2023年9月10日(日)14:00公演
新国立劇場オペラパレス
二人のフォスカリ
お世話になっております。
三島でございます。
9月です!
秋は可愛いお洋服がたくさん発売される季節です。
秋服ばっかり持っています。でもまだ暑いので着れません。
そして劇場の公演頻度が上がります。
休館日からの点検日の日々にお別れだ!
たくさんの良い公演に出会いたいです。
さて、この日は藤原歌劇団(新国立劇場と二期会の共催)の公演に出かけて参りました。
公演自体は2日間あってソリストは別キャストのようです(1人除く)。
去年の白鳥の湖振りかな。
ヴェルディ先生作曲のオペラです。
二人のフォスカリはヴェルディ先生が生涯で6番目に作曲したオペラだそうです。ヴェルディ初期に分類されるらしい。初期ディ。椿姫より先に世に出た作品ということを知るとまだまだ作曲スキルを伸ばしている最中といったところでしょうか?椿姫がピークではないけれど人気作品を生み出す前の作品と考えると興味深いです。ヴェルディ先生はたくさんのオペラを作曲しているので順番がわからなくなりますね。この作品はメジャー作品とマイナー作品の間にいるかなあと勝手に思っています。オペラの名前は知っているけれど詳しくは知らない。音楽も数曲しか聴いたことがない。というところでしょうか。なかなか劇場ではお目にかかれない作品だと思うので今回機会があって嬉しいです。
直近の観劇演目のマクベスに続き恋愛ドロドロ系の物語ではないオペラです。
イタリアオペラ=ドロドロと教わりましたが(誰に?)、それだけじゃないぞと何十年か前の私に言ってあげたいです。
では感想いってみよー。
疲労感MAXのパパ(総督)
1幕が開いて出てきたパパに対して「サンタクロースじゃん!」って思った人、だあれ?だあれ?
ペラペラに見えるローブと帽子は総督の地位なんてそうなものという暗示なのか、ただ劇団にお金がないだけなのか。
オペラタイトル二人のフォスカリのうちの1人です。
カーテンコールで1番最後に出てくるわりに記憶に残っていない役になってしまった。
細かい音型や短い音符がハッタリというか行き当たりばったりだなあと。上に行くのか下に行くのかだけを意識してとりあえずボールを投げてバウンドした方向があってれば大成功とやっているように聴こえた。息子同様に声量があるが、その裏返しで細かい音型でコントロールが効かなくなってしまうのかもね。1つ1つを正しい音で歌うというより「それっぽく」仕上げている。もっと細かく歌ってほしい。声が揺れてるだけなのかそこに音符が存在するのかがわかりにくい。死ぬ間際のカデンツァみたいな部分はよかったです。今際の際に頑張った。
おじいちゃんを演じるにあたり変な誇張表現がなく、無理に老人になっていないところはとても良いです。オペラにおいて役の年齢を意識し過ぎるのは危ないですね。特に役の年齢設定が若い場合は。無理してるのがバレちゃう。年齢のすり合わせじゃなくてその年齢だからどうなのか?をすり合わせしておけばOKだと思っている。「子供が4人いたけれど3人はもう既にいない。1人もいなくなりそう。先に死ねばよかったー。」と歌っているときはしんみりしました。かわいそうに、おじいちゃん。終幕は感情を剥き出しにしてから死んでいってもよかったのかもしれませんが、立場ある人(あった人か)の最後が無茶苦茶なのは解釈違いが生じそうなので、丁寧に終幕した演出はしっくりきました。息子が入っている棺が運ばれてきて、棺にもたれ掛かって「Mio figlio!」は苦しい。素晴らしい。そのまま暗転もよかったですね。
息子(総督の息子)
二人のフォスカリのうちのもう1人です。
出だしから1分くらいはよかった。登場からの歌い出し部分「Ah si, ch'io senta ancora〜e sospiri.」は綺麗だった。良いテノールさんがいると思いました。しかし、お歌が進むに連れて発声が崩れてくる。声が上がってくる。声量で誤魔化すことができている部分もあり、がなることはなかったけれど美しい歌声ではない。しかし、舞台上にいても喉を休ませる時間(=歌わない時間)があると出だしのような良い歌い方に戻っているのです。なんと器用なこと。良い状態がもっと長いことキープできればもっと聴ける。オペラ歌手全員の課題といっても過言ではない「i」と「e」の母音が詰まる件に関しては1幕と2幕はそこまで気にならずに他の母音とちょっと違うかなと思ったくらいでしたが、3幕は前幕に比べると詰まりを感じました。3幕までくると疲れが出ちゃうのかもね。
歌い方の癖なのかわかりませんが、音符が長いときに音符に当たる母音が常に二重母音のような発音になってしまう。音符が増えているように聴こえる。例えば「per meー」だと「per me-e-」のように。その方が歌いやすいのかなあ。このような現象を起こしてしまう暇がないようなお歌(=早くて元気に歌っていいお歌)は声の強さとも合っていてとても聴きやすいいしスカッと抜ける声が心地よい。勝手ながら藤原歌劇団ってベルカント得意の甘々系テノールしかいないと思っていたので(偏見)、ヴェルディ先生を歌えるテノールさんに出会えたのは嬉しいです。完走できるか否かという観点からですが。
技術面以外に関しては、最初のお歌は導入の「Ecco la mia Venezia!〜」から故郷に対する愛おしさを表現してほしいところです。淡々と歌いすぎて何を歌っているのか分かりにくい。その後のルクレツィアとの感動の再会も淡々としていた。儀式みたい。お互いの顔を全然見ないのね。宗教上都合?コロナ対策?前の歌詞を繰り返しで歌う部分(息子「a crescerne il soffrir」ルクレツィア「dovremo qui languir」)があるじゃないですか。段々、2人の音が重なっていくような音楽を受けて、離れていたものが1つになったときの感動がほしいですね。ただ抱擁しながら歌うのではなくて。音楽や歌詞と歌手の動きが分離しているように感じました。このお歌の最後に向かってどんどん気持ちを集めていくように歌ってほしい。動いてほしい。
2幕の開幕 の寝そべっている姿が陸に打ち上げられた魚みたいだった。
ルクレツィア
ソプラノが!ソプラノが!ああソプラノが!
ソプラノって人口多いじゃないですか?だから競争も激しいじゃないですか?ということは上手な人が大きな舞台に立つ機会を得ていると思うのですが、違うの?ねえねえ?違うの?
衣装が合唱とほとんど一緒だから登場しても誰がルクレツィアなのか歌うまでわからなかった。合唱がソリストらしい風貌なのではなくソリストが合唱に紛れてしまうのは悲しいものです。衣装で差をつけてあげればいいのに。
お歌に関しては一言で感想が終わります。
ビブラートがかかりすぎて何もわからない。
以上です。ありがとうございました。
効果的ではないビブラートってこんなにもストレスになるんだなあ。覚えておこう。発声自体も完全に胸から上での発声でよく終幕まで完走できるなあというところです。喉が強いのかしら?口の開き方は綺麗。ということは口の開き方と発声の正しさはイコールではないということですね。口が開いていても口の中が狭かったら意味ないしなあ。難しいですね。ホイッスルボイスのように高音を出すときは綺麗。だけれどその発声って夜の女王(魔笛/モーツァルト作曲)の1番高い音レベルで使うような気が?ああ勉強不足だわ。答えがわからん。
1幕のパパの元に殴りこみ嘆願しに行く場面。パパが総督ではなくパパとして涙を流す。それに気づいたルクレツィアが「Tu piangi(泣いているの)」と歌う部分。泣いているか確認してないだろ。楽譜に書いてあるからやっておけ感満載です。そう感じました。そういうの嫌。音楽ありきのお芝居で音楽をおそろかにしてお芝居始めたら怒られちゃうけどじゃあ何もせず歌えばいいのかといえばそうではない。顔を覗きに行けとは言わない。言葉に紐付く表情とか動きとかでもいいし、そもそも音楽に入れ込んでくれ。魂を入れてくれ。わかりやすくお願い。何卒。その前の1幕の登場のお歌とその次のお歌の差のなさも気になった。最初はお怒りMAXの情緒が不安定な感じは良かったけれど、その次は落ち着いた神聖さがほしい。怒りながら祈っている設定?オーケストラのアルペジオと共に落ち着いて歌って良いぜ。怒りはそのあとで爆発させてくれ。にしても忙しい役ですね、ルクレツィアさん。
3幕の息子(ルクレツィアからみたら夫)の死をパパに報告しにくる場面。床で項垂れているパパに寄り添いながらも「Tanto sangue un figlio aspetta〜 (たくさんの血を待っている)」と歌っている。過激なことを言っているのでもっと揺さぶられているような表現ができればと良いのにと思った。落ち着きすぎじゃないか?そんなものか?
合唱とオーケストラと舞台装置など
ポスターかっこいいよね。
横幅を無駄に余らせている舞台装置は今後小さい劇場でも対応できるように考慮したのかな?でも奥行きは新国立劇場の特徴を活かし後ろに長く長く使っていた。石畳みたいな板(というかスロープ)を中央に置き、舞台中央に可動式の壁をご用意。主に部屋の中の場面は降ろし外の場面はあげていた記憶。ものすごくシンプルだけれど寂しさやお金の無さは感じなかった。ダサさを感じたのは3幕のゴンドラを漕いでいると思われる映像(絵)。でも映像の前方で合唱がこれまたダサい振り付けありで歌っているので見なかったことにしよう。この場面の前の(3幕出だし)合唱の謎ダンスはどういうテンションで観ればいいのかわかりません。端正な演出が続く中で突然繰り出されるダンスにはびっくり。一緒に踊るコーナーだった?参加できなくてごめん。
この演出は椅子に意味を持たせているのかなと。総督の椅子と息子の近くにあった椅子、合唱が椅子を見て歌うなど。椅子オペラですね。パパが総督の椅子ではなくて、息子の近くにあった装飾のない傷ついた椅子に座ったときに「もう総督の椅子には戻れない(=解任)んだなあとしみじみ感じた。パンフレットをこれから読むので(公演後に読む派です)何か書いてあるといいなあ。
男声合唱よかったね。頭に新国ボリスくんがチラついたけれど。
オーケストラは藤原歌劇団の歌をよく支えていたと思います。歌を乗せる用の演奏。歌いやすい演奏。オーケストラが強すぎると感じるような箇所はほぼなかった。ただ、2幕出だしの演奏だけはもう少し聴かせて欲しかったです。私が音源で聴いていた曲と同じ曲とは思えなかった。藤原歌劇団を守りすぎて自分たちが前に出ていいところを忘れてしまったのか?全体的に良い音楽作りをされていたのでおしかったです。でもそれ以外は素敵でした。
ある程度のお歌技術の上に乗っかった細かい心理描写やお芝居をみたいところではあった。
求めすぎかしら?
公演としてのクオリティはまずまず。
ただ演出や衣装(黒スーツ)が好みだったので満足はしている。
ではまた劇場で。