三島の見解

古の女子高生

その2【コンサート】ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ オペラ・アリア・コンサート

2023年5月23日(火)19:00公演

サントリーホール大ホール

ディアナ・ダムラウ&ニコラ・テステ

オペラ・アリア・コンサート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダムラウさん(以下敬称略)&テステさん(以下敬称略)のファミリーコンサートの感想その2でございます。

(その1はこちら↓)

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この投稿では曲ごとに記憶に残っていることを書く予定です。

オーケストラ演奏と特に感想がないものは省略致します。

曲名の作曲者の名前を書いておりますが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、いってみよー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bel raggio lusinghier(麗しい光が:セミラーミデ ):ロッシーニ

ロッシーニ先生です。コロコロコロコロしている鬼のようなお歌です。よく転がる声をお持ちのダムラウが1曲目に歌いました。世界水準の歌手としてどう歌うのか、どれくらい転がすのか気になるところでした。1曲目から一流の演奏を聴かせてくれると思いましたが特に何もなく終了。強さと凄さを見せつけてくる(言い方)のかと思いきや何もなく、ダムラウの価値はなんなのかと1曲目から虚無に投げ出されました。素晴らしい歌手が難しいお歌を歌うと全く難しそうに聴こえないことは多々ありますが、本公演は違う意味で難しそうに聴こえなかったです。必要最低限の演奏でした。もちろん明らかな失敗はないし、堂々と表情豊かに歌う姿は素晴らしいですが、一流ってこんなもの?と言いたいです(既に言っている)。全曲を通してですが、アジリタ(転がるやつ)部分だけ声を後ろに引っ込めて(唇付近ではなく喉奥に近く)歌っておりまして、それ自体は唇付近で転がすより音がまとまっていいと思いますが、アジリタ部分以外が喉に力が入ったまま歌うので、アジリタ部分とそうでない部分の音質と音量の差が顕著で音を拾うのに疲れました。もともとアジリタとかピアニッシモ(響きは変えずに声量を落とすことをいう)部分を歌うときに声を引っ込めて歌う方のイメージはありましたが、それにストレスを感じたことはなかったので、なぜそうなっていたのか疑問です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Je t’implore oh mon frère(私は貴男に懇願する、おお、兄上よ:ハムレット): トマ 

テステ1曲目です。最後の「地底からこんにちは!」のような最低音が響くこと、そしてその音を汚く終わらずに綺麗に伸ばせるところは素晴らしいです。しかし、それだけです。お歌に深みがない。テステの母国語なはずなので、言語面でのストレスは少ないと思いますが、なんかイマイチ乗り切らないというか、歌っている本人がつまらなそうというか。感情の起伏を見せずに歌うことと棒読みで歌うのは違くね?と思いました。謎ですね。のっぺりするの。のっぺり。全く引き込まれないから感想もないです。すまん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Велики Боже, чуй моята молба(偉大なる神よ、私の願いを聞いてください:マリア・デシスラヴァ ):ハジエフ

ブルガリアのオペラだそうです。ブルガリア語でダムラウが歌います。楽譜が手元にないので確かなことは言えませんが、音的(技巧的な)な難しさはなさそうです。しかし、音的な難しさがないということは歌手の技術力と表現力が大きく問われるということです。アジリタ盛り盛りなら表現力がなくても譜面が解決してくれるし、オーケストラ伴奏がド派手なら多少不安定でも注意を逸らせますしね。お歌も伴奏もシンプルということは絶対にしくじれないということです。ダムラウの演奏は、全曲の中で最も声が安定しているように感じました。無駄に押さずに丁寧なお歌を聴くことができました。オーケストラが静かなので、ブレスやフレーズの処理が丸わかりになってしまいますが、変なところで切れるブレスも歌詞を投げ捨てるように歌い終えたフレーズもなく。が、しかし、なぜこの曲を歌ったのかわからないくらい空っぽな演奏でした。祈っていることだけはわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sous les pieds d’une femme(一人の女性の足元に:シバの女王):グノー

表情が柔らかく、棒立ちをやめて動きなら歌っていた。高音域部分で喉が上がってくる感じが唯一なく、安心して聴けた。テステは感情を乗せない(乗せられない?)分、声量や音質を安定させることができる(高音域以外)。オペラ歌手の演奏としてはつまらないし、印象に残らないけれど、芝居で誤魔化さず、歌うことに集中していた。私の勉強不足ということにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

O mio buon Talbot!(私のタルボ!:マリア・ストゥアルダ):ドニゼッティ

ダムラウは手の動きが気になった(この曲だけではばいけれど)。手を動かしてなんとか高音を上げている。練習や音源の録音等で手を振り回しながら歌う分には良いけれど、舞台上でやられると手を押さえにいきたくなる(即退場ですね)。高音域の広がり具合がよろしくない。芯の通った歌声が広がるのではなく、力で無理矢理拡張しているような響き。掛け合いで歌っているのにダムラウの一人芝居になっているのが面白かった。最後の「〜per me」( 「〜per te」)がとても良かった。本公演のハイライトはこちらです。ダムラウがお着替えと一緒に十字架のネックレスを追加したのが素敵だった。(と思っていたのですが、1個前の曲からつけていたようです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Любви все возрасты покорны(恋は年齢を問わぬもの:エフゲニー・オネーギン):チャイコフスキー

チャイコフスキーのお歌あるある、オーケストラの比重がでかい。責任がフィフティーフィフティーってやつになるお歌です。この後触れないので先に書いておきます。ホルンさん頑張って!舞台上にいる全員がこのお歌がどういうお歌でどのような人物が歌っているのかを知らないのでは?と疑いたくなるような空っぽな演奏だった。空っぽな演奏ばっかりだな。私の問題かしら?出だしの「Любви все возрасты покорны〜」とその後のオーケストラの掛け合いのような部分はよかった。このフレーズとフレーズの間に入ってくるオーケストラがきちんと聴こえてこないと空白時間が誕生してしまうので本当によかった。「Тоскливо жизнь моя текла~」の部分の「ли」の音が狭い。苦しい発声が気になった。その後の「Онегин,я скрывать не стан〜」のはじめの「Онегин」は呼びかけですがなかなかに埋もれていましたね。「,」が大事です。歌い方を変えてほしいわけではないけれど言葉の扱い方というか、テンションの変化はあったほうがいいと思うんだよね(誰?)。表情もほぼ変わらずに歌うから「Онегин」が一体何を示しているかわからない。「Среди лукавых, малодушных〜」からは謎加速が始まった。加速はいいのですが、「出だしゆっくりしすぎたからここで巻き返しとこ!!」とでもいいたげな意味のない加速だった。裏方さんから巻きの指示でもあったかのような音楽的効果ではなく公演的諸事情のような加速。そして謎加速が終わった後の、2回目の「Любви все возрасты покорны〜」ですが、1回目と違いがない。こういう歌詞構成のお歌って1回目と2回目の間の歌詞を経てどうなったのかを客席に伝えなければいけないと思うのよね。同じ歌詞を2回歌うとき!同じように歌ってはいけないのが!この世の常!最低音担当のテステなので最後の音の安定感はよかったです。若干の疲労の色はあったが。チャイコフスキーの魅力を広めない包囲網でも張られているのかと思うくらい良いチャイコフスキーに出会えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Casta Diva(清らかな女神よ:ノルマ):ベッリーニ

みんな大好きカスタディーヴァ。歌い終わればとりあえず盛り上がるカスタディーヴァ。本公演でも大変盛り上がっていました。しかし気になる部分は多い。出だしの「Casta」の「C」が行方不明。「Ah〜」から始まる歌だったかと疑った。焦りましたねー。イタリア語とお別れするの流行ってるの?ピアニッシモがただの小声問題が顕著。サントリーホールさんの音響をもってしても響かない。サビ(クラシックはサビと言わないらしい)の「a noi volgi il bel sembiante〜」の「bian」の音符たちは、高いラの音を連打する(連打ではない)みたいに同じ音ですが繋げずに、強調して歌うのが楽譜の指示のようです。しかし、本公演では音の切れ目がなくて、ただ伸ばしているように聴こえました。楽譜が変わったのかと思いました。もしかしてこれも流行り?繋げるの流行り?声が固いので細かい操作ができなくなっていたのかもしれません。そもそも声が広がりすぎていて、このお歌を歌うには繊細さが欠けているように感じました。壮大すぎる。プッチーニ先生の作品ならそんなものかなと思いますがこのお歌はそれでは片付けられないです。歌い切ることができる技量には敬意を表します。最後の伴奏がなくなる部分はとても綺麗でした。ちょいちょい垣間見る美しい歌声が本当のダムラウであってほしい。ほぼ全てが喉発声であったが、細かい下降音型はどのお歌を歌っても美しく、下降が崩れず、綺麗に丁寧に歌える技術は本当に素晴らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンコール

ダムラウが歌ったアンコール曲のうち2曲の感想。1曲目はドニゼッティのオペラ、ドン・パスクワーレから「Quel guardo il cavaliere(騎士はあの眼差しを)」、2曲目はアンコール課題曲でありみんな大好きプッチーニ先生のオペラ、ジャンニ・スキッキから「O mio babbino caro(私のお父さん)」を歌われました。どちらもイタリア語で歌われるイタリア人作曲家が作曲したお歌です。1曲目はとても可愛らしく、そしてお得意の表現力を全開にして歌われていましたが、ノリーナちゃんというより歌が上手な酔っ払いがテンション任せで歌っているように聴こえました。言葉が引っ込んだり飛び出てきたりするのがとても気になりました。お歌の流れが切れてしまうことははないのですが、ラインがボコボコしているような印象を受けました。やりすぎな溜めや子音の強調がものすごく違和感というか邪魔。流れを優先した方が良い気がする。中間から曲の終わりまでの細かい音型の処理の仕方はさすがです。ただアンコールでこのお歌は長いっす。2曲目は「Mi piace,e bello bello」部分をどれだけ丁寧に歌えるかがポイントだと思っています。まず「bel」と「lo」の音の移動部分。意外と時差なく響いてきました。しかし、「lo」の音の力みと力任せの広がり方がしんどい。無理にこじ開けて、無理に維持しているように聴こえました。聴いていて心地よい響きではなかった。悲しい。「ponte vecchio」の時に手を水平に横に動かして川アピール(?)をしていたのが可愛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

アンコールたくさん歌っておりましたが、私の願いはただ一つ。

ホテルに帰って薬飲んで早く寝て!!!

春よ来いじゃないの!!!

布団が来い!!!(サントリーホールお泊まり会)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

純粋に楽しみたいし、感動したいし、大金叩いてよかったなあと思いたいです。

開演前まではルンルンで帰る予定だったので。

でも耳と心は正直なものですね。素直に生きましょう。

クラシックのお歌を歌うって大変なんだなと思います(小学生)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた劇場で。