三島の見解

古の女子高生

その2【リサイタル】中村恵理ソプラノ・リサイタル

2024年1月7日(日)15:00公演

秋篠うたくらぶニューイヤーコンサート

秋篠音楽堂

中村恵理ソプラノ・リサイタル

お世話になっております。

三島でございます。

 

 

お正月明けの三連休の2日目に行われた中村恵理さん(以下敬称略)のリサイタルの感想その2です。

 

 

その1はこちら↓

mishimashikahika.hatenablog.com

 

 

 

この日の朝ご飯は新薬師寺方面にあるcafe zuccuさんにていただきました。人生で3回目の訪問です。

こちらのたまごサンドが美味しいです。ふわふわです。

 

 

 

 

では感想その2いってみよー。

シュトラウスおじいちゃんの歌曲たち

今回のリサイタルで一番楽しみにしていたリヒャルト・シュトラウスおじいちゃんの歌曲たちです。クレメンス・ブレンターノ(敬称略)の詩による6つの歌曲から1番目から4番目まで歌われました。直近でオーケストラ伴奏で前曲歌っているそうです(本人Facebookより)。5番目の「Amor」を省いたので、このレベルでは転がらないのかな、と思っていましたが、歌えないから省いたのではないようですね。中村恵理の「Amor」是非聴きたいです。

 

 

 

ここまでに歌ってきたイタリア語と日本語の歌曲に比べると声の浅さが気になりました。決して喉声ではないのですが、イタリア語を歌うときよりもポジションが上気味で金属音っぽく聞こえるときがありました。ドイツ語のお歌しか歌わなかったら気づかなかったかもしれませんが、イタリア語と日本語のお歌が素晴らしかったので、比較してしまいます。もちろんこのブレンターノの歌曲を舞台にもってこれる時点で十分素晴らしいのですが、中村恵理でも仕上がりきらないこともあるのだなあと。シュトラウスおじいちゃんは手強いです。

 

 

ドイツ語の発音もぼやけ気味で、フレーズの最初と最後の単語は聞き取れるのですが、間の単語は何いっているかがわかりにくいです。1曲目(「An die Nacht」)の出だしの「Heilige」の「Ha」の発音が飽和してしまいこの単語は曲内で何度も出てくるのでずっと気になりました。そもそも「H」の発音で焦点を合わせるのが難しい気もしますが、ここまで歌える人には求めたいところです。

 

続いて、2曲目(「Ich wollt ein Sträußlein binden」)は「私は声が転がる人よ!」と匂わせができるお歌ですね。好きです。最初の方の「Sträußlein」の三連符がボコボコしていました。その後の「Blümlein」の三連符の一番高い音は力技で引き上げているように聞こえました。このリサイタルで一番荒かった音です。不快というほどではないけれど、もっと滑らかさを求めたいところでした。ただその後の「Mir Tränen in den Klee」の音の処理が弾みすぎず、落としすぎずでとても綺麗でした。下降音型ではあるけれど響きは上にいくといった感じが良かったです。三連符警察みたいになっちゃった。最後(「Als mir dein Lied erklang」)が一番完成度が高かったように感じました。だんだんとドイツ語の乗りもよくなっていったように聞こえました。

 

 

 

この歌曲たちの難しさを改めて感じました。シュトラウスおじいちゃんの歌曲を聴いたとき、忘れてはいけないのは伴奏者へのお礼です。この歌曲を弾いてくれてありがとうございました。

 

オペラアリア

休憩挟んで第二部は全てオペラアリアです。オペラアリアをピアノ伴奏で聴くのはとても久しぶりな気がして新鮮でした。

 

1曲目に披露したのはワーグナー先生の「Dich, Teure Halle.」(タンホイザーより)です。ワーグナー先生のお歌を歌うんだな、と。次のレパートリーづくりでしょうか?表現力に定評のある中村恵理ですが、このお歌はまだまだ探り中のように見えました。発声は安定していますが、抜けきらない印象を受けました。言葉は第一部よりスムーズに聞こえました。アリアと歌曲の差でしょうか。シュトラウスおじいちゃんが厄介なのでしょか?

 

 

このリサイタルのハイライトは間違いなくデズデーモナのお歌です。ヴェルディ先生の「Salce,Salce 〜Ave Maria」(オテッロより)です。凄まじい集中力で歌っていました。私も凄まじい集中力で聴いていました。目も耳も離せないし離れない。長いお歌のはずだけれど時間感覚がなくなりました。そうなのよ、中村恵理は最終的に死ぬ役を演じるときの表現力が凄まじいのよ。(ミミを除く)

 

 

これくらい(どれくらい?)歌唱技術と表現力の両立ができている歌手が歌うと輝くお歌なんだな、と理解しました。死ぬ前のお歌だからって無理に暗くつくっているようには聞こえず、ただ物語の時間軸にいるデズデーモナが喋っているという感覚になりました。言葉を紡いでいるだけのような淡白さと感情が爆発したようなフォルテの緩急が良い。デズデーモナの内心は忙しいのですが、中村恵理自身は落ち着いて歌っているように見えました。中村恵理がデズデーモナを表現する媒体になっているみたいだった。お芝居だからあっているのか。ピアノ伴奏で抜粋で歌っているとは思えない完成度。今後、他の歌手の歌唱で満足できるのだろうか?

 

 

「Cantiamo!」の高音(ってほどでもないが)ジャンプも大成功です。「tia」が高音(ギリ五線内のファ♯)なので、その前の「n」で言葉が切れてしまい、大袈裟にいうと「カンッティアーモ」のように歌う歌手に遭遇したことがありますが、中村恵理は綺麗に繋いでくれたので嬉しかったです。しばらく後の「Buona notte」の二重母音が素晴らしく二重母音でした。「ボナノッテ」じゃないんだ、と思い出しました。その後「Ah〜!」の高音は楽譜通り情熱がこもってました。瞬時にはまる高音の美しさとデズデーモナの圧力に私大泣き。正確に言うと「Ah〜!」の前に息を吸った瞬間から泣いてた。素晴らしかった。

 

 

 

お歌が終わった後、数秒デズデーモナさんが乗り移ったままだったのが、戻ってきてくれて良かった。

 

 

その他、プッチーニ先生の「Chi il bel sogno di Doretta」(つばめより)は他の曲に比べると硬さがありましたが、最高音を細くなることなくそのまま当てにいってました。中音域と同じように高音域をだすことについては、広げすぎと思うこともありますが、時差なく正しい音にそのままたどり着けるのはすごいことです。このあたりは昨年来日したソニア・ヨンチェヴァ(敬称略)と同じものを持っていますね。せっかく名前をだしたのでヨンチェヴァと比較します。両名とも低音域もしっかり歌えるタイプのソプラノで好感が持てます。好感というか大好きです。ただ、歌い方に違いがあってヨンチェヴァはかなり胸に落として低音をつくるのに対し、中村恵理はほとんど落とさずに歌っています。頭声に近いところで低音域を歌いこなすのでもはや意味がわかりません。なんでそこで歌えるの?今回は小さい劇場だったので、大きい劇場だともっと胸に落とすかもしれませんが。

 

 

 

デズデーモナの印象が強烈で、最後の蝶々さんの薄くなっちゃった。でも、蝶々さんで締めるリサイタルってかっこいいな。でこの後のアンコールでムゼッタをばちばちに歌うと。楽しすぎ。

 

私のディーヴァ、あなたのディーヴァ

曲の完成度の高さの裏にどれほどの努力があるのでしょうか。私は中村恵理のパーソナリティはほとんど知りませんが、才能がありながらもそれに頼りすぎずに訓練を継続している方だと想像しております。妥協や甘えを許さない自分に対する厳しさを感じます。

 

 

今回のリサイタルは手抜き感は全くなく、どの曲も密度が高く溺れてしまいそうでした(褒めている)。中村恵理が表現する一曲一曲の世界が楽しくて苦しくて幸せでした。イタリア古典歌曲を聴いて楽しくなったことなどなかったのですが、この曲たちがとても雄弁で美しいことを教えてくれました。私は終演後にさっさと帰るのが好きですが、帰りたくなかったしなんなら圧倒されまくりで立てませんでした。

 

 

中村恵理を評価するときによく「日本人離れした声」という文章が使われています。よく見ます。日本人離れした声であることは確かですが、これからは「日本人離れしたパフォーマンス力」にしていただきたいです。

 

今日のディーヴァが明日のディーヴァではないし、声楽の技術なんて間違った歌い方や合わない曲ですぐ消えちゃうし、これから先ずっと「中村恵理最高!」って言っていられるかはわからないけれど、今回のリサイタルは心に残る素晴らしく公演になりました。あなたの歌唱技術、表現力、曲への姿勢に心からの感謝と敬意を。

 

 

事務ミス

余談です。

 

 

アンコールの最後に中村恵理本人からプログラムの曲順掲載ミスへの謝罪がありました。このリサイタルは主催は「秋篠音楽堂運営協議会」さんというところで企画は「秋篠うたくらぶ」さんだそうです。中村恵理の自主公演ではありません。なので主役が自分のミスでないことを舞台上で謝罪する必要はないかと思います。もちろん謝罪が悪いことではないし、客席を思ってのことだとは思います。本人の人柄や性格の可能性もあります。ただ、事務的なミスを主催・企画側が先に謝罪せず(アナウンスはあったけれど)主役が表立って謝ると言うのはちょっと疑問です。そもそも曲順のミスぐらいで謝る必要はないと思いますが。主催・企画側として自分たちの事務ミスを主役に謝らせないもしくは先に謝罪するくらいの意識が欲しいところです。これは主役がだれであってもです。

 

 

 

 

 

終演後はロビーまで出てきていました。関西地方のイントネーションが可愛いです。お顔を間近で見てもう感無量。泣きながら帰りました。京都に着く頃には泣き止みました。

 

 

あと、チケット代が3500円(当日4000円)でいいのか心配です。倍は取って良いです。3倍にしましょう。お得すぎて申し訳ない。奈良までの交通費を考えてくれたの?

 

 

 

以上で感想を終わります。

披露した曲全ての感想は書いていないです。公演時間は休憩あり約2時間だったかと思いますが体感時間は2秒でした。良い公演は一瞬で終わる。切ない。

 

 

 

素晴らしいリサイタルに行くことができ、また開催地が大好きな土地であったことは本当に嬉しいです。弾丸だったので奈良を堪能できませんでしたが、奈良公園を散策することはできたので良しとします。連休に遠出は好きではないのですが行って良かったと思っています。

 

 

次は新国立劇場の「椿姫」ですね。ドキドキしながら中村ヴィオレッタのお戻りを待っています。ソロでの演奏会を聴く機会も遠くないうちにあるといいな。

 

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

次はロシア編に戻ります(予定)。

可愛い鹿さんでお別れです。

ソプラノ:中村恵理

ピアノ:木下志寿子