾んでもよかったかなあと思った。ちょっと元気ないというか乗り切れない感じがした。あえてかしら?そこから続くいろんな人(雑)の歌は結構楽しめた。歌唱とお芝居に無理がない。過剰すぎない演技と安定した歌唱で聞き応えがあった。しかしこの場面は「虚無」を表現すべきなのか?

 

 

 

 

上手かったからこそもったいなかったのが、「in einer Stunde〜」の部分。冷酷な事実を告げるには軽すぎかなあと。音も低めだしオーケストラも重々しく暗くいくので、淡々と語るように歌ってほしい。1音1音を地面にねじ込んでいくような歌い方の方がいいと思います(誰ですか?)。軽さがあることによって「本当は死ぬのこわい。」のように聞こえてしまう。そりゃ怖いよな。わかる、わかる、気持ちはわかる。しかしもっと淡々と、なんなら勇ましく歌ってほしいっす。

 

 

 

 

 

 

 

司祭はいい声なんだけれど、レガートラインが薄い。1つ1つの音を大事にしているようには聴こえたけれど、ぶちぶち切れる感じは否めなかった。折角オーケストラが美しいレガートな旋律を演奏してるんだから乗っかっていけばいいのに。シュトラウスおじいちゃんの音楽の伴奏って「全然違うことしてない?」と思わせつつも絶対そばにいてくれるような安心感がある。違う方を見ているんだけれど、全力で支えてくれる頼もしさがある。だからもっとオーケストラに頼っていいと思った。オーケストラに頼るというよりかはシュトラウスおじいちゃんの譜面に頼るという感じなんだけれど。

 

 

 

 

 

 

市長の高音が微妙だったね。跳躍しときに明らかに響きが変わってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

マリアはちょっとよくわからん。低音は飲んじゃうし、高音は顔面に当てすぎてとても浅い。全体的に胸から上を使っての歌唱で深みはない。跳躍はシャウト気味。顔面に充てるように歌うことは間違ってはいないのだろうけれど、それってお腹とか頭の後ろが正しく使えてないとキンキンしちゃうよね。イタリア語なら顔面当てまくり発声のみでも多少聴けるけれど(でもとてもストレス)、ドイツ語となると何言っているかわからなくなるし、キンキン度が増すように感じた。正直なぜマリアを歌っているかわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台構成

オーケストラの前に3段になった小さいステージが置かれている。歌手は基本的にその上で歌唱。最後の合唱部分はその小さいステージの前に出て全員で歌う。合唱団はオーケストラの後ろにあるスクリーンの向こう側にいて前には出てこない。衣装は女性歌手以外は黒で統一されシュッとして見えた(大事)。最後の合唱部分は皆さんお着替えして第九の装いだった。

 

 

 

 

 

 

衣装で気になったのがマリア。グレーかベージュか照明でよくわからなかったけれど(しかも記憶も曖昧)、そのような色の袖スリットワンピースを着用。これを最後の合唱部分の前に舞台上で脱いで上のノースリーブ部分がゴールド、それ以外がブラックのロングスリーブドレスに早替え(?)をしていました。着替え前に袖スリットの衣装から中に着ているブラックドレスの袖が見えるのが気になった。ユニクロヒートテックを着ているのかと思った。下着が見えているような感覚ですね。脱いだので「ああ、ドレスか。」と理解することができたけれど、どう見てもヒートテックだったからスリット部分縫った方が良いよ。

 

 

 

 

 

そもそも「戦争が終わったー!やったー!」(雑)となっているのに黒。折角「光」だ「平和」だ「太陽」だと言っているのに折角舞台上で着替えるのに黒。話が進んでいない気分になった。客席に視覚的に戦争終わったアピールすればいいのに。舞台上で着替えるのに「ただ羽織りを脱いだ人」になってしまっていた。それなら裏でやれ。この後の合唱部分は皆さん第九の装いなので、1人だけ華やかにキンキラキンだとおかしくなるのはわかるのですが、でももう少し華やかな衣装にすれば良くない?申し訳程度のゴールドでは微妙よね。もしくは今現在の状況を察して「黒」ということですかね?

 

 

 

 

 

 

 

司令官とマリアのお歌の場面がイタリアオペラちっくになってしまったのも微妙でしたね。司令官が跪いてマリアとくっついて歌っていましたが、その距離感で歌うのか?本当か?と。「アモーレ!」「ミアビータ!」ではないんだわ。ここでくっついていることにより最後の抱擁の価値が薄れる。「一緒に死にます!」の歌詞の効果を最大限に引き立てる抱擁であってほしい。

 

 

 

 

 

 

 

オーケストラ後ろ合唱前にあるスクリーンの映像が安直すぎないかと。テノールが「バラがなんとか〜」(雑)と歌っているときにバラの花を映し、司令官が「皇帝がなんとか〜」(再び雑)と歌っているときは皇帝の肖像画(額縁のみ)を映す。戦争の話は銃、戦争が終わったら白旗。なんていうんだっけこういうの?連想ゲーム?終幕の合唱部分の映像には興醒め。最初に真ん中に大きくドイツ語で「平和」と映し出された。この時点で嫌な予感がした。このままドイツ語だけで終わってくれという祈り虚しく左下に英語、その後左上に日本語。その後も様々な言語で「平和」と表示され(どんどん増えていくタイプ)最終的に真ん中に集まって丸くなり、地球になりました。めでたし。めでたし。

 

 

え、ダサくない?小学生が学校の授業で見る教材映像のエンディングのようなチープさ。合唱そっちのけで映像の恥ずかしさとひたすら戦っていた。いっそ鳩でも飛ばしてくれよ。レベルが高いとはいえないが歌唱が安定していたのにスクリーン映像で全体のレベルを下げていると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

以上でーす。

 

 

 

 

 

 

 

私は劇場に行くたびに素晴らしい音楽と素晴らしい演奏者と素晴らしい演出に出会いたいのです。

これは贅沢ですか?

当たり前じゃないのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後のシュトラウスおじいちゃん(オペラ)のご予定はエレクトラエレクトラサロメサロメですね。

突然のシュトラウス充。幸せ。

 

 

 

 

 

 

 

エレクトラ楽しみすぎてチラシ見てはニヤけるという奇行を繰り返しております。

サロメが本当に素晴らしかったからな。

期待!期待!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で。